夜
※ 村重透流 ※
創史がダンジョンホテルと名付けた透流のダンジョンは、本当に四人もの宿泊客を泊めることとなった。穐山真悟は透流にダンジョンについて教えてくれると約束してくれたが、透流はそれ以上に如月のダンジョンに侵入した人間が何者なのか気になり始めていた。
穐山もわざわざ如月のダンジョンに出向いて現場を調査した。トラッカーの罠が、侵入者に固有の魔法因子をこすりつけ、どこを通ったのか把握できるようにする。
穐山は罠魔法を見るなり丁寧な仕事だと言って如月を褒めたが、気配が途絶えたところまで移動すると不審そうに顔を顰めた。
「ここでトラッカーの魔法因子が途切れているんですよ。だからここで引き返したんじゃないかって」
「……いや、それはないな」
穐山はすぐさま如月の言葉を否定した。
「トラッカー魔法をぶら下げたまま引き返したなら、行きと帰り、魔法因子の濃度が倍になっているはずだが、そんな感じじゃない」
「そうなの、どうやって分かるんですか? 魔法因子の量? でも移動する速度によって残留因子の濃度なんて変わる気がするんですが」
「鮮度だ。行きと帰りとでは、つけられたトラッカー魔法の魔法因子の鮮度が違う。トラッカー魔法を活用したいなら、因子の鮮度で対象者がどのような経路を辿ったのかを理解できるようにしておく必要がある。覚えておけ」
「は、はい」
如月は素直に頷いていた。そしてすぐに疑問を口にした。
「でも、帰還ポートを使われた形跡はありませんし、ここから唐突に侵入者が姿を消したってことになると思うんですが」
「なるな。となると、答えは一つだ」
「なんですか?」
「侵入者は人間じゃない、魔法生物だ」
穐山の答えに如月も、近くで話を聞いていた透流と創史も驚いて目を丸くした。
穐山はポケットに手を突っ込み、ぶっきらぼうに、
「古典的な手だ。時間経過で消滅するリミテッドゴーレムを使ったんだろう。跡形もなく消え去っているように見えるが、ダンジョン内の魔力に溶け合って痕跡を拡散させたと思われる。本格的な機器を使えば固有の魔法因子を採取することができるはずだ」
「でも……、そんなこと、誰が、どんな目的で? イタズラってことですか」
「イタズラね……。まあその可能性もあるがな」
穐山たちと共に如月のダンジョンから出た。穐山はすぐに透流のダンジョンに戻ったが、既に午後五時、ほぼ暗くなっていたので、透流たちは今日のところは帰ることにした。
「女子を送っていってやれよー」
と穐山は言い残し、ダンジョンの中に潜っていった。如月の家に近いのは透流だったが、如月は送ってもらわなくて結構、と二度三度も断ってきた。
「いいんじゃないか、透流。瑛莉のやつを襲う人間なんているわけないだろ。シルエットを見てみろよ。まるで空手家だ」
確かにその堂々たる佇まいは、何らかの武道に通じた人間に見えなくもない。如月は創史を睨みつけた。ほらな、と言い残して創史はさっさと帰ってしまった。
「どうせ途中まで同じ道だろ、如月。一緒に帰ろう」
「そうね。まあ、別に断ることもないか」
如月は創史がいなくなった途端素直にそう応じた。創史に茶化されるのを嫌っていたのかもしれない。
二人は並んで歩き始めた。二人とも高校までは徒歩で通える距離だった。というより、透流は自宅で歩いて通える位置にあるという理由だけで高校を選んだ。如月も恐らく同じ理由だった。二人の家も歩いて五分くらいだろう。透流としては別に如月の家に寄って言っても全く苦ではなかった。
「Aさん、驚いたわ」
外で穐山という名前を出すのはまずいと考えたのか、如月はイニシャルで人物名を呼んだ。透流もすんなりそれを受け入れた。
「ああ、まさか俺のダンジョンにあんな人たちがいるとは」
