第一章
これを完結させたい
「ごくごく……」
俺は目の前にあるカップの中身を飲み干した。
白い底は赤く限りがないように見えた。うまいとさえ感じた。
カップからは海の潮のにおいがして、さびた鉄の味が舌にまとわりついている。
まさに血液そのものだった――
「入学おめでとうございます……!」
上級生が、俺を含めた入学生に造花を渡して歓迎する。昨日受けた試験を思い出していた俺は現実に戻された。
きらびやかに化粧を付けられた校門をくぐり、入学式が執り行われる体育館へと進む。
俺、舞島清一は変人だと思われている。
まったく少しも自覚はないが、……恐らく生まれと育ちが悪かったらしい。
父は自身の子に”一番清く”行きよと願ったそうだが、どうやら叶えられそうにない。
母は知らない。父も俺が幼いころに殺された。
そんな境遇で親戚に引き取られたが、どうにも好青年には成長できなかった。
だからこそ、今ここにいるわけだが。
ここは、私立萱場高等学校――
萱場軍平が一代で創り上げた”萱場財閥”の附属機関であり、萱場民間警備会社の養成施設である。
寮制の学校で成績不振者は帰省も許されない事に目を付けたのか、親戚の厄介払いは成功した。俺にとっても自由な生活を与えられたのだから感謝しよう。
俺にとって良い事はほかにもある。
たとえば、国の認可する民間警備会社は有事・非常事態宣言等の特殊な事例において、警察権限の一部を有することができる。
すなわち銃刀類の携帯及び使用、職務質問・検問等の交通規制・取調べ・逮捕である。もちろんあくまで一部であるのだが……。
一部であったとしても、力を持つという魅力には抗いがたいものがある。
力とは支配であり、それを持つものは他人を統制し、支配者たりえるのだ。
俺は昨日の試験をぎりぎりで合格した……、らしい。
試験は7教科あって、国語、社会、英語、理科、数学、体育(以上が一次試験)、そして特別教科(二次試験)である。
配点は各100点で、特別教科のみ400点の合計1000点である。
これの六割を取れば、入学できる制度である。
二次試験は一次試験の高得点者から面接を始める手はずなので、最後に二次試験を受けた俺は最下位だったという事がすぐ分かった。
特別教科では民間警備員として、カスタマー(顧客)の秘密を漏洩しない「拷問に対する耐性」や、諜報能力、分析能力を測る。
俺にとっては欠伸が出るほど退屈な試験であったが、最後の「自虐の項」は面白かった。
名称のとおり自分に拷問を下すというものである。さまざまな種類の拷問器具が置かれていたが、俺が一番興味を抱いたのは注射器であった。
どうせこのままでは「受験に負ける」と確信していた俺は、注射器で自分の血液を採取し、カップに入れて飲み干してやった。
後で聞いた話、血液を飲ませるという拷問は実際にあるそうな……、仲間の血を飲ませるというものだが……。
はじめに飲んだときは違和感のため不味いと感じたが、よく味わってみると美味だとさえ思った。試験教官は何を思ったのか、とにかく俺の二次試験をパスし、ここ「私立萱場高等学校」に無事入学させた。寮に戻ったら祝おう。
昨日は試験の後すぐに帰宅して荷物をまとめるので忙しくそれどころではなかった。
前日の出来事を考えていた俺と入学生たちは体育館前に移動する。
掲示されている説明を読み、自分のクラスを探す。
「――あ、舞島君、私と同じD組だっ!」
声のする方を向くと、俺よりも背の低いすこし華奢な女の子がいた。
なぜ俺の名を知っているといぶかしむ暇もなく、次々と言葉が放たれた。
「ああ、自分の血液を飲んだ人でしょ?? マジ引くわー」
「今年の入学生の奇人枠は舞島で決まりだなw」
「うわっ、お前出席番号隣じゃんw」
「マジ、最悪―」
どこに行っても俺は変な目で見られる。
というか、なぜ俺の名前と実技内容が漏えいされているんだ。
高校でも白い目で見られるようだ……、なかば悲嘆にくれる俺は静かに入学式の始まりを待った。
◇◇◇
入学式では学校長や生徒代表者が決まりきった文章を並べていた気がする。
