23話「生ける災厄」
「おは……おー、今日はたくさんだね」
のんきに、にへーっと笑う友希那は平常運転だった。いや、いつものこいつとか知らんけども。
そして今の所、瑛蓮はなにか言いたげだがここに来るまで感情を抑えてくれたし、おっさんも潤一に叱られてざまあみろな感じの良い展開。
だが、瑛蓮の後ろ姿を凝視しながら付いてきた男がここに来てそわそわしだした。警戒が必要だな。
「すみません友希那さん、ここまでするつもりは……」
「んー……まあ仕方ない。それで、私は出ていいの?」
「はい、構いませんよ。薫さん、これが彼女の鎖の鍵です」
なぜ俺に渡す。まあその、彼女はそれなりに汚れてるし近づきたくないのは分かるが。
仕方なく俺は潤一から鍵を受け取り、友希那の元へ歩み寄る。相変わらず彼女は何も分かってなさそうな無邪気な顔で俺を見ていた。
この純粋さが、狂気を孕んだ好奇心を掻き立てるのだろうか。さながら、無垢な子供が命の意味を理解せず、好奇のままに虫を千切るように。
なんてな、考え過ぎか。
「とりあえずここから出たらシャワーな」
「うん、それは賛成だね」
俺は屈んで、友希那の手首を確かめ手錠の鍵穴を探す。そんなに複雑な構造ではない、鍵を刺して回せばすぐ外れるタイプ。時間はかからないはずだった。
「う、動くなお前ら!」
そう、あの男が銃を俺達に向けなければな。
「……意外に早かったな」
「な、なんだよ……お前。あ……へへ、分かったぞ。そうやって強がって油断させるつもりだろう! そうはいかないぞ! ほらこれが見えるか! 銃だ! 大人しくそこに座ってろ」
まさか本当に一晩だけの猶予で行動を起こせる連中とはな。馬鹿か余程の策士か、おそらくさっきの兄ちゃんは後者。そしてこいつは、運よく俺らを仕留められりゃ幸い、最低でも足止めくらいにはなるって考えだろうか。どう見ても足手まといだし本当の仲間ではないと判断して、とりあえずこいつをさっさと片付けよう。
しかし、拳銃一つでよくそこまで強気になれるもんだ。しかも極度の緊張から腕が引きつって銃口が上下左右にブレまくり、おまけに照準を定めないで腹の辺りで構えてると来たもんだ。
「……度し難いな」
「──へ?」
たかが拳銃一つ握っただけで、自分が誰よりも偉くなったと勘違いしているような野郎に。こんな奴に瑛蓮の仲間や友達が。
「……右の太腿、内側の方だよ」
友希那が俺に耳打ちする。悟られないよう手探りで彼女のスカートに手を突っ込むと、人肌では到底出しえない冷たい氷のような金属の存在を感じた。
俺はその感触を確かめて、左手で握りしめ立ち上がる。
「な、なに立ってんだ! 座れ、座れよ! へ、へへ、三神さんにお前には注意しろって言われてんだ、見張ってるから何しようとしても無駄だぞ。 お、おら、妙なことしたら撃つからな!」
「…………」
三神とはさっき初めて会ったはずだ。なぜやつは俺を知っている。
いや、考えるのはあとだ。この男の指は引き金にかかってる。いつ撃ってもおかしくはない。さすがに近づいて拘束は俺も、潤一達だって無理だろう。不意を突けるわけでもなく、相手は銃を持ってる。かといってみんなが武器を出せば、男の引き金が軽くなるだけだ。
まともに照準しきれてないとはいえ、室内の距離。下手なことすれば何人死ぬか分からんし、俺がやられれば瑛蓮も守れない上にこいつらはここで好き放題か。それはまずい。
それはまずいから──できるだけ避けたかったが仕方ない。
「お、おい! 動くなよ! う、撃つぞ! もう4人も殺ったんだ! 怖くねぇぞ!」
「そうか、死ね」
牢に眩い閃光が走り、規則的に二回、短い銃身から放たれる45口径弾の重く鋭い発砲音が響いた。
呆気にとられたような顔をしたまま、男はよろめきながら壁に吸い寄せられるように寄りかかり、直後に足が支える力を無くして崩れ落ちる。男の腹部から溢れた塗料が、白磁の壁に絵の具の筆で引いたような歪で掠れた赤い線を描いた。
そこでやっと事の重大さを理解した男は、悶えるように腹を抱えて俺を指さし叫ぶ。
「い、いてえええ! おま、おまえ! これ、ほんとに撃って……ひ、ひとごろ……殺人鬼ぃ!」
「おぅ、ホローポイントだったか。エグいな」
「な、何だお前……何だお前! 頭のイカれたクソ野郎が!」
「勘違いすんな馬鹿野郎。誰が必要もない無意味な殺しなんかするか。必要だから撃った、それだけだ」
男の手から離れた拳銃を拾い上げて、潤一へ手渡す。他に武器らしい武器は持っていないように見えるが、爆弾でも出されたらかなわんな。画面を操作する素振りを見せたら頭を撃とうか。というか、どうせこの傷なら死ぬだろうし変なことされる前に殺した方がいいかな。
俺は銃口を男に向けるが、そこで気づいた。拳銃のスライドが後退したまま止まっている。友希那よ、銃をくれたのはありがたいが弾倉は満タンにしててくれ。あの二発外してたら詰んでたぞ。
