14話「不穏な影」
清らかな流水が絶えず流れ行く姿は優雅だが、変わぬ光景を眺め続けるのはひどく退屈でもある。
なにか生き物でもいてくれれば変わったかもしれないが、川の中にこれといった生物の気配はなく。ただのきれいな水が流れていくのを見てるだけってのは普通に苦行だ。
よし、今度無人島に住むとしてなにか一つだけ持っていけるとしたら?と聞かれたら俺と話が合う可愛い二次元美少女と答えよう。
「……暇だな」
現在地は不明。あれから何日経ったかも不明。仲間の位置も不明。
加えて装備を失くし、負傷も無視できないレベルまで達し、頼れる味方も……今はいない。
「暇だな……石でも積むか」
俺は決断すると腰を下ろし、その場に石を積み上げていく。あ、結構楽しいかもこれ。
──10年後。俺はいまだに石を積み続けていた。
嘘、30分くらい。苦労の末やっと一つの塔が完成しようとしていたところだったのだが、なんとその時。
「ぴゃあああ!?」
近づく足音、揺れる河原、崩れる俺の塔。
「完成しかけてたのに崩すとか鬼かお前は!」
「えぇ……」
喚きながら振り返ると、げんなりした様子で俺を見下ろす瑛蓮。その両腕には、二人分の軍用携帯食が抱えられていた。
わざわざどっかから取ってきてくれたのか。やっぱり、なんだかんだでいい子なんだろうな彼女は。
「それは……?」
「あなたの分の食料よ」
「やはりそうか。ならそれは要らん、お前が持ってろ」
「え? ちょっと、何よそれ」
エリア二つ分歩いた俺達でさえ、あんな食料を見つけることはなかった。彼女はどこかから確保してきたようだが、かかった時間からしてそんなに簡単なものでもないのだろう。
一人でこんな場所に暮らしているのに、その負担を俺が増やすなんて出来ない。
「これ以上お前の負担になりたくない」
「それは……」
伏し目がちに顔を逸し、否定の言葉もない。向こうも言葉には出さなくとも思ってたんだろうな。
「現在地と塔の方向を教えてくれ。それだけ聞ければすぐにでも出ていくよ」
「一人でやるつもり? 死ぬわよ」
「他にどれだけ塔を目指してるやつがいるかも分からんからな。分からん以上、俺もやるしかない。それにまだ仲間はいるんだ、上手く合流できれば一人にはならんさ」
「一度はぐれたら、簡単に合流は出来ないわ。箱庭とはいえこの世界は広い。漫画みたいに全部うまくいくなんてことはないのよここじゃ。たまたま強いやつを倒せたからって、自分がこの世界の主人公か何かとでも思ってるの?」
「……そんな自惚れちゃあいないさ。完璧超人の主人公ならこんな怪我もしてないだろうし……みんなを守れた。自分の力は弁えてるつもりだよ」
弁えていたからって、どうにかなるものでもないけどな。凡人には限界がある、それ以上を求められりゃあその時点で詰み。
そもそも俺程度がクリアできるものかも分からんが……一歩、いや半歩でも先に進まなきゃ何も変わらないしわからない。駄目なのか出来たのかすら、諦めてしまえば知ることも出来ないんだ。
「駄目かどうかはやってみなきゃあ分からん。なら俺はやるよ。自分なら出来たかもしれないって、後になって後悔はしたくないからな。それに、仲間に任せっきりはよくない、だろ?」
「…………分かった」
思いの外、彼女がその言葉を絞り出すのには時間がかかった。まあ、俺のために悩んだわけじゃないだろうけど。もしかしたら彼女のどこかで、俺の言葉に思うところがあったのかもしれないな。
あともう一押し、説得すればついてきてくれそうな気もするが、俺の我儘に知り合って間もない女の子を付き合わせるわけにはいかない。なんせ命がかかってるんだ、簡単についてきてくれなんて言えるわけがない。
「それじゃあ……地図を開いて」
「ああ」
瑛蓮、彼女の能力はかなりのものだ。多分元の世界でも成績優秀、運動神経もいいとかそういう子だったんだろう。
この周辺にある建造物の状態や細かな位置、マップに表示されないが重要そうな場所、ゾンビと人間達の活動状況まで把握していた。何週間、何ヶ月もの猶予があるとしても、それを十分活用できる人間は一般人では少ないだろう。と、思う。少なくとも、俺ならここが安全だとわかれば半分は怠けて過ごす。
それと比べれば、、瑛蓮は破格だ。胸はないが逞しいな。
「やっぱり西……というか西南西か。それの端まで流されてたんだな」
「ええ、私が拾ってなければあなたは川に流されて外まで出てた。ほら、何もないけどあの倒れた木のすぐ向こう側が世界の外なの」
