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25話「大きいおじさん」

 俺はカンに誘われるまま、コンクリートの密林を歩き続けた。

 乾パンを齧りながら、過ぎ去る景色を眺める。穴だらけの雑貨店の看板。割れたショーウィンドウの中で朽ちるマネキン。降り積もった瓦礫から頭だけを出したクマのぬいぐるみ。

  別にホームシックというわけじゃないが、俺達の世界と似た空間にずっと籠もっていると、ちょっとだけ家が恋しくなる。正確に言えば、俺の部屋。もっと詳しく言えば、本棚に積まれた未読本やゲーム、それとネットの世界。


「…………あ」


 思わず落としそうになった乾パンの缶を抱きかかえて、俺は立ち止まる。

 後に続く二人もそれに倣い足を止め、まっさきにおしゃべりな瑛蓮が俺の隣に進むと耳元でささやいた。


「薫、どうかしたの?」

「いや……その」


 会話する間も、俺の視線はある場所に釘付けだった。そうしていなければ、危ないと直感で理解していたから。

 察した瑛蓮が俺の視線をたどり、直後にビクリと体を震わせる。どうやら彼女も見つけたらしい。


「どうする……の?」

「わからん……分からんがヤバい」


 俺達から約20メートルほど上空。ビルの壁に腕を組みながら悠然と佇む人影。いや、人と言うには少し大きいか、3メートルはある。

 ビルの壁から生えたように重力やら物理的なアレを無視して立つゾンビは、偉そうに俺達を見下ろしている。ゾンビと言うには体が綺麗すぎるな、肌も白いし大男のマネキンと言ったほうがいいかもしれない。


「あ、降りてきた……か、薫?」

「ヤバい、アレはヤバい」


 すると、大男は腕を組んだまま一歩足を踏み出す。やつは羽もないのに空中で静止し、ビルと同じく地面に対して垂直になるよう位置を直してから、糸で吊られたようにするするとポーズを維持したまま地面に降り立った。

 ヤバい、変なの来ちゃった。


「わー、すごい。ねぇ薫、アレはゾンビより人間に近そうだよ」

「アレはちょっとバラすの大変じゃね? まあいいか……よし、これよりヤツをラスボスと呼称する。友希那、スラグだ撃て」

「うん、分かった」


 先手必勝、まだ腕を組んだまま直立不動のラスボスに向かって友希那が銃口を向ける。

 熊をも倒す……かもしれない12ゲージのスラグ弾は石を削るような鋭い音を立てて、ラスボスの頭部に直撃。一歩たりとも後退はしなかったが、ラスボスの首は大きくのけぞった。

 さらに友希那は、間髪入れず連続して射撃を加える。今の所外れた弾はない、なかなかやるな。

 その間に俺と瑛蓮も銃を準備して、射撃体勢を取る。そこで、友希那の銃に装填されたスラグが尽きた。


「もっと撃つ?」

「いや、散弾はとっとけ。次は俺達がやる」


 友希那の銃には二つの弾倉があり、それぞれ別の弾を込めさせている。まだもう一方の弾倉に入った散弾は使うべきじゃない。

 それに、そっちまで使い切ったら友希那が弾切れになってしまう。と思ったけどちゃんと言わなくてもスラグ弾をリロードしてくれてる、偉い。


「よし、瑛蓮合わせて撃つぞ」

「りょうか……」


 彼女が言い切るより先に、ラスボスは瞬間移動のようなもので瞬時に俺達の前に移動した。突然のことで反応しきれなかった俺だが、銃声は確かにビル街に轟いて。


「……駄目だ、ちょっと無理っぽいよ薫」


 片側の頬を膨らませて、友希那がぼやいた。彼女のショットガンに装填された散弾はラスボスの陰部、腹部、胸部を正確に捉え撃ち抜いている。俺の凡人並みの反応速度を軽く凌駕して対応するとは、友希那は思った以上にすごいな。

 しかし、あれだけ散弾を受けてもやつは平然と俺達を見下ろしている。武器も効かず、弱点もないとは。万事休すだ。

 そしてついに、ヤツは筋肉の塊のような腕を伸ばした。両手の向かう先は最も近い俺と瑛蓮。そして、

 

