弟子入り
※ 穐山真悟 ※
耳を澄ませていた。ダンジョン内に誰かが入ってきた。ここの作り手だろうとは思ったが一人ではない。少なくとも警察というわけではなさそうだ。画一化された無骨な生命探査の感触は、警官連中独特なもので区別がつきやすい。恐らく警察独自の訓練であのような魔法の在り方になるのだろうが、彼らはダンジョンの専門家ではない。魔力濃厚なダンジョン内を索敵するのには、警官では力不足というものだった。
昨日、警官が来たときはうまくやり過ごせた。光沙が昼寝中だったので彼女の代わりに隠蔽する必要があったが、美湖が手伝ってくれた。以前だったら考えられないことだ。
「いい加減、自立したい。ちゃんとしたい。教育してくれてありがとう。でもそろそろ潮時だと思う」
美湖はぶっきらぼうな口調でそう言った。彼女らとは親子ほどの歳の差があった。美湖の頭をがしがしと撫でると、彼女は一瞬抵抗しようとしたが、すぐに無抵抗になった。委ねるように瞼を閉じる。
「心配するな。俺は迷惑だなんて思ってない」
穐山はむしろ、彼女らの為に何かできる今の状況を幸せだと考えていた。仕事もしなくちゃならないが、優先度は彼女らの世話をすることのほうが高かった。
やれることは全てやる。彼女らを何としてでも守る。そう決めていた。だが、穐山はこの日、懊悩していた。
ダンジョン奥深くまで三人の少年少女が入ってきた。隠蔽には気を遣っていたが、十分ということはなかった。なにせこのダンジョンに入居するようになってまだ三日も経っていない。準備が足りていなかった。
穐山は考えていた。場合によってはこの三人の少年少女に接触しなければならない。説得、脅迫、取引、嘆願、あるいは誘拐。あらゆる場合を想定していたが、もちろん穐山自身、手荒な真似はしたくなかった。
「ダンジョンに傷をつけたのはいいですが、やはり怪しまれましたね」
穐山の隣には寝間着姿の未海がいた。肩まで伸びた髪には寝癖が少しついている。それを指摘するとどうでもいいと言わんばかりに首を傾けて穐山のことを睨んできた。
「だから言ったんです。傷が小さ過ぎると。もう少し大きくして、自動修繕の途中経過でも見せればよかったんですよ」
「しかしそうなるとダンジョンの魔力濃度が低くなり過ぎる。魔法触媒の出力をこれ以上落とすわけにはいかない」
「私と美湖なら、多少は大丈夫です。光沙のほうに魔力を回せば……」
「その辺の判断は俺がする。そういう話だったはずだろ。お前も寝てろ」
「いいえ。せめてダンジョンの持ち主さんが帰るまでは手伝いますよ」
未海は頑固な性格だった。長姉なので責任感が強く育ったのか。仕事を手伝ってくれることもある。魔法の腕前も天才的で、恐らく表の世界に出ることがあったなら、優秀な魔法使いとして社会に貢献してくれたことだろう。
それが歯痒かった。穐山はダンジョンの奥深く、未海と二人、じっと動向を見守っていた。ダンジョンの持ち主とその仲間がダンジョン内を探索している。彼らはやがて一番来てほしくないところまで来た。穐山たちの隠れ家に繋がる隠し通路付近まで。
そこで立ち止まった気配がしたので嫌な予感がした。
「なんだあいつら……。俺たちの居場所を把握しているのか?」
「まさか。隠蔽には気を遣いました。分厚い遮蔽壁のおかげで探知系魔法が届くはずもなく……」
「……嫌な感じがする」
穐山はそれまでしゃがみ込んでいたが、すっくと立ち上がった。その直後、全身に不快な感覚が襲ってきた。げ、と未海が呻いている。穐山は寸前で自らの肉体に隠蔽魔法をかけたが未海が間に合わなかった。隠蔽魔法はタイミングが命で、相手の探知魔法の網がかかる瞬間に行使しなければならない。どんなに優秀な魔法使いも、隠蔽状態を数秒と維持することはできない。本当に一瞬の勝負だ。
未海が身悶えしている。
「ぐええ……、見つかっちゃったっぽい……。すみません……」
「仕方ない。しかし今の、三人がかりで少しずつタイミングをずらして探知魔法を使ってきやがったな。それも探知魔法の範囲を狭める代わりに探知波の速度を上げ、こちらがタイミングを計る隙を与えてくれなかった」
「それって、つまり……」
「俺たちがダンジョン内に潜んでいることを確信している。でないと、こんな行動には出ない。それに……」
