諏佐班
※ 諏佐秀明 ※
長年「悪法」とされてきた日本のダンジョン規制関連法は、2000年にダンジョン建材審査規制法(正称はダンジョン建材と魔法触媒の審査及び製造等の規制に関する法律)の一部撤廃を皮切りに、大幅規制緩和の方向へ舵を切った。ときの魔法省大臣、西塔剣一郎が打ち立てた「魔法産業革命」の三大柱としてダンジョン規制の緩和が全面推進され、国民もこれを支持した。
稀に見るスピード可決の連続で、日本が長年堅持してきたダンジョン規制関連法は瞬く間に蜂の巣となった。マスメディアは政府のこうした成果を大袈裟に喧伝し、それまで斜陽だったダンジョン産業に陽の目が当たることになった。
外国で活用されている最新鋭の産業用ダンジョンが、国内に多数生産されることになり、日本の魔法産業は確かに劇的な成長を遂げた。しかしその一方、娯楽用ダンジョンの規制にも大きな風穴が穿たれることとなり、にわかダンジョン作家が多数擡頭、貧弱でお粗末な構造を持つ劣悪なダンジョンが乱立することになった。
その中でも、国の基準を満たさないどころか、明確な悪意を持って作られた違法ダンジョンの急増は、社会問題になりつつあった。そういった違法ダンジョンは、事故率が高く、内部に人が閉じ込められることも珍しくなかった。
日本各地で起こるそういった事故、あるいは事件を収拾し、人命救助に当たる。魔法省外局ダンジョン庁に属するダンジョン保全課の仕事は、ダンジョン事故の予防、ダンジョン環境の改善、そしてダンジョン事故の収拾、この三点だったが、クローズアップされるのは三つ目の仕事、すなわちダンジョン事故の収拾だった。
「暇そうね」
諏佐英明が保全課のオフィスに入るなり、そう声をかけてきた人物がいた。弓良愛璃。保全課の特殊部隊である「弓良班」を仕切る女だった。魔法大学を首席で卒業、長官自らスカウトに出向いたと噂される女傑だったが、現場仕事は全て部下に任せ、自らはオフィスでダンジョン関連の資料を読みふけってはにやにやしているという変人だった。
諏佐も去年まで弓良班の人間だった。諏佐は眼鏡の位置を直しつつ、自分のデスクの椅子に着席した。誰かが無断で使ったのか、椅子の高さが変わっていたのでそれを直す。
「弓良さんほどでは。今日も部下は全員出張っているんですか」
「まあね。人員を増やせって上に掛け合っているんだけど。人材不足って怖いよね。助けられるはずの命を見殺しにするしかなくなる」
弓良は微笑みながらそんなことを言って諏佐を見詰めている。諏佐はしばらくそれに耐え、パソコンの操作を続けていたが、やがてため息交じりに、
「僕はあなたの班には戻りませんよ。今では諏佐班の班長なので」
「最近、部下が全員異動になったんでしょ? あなた一人だけの班。つまりあなたはもうフリーも同然じゃない」
「僕を部下に戻したいなら、課長に掛け合ってはいかがですか」
「とっくにしたけどね。課長は『諏佐くん次第だ』って言ってたわ。あはは、フレキシブルな職場で楽しい」
諏佐はうんざりした。
「僕も抱えている案件があるんです。弓良班が継続してその調査をしてくれるなら」
「抱えている案件って、まさか国定三姉妹のこと?」
弓良は頬杖を突いて面白そうに諏佐を眺め始めた。その少女のような表情に諏佐は辟易した。
「律儀なことね。でもあれは誘拐事件でしょ? 保全課の仕事じゃない」
「ダンジョンに潜っている間に拐かされたんですから、ダンジョン庁の管轄です。そして誘拐犯と目されている穐山真悟は、保全課が目の敵にしている人物だ。違いますか」
「穐山くんね。あー、うん」
弓良は苦笑した。そして腕を組み首を左右に揺らす。
「大学の同窓だから、あまり敵視したくないんだけどねー。うーん、本当に彼が誘拐したのかな」
「あなたがそんな態度なら、なおさら、僕は弓良班には入れませんね」
弓良は一本取られたという顔をしていた。
「そっか。そっかそっか。ていうか諏佐くんが私の班から独立したときも似たような会話をした覚えがあるわ。そっかそっか」