「村重くんのダンジョンが選ばれたってことは、よっぽど構造がしっかりしてて、増築しても大丈夫だと判断されたってことだよね。Aさん、相当にダンジョンに詳しそうだったし」
「うん。でも大変だな。普通に世話するだけでも大変なのに、警察に追われながらなんて」
「そうだね。そんな悪い人には見えなかった、し……」
如月が口ごもった。透流はふと暗がりに佇む一つの人影に気づいた。街路灯の近くに立っているがちょうど街路樹の陰に隠れるようにしている。顔のあたりがときどき光を反射するので眼鏡をかけているということは分かった。
その人影はゆっくりと近づいてきた。普通の通行人ではないということはすぐに分かった。こちらの動向をうかがっている気配がする。
眼鏡の男性は透流たちの前で立ち止まった。
「ちょっといいかな。二人とも。村重透流さんと如月瑛莉さんだね?」
名前を呼ばれてぎょっとした。しかし如月は堂々としたものだった。
「はい。そうですが何か」
「僕はダンジョン庁保全課に所属している、諏佐というものだ。これ、受け取ってくれるかな」
諏佐は名刺を差し出した。如月は躊躇することなく受け取る。透流もそうしたが少し腕が震えた。保全課の人間……、ダンジョン事故のエキスパートだった。そんな人物が唐突に透流たちに接触を試みる……。その理由は二つ考えられた。昨日、警察に通報したこと。今日、穐山たちと接触したこと。
諏佐は眼鏡の位置を直しながら、
「二人とも、昨日、警察にダンジョンに不法侵入者がいるということで警察に通報したね。警察のほうでは特に問題はないということで、すぐに撤収したそうだけど」
「そうですね。私のダンジョンに誰かが侵入したのは明らかだったのに、すぐに帰っちゃいました」
如月は全く憶することなく返答する。そのはきはきした口調がいつにも増して切れ味抜群な気がする。極端な態度を取ると透流たちが抱えている秘密が露見しそうで怖かった。
ふと気づいた。諏佐は如月のほうではなく透流のほうを見ていた。そんなに挙動不審だろうかと透流は焦った。
「……警察から連絡を受けて、保全課からも調査を行うことになったんだ。と言っても任意のものだけれどね」
「任意? と言いますと」
「ダンジョン事故や暴走は周辺のダンジョンにも悪影響を及ぼしかねない。だから保全課は予防的に、そういった危険のあるダンジョンを調査し、環境改善の指導等を行うことがある。村重透流くん、きみのダンジョンは魔力濃度が極端に低下していたそうだね」
「あ、はい」
「ダンジョン構造に重大な欠陥がある可能性がある。もしよければ、見させてもらえないだろうか」
透流は焦った。ダンジョンの専門家ではない警察の目は騙せても、ダンジョン関連の事故や事件を日頃から取り扱っている保全課の人間を誤魔化すことができるのだろうか。
透流は必死に動揺が表に出ないようにしていた。すっかり辺りは暗くなっているから、表情までは読み取れないはずだ。そう信じるしかなかった。
「……構いませんけど、今から俺、家に帰るところなんです。明日以降で構いませんか」
「パスキーをくれれば、僕一人で見ておくよ」
透流は冷や汗が噴き出るのを自覚した。しかしここで流されるわけにはいかない。
「よく知らない人に自分のダンジョンを見られるのは……。少し抵抗があります」
「そうか。それもそうだね」
諏佐は頷いた。
「もう時間も遅い。明日、公園まで来てくれるかな」
「はい」
「時刻はどれくらいがいいだろう」
「高校が終わって……。午後四時くらいでお願いします」
「分かった。無理を言って済まなかったね」
諏佐は引き下がった。透流と如月はその後姿を見送っていた。
「どう思う」