三つの探知魔法の波。探知魔法の出来で、大体相手の力量が分かるが、一人だけとんでもない精度の魔法を使う人間がいた。穐山の相手ではないが、それでも厄介そうな相手だ。未海を捉えたのもそいつの探知魔法だろう。
「さすがにこんな立派なダンジョンをこさえた連中ってわけか。接触は不可避だな」
「どうするんです……。謝れば許してくれるでしょうか」
「たぶん、事情を話せば。しかし、今、光沙は危険な状況だ。安易に動かせない。許してもらうだけじゃなく、交渉もしないとな」
「交渉?」
「賃貸契約とか」
未海が顔を顰めた。
「……まさか穐山さん、見つかってもなおここに居座るつもりですか」
「そのまさかだ。相手は子供だろ? 情に訴えればオーケーしてくれるかも。あるいは小遣いを渡せば……」
「で、でも……。色々と問題があるような」
「正直俺もうまくいくイメージが湧かない。しかしやるしかない。せめて光沙が動けるようになるまで……」
そうこうしている内に、隠し通路が見つかる気配がした。通路を隠していた隠蔽魔法が剥がれ落ちる感触が術者である穐山に伝わってくる。三人がこちらに向かっているはずだ。
未海が緊張で顔を強張らせていた。
「私も同席します。よろしいですね」
「いや。未海には裏から回り込んでもらいたい」
「どういうことです?」
「もし連中が逃げ出そうとしたら、お前がそれを阻止しろ。警察に見つかったら俺たちはアウトだ」
「阻止するって……。ちょっと強引じゃないですか?」
「別に相手を傷つけようってわけじゃない」
穐山の言葉に、未海は小さくため息をついた。
「仕方ないですね。あれ、でも……」
穐山と未海は絶えず索敵していた。もはやその存在を知られてしまった以上、こっそり魔法を使う必要はない。精度の高い索敵魔法を遠慮なく使っていた。
三人の訪問者の内、一人が隠し通路の入り口辺りで止まった。そのまま待機するつもりらしい。万が一の場合に備えているのか。
「子供なのに周到だな。この様子だと既に警察に連絡を入れているかも」
「感心している場合ですか。どうするんです」
「未海、お前は隠し通路入り口付近で待機している一人を拘束してその場で待機してろ」
「え。強硬手段ですか」
「いざというときの為の保険だ。人質と言うと物騒だが」
「そこまでしなくても……」
「色々騒がれるのは面倒だしな。それとも、お前には難しかったかな。そうだよな。相手は子供とはいえ、こんなダンジョンをこしらえるほどの連中だ」
未海はあきれ顔になった。
「なんですかそれ。焚きつけているつもりですか? 私ももう子供じゃないんですよ」
「まだ18だろ」
「もう18です。穐山さんの指示には従いますけど、ろくなことにならないと思います」
「そうか。同感だよ。だが、こうする他ない」
未海は欧米人のように肩を竦め、それからふっと姿を消した。穐山はそれを見届けると、光沙の部屋にいる美湖に通信魔法を飛ばした。これから外部の人間と接触するが、変わらず光沙の世話をしているように。そう伝えると、
『戦闘魔法禁止。分かってるよね』
と返ってきた。
「善処する……、とさえ言えないな。留意する」
穐山は隠し部屋の真ん中で佇立していた。やがて隠し通路を恐る恐る辿ってきた二人の少年と対峙し、せいぜい怪しい人間に見えないように余裕たっぷりな態度を取り繕った。正直に言ってそれくらいしか彼にはできることがなかった。
※ 村重透流 ※
隠し通路の入り口で如月を置いてきたのは正解だった。隠し通路の奥に控えていたのはいかにも怪しげな男だった。くたびれたコートと無精髭からは清潔感をまるで感じず、中途半端な丈のズボンと首元に見える黒い文身からは胡散臭いオーラを感じる。正直、創史と一緒でなければ、透流はそのまま回れ右して引き返していたことだろう。
創史がずいと前に出る。まともに男に対峙した。まさか創史を置いて逃げるわけにもいかず、彼らから少し離れた位置で止まった。男はコートの衣嚢に両手を突っ込み、透流と創史を交互に見比べていた。
そして創史に向かって、
「このダンジョンを造ったのはお前だな? 高校生かそこらなのに、大した腕前だ」
と言った。創史は首を傾げた。透流は男の言葉に困惑していた。いきなりそんなことを言うとはどういうつもりだろうか。
「……ここを造ったのはおれじゃない。そこの、村重透流ってやつさ」
