26話「皆が望んだ団欒」
まさか生きている内に、廃墟で一夜を過ごす時が来るとは思わなかった。
俺達のいた世界では不良とかホームレスとか何が潜んでいるかわからないし、あまりオカルト的な話は信じない方だが仮に万が一、もしかしてもしかしたら、億分の一の確率かもしれんが霊が存在したとして、呪われたくもないからな。俺にとっては百害あって一利なし、その手の場所に好んで行くような趣味はない。
けれどこの世界でそんな甘いことを言っていたら、生き残れないからしかたない。
拠点として選んだのは、半分倒壊したファーストフード店的な建物。割れた窓を絢香の作った木材の壁で補強しただけの砦で、俺と仲間達はオイルランプを囲み夜を乗り切ることにした。
そして夜食のひとときに、月宮さんの周りを囲む二人に向け俺はポツリと呟く。
「まさかお前らまで生き残ってるとはな……正直驚きだ」
別に嫌味で言ったわけではないが、そう聞こえてしまったらどうしようかと言った後で少し後悔。だが以外にも、俺の隣りに座っていた三人組の纏め役たる彼は好意的に肩を寄せながら俺の言葉に答えた。
「俺らもマジでヤベー時はあったけど、紫様や聖司さんが頑張ってくれたからな。マジであの二人には感謝しかねーわ」
「なるほど……さすがです紫様」
俺とヤンキーその1からの称賛に、聖司の影で身を潜めていた紫さんが僅かに頬を染めた。しかし見られたくなかったのか、彼女はそれを隠すように両手を添えるようにして握っていたカップを傾ける。たしかアレにはさっき沸騰したばかりのお湯を注いだコーヒーが入っていたはずだが、あおるように飲んで熱くはないのだろうか。
と、そんな俺の心配は的中し、直後に紫さんは苦しそうに目をぎゅっと瞑りながら舌を出していた。かわいい。
「ところで、お前はなんで俺の隣に? お前らいつも一緒だったじゃん」
「それがな……」
そこから10分くらいは、ヤンキーその1の苦しくも切ない旅のお話が続いた。
まずはじめに、俺が川に落ちて傷心の月宮さんを守るとヤンキー1・2・3は決意した。最初は三人で連携をとっていたのだが、その2と3が普段以上のやる気を出しまくり月宮さんの評価ポイントを荒稼ぎ、しかしそれは長く続かず二人は無茶な戦闘をして怪我をしてしまう。それで反省するかと思いきや、月宮さんによる懸命な看病に心を打たれ心の病状は悪化。奴らの行動は激化し月宮さんに付きまとうように。だが優しい彼女は半ばストーカーと化した男どもをただ好意で手伝ってくれるいい人と認識してしまったらしく、むしろ月宮さんの方からあいつらを頼り、奴らは奴らで調子に乗るという悪循環を形成してしまった。
その1が蚊帳の外になっていても、もう2と3には関係ないらしい。下心が友情に勝るとはな、嘆かわしい。
「まあなんだ……ご愁傷さま」
「でもやっぱあの子にはお前だよ。柳瀬ちゃんのあんな笑顔、俺らと一緒の時じゃ見れなかったからよ。やっぱ薫はすげぇよ……アニキって呼ばせてくれ」
「あ、ああ……気持ち悪いけどお前がそうしたいなら別に構わないが」
「アニキぃ……」
俺の肩に頭を乗せて、その1が猫なで声で頬を擦り付けてくる。
潤一から逃げれたと思ったらまたその1が湧いた、なんなんだこれは。
「だが……悪い虫が月宮さんにつくのは許せんな」
「だろ? やっちゃおうぜ、アニキ」
俺とその1は無言で立ち上がり、2と3に対峙する。物々しい空気に察した聖司が間に入るが、俺達はもう止まらない。
「薫殿! らしくないですぞ!」
「もう遊び人もクールな薫さんもないんだよ……」
俺とその1は背中合わせに構え、2と3にそれぞれ狙いを定めた。
湧き上がる感情のすべてを、この一撃に込める。
俺は足を、その1は腕を振りかぶり──その瞬間、不良三人組のいざこざは決着した。
夜もふけ、聖司達は新しい仲間として加わった瑛蓮と友希那の歓迎会を開いている。
だが俺とその1だけは荒縄で体を拘束されながら、店内の隅っこで二人仲良くあぐらをかきながらワイワイやってるみんなを傍から眺めていた。