「お……おお?」

「あ、あれ?」


 ラスボスの野太い指は俺の首を千切ることもなく、また瑛蓮を潰すこともなく。俺と彼女をそっと抱きかかえると、友希那に向き直り地面に膝をついて首を下げる。


「友希那……乗れってことらしいぞ」

「おお、なるほど」


 最後に友希那がラスボスによじ登り、肩に乗ったところで彼?はすくと立ち上がる。が、乗せるだけ乗せておいて、いくら待ってもラスボスは沈黙したまま動かない。


「ねぇ、もしかしてこの人……人? 味方なんじゃ」

「そうかもしれんし、そうじゃないかもしれん」


 こいつはラスボスあらため白いおっさんと呼ぶことにしよう。

 解体したそうに友希那が目を輝かせているがとりあえず無視して、このおっさんの使いみちを考えなければ。動かないところを見ると命令待ちか、それとも俺達をどうするか迷っているのか。前者だとすると、何か言えば反応するかな。


「なあ……白いおっさんよ、ちょっとそこの角まで行ってみてくれ」

「わっ!? 動いたよ薫!」


 急に動き出してバランスを崩した瑛蓮を、おっさんは器用に片手で持ち直し落下を防いだ。そしておっさんは俺達が落ちないよう気を使いながら目的地に移動し、再び沈黙。なるほど、命令に従うし気も回る。これはいい拾い物をしたな。

 だが喜ぶのも束の間。後方からまるで台所にいる黒いアレのように、カサカサと音を立てて近づく気配に俺は気づいた。まあ実際のヤツは隠密性が高くて、音をたてるのは漫画の世界くらいなんだろうが、今それについて議論をしている場合ではない。

 首を後ろに回して見てみると、白衣を着た髪の長い女がブリッジをしたまま高速で俺達に向かっていた。完全にホラーだ。サバイバルアクションホラーなこの世界観にはちょっと合わないぞ。


「おっさん敵だ! なんとかしてくれ!」


 俺はおっさんの腕にAR15を固定し、照準を女に合わせながらダメ元で叫ぶ。すると彼は小走りに変異種へと向かい、サッカーボールでも蹴り上げるようにゾンビ女を遥か彼方まで蹴り飛ばした。

 つま先に触れただけでひしゃげた変異種の女は、ビルの角にぶつかると腰から二つに分裂して沈黙。特撮モノ並の破壊力だな。あるいはスーパー系的な。


「おっさんすげー!」

「ラスボスおじさんすごい!」

「中身どうなってるんだろ……」


 ちょっと不穏な発言が聞こえた気がしたが、仲間受けもなかなかに良好のようだ。少なくとも、二人が怯えているような様子はない。

 しかも超高性能。もしかして、このままおっさんに乗って塔まで行けば即攻略できるんじゃないだろうか。

 試しに塔までの最短ルートで進んでくれと命令すると、おっさんは駆け足気味に俺達を運んで移動を開始。便利すぎる。

 遺跡の猫もそうだが、これはもしかしてこの世界なりの救済処置のようなものだろうか。ただの学生相手に変異種のオンパレードはひどいと思っていたが、なかなか粋なこともするじゃないか。


「よし、このまま塔まで一直線だ!」





 白き不思議な異形に揺られること数十分。現在位置はおそらくこの廃墟エリアの中央辺りだろうか。

 順調だった旅も、やはりというか再び暗雲が立ち込める。塔に近いエリアなのに甘いと言われれば確かにと頷くしか出来ないが、頼もしい味方の登場と少量のゾンビとの遭遇という比較的穏やかな時間が流れていたせいで、俺も少し油断していた。

 だから、突然どこからか轟いた砲声にまったく対処することが出来なかったのだ。

 しかし今にして思えば、これも必然だったのかもしれない。簡単にゲームが攻略できないように、いくら救済措置を用いようともエンディングまでまっしぐらとはいかないものだ。だからきっと、これは起こるべくして起こったこと。そうにちがいない。

 それに、この世界が誰かに操作されているなら──まあこんな奇跡があっても不思議じゃあないだろうし。


「おっさん! 大丈夫か!」


 全男子高校生が見習いたくなるほど逞しい胸部も、いまとなっては穴開きのがらんどう。そんなになっても、地面に転がる最後の瞬間まで俺達を抱いてかばってくれたおっさんのことは生涯忘れないぞ。

 地上3メートルの高さからの落下も、殆どはおっさんが衝撃を吸収してくれた。地面に当たる直前に俺が反射で利き腕を前に出しさえしなければ、きっと瑛蓮が膝を少し擦りむいただけで被害はおさまっただろうに。