創史が透流を指差した。男は目を丸くした。
「ほう。俺の勘も鈍ったもんだな。見た感じ、お前のほうが魔法の腕が立つように感じたけどな」
「魔法の腕? それならおれのほうが上だよ。ただ、透流はもう五年もダンジョン造りに励んでるからな。特化してるんだ」
と創史はなぜか誇らしげだった。男は興味深そうに透流を見た。見られた透流はというと、視線に圧されて後ずさりした。
男は顎に手を当て、
「……俺の名前は穐山真悟。村重と言ったな。勝手にお前のダンジョンに入り込んで申し訳ない。しかし事情があってな。よかったら話を聞いてもらえないだろうか」
「は、話を聞くだけなら……、どうぞ」
透流はびびりながら言った。穐山と名乗った男からは何とも言葉にできない雰囲気が漂っていた。見ただけで「自分はこの人には勝てない」と思わせる何かを放っている。創史は平気そうに立っているが透流は無理だった。穐山に見られただけで足が震えそうだった。
「そうか。話を聞いてくれるか。そうだな、簡単に言うと、俺は三人の少女の命を預かっている」
「少女の命?」
透流がそう言われて真っ先に思い浮かべたのは誘拐事件だった。この正体不明の男が少女を攫い、その命を盾に、透流に無理難題を申し付けるつもりなのではないか。
創也も全く同じことを考えたらしく、
「人質ってことか? 誘拐したのか」
と叫んだ。穐山は首を振った。
「……いや。まあ、誘拐したってのは合ってる。だが仕方がなかったんだ。あいつらは死にかけていた。適切な治療を受けることができず、病室の隅でひっそりと息を引き取るところだった。あるいはもう少し悲惨な運命をたどることになったかも……。それを俺が救った」
「はい? あなたは、医者か何かなんですか」
「いや。ちょっと魔法に詳しいだけさ」
穐山は気だるそうに話す。
「俺が攫った三人の少女――国定三姉妹は、とある奇病に罹っている。放置すれば死に繋がる危険な病だ。その病気を根治する方法はいまだに見つかっていないが、対症療法は確立されている。病気を治すことはできないが症状を和らげることはできるってことだな。ところが日本の医療界では継続的にその治療を施すことができない。見かねた俺が彼女らを攫い、強引に治療を続けているってわけだ」
「はあ……。奇病、ですか」
透流は胡散臭い話だと思った。だが意外にも創史は真剣にその話を聞いていた。
穐山は話を続ける。
「その奇病というのは魔法由来の病だ。正称はまだ存在しない。原因不明の魔法疾患を纏めて特異魔法疾病と言うが、国定三姉妹はまさしくそのように診断された。何の処置もしない状態だと、体の痺れ、眩暈、嘔吐、発熱などの前駆症状から始まり、やがて視覚や味覚の障害、多臓器不全、脳梗塞などの重大な疾病を引き起こす」
「それは……、まずいですね」
「対症療法としては一つ。十分な量の魔法因子を与えることだ。それも、患者の体に合った」
「魔法因子、ですか? そうは言っても幅広いような」
「ちょうど魔法生物が自らの維持の為に、魔法触媒から発生した魔法因子を取り込むだろう。ちょうどあんな感じだ。地上だと服薬や注射等で微量の魔法因子しか摂取できない。強引にやろうとすれば魔法に関する様々な規制に引っ掛かる。ダンジョンの中で魔法因子を浴びせ続けるのが手っ取り早いが、医療用ダンジョンの利用はかなり限定的で日本では数が少ないし、患者をダンジョン内に長期間滞在すること自体、法律違反だ」
「それが理由で、俺のダンジョンに来たってことですか」
透流が訊ねると穐山は腕組みをして頷いた。
「俺がダンジョンを造って彼女たちを住まわせたこともあった。しかし俺は、公安や保全課、警察にマークされる立場でね。ちゃんとした設備を整えようと思ったらダンジョンはでかくなってしまうので、すぐばれてしまう。世間的には俺は誘拐犯ということになっているから大っぴらに協力を仰げない。まあ、ご両親の理解は得られているから、世間的にはそこまで大ごとにはなっていないわけだが」
「穐山さんが色んな人に追われているのは分かりました。だったら、その国定さんたちだけで、ダンジョンに住むことにすればいいのでは? 穐山さんが離れれば、警察の人に追われることもないでしょう」
透流の言葉に穐山は何度も頷いた。
