第一章・夜・追想
三十年も前の事になるだろうが、八月の晦だったと思う。ここら全域はかつてない激しい雷雨に見舞われた。
今となっては、確かめようもないがこの嵐は間違いなく史上最も州に深刻な損害を与えたものだっただろう。いや、人類史上かもしれない。
雨は家の壁を叩き、雨音が際だち、窓が風でがたがた揺れた。遠くのほうの林はまるで海が荒れているように、ごとんごとんと唸り、ずうっと、永遠にこの嵐が続くようなうるささだった。
その絶叫の中に、甲高い悲鳴が響いた。風で折れた枝が窓ガラスを割ったのだ、枝の持ち主の長年大切にしてきた老樹も倒れた。
街の排水処理を超えた雨は水路を逆流し、一時間もしないでアスファルトの黒い道を川に変えてしまった。それらの川は街の近くにあった湖に流れ込み、流れ入った水勢は水底に当って、そこから弾き上り、四方へ流れ落ちて、湖の縁から湧き井の清水のように溢れ落ちていた。湖畔にあるブランコやシーソーといった遊具はすぐに、水中に埋没したのは、言うまでもない。このノアの大洪水は、当然、街の家々にも牙をむいた。流れ込む招かれざる客に追いやられ、二階建ての家に、住むものは、二階や屋根裏部屋に逃げ込んだ。
この老人…当時はアラフォーだった男も屋根裏部屋に逃げ込んだ住民の一人だ。近場にあった使えそうなものをかき集め、二三度、屋根裏と階下を行き来すれば、大抵のものは上に運び上げる事が出来た。
風呂から上がった老人、ローレンスは、へにゃへにゃとなったキャベツを刻みトマトのスープに入れながら、継ぎ接ぎの家の壁に目をやり、この生活のきっかけを思い出していた。