27話「愚か者の一分」
なんとも言えない、身体の中に異物が入り込んでくる感覚。
最悪の場合に備えて聖司から距離を取るが、俺の意識は至って鮮明のままだ。
そして内部の薬液すべてを注入し終わってみれば、不快感もなければ違和感もなく。
「か、薫殿!? 正気ですか!?」
「いや……普通に冷静だけども」
「ああもう、本当にあなたは……こういう時だけ思い切りがよすぎます!」
聖司は半ば強引に俺から注射器を奪うが、中の薬液はすでに注入済みだ。止められる前にやって正解だった。
さすがに異変に気づいたのか仲間たちも集まるが、俺はそんなことより注射の効果が気になった。とりあえず準備運動でもするかのように体全体を動かしてみたが、特に変わったところはないように感じる。
「なあ聖司、なんか血管が浮いてるとか目がぼんやり赤く光ってるとかは?」
「それは……今のところはありませんが」
「よかった」
別にイケメンというわけでもないし、顔に自信があるわけでもないがさすがにビジュアルがヤバめに変わるのは避けたいところだったから、ありがたい。
となると、効果が出るまで時間がかかるということだろうか。それとも気づかない内にもう発揮されているのか。
「……お?」
不意に、俺は利き手である包帯巻きの右腕で顎を擦っていた事に気づいた。無意識だったが、普段ならこんなことをすれば腕全体に痛みが走るはずだ。
試しに拳を作っては崩してを繰り返し、軽く左手で叩いてみる。痛みはない。まるで傷を負う前の身体に戻ったようだ。
「なるほど、即効性はあるようだ。でも傷が治っているわけじゃないから、痛覚が遮断されただけかな。あくまで医療用ではなく戦闘用か」
「冷静に分析しないでください! 何を考えているのですか!」
「何って、効果が分からないから試したんだろ」
流すように聖司にはてきとうに返しつつ、俺は足元のコンクリート片を拾い上げる。手の平に乗るくらいの小さなものだが、これでも人間の握力で戦うには倒し難い敵と言えるだろう。俺はそっとコンクリート片を乗せたまま手の平を閉じて、少しずつ力を込めた。ぽろぽろと、手の中で硬いものが崩れる感触。
「ふむ……なるほど。なあ瑛蓮」
「な、なによ?」
「ちょっと俺を殴ってくれないか」
「はぁ!?」
変な意味じゃないんだぜ。防御面も確認したいだけだ。
「ヘイヘイ、なんだよ瑛蓮ビビってんのかー?」
「うっさい! そんなに言うなら本気で行くわよ馬鹿! 変態!」
「ぐぉ……」
俺の腹に瑛蓮の蹴りが突き刺さる。着弾点から少しずつ浸透する衝撃は骨や筋肉、脳髄にまで響いて軽く目眩がした。お前肉弾戦でもゾンビ倒せそうだな。
そして次の瞬間、ストップを言いそこねた俺に二発目の殴打が入る。更に間髪入れずに三発目。まるで格ゲーのコンボだ、隙のないラッシュに抵抗する余裕すらない。格闘技初心者以下だしね薫さんは。
ヤケになった瑛蓮の激しい攻撃は止まるところを知らず。彼女の体力がなくなり、攻撃が止むのには数分を要した。
「はぁ……はぁ……っふ、やるじゃねーか」
「あわわわ、ごめん……薫」
あまりの攻勢に制服もはだけ、打たれ疲れて体力を消耗しきった俺は地面にうつ伏せの状態で倒れ込んだ。ひんやりしたコンクリートの床が気持ちいいが、なんか事後っぽい。いや、誰も得しないだろうけど。
まあこれで場も和んだし、薬の効果も分かったから良しとしよう。あれだけやられて痛くないんだから、防御面も程々に強化されてる。でもダメージは入ってるだろうから、薬が切れたら悲惨だろうなこれは。
「よし、まあこれで疑問も解決したことだし飯にしよう」
「切り替え早いですな……ちなみに我々の食料と水は底をつきかけています。菓子類が少し残っていますが、その……薫殿のお口には合わないかと」
「は? なんだよそれ。別に俺甘いの嫌いじゃないぞ。食えるもんあるならそれでいいじゃないか」
アレを除いて、俺は別にお菓子の好き嫌いなんてない。ましてこの状況だ、食えるものがあるならアレ以外は何だって食ってやるさ。
「えーっとね薫君、実は前のエリアで拾ったチョコミントのアイスしかもう残ってないの」
「あ!? 駄目です柳瀬殿!」
「チョコミント! よかったぁ、私好きなんです!」