「そうしたいのはやまやまだが。事情がある。俺たちを追っているのは行儀の良い連中だけじゃないんだ」
「はい?」
「とにかく、俺が今あいつらから離れるわけにはいかない。ここの主である村重透流、お前さえ良かったら、賃貸料を払うから、俺と三姉妹をここに住まわせてはくれないだろうか。もちろん誰にも内緒で」
「ええ……。賃貸料……? ここはアパートじゃないですよ」
「分かっている。月々10万でどうだ」
「は!? じ、10万円!?」
高校生である透流には相当な大金だった。
「悪いがこれ以上は払えない。それほど実入りがある者じゃないんでな。どうだろうか」
「お金の話はともかくとして……。ここは人が住めるようなダンジョンじゃないですよ。建材だって安物だし、長時間滞在すると魔力にかぶれて体調が悪くなります」
「確かにそうだ。だが魔法因子の不足で発生する症状のほうが、彼女たちにとってはよほど重大なんだ」
それに、と穐山は指を僅かに動かして、部屋の照明を明るくした。透流たちはこっそり造られた隠し部屋の全容を目の当たりにした。
透流のダンジョンは本来洞窟系の内装で統一されていたが、ここは様相が一変していた。黒っぽいコンクリートの壁に所狭しと軽石が貼り付けられている。床には芝のカーペットが敷かれ、天井から吊り下がった魔術灯からは暖色系の優しげな光が放たれている。
透流はこんな建材を使ったことがなかった。穐山が勝手に作り上げた部屋だが、一目見ただけで分かる、この部屋を造った人間は卓抜した技術を持っていた。部屋の見た目が良いのもそうだが、魔力の流れに無理がなく、部屋に設置されている魔法触媒が大量の魔法因子を吐き出し、無駄のない働きをしている。魔力を魔法因子に変換する触媒の働きがあまりに能率的なので、部屋の魔力濃度はほぼゼロだった。これならダンジョン内にいながらにして魔力の悪影響を避けられる。
「これは……」
透流は部屋に見惚れた。ダンジョンを造っている人間だからこそ分かる、壁の向こう側に張り巡らせた魔力の流れの巧みさ。癖の強い魔法触媒の特性を理解し、それぞれの機嫌を損ねないように細心の注意を払っている。
「この部屋を造ったのは、あなたですか、穐山さん」
穐山はつまらなそうに頷いた。
「そうだ。この部屋は国定三姉妹の長姉、未海のために調整したものだ。未海の体に不可欠な魔法因子五種を絶えず供給する」
「こんな小さな部屋に魔法因子を五種も……。よくバランスが崩れませんね」
「たとえばこの部屋で暮らすのが魔法生物だったなら、もう少し複雑な機構を部屋に施さないと、魔法触媒に干渉して魔法因子を大量に摂取しようとした家主に、バランスが壊されてしまうだろう。しかしこの部屋の主は理性ある人間だからな。多少は無茶な構造が許される」
「なるほど。安定器のスペースや魔力配分を考慮しなくても済むと」
「そういうことだ。ただ、正直言うと、魔法因子五種というのは必要最低限だ。本当は部屋の大きさを倍以上にし、魔法因子も12種程度は拡散させたい。そうすれば未海の体調も万全になるんだが」
「そんなに多様な魔法因子が必要なんですか」
「種類は多ければ多いほどいい。ほら、普通の人間も、できるだけ多くの品目の食べ物を摂取したほうが栄養バランスが良くなるだろ。納豆が体に良いからと言って、納豆だけ食べることが健康的かと言われたら、そうでもない」
「そういうことなんですか……」
国定三姉妹にとって魔法因子というのは栄養素そのものなのか。穐山は部屋を見渡し、各所を批判的に見た。
「このダンジョンを造った人間――村重透流だったな、お前にばれないように隠し部屋を造るつもりだったが無理だった。勝手なことを言っているという自覚はある。どうかここのダンジョンの空いたスペースを使わせてもらえないだろうか。今のままだと、あいつらの病状は悪化するばかりだ」
透流は答えに窮した。しかし、自分がどう答えるべきかは分かっていた。問題は隣に創史がいることだった。創史のことを侮るつもりはないが、彼がこの秘密を守れるのか分からなかったし、彼が穐山に対してどのような感情を抱いているかも把握していなかった。
創史がぽんと透流の肩を叩いた。
「どうした透流。お前はいつも優柔不断だよな……。ここはお前のダンジョンなんだからお前の好きなようにすればいいだろ。穐山さんたちを追い出すのも、ここに住まわせるのも、お前に決定権がある」