その後、すぐに上級生の誘導に従い、自分のクラスに行ってからのオリエンテーションが始まった。
電子黒板には「入学おめでとう! 一年D組のみなさん」という文字が点滅しており、萱場財閥の力を知った。公立や多くの私立高校ではいまだにアナログな黒板である。
俺は出席番号にしたがい自分の席に座った。クラスはE組まである。筆記が最低の俺がD組でよかったのかよと、てか実技で何点を叩きだしたんだと思案にふけっていたとき、隣の席の女子が微笑みを浮かべながら俺に話しかけてきた。
「あなた、舞島君だよね? 私は名ノ瀬愛華、よろしくね」
確かクラスの掲示を見ているときに「舞島君、私と同じD組だっ!」と言っていた女子だ。
「……ああ、よろしく」
なんて面白みのない人間なのだろうと自分自身でよく思う。
友達が欲しいというわけでもないが、ここでもっと愛想よいことを言えれば、中学のころのようにクラスでハブられず済むのだろう。結局俺は成長してない、のかもな……。
俺のそっけない返答でも名ノ瀬は笑顔のまま続ける。
「舞島君は部活どこに入るの? 結構気になってたんだー」
名ノ瀬は机から身を乗り出してくる。そうすると俺はどうしてもブラウスを押し上げている彼女のふくらみに目が行ってしまう。
「いや、決めてないな。てかどんな部活があるかも知らないな」
名ノ瀬は、にっこり笑う。
「じゃーさー、警備部に入ろうよ。絶対勉強になるって。私はもう入ってんだー、警備部」
民間警備員の指揮官層を育てる私立萱場高等学校では、部活動でさえも「警備部」なるものが存在する。
これは経費削減――おそらくはそれが一番だろうが――と学生たちの能力向上のために部活動としての警備部があった。
学校自体に不審者が来る事はあまりないが、競合他社によるハッキングは毎日のようにあるそうだ。
そういう不穏なる攻撃に対して、前面で戦うのが警備部だと、名ノ瀬は説明した。
「今すぐ返事がほしいってわけじゃないし、別に入らなくてもいいんだけど、考えといてね」
名ノ瀬はそう言って、はにかむのであった。
「――はーい、みんな席についてください」
四組担任がやって来た。こちらも女性で、おっとりとした感じを受ける。
民間警備員を育成する教師らしからぬ、柔らかな雰囲気と肉体。
普通の学校の教師と全然変わらないように思われた。
「それでは、みなさんには自己紹介してもらいます。一番から行きますか? それとも後ろから始めますか?」
非常にどうでもよい!
自己紹介などをするよりも、実際に会話をしたほうが相手がどんな人物か分かる。どこかの偉人の名言だ。
声ある多数者によって、出席番号の後ろから自己紹介をすることになってしまった。
一人目の生徒は、和田相馬、結城……、次々と自己紹介が終わっていき、俺の番になってしまった。
嗚呼、自己紹介なんて必要ないだろ……、だれだ、こんな時間の浪費するオリエンテーションを作ったのは。
「舞島清一だ、よろしく」
俺はその二言を言い終え着席するのであった。
クラスの生徒は、好奇な目で見ていたが、あまりに短い自己紹介に拍子抜けした、ように感じた。
どんな人間であっても人間以上ではないのだから。
過剰な期待は人をつぶすんだぜ?
俺の高校初めての発言は、このように目立たないものであった。
◇◇◇
その後は、学校教育のカリキュラムの説明などを受けて、それぞれが寮へと戻る。
舞島清一の部屋は606号室、だが、部屋の前に張ってある金属板には666号室と書いてあるように見えた。
以前の住人が彫り込んだのかもしれない……。
そんなことを考えながらドアを開いた俺は、信じられない光景を目の当たりにする――
悪い意味ではないが、よい意味でもなかった……。
幹部候補生はあらゆる環境であっても屈強でなければならない、という学校の方針のもと、萱場高等学校は寮制である。
男女共学といえども男女比に偏りが出るのは各高校の悩みでもあった。
そして各年度入学制の男女比率が飛びぬけた場合は、施設の面で異常をきたす――
この高校の場合は寮の部屋割りであった。
そう! 俺の目の前に広がっている信じられない光景とは、裸の女の子がベッドの上にいるというものだった!
