第一章・夜
思い出せるなかで一番古い記憶を手繰り寄せるとどうも、その小さな孤島は昔、この盆地を囲む雄大な山々の頂上のひとつだったように思える。幾たびの……
正直、十何度目から後は数えるのが億劫になった増築の、その中で一番新しい家の西の窓からそれは見えた。
鏡のように月を捕らえるどこまでも続く水面にぽつりぽつりと飛び出た似たり寄ったりの突起が家をぐるりとまばらに、取り囲んでいた。その突起の中に昔の山の頂上のそれに紛れて、幾つかの人工物が水面の上に佇んでいる。
下の部屋には茹でたキャベツと古い絨毯の匂いがしていた。風呂に入ろうと思うと、この家は一つ下の階に降りる必要がある、階段と梯子の合いの子のようなどっちつかずの階段は、齢七十五の老体の身には本来、辛いところではあるのだろうが、昔、軍人として活躍した男には何の苦も無く、ゆるりと気品と風格を湛えたまま階下へと降りた。
目の前の少し先を見たまま階段を下りきると風呂にある楕円形をした、小ぶりな鏡が現れ、ちょうど自分の顔が映っていた。
元々日系人の家系の為、顔つきは幼い方で海軍にいた頃は揶揄われたものだが、この年になると逆に若々しくも見えるので、嫌いではなくなっていた。二十代の頃の黒髪は五十を超えたあたりで、灰を被ったようになり、ここ十数年で白髪も交じり始めたが、髪そのものは豊かなままで顔色は良かったが肌は、安石鹸と切れ味の悪い剃刀、そしてちょうど、終わったばかりの冬の寒さで荒れていた。
洗面台の上に下着とタオルをいつものように揃え、シャツを一瞥してゴミ箱の中に落とす。今日の作業中にセメントがべったりとついてしまったのだ。先ほどゴミ箱といったが、これは正しくはない。
この50センチの正方形の口を開いた手製の木箱は、今は不要なものを溜めておいて、使い道ができた時に、そこから引っ張り出して、使うための一時保管場所なのだ。しかし、そこまで立派なものではない。実際使わないものは、とことん使わないので、木箱の肥やしになっている。故になんとなく呼びやすい為に、ゴミ箱と呼んでいるのだ。そのゴミ箱に放り込まれたシャツの左の袖口と裾は灰色を吸い込んで、着ていた時の形のまま固まってしまっている。
水浸しの革靴からさっさと足を引き抜き、浴槽に入る。視線を切る役割からお湯が出ない様にする仕事に転職した、
少し白けたクリーム色のカーテンを浴槽に引き込んで、熱いお湯を頭から被ると肌はひりひりと痛むが、少しずつその痛みがなくなり、今度はあの皮膚の下を這うようなむずがゆさが、インクを垂らしたように指先やつま先から広がる。
少し強くごわごわとしたタオルで手首と指をこすれば大抵の汚れはタオルが、ヤスリ代わりになって落ちる。