弓良は一枚の書類をつまんで軽く振りかぶった。正確な魔法で手裏剣のように飛んできた書類を諏佐はぎりぎりで掴んだ。
「ナイスキャッチ。バッテリー組もうぜ」
「オフィスで魔法を使うのはよしてください」
魔力がほとんどない地上で魔法を使う弓良の技量に慄きながら諏佐は文句を言った。弓良はへらへら笑っていた。
「まあまあ。その書類、私の班に回されてきたんだけど、必要ないからあげる」
「はあ……?」
その書類は警察の出動記録にまつわるものだった。見れば都内の公園に設置された民間ダンジョンに不法侵入の形跡があり、警察が出動したとのこと。盗難などの事件の可能性は低く現場の記録だけ取って早々に引き上げたという。
「……これが何です?」
「私の部下が不審な点を嗅ぎ取って、持ってきた。ほら、私の部下は超能力者みたいな連中ばかりだから」
確かに弓良班は別名異能班とも呼称される変人集団だった。トップが変人だからそれに仕える人間も変人ばかりになるのか。ただしいずれも有能であり、保全課の中でもトップの成績を残し続けている。おかげでいつもオフィスでふんぞり返っているだけの弓良が将来の課長候補として最有力に挙げられる始末。
「不審な点と言っても……」
「一応、論理的に見るなら、同じ公園内で、同じ日に、二件の不法侵入記録があったのはおかしい、と。一件は罠魔法の発動記録があり、不法侵入された可能性が濃厚。もう一件は魔力濃度低下という状況証拠から不法侵入があったに違いないというダンジョン主の判断で通報があった」
魔力濃度の低下。そのワードにちょっとした疼きを感じ、諏佐は聞き返した。
「魔力濃度低下? 確かによくあることじゃないですが、それだけで警察に通報したんですか。建材の経年劣化や建築の不備、異空間ストレージの浸食、ウェハーの破損、幾らでも可能性はあるのに、誰かが侵入したと思ったってことですか」
「なかなか飛躍してると思うけど、なかなかできる判断じゃない。よほど自分のダンジョンに自信があるんでしょうね」
ダンジョン作家という人種はそういう輩が多い。自信過剰、ダンジョン建材の特性も理解していないくせに変則的な構造を好む。構造計算式を調べるくらいのことはしてもらいたいものだが。
「ええ。ですが、それが何か」
「穐山くんが国定三姉妹をまだ生かしているとすれば、ダンジョン内にかくまっているはず。その見方が自然よね。自分でこっそりダンジョンを造ったら、保全課のサーチに引っ掛かるから、届け出がきちんと出ている民間のダンジョンにこっそり忍び込んで勝手に住んでいるはず」
まだ生かしているとすれば。その言葉に胸の奥の澱が凝固したかのような感覚があった。諏佐が日頃から抱えている不安が明確に言語化されることによって生じる苦しみ。
「確かにそういう可能性が高いですね」
「国定三姉妹……、特に光沙ちゃんには大規模な『ビオトープ』を造成しないといけないだろうから、大量の魔法触媒を稼働させる必要がある。となれば大量の魔力を消費し、ダンジョン内の魔力を枯渇させることもあるかもしれない」
「それはそうですが、この通報記録だけからそこまで想像するのはどうなんでしょう。日本全国でいくらでもあるような案件では」
「そこで肝になるのが、同じ公園内で起こったダンジョンの不法侵入よ。分からない?」
諏佐は一瞬考えた。そしてある可能性に行きつき、戦慄した。
「まさか……。誰かが警察に通報させるためにそんなことをした、と?」
弓良は大きく頷く。
「そう考えることもできる。つまり、魔力濃度が低下したという状況だけでは通報までいかない。しかしもし隣に不法侵入されたダンジョンがあったら、ついでに警察に話をしてみようという気になるかも」
「しかし、誰がそんなことを?」
「それを調べるのが諏佐くんの仕事じゃないの? まあ、私の推測で良ければ話すけど」
「お願いします」
「私の班に戻ってくるというのが条件ね。よろしく新人くん。まずはお茶汲みから始めようか」
「現場に行ってきます。一応僕の中にも心当たりはあるのであなたの助力は結構です」