「弾切れだ。誰か銃持ってない?」
周囲に問いかけるが、応答はない。瑛蓮からもだ。
「こ、ころ……ざない、で」
「いや、普通に死ぬだろそれ……たぶん。一応殺すつもりで撃ったし」
「たずげ、で……」
「だから無理だって、さすがに銃創の治療法とか知らんし。それよかあいつ、三神だっけか。何しようとしてるか知らんのか」
「たす……母ちゃ……え、瑛蓮ちゃ……ん」
どうやら死んだようだ。情報は引き出せなかったな、残念。
しかし、やっぱ場所によってはそれなりに死ぬまで時間がかかるもんなんだな。ある程度意識もあるし身体も動くっぽかったから、仕留め損ねて撃たれるとかは洒落にならんぞ。
じゃあ、どこ撃つのがいいんだろうか。頭は即死させられるけど狙いにくいし、胸とか?俺はいいとして仲間がやられちゃかなわんし、今後はそのへんも考慮して撃とう。
「あの……薫、さん? 大丈夫、ですか?」
無言で男の死体を見つめていた俺の肩を、潤一が揺さぶる。いかん、今は考え事してる場合ではないな。三神を探さないと。
「ああ、すまんすまん。三神もだよな、悪い」
「あ、いえ……それもそうですが。薫さんは大丈夫なのですか? 僕達で彼を探しますから、少しお休みになっても……」
「ひょえ? なんでじゃ」
「……薫さんは、人を撃ったことが以前にも?」
男は死んだのに、周囲の空気はまだ凍りついたままだ。つい先程までとは打って変わって咎めるような視線を送る潤一の様子を見れば、なんとなく状況は飲み込める。
こんなことで揉めてる時間もないから、友希那の解錠をしながら話を続けよう。
「いんや、今のが初めてだな」
「それにしては……ずいぶん容赦がないのですね」
「放っておけばここの誰かが殺されてたかもしれん。捕らえて後で逃すなんてすりゃあどっかでまたこいつは人を殺す。殺った方がいい人間が目の前にいて、隙だらけなら撃つだろ普通」
「普通は……それでも躊躇するものだと思いますが」
「その甘さが仲間を殺す」
友希那の両手の拘束を解き、俺は潤一に言い放つ。と、緊迫した牢の空気と自分の発言につい苦笑してしまった。
「なんてな。薫さんの生涯で言ってみたいセリフリストのナンバー589番だ」
「え? ……ええと」
「驚かせて悪かったな。でも、それも一理くらいあるだろ? 感情を優先して、その結果本当に大切なものを守れないなんて本末転倒──って痛いよ!? 誰だ!」
ひんやりすべすべの指先が俺の頬をつねる。鍵を開けてる最中も子供みたいに頬を膨らませてたし、誰だかは分かってたけれども。
「ちょっと友希那さん? やめて内出血しちゃう」
「薫、私の銃で人殺ししないの。人殺しは犯罪、駄目なんだよ?」
「ゾンビ解体するやつが言うセリフか!」
「むー、ゾンビは殺しても犯罪じゃないもん」
「そりゃ日本にゾンビ殺しちゃ駄目ですなんて法律はないかもしれんが……」
なるほど、やっぱり友希那的に犯罪は駄目らしい。そうだね、ルールを守るのは大切なことだ。
「それ言ったら俺らが銃持つのも犯罪だろ」
「あ……」
友希那は急に顔を青ざめさせて、俺から銃を取り上げると地面へ放り投げた。
「銃を持つのは犯罪。駄目だよ」
「いやいや、何を言うか。その……ほら、アレだよ! ここは外国……というか異世界で日本の法律は適用されない、みたいな」
「……なるほど。外国だから大丈夫」
すると友希那は投げた銃を再び拾い、俺に手渡す。
「なら平気だね」
「君変な子だな! 俺が言うのもなんだけど君変な子だな!」
まずい、友希那は思ったより変わった子だ。俺に制御できるだろうか。ちょっと早まったかも。
でも後悔している余裕はなかった。俺と友希那が問答を続けていると、突如洞窟に振動と爆音。
さすがに潤一も看過できるはずもなく、警戒されてはいるものの俺と一緒に様子を見に牢の外へ。その瞬間、洞窟の照明が一斉に落ちた。
弾け飛んだカバーの中身が露出し、配線だのスイッチだのがたくさん詰まった本体から炎を吹き出す動力装置。原因は一目瞭然だ。完全に破壊されたな、もうこの拠点は駄目だ。
「くそ、やっぱ陽動か。しかし何使った、爆弾? っち、装備は向こうが上か」
「そんな……僕達の拠点が」
「しっかりしろ! パニックになる前に仲間集めて洞窟から出るぞ! 下手すりゃ生き埋めだ、急げ!」
「あ……は、はい! わかりました!」
次は何が来る?拠点の奪取ならアレを破壊するはずがない。殺しが目的なら、最悪この洞窟をすぐにでも崩落させられるよう爆弾を設置している可能性も──
「瑛蓮! あいつ学校ではどんなやつだった! こんな事するくらいイカれてんのか!?」
「わ、わかんない! 転校してきたばかりで、話したこともそんなにないから……」
「クソっ……マジかよ」
それが瑛蓮が無警戒だった理由か。ならヤツの情報はなし。どうする、なにかされる前に脱出するのが懸命か?