このルームメイトは、なぜ不用意に裸になろうとしたのかはまったく少しも分からない。
だが、事実、こうして部屋に二つあるベッドのひとつの上に座り込んで、おっとりとした目で俺を見つめ込んでいた。
日本人にしては珍しい緑色の髪はショートで水気を帯びていて、透き通るような白い肌は、部屋の無機質な壁紙のなかで輝いていた。
「あー、マイジマセイイチ、発見。イエィ……」
緑髪の女の子は両指で俺を指しながらつぶやいた。
言葉が出なかった。
人形のように可愛い女の子は続ける。
「……あー、チガッタ? ノット、ルームメイト、マイジマセイイチ?」
「いや、俺は舞島だけど、あんた誰?」
「リー・ファーシイ……、アレ」
ファーシイは首をかしげる。
「ワタシハダカ、ハズカシイ……」
「いいから早く服を着ろぉおおおおおおおお!」俺は盛大に突っ込むのであった。
ファーシイ、女の子、中国留学生16歳。
萱場高校一年D組に在籍。
甲は相部屋においてあられもせぬ姿で存在し、わいせつ容疑、また青龍刀無断所持による銃刀法違反の疑い。
乙(俺)を変態者として寮中に不当な動揺を広げさせ、もって寮長をして乙に反省文を書かせしめた。
劣悪非道な冤罪である、と言う旨の反省文(潔白書)を書いて寮長に抗議したが受け入れられるはずもなく、
結局入学初日から反省文を十枚も書かされた清一であった。
夕食は残念ながら取調室(寮長室)で取った。
「オイシイユウショクガタベタイヨ、マイジマセイイチハショクドウデオナカイッパイタベタカッタヨ……」
「――何ぶつぶつ言ってんのさ、舞島君」
後ろから俺の肩を叩いたのは隣の席だった、えっと、名前は、
「――名ノ瀬愛華だよ、名前くらい覚えてね?」
人の考えてることすぐに分かるんだなぁ。
「入学試験の日には生き血を飲んで、今日は女の子の裸を覗いたんだって? さすがだね?」
名ノ瀬はウインクした。
「誤解だ」
「――わかってるよ、私。舞島君はそんなことしないって。なにかあったら相談してね……、もう私は部屋に戻るね?」
どうやら名ノ瀬は俺の味方らしい。
中学時代は孤立無援だっただけに、こうして頼れる人がいるというのはありがたい。
にっこり微笑む名ノ瀬を横目に寮ルームへと戻った。
◇◇◇
ルームメイトはベッドの上で今度は……、服を着ていた。
パジャマ姿でサイズが大きいらしく、だぼだぼの服から手首が出ていない。
「マイジマセイイチ、帰還。遅い……」
「だれのせいでこんな時間まで説教させられてたと思ってんだよ」
リー・ファーシイはぺろっと舌を出すと謝る。
「ゴメンナサイ」
先ほどまで身体中を覆っていた負の感情がすっと消えていくのを感じる。
ファーシイのつつましい胸元に目が行き、先刻の彼女の生まれたばかりの姿を思い出して、責められるべきは俺の方ではないかと思った。
不可抗力にしても、女の子の生まれたばかりの姿を見たのである。普通の男子高校生であれば停学処分になるかもしれない。
別に見たいわけでもなかったのだから面倒この上ないことではあるのだが……。
俺はある意味普通の男子高校生ではない。女の子の際どい姿を見たくらいでテンションあがらないし、ましてやエロ本など必要ない。
だから処分されるのは不当だとさえ思う。不快に不快をたされた感じだ。
とはいえ美しい女の子ではあると思う。不快という感想は訂正しておこう。
見ても興奮しないが、ファーシイは魅力的な女の子だ。
「マイジマセイイチ、変。どうしたの?」
部屋の隅でつったっていた俺の目の前にファーシイがいた。
さっきまでベッドに座り込んでいたのに。歩く音さえ聞こえなかった。
まるではじめからそこにいたかのように彼女は俺を不思議そうに上目遣いで見ている。
「なんでもない。俺は右側のベッドを使ったらいいんだよな?」
先ほどファーシイは左側のベッドに座り込んでいたからだ。
「肯定」
私立萱場高等学校ではルームは成績順で振り分けられる。
通常は男女別に振り分けるのだが今年の入学者は女子が多いらしく、学年女子最下位らしいリー・ファーシイと俺舞島清一は同室にされてしまった。
入学早々理不尽な話である。とはいえ、近年は男女差別はよくないと言う理由で寮も男女で分けない学校も多いそうだが。
男女平等という考えは、性差を認めないと言う思想だったのだろうか。
そんなことを口に出して言えば、現在では犯罪者として捕まるおそれがある。
じいさん、ばーさんの時代がうらやましい……。
俺は疲れ切っていたので、そのままベッドに仰向けで倒れこんだ。
「ああ、今日も疲れたなぁ。って、風呂に入らねばならん」
そうつぶやいて起き上がろうとしたとき、
「私も入る」と言う声が聞こえて何かが俺の身体に覆いかぶさってきた。
「――なっ?」
不意の出来事に変な声が出ちまった。
予想はついていた。ファーシイである。
彼女はだぼだぼのパジャマの両袖を広げて俺の身体にダイブしていた。
「リー・ファーシイ、何考えている」
「マイジマセイイチ、お風呂に入る。なら私も入る」
いやいやいやいや!