エリアの境界には霧の壁があるのに、エリア外には警告的な看板も壁もないのか。瑛蓮がいて助かった、もしあのまま流されてたら気を失ったまま永眠するところだったんだな。
「それと、こことこの場所……はよく道具箱が再配置されるから、なにか見つかるかもしれない。隣のエリアに進む前に見てきた方がいいわ」
「ああ、悪いな色々と」
さっきの携帯食は、そういう場所から取ってきたようだ。この世界、アイテムボックス的なのが定期的に決まった場所に配置されるらしい。中身はランダムだが、武器や食料とかいろんな物が入っているみたいだな。そりゃ学生とかに動物を狩れとか無理ゲーだし、こういう配慮はされてるってわけだ。
「それと……道具は返すわ」
「いいのか?」
「碌なもんないし」
「失礼な」
おかえり俺のMP7。
あ、銃弾も返してくれるのか。9ミリは割と使う拳銃多いし持っててもいいと思うが。そっちの知識はあまりないのかな。ある方が少数だね……うん。
「ねぇ、一ついい?」
「なんだ?」
「なんで……土なんか持ってるの?」
「何を言う! 土は便利なんだぞ! ……たぶん」
「たぶん……」
微妙な空気に。いや本当になにかに使えるかもしれないし、使えるから。使えると言ってくれ。
「ん、これで終わり」
「助かったよ、ありがとう」
俺が笑って礼を言うと、瑛蓮はこっちを凝視したまま硬直する。
ふと瞳に意識が戻った瞬間、瑛蓮は俺から逃げるように後ずさり。触れるどころか、理由なしに近づくことも出来ないか。
「ッ……行くなら行って。この辺にゾンビはいないけど、林の中は日が暮れたら動きづらくなるわよ」
「……そうだな。ありがとう、本当に。それじゃあ」
瑛蓮はそれだけ言うと、俺を見送ることなく小屋の中に入っていった。
どうか、彼女が無事でいられますように。俺は心の中でそう祈って、林の中へと踏み込んだ。
瑛蓮と別れて、40分ほど経過。
彼女の助言に従い俺はアイテムボックスの回収を第一の目的として動いていたが、ここで問題が発生した。
林の湿った地面が思ったより動きにくく、予想以上に時間がかかってしまい日が暮れかけていること、そして先客がいたことだ。
生ける屍ならなんとでも回避できたが、あいにくと今回は生者。小さなテントに数名の……俺よかガタイはいいが制服着てるし、高校生か?
「てかそれマジなん? ゾンビじゃなく?」
「マジマジ、見間違いじゃねーって。ちゃんと人間だったぜ。中坊っぽかったけど」
「中学生とかガキじゃんよ。それよかなんか良さげなの持ってたりしなかったん?」
「食いもんならさっき手に入れたのがあんべ。それよか中坊はどうなんよ、顔は?」
見える限りは4人。武装はアサルトライフルが1、残りは拳銃。
本当なら……戦うような相手じゃないんだけど。
「まあまあ。むしろ俺らんとこのと比べりゃかなりいい感じ」
「じゃあ決まりな」
「銃とか持ってたらどうするんよ」
「女なんざ顔一発殴りゃなんとでもなんだろ。しかもガキだぜ?」
どう考えてもあいつらが話してるのは瑛蓮のことだ。彼女も周辺に他の人間はいないって言ってたし、まず間違いない。
それに連中、今ここでテント張った感じだからどっかから最近流れ着いたばかりなんだろう。これは瑛蓮が気づかなくてもしょうがないな。
「えー……やだぜ撃たれんのとか」
「んじゃあお前はここで見張ってろや。俺らが行く」
「ビビリは最後な、最初は俺達がすっから」
「俺だけかよ……アイツもサボりじゃんよ」
3人は林の奥へと消えていく。ライフル持ちも行ったみたいだな。っち、最悪だ。
──最悪、か。まるで乗り気みたいな物言いじゃあないか、どうした俺。
こいつらを放置して進む手もある。俺の体の状態や装備を考えればむしろそっちが安全だ。
というか、リスクしかないんだ。仮に上手くいったところで、俺にメリットは少ない。感謝されるだけで幸せ、なんてお人好しじゃあないからな。成功率そのものが低いならなおのことする意味もない。
損得の考えで動くなら、見捨てるべきだ。けれど──
「…………」
いいや、メリットならある。ここで見捨てたことが尾を引いて、それが思考の妨げになり適切な判断を下せなくなるのは死活問題。そうだ、意味はある。彼女を救うことに価値はあるんだ。
「……はは」
こんな状況で、なぜか不思議と笑みがこぼれた。
無理やり自分を納得させる必要なんてない。最初から、どうするかなんて決まってただろ。
善人ぶるつもりはない。人助けが趣味なわけじゃないからな。全く知らん赤の他人なら見捨ててる。