「あっ!? 駄目瑛蓮ちゃん! 薫にチョコミントは──」
今、聞き捨てならない言葉が聞こえた気がする。アレのことを知っている聖司と絢香が慌てているところを見ると、間違いないらしい。
そうかそうか、瑛蓮はチョコミントが好きか。そうか。
「なんだとー! 許せん!」
「こんな時くらい控えてください薫殿!」
「まずいわ逃げて瑛蓮ちゃん! 薫は反チョコミン党の過激派なのよ!」
「反チョコミン党って何!?」
チョコミント死すべし。それを称える者も同罪だ、慈悲はない。アレに毒された者は浄化することでしか救済出来ないのだ。
おそらく食料を持っているのは一番積載量の多い絢香。すぐに奴を押し倒し、俺は強引に画面を操作すると持っていたチョコミントをすべて奪い取る。次に用意するのは、木の棒だ。確か瑛蓮がいくつか持っていたはず。チョコミント支持者の彼女を拘束しながら、これを使って磔台を作ろう。人の味覚を壊す貴様らには磔が似合いだ、ふはは。
「チョコミントは現代の科学が生んだ悪しき毒だ。我々はアレの存在を決して認めない。そして、アレが美味い食物だなどという虚言を撒き散らして世間を騙そうとする奴らを許しはしない」
「っく、瑛蓮殿……間に合わなかった」
「馬鹿なことはやめて瑛蓮ちゃんを解放しなさい! あなたは包囲されているのよ!」
「え? え? ……何、なにこれ?」
木の棒に括り付けられた瑛蓮は状況が飲み込めていないようだ。馬鹿め、これからどうなるかも知らずに。
すでにチョコミント達の処刑は済んでいる。やつらは一つ残らず磔台に釘で打ち付けた。そこで無残に溶けゆく姿を晒して朽ちるがいい。
さあ、次は瑛蓮の番だ。
「チョコミントの崇拝者、斎賀瑛蓮……お前には裁きを受けてもらう」
「え、なにこれ……ほんとなにこれ」
俺は瑛蓮の身体に手を伸ばす。だが指先が触れる寸前のことで、俺の視界が霞んだ。
背中の辺りに衝撃。薄れゆく意識の中、俺は背後に友希那を見た。漫画ならぷんすか、と擬音が入ってそうなほど片側の頬を膨らませた彼女の姿を。
「食べ物を粗末にしたら……めっ! だよ薫」
この世界に来てからは、どこか聞き慣れた気もする金属音に俺は目を覚ました。
寝ていたのか。いや、気絶させられたと言った方が正しいか。時間は、窓に貼り付けた木の板から漏れる陽の光からして夜を超えたのは確かだな。
身体は荒縄でまた拘束されている。縛られることに定評がある薫さんを名乗れそうだ。
そしてみんなはといえば、どうやら片付けの最中のようだ。そろそろ移動かな。俺も手伝いたいが、上半身は荒縄でぐるぐる巻きにされてるから文字通り手が出せん。仕方ないから横で銃をバラしている友希那と会話に勤しもう。コミュニケーションをとるのはみんなの状態を把握する上でも大事なことだ。
「あれま、見事にバラバラだ。ちゃんと戻せるんだろうな、それ」
「うん。私、一度解体したのは全部頭に入ってるから。元にも戻せるよ」
「そりゃすげえ。薫さんなら絶対ネジの一つくらい締め忘れちゃうぜ」
なんというか、楽しそうで何よりだ。うん。
「そんなに中身が気になるのか?」
「薫は気にならない? 普段使ってる物とか、どんな仕組みで動いてるんだろうって」
「あー……まあ知識として知りたいと思うこともあるな」
「でしょう? だから、こうして中を見て調べてみるの。結構、面白いよ?」
なるほど、バラす行為そのものを楽しんでるんじゃなくて、ちょっと知識欲が豊富すぎるのか。
「お前、元の世界で動物とかまで解体してないだろうな……」
「そんなことしないよー。だって生き物は死んじゃうもん。それに、犯罪になっちゃうし」
「ほう……ルールを守れる。友希那はいい子だ」
「えへへー」
黙っていれば大人びた感じのお姉さん。でも口を開けばそんな容姿とは真逆の、無邪気な笑顔が飛び出す純粋無垢な子供。本当に月宮さんと外見が逆なら違和感なかったんだがな。
もしかしてこの世界なら、頭を思い切りぶつければ中身を入れ替えることができるんじゃないだろうか。ふと思ったが、さすがにそこまで無茶が通る世界でもないか。やめておこう。
「そういやお前、捕まってた時なんで武器隠してたんだ?」