透流と如月は極端に歩調を緩め、帰宅の途に就いた。本当はいますぐにでも引き返して穐山たちに話をしたかったが、まだあの諏佐という男がこちらの様子を窺っている可能性があった。
如月は低い声で、
「Aさんを追ってる。絶対そうだと思う。でなけりゃ、保全課の人ってよほどの暇人ってことになるよ」
「俺は保全課は激務だと聞いてる。やっぱりAさん狙いか」
「うん」
透流は怪しまれない程度に顔を動かし、周囲の様子を探った。
「諏佐さんの仲間もいるかもしれない。俺は絶対にマークされてる。でもAさんたちに連絡は絶対に入れたい」
「連絡先交換しておけば良かった」
「創史に伝言役を頼もうか」
透流は言った。如月も頷く。
「……私たちはあまり怪しい動きはできないけど、榊原くんなら……。警察の記録を元に探りに入れてきたとするなら、私と村重くんのことはマークするけど、榊原くんはノーマークのはずだよね」
「よし。家に帰ったら連絡する」
「電話がいいかな。それとも、メールかチャットか」
「直接話したほうが良いと思う。さすがに盗聴とかはないと思うけど念の為。チャットで呼び出す。あいつに俺の家まで来てもらう」
「結構遠いよね」
「仕方ない。明日アイスでも奢るよ」
二人はそれから歩む速度を速めた。帰宅すると母が「今夜のメニューは何でしょうか」と勝手にクイズを始めたが、匂いがしたのでカレーと答えたら当たった。
「もうすぐできるからね~」
「まだ五時過ぎだろ。早いよ。せめて六時ごろ食べる」
「いつもそれくらいじゃない。分かってるわよ」
透流は自分の部屋に入った。そして素早くチャットアプリを起動し、創史を呼び出す。俺の家に来てくれ。困ったことが起こった。
五分後、自転車に跨った創史が自宅前まで来た。チャイムを鳴らす前に透流は玄関から出て創史を中に入れた。
「お邪魔しまーす」
と創史が律儀に言うので母が反応した。
「あらまあ創史くん。久しぶり。最近見ないと思ったら」
「家遠いっすもんねー。学区の端と端ですもんねー。あははは、今夜はカレーですか」
「そうなの」
「チキンカレーですね?」
「よく分かったわね。凄い!」
しょうもない話を始めようとする創史を引きずって自分の部屋に引き入れた。そして諏佐と名乗る男から接触があったことを伝えた。
「なるほど。確かにそれはまずいな。行ってくる」
創史はすぐに事態を察してくれた。透流は創史に頼るしかない自分が情けなかった。
「諏佐って人が公園の周りをうろついているかもしれない。気をつけてくれよ」
「保全課の人なんだろ。大捕物を演じるつもりなら、仲間がたくさんいるんじゃないの」
「そうか……。どうするべきか」
「無関係な人間ってことでおれが特攻してくるしかないかな。今の内に口裏合わせしておくけど、普段からおれは透流のダンジョン造りを手伝っていて、パスキーも渡されている。この時間に透流のダンジョンに向かうのは忘れ物をしたから。ってことにするから」
「ああ。もし詰問されたときにどう返答するのか今の内に決めておくってことか。じゃあ俺のダンジョンの詳細も知っておいたほうがいいな」
パソコンを起動して見取り図やダンジョンのポテンシャル表などを創史の携帯端末に転送した。
「今、ざっと目を通してくれ」
「オーケー。暗記は得意だ」
間もなく創史は透流の家を出発した。料理中の母に挨拶するのを忘れなかった。透流は少し考えてから如月にショートメールを送った。創史に頼んだ旨を簡潔に記述しておいた。
それから夕飯の時刻となったが、創史のことが気になってカレーの味が分からなかった。中の肉が鶏なのか牛なのか豚なのかも分からない。創史がそういえばチキンカレーだとか言っていたなと思い出してやっと少しその味が分かったような気がした。いつの間にか父が帰宅していて一緒にテレビを見ながら食事をしたがどんな会話をしたのかも覚えていない。