こうなった経緯を説明するには数分前に遡る。なんとあの時俺達が放った渾身の一撃は2と3に掠りもせず、寸前で絢香と瑛蓮に防がれたのだ。スポーツ少女っぽい瑛蓮はもちろん、やや力にステ振りしてる絢香が結託すれば平凡な運動能力しか持たない俺達の敗北は必至。その後滅茶苦茶怒られて、ご覧の有様である。まあ当然の結末だ。
ただし俺らのことで反省したのか、2と3はまた三人トリオでやっていくことに決めたらしい。想像とは違ったが、これで一件落着だな。
「なぁアニキ……ありがとな」
「お前がこれで満足ならな」
「でもちょっと縄が痛いな、アニキ」
「これはおふざけも大概にしろという戒めだ。この事を忘れず、身に刻み込め。空気読めない行動しかけた時にこの痛みを思い出すことで踏み止まれる」
「なるほど……やっぱアニキは頭いいな」
そういうことなら、とその1は何か思いついたのか顔を綻ばせて。
「なぁ瑛蓮ちゃん、もっとキツく縛ってくれねぇか」
「はぁ!?」
瑛蓮がすっごい声出した。まあ当然だ。
てかもう完全に変態じゃん。女の子に縛ってもらうとかよっぽど──いや、割とアリかも。
「すまん瑛蓮、俺も頼む」
「はぁ!?」
その後また滅茶苦茶怒られた上に額に変態と書かれた札を貼られ、ついでに外の偵察まで命令された。あの年頃の子はちょっと分かんないな薫さん。
そんなこんなで拠点を追い出された俺達はファーストフード店周辺を歩いて回っているのだが、いかんせん顔の前でぶらぶら垂れ下がる変態札が邪魔すぎる。
「なんだよこれ、キョンシーかよ俺らは」
「アニキ……俺いいこと思いついた。映画で見たんだよ、ゾンビのフリすると襲われないんだ」
「それ……多分ここじゃ通じないぞ」
ジャングルのように視界が悪く草むらに何が潜んでいるかわからない恐怖もそうだが、静まり返ったコンクリートばかりの灰色一色の世界もなかなか怖い。俺達は少しでも気分を落ち着かせようと、両手を前に突き出しぴょんぴょん跳ねるように移動して気を紛らわせることにした。
こんな装備でおっさんが撃退したブリッジゾンビなんかに出会ったらおしまいだ。というか高速移動するゾンビってなんか怖くない?薫さんは嫌いです。
「あれ? アニキ、今……」
「ちょっと! フラグみたいなの立てるのやめてくださらない!?」
「ご、ごめんよアニキ……」
とはいえ、確認しない訳にはいかない。見逃せば仲間が襲われるかもしれないからな。
俺とヤンキーその1は縦列の陣形をとり、キョンシースタイルで不審な物音が聞こえた場所に移動。そこは倒壊したガソリンスタンドのようで、ほとんど瓦礫に埋まっている。おそらく音は、そこの倒れた支柱の影から聞こえたはずだが。
「この辺……か?」
「何かいるかいアニキ?」
俺は柱の裏側を確認するために身を乗り出し──その瞬間、淀んだ白い瞳と目が合った。
「うわあああ出た!?」
「ガアアアア!?」
俺はつい大声で叫んでしまった。ちなみにゾンビも驚いていた。
そりゃ変態って書かれた紙を顔に貼り付けたやつがいきなり覗いてきたら誰だってびっくりするだろうよ、うん。
「やばいぞこんなとこで銃撃ったら音が響く! なんか、なんかないか!」
「あったよアニキ! DVDが入ったダンボールが!」
「でかした!」
その1がDVDをケースから取り出し、俺が受け取って投げナイフの構えで投擲──しかけたところで、横目に収録された映画を確認。即座に構えを解いてその1に返す。
「馬鹿野郎、こいつを投げるなんてとんでもない! ネズミに殺されるぞ! 他のをよこせ!」
「じ、じゃあこれは?」
「それだ! 喰らえゾンビ野郎! 八つ裂き円盤だ!」
DVDはまるで機械で打ち出したかのような完璧な軌道を描いてゾンビの頭に直撃した。しかし対象に目立った損傷は認められず、依然俺達に向け進行を続けている。
「次弾装填! ほら、その端のやつだ!」
「そんな! アニキ、俺結構これ好きなんすよ」
「うるせぇサメ映画は嫌いだ! よこせ!」
その1から円盤を奪い、俺は投げ放つ。しかし慌てていたせいか精度が落ち、ゾンビの頭に着弾はせず前に伸ばした腕の指に引っかかってしまった。