「やべ……右手首のアキレス腱的なものが逝ったかもしれん」

「大丈夫なのそれ!? ていうか手首のアキレス腱って何!?」


 傍目には緊迫した状況だからか、瑛蓮に余裕はなく怒鳴るように声を荒げた。

 だが俺の注目は、周囲ではなく倒れ伏す白いおっさんに向けられている。だって彼はもう、動かないんだから。


「酷すぎる……こ、これが……これが人間のやることかよォッ!」


 やや大袈裟に、俺は道路の真ん中で膝から崩れ落ち叫んだ。

 次の襲撃に備え銃を構える瑛蓮はそんな俺に早く立てと肩を揺さぶって促すが、俺にその気はない。なんとなく、襲撃者の予想がついていたからだ。

 一見砲撃音にも似ているが、あれは間違いなく銃撃。大口径、それも対物ライフルに属される銃によるもの。その証拠に俺達は肉片残して吹き飛んだりはせず──と言っても着弾の箇所からして俺の足がぶっ飛ぶ可能性はあったが、ともかくおっさんの胸部を貫通した銃弾はコンクリートの地面に突き刺さり、小規模の爆発炎上を引き起こしただけだ。

 使用弾薬の焼夷徹甲弾化。この一見便利そうで弾薬の選択肢を封じられる微妙な能力を持った対物ライフルの持ち主には心当たりがある。

 まあ、その辺に落ちてた対物狙撃銃に焼夷徹甲弾、つまりAPI弾を装填して撃っただけの別人という可能性も否定はできないが、それだとおっさんを撃つメリットもないし十中八九あの人だろう。

 

「……あんまりだ。今度からは敵かどうか見てから撃ってくれよな」


 背後から近づいてくる聞き馴染んだ足音。慎重で、なおかつ地に沈むようなどっしりとした重さを感じさせる足取りに向け俺は呟く。

 やっぱり、彼らだった。

 

「まさか救済措置の一つだとは露知らず……申し訳ありませぬ」

「まあいいさ、俺も……おっさんだけで突破できるとは本気で思ってなかったしな」


 声の方へと向き直りながら、膝に付いた埃を払って立ち上がる。俺の前には、ふくよかな体型の親友。

 所々破れ、泥にまみれた制服を見るにここまでの道程が決して楽ではなかったことが伺える。他にもいろいろと話したいことはあるけど、今はとりあえず。


「また……会えてよかった」

「こちらこそです、薫殿」


 俺達の再開に、無駄な言葉はいらない。何を伝えたいかも、どんな気持ちなのかも、全部お互い分かってる。だから、それは口に出さずこの握手に全部込めるんだ。変な意味とかではなくてな。


「…………はは。それで聖司、他のなか──まぁ!?」

「薫!」

「薫君!」


 不意打ちだった。会話中いきなりビルの角から二人分の影が躍り出たかと思うと、片方がスポーツ選手顔負けの加速で聖司を追い越し、俺にタックルをかましつつ抱擁。俺はピンクの物体に押し倒され、為す術もなく後頭部と右手をコンクリートの地面に打ち付けた。

 鳴ってはいけないような鈍い音と右手の痛み、さすがに我慢できなくて少し呻き声を漏らしてしまった。とはいえさすがにガチ泣きした顔晒して抱きつく女の子が胸元にいると怒るに怒れんが。


「薫……よかった、かおるぅ」

「ああ、すまない…………とでも言うと思ったか淫ピが! 死ね!」


 だが所詮は幼馴染、薫さんの慈悲も一秒までだ。

 腹に膝蹴りを食らわせて俺は絢香を退けると、せっかくの再開シーンをお預けにされたもう一人の少女に笑顔で応える。


「ごめん、月宮さん。心配かけたね」

「うん……でもよかった、薫君。生きててくれて」


 余程嬉しかったのか目尻にうっすら涙を浮かべて、それをごまかすように月宮さんは精一杯の笑顔を作る。いい笑顔だ。要保存案件。

 しかしだ、許せないことが一つ。実は月宮さんも、ちょっと助走をかけつつ俺に抱きつこうと手を伸ばしていた。けれど絢香が先手を打ったことで月宮さんは冷静になり、遠慮してせっかくの感動の再会シーンを俺の手を握るだけで済ませてしまったのだ。

 さすがの薫さんもこれは許せんと神展開を邪魔した絢香に一発食らわせたが、だからといって抱擁のチャンスがもう一度与えられるわけではない。ねだったらただの変態だし。

 だからとても虚しい。絢香はいつか呪い殺そう、絶対。


「……短い間だけど、ありがとなおっさん。アンタのことは忘れないよ」


 感動の再開、その裏には辛い別れがある。白いおっさんはもう動かない。ここで散った俺達の英雄に祈りを捧げ、仲間と共に俺は新たなる一歩を踏み出した。

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