「持ってるのを全部あの牢番の人に分解されたり取られそうになっちゃったから。この世界でなんにも持ってないのは怖いもん。ああやって身体に隠すと、表示されないんだよ」
なるほど、格納せず装備欄から付けるでもなく一度放り出してから手作業で直に身につければ、扱いは捨てたことになって画面には表示されなくなる。言われてみればたしかにそうだ。この世界で持ち物調べるなら、ボディチェックするより画面の情報を覗く方が早いし正確。だからこの世界に慣れたやつの目ほど欺ける。なるほど賢いな。
「ちなみに今も持ってるのか?」
「うん。銃は弾がなくなっちゃったから、今はナイフ入れてるよ。薫も必要なら、好きに使ってね」
「スカートに手を突っ込むかめくりあげるってのはちょっと勘違いされかねないからそれは最終手段ですね……」
特に女子勢が増えた今では頼るのは危険だ。瑛蓮は刺激しない限り大丈夫だけど絢香はすぐ手が出るし。
なんて袋叩きにされる俺を想像して身震いしている内に、友希那はショットガンを完璧に組み上げていた。分解は初めてだろうに、やたらスムーズに仕上げたな。こういうのも才能か。
「あ、あの……準備できたから、二人共そろそろ」
「おう、瑛蓮。おはよう」
「……おはよ」
ちょっと離れたところから声をかけてくる瑛蓮は、どう見ても俺を警戒していた。しまった、やりすぎたか。だがチョコミントだけは薫さんも譲れないものがあってだな。
「ねぇ薫、あなたはその……」
「なんだ?」
「チョコミント、どうしてそんなに嫌いなの?」
「ああ、それか。実は俺の親父が離婚した原因がチョコミントにあってだな、ちょっと長い話になるが──」
「わぁ思ったより重かった!? ごめんなんでもない気にしないで!」
逃げるように、瑛蓮は俺の前から消えていった。まあ全部話せば日が暮れるしこれでよかったか。
再び二人きりになった俺と友希那だが、いかんせん話すことが思いつかん。解体話で盛り上がれるほど俺の脳は上手く出来ていない、どうするか。なんかさっきから友希那がこっちを凝視してるし間が持たないぞ。
「薫は……不思議だね」
「むむ……そうか? 分かりやすいキャラを演じて……っと、結構分かりやすいやつだと思うが」
「面白くて、優しくて、ちょっぴり変で……怖い人」
「ふむ、怖いと来たか」
「うん、だって薫……あの人のこと、殺すつもりでしょ? 犯罪なのに」
犯罪犯罪言われるとちょっとやりにくいな。その通りだから反論もできないし。
「三神のことか。あれは犯罪者に死刑を下すようなもんだ。多分、予想通りならアレは野放しにしてるとまずいことになる。現状アイツに対抗できるとしたら俺と聖司くらいだからな、仕方なくさ」
「なるほど。みんながやれないから仕方なく薫がする……働き者だ、偉いね」
「んなこたぁないさ。元いた世界じゃサボりの常習犯だからな俺は。俺がいなくても回るなら徹底的にサボる。怒られたり失敗しない程度に最低限頑張るだけでも人生なんとかなるもんだ」
「だから……あの人の相手は薫しか出来ないから、サボりたいけど薫が頑張る?」
「そういうこったな」
さっさと塔を攻略して終わり、それでもいい。むしろ仲間のことだけを思うならそれが最善だ。他の奴らがどうなろうと俺の知ったことではない。赤の他人より友人や知り合いが優先だ。無駄なリスクを負う必要はない。
けどここで三神を放置すれば俺はこの先ずっと、元の世界に帰ってからも、ニュースで一クラスまるごと失踪だとか生徒が突然行方不明なんてのを見るたびにヤツを殺さなかったことを後悔しながら生きていくことになる。そんなのは、嫌だね。そうさ、これは俺のためだ。正義のためだとかそんな大義名分は薫さんには必要ない。なんたって薫さんは自分勝手でいい加減なサボり魔だからな。
──けど、俺だけじゃきっとヤツを止めることは出来ない。みんなに手伝ってもらうことになるだろう。俺一人でやるなんて言ったって、どうせみんなついてくるだろうしな。
だからこそ、それだけが気がかりだ。俺にみんなを守れるだろうか。もう誰も失わずに、誰も裏切らずに。失敗は許されない。
お遊びは抜き、本気の本気で、やり抜くしかない。それでも駄目なら──いや、必ずやり遂げる。俺の人生を賭けてもいい。とにかく、絶対に成功させないと。