穐山の眉がぴくりと持ち上がった。透流は頷いた。
「ああ……、そうだな。創史、お前、秘密は守れるか」
「おれは透流の意思を尊重するよ」
「そうか」
透流は創史のその言葉を信じることにした。そして穐山に向き直る。
「穐山さん、どうぞここに住んでください。お金も要りません。その代わり条件があるんですが」
「条件? 聞こう」
「俺にダンジョン造りを教えてくれませんか。国定さんたちの部屋を造るついででいいので」
穐山は目を丸くした。そしてふっふっふと笑う。
「俺にダンジョン造りを教わりたい……? やめとけ。俺は我流だし、本来はダンジョンを造る側じゃなく、攻略する側の人間なんだ。ダンジョンハンターって、知ってるか」
「聞いたことはあります」
「世界各地にある天然ダンジョンや、封鎖された危険なダンジョンに勝手に入り込み、攻略の証を立てて帰ってくる、迷惑野郎どものことだ。俺はそういう人間なんだよ。ダンジョン造りについて知りたいなら、専門の学校に通え。日本にはそういうスクールがたくさんあるだろ」
「確かに俺はそういう学校に進学するつもりではいます。ですが、穐山さんがダンジョン造りにノウハウがあるのは確かでしょう? この部屋、素晴らしいです。どんな教科書にも載っていないような、まさに常識から逸脱しているというか……」
「重ねて言うがな、俺から教わるのはやめておけ。せっかくこんな立派なダンジョンをこしらえる実力があるんだ。わざわざ邪道に走る必要はない」
「……そうは言っても」
透流は引き下がらなかった。
「俺はこれまで、このダンジョンで色んな実験をしてきました。国定さんたちが病気を患っていて、ちょっとしたことで命を落としかねない状況にあるというのなら、これまで通りダンジョンの中で派手な実験とかができなくなります」
「迷惑をかける。だからこそ月々10万払うからなんとか……」
「そんなの、全然欲しくありません。穐山さんたちがここに居座ることはすなわち、俺からダンジョン造りの楽しみを奪うことを意味するんです。穐山さんが、俺からこのダンジョンを奪うも同義なんです」
穐山は顎に手を当て、面白そうに透流を見た。
「そうきたか。しかし変わってるな。俺はダンジョン造りの専門家でもないし、教育に関心があるわけでもない。お前に満足してもらえるような指導ができるとは到底思えないが」
「見て覚えます。盗みます」
「最近の若者とは思えない言動だ。ふうん」
「それに、ダンジョンの一部を国定さんたちの住処にするより、このダンジョン全体をそれに適した形に改造したほうが、彼女たちの体調に良い影響があるのでは?」
穐山は深く頷いた。
「それはそうだ。しかし、疑問だな。お前にとっては赤の他人のはずだろ。そこまで気を遣う必要はない」
「そんな大変な病気を患っている人がいると分かった以上、協力したいと思うのは人として当然だと思います。違いますか」
「いや。ありがたいが、子供のくせに粋なことを言うじゃないか。分かった。このダンジョンの主であるお前に従うよ。どうかよろしく頼む」
穐山が頭を深々と下げた。それを見た創史が満足げに透流の背中を何度も叩いた。
「やっぱり透流のダンジョンへの熱意は本物だな! ついでにおれにもダンジョン造りについて教えてくれよ。おれも自分のダンジョンキットを使って、国定さんたちの別荘造りに勤しむぜ!」
透流は、数分前までこんな事態になるなんて想像もしていなかった。ただ、事情を知ってしまった以上、彼らを追い出すという発想がなかったし、月に10万円の小遣いをもらっても、どうせダンジョン関連で消えるし、国定三姉妹の体調が気になってダンジョン造りに集中できないし、穐山からダンジョンについて教わるのが現状、最も自分の利益になるのではないかと思った。
ほんの少しだけ、本当は国定三姉妹なんて人物は存在せず、したがってそんな病気もなく、穐山に騙されているのではないかという気もしていたが、この隠し部屋の見事な構造はごまかしの利くものではなく、透流は今の状況にワクワクしていた。如月がこの状況を良しとするかは未知数で、少しだけ不安に思っていたが、彼女も人助けだと言われたら反対できないだろう。透流はそう楽観的に考えていた。