「あはは、冗談だよ。座って座って」
弓良は誰かが淹れてくれたお茶を美味しそうに飲みながら、
「国定さんたちは、誘拐される前から結構注目されていたよね。一人ならともかく、三人も同じ病気に罹り、魔法因子の補充をその肉体が必要としている。新人類だなんだと騒ぐ人もいたと記憶してる。幾つかの医療機関が、治療に協力できるかもと申し出をしていたけれど、彼女たちを研究素体としか見ていないことは明白だった。医療用ダンジョンに三人を移すのが、一応日本における合法的な手段の中で最善の選択だったはず。けど、そうなる前に誘拐された」
「はい」
お茶を飲み干した弓良は空の茶碗を放り投げた。魔法の制御を受けた茶碗は給湯室の流し台に向かって飛び、軟着陸した。何でもないように弓良は話を続ける。
「私が調べた限りでは、日本の医療ダンジョンは国定さんたちの治療に対応できるほどの性能を持っていない。つまり、どうしても国定さんたちの治療に効果を出すためには、大量の魔法触媒をアクロバティックに配置し、多様な魔法因子でダンジョン内を満たす必要があるけれど、それが人体に有害である可能性は大いにあって、そんな試みは到底許可されない。仮にそんなダンジョンが許諾されるにしても、何年も待たされる可能性があった」
「そうですね……。日本のダンジョン規制が大幅に緩和されたと言っても、まだまだ安全基準は厳しいですから」
「国定さんたちが必要としているのは安全なダンジョンではなく、どちらかと言えば、一般的には危険とされるようなダンジョンだからね……。で、もし国定さんたちが穐山くんの手から離れて警察に保護されたとしたら、彼女たちはどうなると思う」
諏佐には答えが分かっていたが、言葉に出すのが少し躊躇された。
「……親元に戻され、正規の治療を受ける……、と思います」
「正規の治療。普通の病院では手が回らないから、医療用ダンジョンを備えた大病院に行くことになるわね。以前から治療に協力したいと手を挙げているような、良心的で懐の深いその病院に」
「はい……。ですね」
「つまりそういうこと」
弓良は最後の最後だけ濁して笑った。もうほとんど全て言っているようなものだったが、諏佐はじっと考え込んだ。
「野暮な妄想だけど、私だったらそれくらいまで考えるかな……。諏佐くんは、国定さんたちを保護したいと考えているんだよね」
「……誘拐事件ですから、その解決の為に動いています」
「うん、だけど、私は穐山くんのこと、悪人だとは思えないから、放置してもいいんじゃないかなって思ってる。ただ、もしかすると、穐山くんはとんでもない大悪党で、国定さんたちを誘拐して、貴重な研究素体である彼女たちに、違法な人体実験を繰り返している可能性もある」
弓良は淡々と言う。諏佐は頷くしかない。
「はい……」
「少なくとも一つ言えるのは、穐山くんが本当に誘拐犯なら、法治国家である日本においてその行動は許されることじゃないってこと。ダンジョン保全課としても、穐山真悟という人間は極悪のダンジョンハンターで、警察と協力して捕まえるべき対象。諏佐くんが私の班員なら、さんざん扱き使ってやって、国定さんの事件のことなんか考えられなくしてやるけど、今は諏佐くんは別動隊の班長なんだよね」
「ええ」
「だから私が止めることはできない。自由に動くと良いよ」
「……そうですね。それは分かりました。ですが、弓良さん、それならどうして僕にこんな情報を」
弓良が投げつけてきた書類を持ち上げながら諏佐は尋ねた。
「かつての部下に貴重な情報を分け与えただけだよ」
「……弓良さんも、本当は疑っているのではないですか。穐山真悟が本当はただの犯罪者なのではないかと」
「可能性は排除しない」
「僕はあなたが考えていることを知りたい」
「同窓生を信じたい。とさっき言ったはずだけど」
「……では、僕が国定三姉妹の誘拐事件にこだわる理由を言います」
諏佐の言葉に弓良は意外そうに眉を持ち上げた。