「はは、安心してください。これ以上は何もしません。今回は様子見ですからね」
「テメェ……」
暗がりの向こうから、わざわざランプ片手に三神が姿を現した。
この余裕、虚勢じゃない。明らかに慣れてるな。同じようなことを一体どれだけやってきたんだこいつは。
「今回は運がいい。まさかあなたみたいな人が来てくれるなんて」
「奇遇だな、俺もお前と出会えて人生最高に運が悪いと思ってたところだ」
「はは、そう邪険にしないでくださいよ。この世界に来る連中、大体はよくいる日本人そのまんまな奴らばっかりだから退屈なんですよ。だから、あなたみたいな人は貴重なんだ」
「そうかい」
ランプの明かりを頼りに、俺は再装填された友希那の銃を撃つ。彼女のスカートで隠せるサイズの小型拳銃、短い銃身に左手のみの保持で命中率は期待していなかったが、何発かは狙い通り三神の胴体への着弾コースに入った。
はずだったのだが、45口径弾は三神の体に当たる瞬間、彼を守るように現れた蜂の巣型のハニカム模様をした透明な楯のようなものに当たり、全てのエネルギーを失うと地面へポトポトと落ちていった。くそ、SFチックな装備使いやがって。
「残念、その辺に落ちてる武器くらいじゃ破れませんよ。一応クリア報酬ですから。でも怖いなぁ……これがなかったら僕、死んでますよ」
「そのつもりで撃ったからな。こんな事もできるぞ」
三神の背後に転がる、赤く塗られたドラム缶。動力装置の炎でうっすらシルエットが見えているので、俺はそこに向けて残りの銃弾を放つ。
洞窟に二度目の爆音が響いた。
「うわ本当に爆発した!?」
本来なら油断して後ろを向いた隙に瑛蓮の銃でアイツを撃ってもらおうかと考えていたんだが、まさか本当に赤いドラム缶が爆発するとは思わなかった。なら新品の車とか発電機もヤバいな、あるかは知らんが注意しとこう。
「はは、ちょっとびっくりしました。面白いでしょ? ほとんどリアルだけど、こういうゲームっぽいところもちゃんとあるんですよこの世界」
「ああ、よく理解したよ。そいつの性能もな」
三神は無傷だ。あのバリアは思いの外強固だな、たぶん今の俺達じゃどうしようもない。
「そう警戒しないで。さっきも言いましたけど、今回は様子見です。あなたと直接会って話してみたかっただけですから」
「様子見でここまでするのか」
「だって、他の人が頑張って進んだりやられたりしてる中、安全圏で呑気に暮らすなんてずるいじゃないですか」
「テメェ……」
こいつは危険だ。放ってはおけない。
「ふふ、怒りました? 良かった。見た感じ、こうでもしないと薫さんは俺の相手してくれないと思って。意味のない戦いはしないタイプ……ですもんね?」
心底安堵した様子で、三神は胸に手を当てた。こいつにはもう、命をかけた戦いも遊びの一つとしか認識していないのだろう。
「ああ、そして殺る必要のあるなら俺は殺る。覚悟しとけ」
「期待してます。これで、今回は退屈せずに済みそうだ」
笑顔で手を振る三神の足元が幽霊のように消えていく。少しずつヤツの身体は透明になっていき、数秒で完全に見えなくなった。
そしてどこからともなく、あいつの声が響く。
「ああ、最後に一つ。薫さんのクラスメイトの人達……拠点に残してきた方々ですが、まだ全員命はあるようですよ。中がどうなってるかは、知りませんけど」
「そうかい……教えてくれてありがとよ」
「ふふ、これで余計なことは考えず、俺に集中してくれますよね……薫さん?」
その言葉を残し、三神は俺達の前から消えた。