これはこれですごくね?輪投げなら1等だぜ。
「…………馬鹿野郎! そもそもDVDでゾンビが倒せるわけないだろ!」
「ごめんよアニキ!」
「ちぃ、仕方ない切り札を使う! お前は下がってろ!」
俺はゾンビと距離を保ちつつ、画面を操作する。この状況、俺のインベントリに格納された秘密兵器を使わざるをえないようだ。
「土を喰らえ、オラ!」
「ガアアアア!?」
ゾンビの顔めがけ、俺は土の塊を叩きつけた。小石の粒が目に入ったのかゾンビは顔を両手で覆い、俺はその隙にがら空きの足を掴んで思い切り手前に引く。するとゾンビは盛大に後ろに転け、運悪くちょうどいいところに落ちていた瓦礫の角に後頭部をぶつけ息を引き取った。よし、3割くらい狙い通りに上手くいったぞ。
これは赤いドラム缶と同じだ。ある程度、この世界は都合よく展開が広がるように設定されている。ギャグのノリで行けば、この通り俺らはゾンビの餌になることなくなんかそれっぽい勢いだけで凌げたわけで。無論これから先もこれに頼ってなんとかなるわけじゃないだろうが、こういうこともできると知れただけでもわざわざふざけて危険を犯しただけの価値はある。
これを利用すればあるいは──奴に勝つこともできるだろう。
「うわっ!? また来たよアニキ!」
「騒ぎすぎたか! くそ、仕方ない真面目に戦う。下がってろ!」
コメディ展開は終わりだと言わんばかりのゾンビの大軍。総勢20体ほどが俺たちに接近していた。
ならここから先はシリアス風に。いや、ガンアクション風味でやってやる。試し撃ちも兼ねて、俺専用のAR15を装備。左手でグリップを握り、右手はハンドガードに添えるだけの構え。銃は亜音速弾とサプレッサーの組み合わせだ、音はそれほど響かない。
レイル上面に装着されたホロサイトを覗き、緑に発光するレティクルを一番近いゾンビ、その頭部に合わせる。
気の抜けた銃声。銃身を覆うサプレッサーから放たれた弾丸はゾンビの眼球を抉り、後頭部を突き抜ける。サイト越しに淀んだ脳漿が舞うのを眺めながら、スライドさせるように照準を隣のゾンビに移して再度発砲。血飛沫が灰色の壁に赤い花を描く。
まだ2体。片付ける間に肉薄してきたゾンビが俺の顔に手を伸ばす。屈んで腕をくぐり、懐に潜り込むとゾンビの顎に銃口を擦り付けさらに一発。噴水のように吹き出す腐汁を後退しつつ避け、背後から掴みかかろうとするヤツの顔面にはストックを叩きつけた。
飛び散った血液が漆黒を帯びたAR15の体に付着し、月明かりに照らされ妖しく濡れ光る。これで俺の前には、倒れたゾンビが4体。しかし、これはまだ始まりにすぎない。迫りくる肉の壁は衰えを知らず。死人はなおも俺達に牙を剥く。
走るゾンビの足を払い、転げ無防備に晒した後頭部を撃ち抜く。銃に手を伸ばしたゾンビの胸部をサプレッサーで突き、体勢を崩して胸と頭部へ銃撃。群衆は先頭を蹴り飛ばし、ドミノ倒しになったところを一体ずつ確実に頭を撃ち抜いて仕留めていく。
弾切れの弾倉を銃から引き抜き、大口を開けたゾンビの喉めがけ突き刺す。最後のゾンビは、再装填が間に合わなかったので土で目潰し。胸ぐらを掴んで引き倒し、瓦礫の角に叩きつけ頭をかち割る。ありとあらゆる手段を用いて、俺は肉塊の山を築いた。
次いで訪れたのは、死人の凶爪ではなく重い静寂。濁った血液と肉片が散らばる静かな戦場で、俺のつま先に弾かれ煤けた真鍮が小さな音色を奏でた。
「土まで武器にするなんて、すげぇよアニキ!」
「当然だ、薫さんだからな」
なんとか無事に生還。ちなみに代償は俺の右手。酷使してる割になかなか壊れないせいで死ぬ死ぬ詐欺みたいになってるが、ちょっとずつ辛くなってるのは本当だ。
もう周囲にゾンビも見当たらないし、しばらくは大丈夫そうだな。それにしても、トイガンで練習してたとはいえぶっつけ本番、しかも無駄のない無駄な動きを取り入れた映画的アクションで乗り切れるとは。やはり薫さんは強いのでは。