「穐山真悟は悪名高いダンジョンハンターです。その行いは褒められたものではない。国定三姉妹を誘拐したという見方がほぼ確実視される中、当時国定三姉妹にダンジョン治療を試験的に施す際の安全指導を行っていたのが弓良班です。つまり保全課の中で穐山真悟を追う理由が弓良班にはあったはずなのに、弓良さんは彼を追うことはなかった」
「管轄外だから」
「管轄外ですが、管轄内だと強弁することはできる。今の僕のように。ダンジョンに関わる仕事をしているのだから、何かと理由をつけて調査をすることができる。弓良さんにはそれができたはずなのにそれをしなかった。それが僕には疑問だったんです」
「なかなか面白いことを言うね。公務員としてどうなのそれ」
弓良は呆れたように言うが、口元には笑みを浮かべていた。諏佐は怯まなかった。
「僕は公言していますよ。国定三姉妹の誘拐事件を調査していると。しかし誰もそれを咎めない」
「それは諏佐くんが通常業務をきちんとこなしているから。それとうちの課長の懐の深さは無限大だし」
「僕が今でも弓良さんの下にいたら、それはできなかった。そうですね。僕は弓良さんが穐山真悟を泳がせているようにしか見えない」
諏佐は言い切り、とうとう言ってしまったと思った。目上の人間に向かって「犯罪者を擁護している」と言うのは勇気が要る。ふう、と弓良は息をついた。
「穐山くんを泳がせるも何も、私は彼との接点を持たないわけでね。諏佐くんは私のことを買いかぶり過ぎなのでは? 私がその気になれば、国定三姉妹はすぐに救出できるし、穐山真悟を逮捕できる、そう思ってない?」
「さすがにそこまでは。しかし状況は今より進捗するだろうという確信があります」
「それを買いかぶりと言っているのよ」
「実際、あなたの部下は国定三姉妹に迫る情報を持ってきた」
肩を竦めた弓良は何でもない書類をマジメぶって読み始めた。
「……諏佐くんと話をすると、毎度、疲れるわ」
「情報ありがとうございました。外に出てきます」
「はいはい。帰ってきたら報告書を書いて提出ね」
「……? ええ」
報告書を作成するのは当然だ。弓良の言葉に首をひねりつつ、起動したばかりのパソコンを休止状態にし、保全課のオフィスから出た。
歩きながら、どうして弓良は穐山真悟の情報をくれたのだろうと考えていた。もし穐山の行いに理解を示すのなら、もたらされた情報を黙殺するのが普通だ。そもそもどうして部下にそんな情報を探らせていたのか、という問題もある。
ちょっと同窓の動向が気になるから、なんて理由ではないだろう。弓良は恐ろしく頭の切れる女性だ。無駄なことはしない……。部下の能力を正確に把握し、采配する、その辣腕に舌を巻いたことが過去に何度もある。弓良は諏佐をけしかけようとしている。穐山真悟と国定三姉妹の現在がどうなっているのか、諏佐には想像するしかないが、自分の信じる正義の為に動くだけだ。
国定三姉妹が誘拐されたのは今から一年前のことだ。当時諏佐は着任四年目で、保全課の激務に喘ぎながらもやりがいを感じていた。
しかし誘拐事件の後、煮え切らない保全課の対応と、弓良班長のそっけない態度に失望した覚えがある。国定三姉妹とは直接話したことがある。彼女たちを奪い去った穐山真悟という男の悪評、事件直後だというのにどこかさっぱりとした顔をしていた両親、不自然なほど小さな報道、それらに疑問を感じつつ、誰かが動かなければならない案件だと確信していた。
「諏佐、どこに行くんだ」
エントランス付近で課長とすれ違った。諏佐は頭を下げた。
「ダンジョンの不法侵入事件について調査に行って参ります」
「穐山の件か?」
「……はい」
隠しても仕方ないと思い素直にそう答えた。課長は頷いた。
「そうか。ご苦労」
それ以上何も言わず、課長は立ち去った。諏佐は課長の姿が見えなくなるまで突っ立っていた。それから庁舎を出て駐車場に向かい、馴染みの公用車に乗り込んだ。さっき来たばかりだったのでまだ車内は暖かかった。エンジンをかけてすぐ暖房を切る。時刻は午後五時を回っていた。