いつもなら夕飯の後、すぐに風呂に入るのだが、そんな気分になれなかった。部屋に戻って携帯を机の上に置き腕組みをしてそれをじっと見ていた。
七時になった。八時になった。まだ連絡は来なかった。創史はうまく穐山に話せたのだろうか。如月からショートメールが来て、状況がどうなっているのか尋ねてきたが、「まだ」とだけ返信した。
九時になった。部屋のテレビレコーダーのデジタル時計と携帯を見比べるのに疲れて、高校の宿題をやろうかとテキストを開いたが数十秒でまた仕舞った。とても集中できないし、こんなことをしている場合じゃないという気がしていた。
「お風呂入らないのー?」
と母が扉の向こうで尋ねている。透流は立ち上がった。
「今入る」
シャワーだけで済ませた。十分後に透流は自分の部屋に戻ってきた。そのとき携帯が鳴りチャットアプリに更新があった。見ると創史からだった。
『今帰宅した。明日話す』
文面はそれだけだった。透流は「了解」と打ち、如月にはショートメールで創史の文面を引用して送った。
大丈夫だっただろうか。透流は気を揉んでいた。穐山はもしかすると透流のダンジョンを出て行くことになるかもしれない。そうなると国定三姉妹はどうなるのだろう。すぐに居心地の良いダンジョンが見つかるものなのだろうか。
透流はその日眠れなかった。やるべき宿題も手につかなかった。深夜二時、暗闇の中でさすがに重くなった瞼をゆっくりと瞬かせていると、携帯端末が鳴った。創史からだった。
『今、外』
透流は部屋のカーテンを開いて外を見た。家の前の通りで自転車に跨った創史が街灯の下にいた。よっ、と手を上げている。
透流はできるだけ音を立てないように家から出た。当然両親はとっくに寝静まっていたが、二人ともちょっとした物音で起きるタイプなので、感づかれたかもしれない。言い訳を考えておかないといけない。
「明日話すんじゃなかったのか」
「ちゃんと明日になっただろ?」
透流と創史はそれから無言で少し歩いた。比較的人気のない通りに出たところで、自転車を押して歩いていた創史が口を開いた。
「おれにもよく分からないんだが」
「うん」
「たぶん、もう大丈夫になった」
創史はそう言うが、透流には意味が分からなかった。
「……ええと、どういうこと?」
「うまく説明できないから、明日、穐山さんも交えて経緯を説明するよ。でも国定さんたちが透流のダンジョンを出て行くことはないと思う」
「……それは結構だけど、どうしてわざわざこんな深夜に」
「だって、気になって眠れなかったんじゃないか? そうだろ?」
確かに眠れなかった。図星なのがなんだか癪だったのでそれには返事をせず、
「もう大丈夫になったのなら、メールでもアプリでも何でもいいからそれで連絡すればいいだろ。わざわざ直接来ることもないのに」
「まあ、そもそもおれたちのやり取りを盗聴してる人間なんていないと思うけど、念のためな。通信記録って残るものだし」
透流は暗闇の中にある創史の真面目な顔を凝視した。
「……まだ全然大丈夫じゃないんじゃないか?」
「どうかな。ただおれは明日からダンジョンに通うのが楽しくなりそうだな、とは思ってる」
ここで創史は笑った。創史は冒険がどうのと騒ぐ奴だ。彼の言う「楽しくなりそう」が不吉な意味としか思えなかった透流は全く笑えなかった。
「面倒なことになってないだろうな」
「どうだろうな。それじゃ、また明日」
自転車に跨った創史は軽快に走り去った。結局、創史の言動が気になって、今夜はぐっすり眠れそうになかった。そういえば明日の一限目は体育だったな、しんどそうだな、なんてことを漠然と考えながら家に戻った。