でも、少しでも言葉を交わした知り合いが危ないって時に見て見ぬふりできるほど腐ってもいないつもりだ。それに、俺の精神衛生上そういうのはよくないってのは紛れもない事実だしな。
「……よし!」
テントの周辺に人影はない。取り残された一人はぶつくさ文句を言いながらレジャー用の小さなパイプ椅子に座って銃を弄っている。
まだ俺には気づいていないな。あとは武器だが、足元に落ちてる木の棒でいいか。かなり湿ってるしぶっ叩いたら折れそうだが、利き腕でもない左手を使うよりマシだろう。素手で殴ると怪我するとも聞くしな。
まずは背後に回り込み、ヤツまでのルートを確認。小枝とか音が立つものは見当たらない、大丈夫そうだ。
棒を握りしめて、えーと……どこ狙えばいいんだ?後頭部?まあいいとにかく殴れ。
「でぃや!」
「ぐああ!?」
左手に渾身の力を込め振り抜いた。
男は椅子から転げ落ちたが、同時に木の棒は半ばからへし折れてしまう。
まずい、折れたせいで大分威力が弱まったはず。とにかく次の手だ。銃だけは撃たせるわけにはいかない。
はずみで地面に転がった拳銃を俺は拾い上げようと屈み、だが不意に背中を引っ張られると無理やり立たされ、俺の首を太い腕が締め上げる。
「テメェやりやがったな!」
「ぐっ……くそ」
しまった、テントの中にもう一人いたのか。
がっちりロックされてるしこの筋肉、格闘技でもやってんのか。くそ、外れん。左手だけじゃ拘束を解けない。
「つー……いてぇなクソ。何だお前! アア?」
最悪だ、殴ったやつも起き上がった。
拳銃は再度ヤツの手の中に。そしてその銃口は俺へと向けられている。
どうする、考えろ。活路は、何かまだ手は。
「死にてぇかこのやろ──」
興奮して俺に歩み寄ってきた銃の男。その手の平を俺は蹴り上げた。
片手で握っていたからかすっぽ抜けて林の奥へと消えていく拳銃に、呆然とそれを視線で追う二人の男。
その隙を逃しはしない。俺は木の棒を膝に打ち付けさらに半分にへし折って、両手に握り尖った先端を拘束する男の腕めがけ突き刺した。
「痛ッ──」
やっぱ右が浅いか。だが左の方は確実に深く突き刺さった。拘束も緩んでる。
馬鹿め、タンクトップなんかで出てくるからこうなるんだ。
「お、おいそれ……やりすぎ」
「うるせぇ死ね!」
本当に殺すつもりはなかったが、そのくらいの憎しみを込めた方が力が入る。その気だと思わせて怯ませられるかもしれんしな。
喧嘩慣れしてるわけじゃないからそんなに期待はしなかったが、俺の左拳は拳銃を持っていた男の顔面をぶち抜き、再びヤツは地面へ倒れる。俺を拘束していた男も腕に刺さった棒を抜くのに必死で戦意喪失。今の内だ。
「二人共そこを動くな! 殺すぞ!」
「ひぃ!?」
ちょうど腕を刺した男が腰にサバイバルナイフを携帯してたので、それを鞘から抜き取る。テントを固定していたロープは解いてる時間が惜しかったからナイフで切り取り、その紐で二人を近くにあった樹木に縛り付けた。これでひとまず安心だ。
「はぁっ……ふぅ。くそっ、こいつらの相手だけでこれか」
背中が痛む。右手だってもう使える状態じゃないってのに酷使して、これ帰ってから切断ですとかならんだろうな。
「ここで大人しくしてろ、声は上げるなよ。ゾンビ共の餌になりたくはないだろ」
「ま、待ってくれよ! 俺達このままなのか!?」
やろうとしたことを思えば同情することもないが、こんな場所で放置してれば誰かにやられるか餓死するか……ともかく遅かれ早かれ死ぬのは確実だ。
──それでいいじゃないか。慈悲をくれてやる必要がどこにある。同じ人間だということ以外にこいつらとの接点など無い。解放なんてしてみろ、報復される可能性すらある。
こいつらは瑛蓮とは違う。俺には関係ない。関係はないが。
「……ほら、これを使え。うまくいけば夜明けまでには切れるだろ」
男の足元に、ナイフを放る。足で手繰り寄せて手まで持ってくるだけでも相当時間はかかるはず。少なくともこれでもう、挟み撃ちや増援は無いだろう。
せっかく手に入れた武器を失うのは痛いが、故意の殺人は最後の手段だ。それ以外の手がない時に仕方なく入る選択肢。
ここでは法に裁かれないが、人を殺した高校生なんていう汚名がつくことに変わりはない。俺も出来れば、絢香達とはこれからもただの高校生同士で付き合っていきたいからな。
だからもう、こいつらだけに構ってはいられない。早く彼女のところに戻らないと。
「瑛蓮……間に合えよ」