なんてな。全部普通のゾンビだったからで、一匹でも変異種が混じってれば本気の真面目モードでも生き残る可能性は低かったと思う。今更だがこの組み合わせ、強いの湧いたら死んじゃうじゃん。瑛蓮も追い出すなら友希那くらいつけてくれればよかったのに、気の回らんやつだ。俺はお前が思ってるほど強い男じゃないんだぞ。
「でも、ゾンビを集めちまったな。念の為もう一度周りを確認して、それから帰ろう」
「了解だぜアニキ!」
その後も30分ほど偵察を続けたが、ゾンビの襲撃はなかった。それどころか、人のいる気配さえもない。ただ息を潜めているだけなのか、本当にいないのか。
せめてこれが、嵐の前の静けさでないことを祈るばかりだ。
偵察から帰還した俺達を待っていたのは、いつも優しい我らの主。ホットミルクの注がれたカップを両手に二つ握った紫さんだ。
どこか自信なさげな、ちょっぴり小さな声でお疲れ様でしたと笑顔で迎えられると、なんだか疲労が一気に消し飛んでしまうような錯覚すら覚える。人の心すら癒せるとは、さすが紫様だ。
「ごめん、ね。危険な偵察を……二人に任せて。だいじょうぶ……だった、かな?」
「いえ、むしろ夜間の偵察はお任せください紫様。夜の活動は慣れていますので」
「そ、そうなんだ……でも、無理はしないで……薫君」
「問題ありません。私でよければ、どうぞご随意に」
「ま、前々から思ってたけど……どうして私にだけ、そんな言葉遣いになる……の?」
「いや……なんとなく俺はそうしないといけないような気がして」
「そう、なんだ……」
なんか納得してくれた。それでいいのか紫さん。
でも実際、紫さんは文系少女に見えて結構武闘派というか二挺拳銃でゾンビをなぎ倒すとか映画の世界の人みたいな感じだしむしろ尊敬しない方がおかしい。
もしかしなくても、彼女は薫さん以上の身体能力があるんじゃないだろうか。いや、平均値を超えられない俺と比べるのもなんだが。くそう、器用貧乏的なステの上限さえなければ俺だって。
って、女の子と張り合おうとしてる時点で実質敗北だ。悲しくなるからこれ以上は考えないようにしよう。
「あ、そうだ……聖司君が用がある……って、言ってたよ」
「何? マジで……っと。了解しました、直ちに」
「あはは……続けるんだね、それ」
丁寧に一礼して紫さんと別れ、ヤンキーその1にも忘れず休憩の指示を出してから俺は店内で聖司を探す。
と言っても倒壊した店の中はそれほど広くなく、見渡せば誰がどこにいるかなんて瞭然だ。俺は木張りのバリケード付近で一人佇む聖司を見つけると、二人だけの話がしたいのだとすぐに察して足早に彼の元へと歩み寄る。
「やっほー、ご指名ありがとー! 今夜は薫ちゃんがいっぱいサービスしちゃうね!」
「チェンジで」
ノリノリの俺に、聖司はメガネをランプの光に輝かせながら冷静に言い放った。
「なんでだよ!」
「それで、相談なのですが……」
「何事もなかったかのように進めるなよ、薫さんが頭おかしいようにみえるだろ」
「薫殿はおかしいのでは?」
「確かに……」
俺達の会話を聞いていたのか、飲んでいたコーヒーでむせる瑛蓮。他のみんなも司令塔二人の密談に聞き耳を立てていたようだが、しょうもない会話だと理解するやいなや注目が薄れていった。これでいいかな。
「さて、続けますが……」
「うむ」
「道中でこんなものを見つけたのです。薫殿の意見をお伺い致したく」
「どれ、見せてみるがよい」
聖司は慣れた手付きで画面を操作し、手のひらにでかい棒状の──注射器か。それもよく見る普通の注射器じゃなくて、内部に薬液が充填された使い捨てのペン型タイプ。
いかにも怪しげな物体。その中身もまた黄色というか橙というか、あんまり身体に打ちたくない色をしている。
「これは?」
「道中で見つけたものです。身体強化用ウィルスという名称なのですが……」
「なるほど、ウィルスと来たか」
「ええ、ですから人間に試すわけにもいかず……かと言って捨てるというのも。全部で10本、薫殿なら何かいい使い道を考えていただけるかと思いまして」
いい使い道もなにもないだろ、名前がそうならそういう使い方なわけだし。
俺は聖司の手の平から注射器を取り、首筋に押し当てながらボタンを押した。