頭がおかしいと中学時代に陰口叩かれていた俺でもさすがにその理論はおかしいと判る。
何を言い出すんだ、この女の子は。
「言っている意味がよく分からないのだが……」
前に見た映画の台詞が頭に浮かんだ。
少し違ったっけ?
「マイジマセイイチ、お風呂に入る、マチガッテイル?」
「それは間違ってない、一緒に入るという部分だろ!」
「エラー、別の言葉での説明をモトメル……」
昔、あなたに足りないのは何か? ――常識力です。
と言われたことがあったが、それをそのままファーシイに伝えたい。
男と女の子が一緒に風呂に入るのは間違っているだろ? え? 俺が間違ってるのか?
激しいめまいが襲ってくる。これ以上相手はできない。
「リーさんはここでいる。一緒はダメ」
とだけ言い残し全財産を入れてきたバッグから着替えを出すと、一直線に部屋備え付けの風呂に閉じこもった。
◇◇◇
シャワーの流れる音が浴室に木霊する。
建築物は、上に行けば行くほど施工が荒くなる。
これは建築界の常識だ。期限まで時間が少なくなり、だんだんとずさんになるのだ。
この部屋の風呂場もそうだった。タイルの間から接着剤がはみ出していて汚らしい。
窮屈に押し込められた浴槽は前の居住者がしでかしたのか、ひびが入っていてお湯が上までたまりそうにない。
床を水浸しにしたらまずいし、今日はシャワーを使うことにしたのだ。
俺は一人の時間が好きだ。
大人になるにつれて、一人でいられる時間は減っていく。風呂の時間だけは一人になれる。
その時間が三年間も保障されているのか、と思うとありがたい。
入学してこのとき初めてリラックスできたような気がした――
疲れを感じる……、身体がけだるい。
だが一方で頭は冷静になっていく。
リー・ファーシイと言う天然の女の子。
青龍刀を持っている中国系留学生……。
ただ者ではない。文字通りなのか別の意味なのかは今の時点では不明だが。
蛇口をひねってシャワーを止めた。
風呂場から出て洗面台の前で身体をふく。服を着たついでに歯を磨く。
きれいなピンク色のはぐきが目に入る。
生き血はうまかった。
入学試験のときに自分の血を飲んだ。意外に美味であった。
ほかの人間の血も飲んでみたい……。
眠いながらもそんなことを考えた。
歯を磨き終わって部屋を見ると既に電気は消灯されていた。
夜の寮室。雲の切れ間から月明かりが差し込み、ファーシイのあどけない顔が見える。
「女の子の血って、どんな味がするんだろう……」
俺はそっとベッドに入り込んだ。
◇◇◇
日の光で俺は目を覚ました。
暖かい春の陽気は鳥たちの鳴き声とともに、殺伐とした俺の心を癒す。
「癒されるわけないのだがw」
と否定してみる。
「……うん?」
なんだか腹の部分に重みを感じる。
金縛り、なわけないよな?
ゆっくりと頭を下げて、”重く感じる部分”を見てみると……、
そこにはやはりというか、リー・ファーシイがいた。
昨日と同じく”だぼだぼ”の上下のパジャマに身を包んでいる。
足は布地に隠れているが、両手はたくし上げて姿を見せているのがたまらなく良かった。
横になった状態で時計を見ると、まだ朝の五時だ。
こんな朝早くにファーシイを起こすのは――
もったいない。
この姿のままで保存しておきたい。
だがなんということだ、スマフォに手が届かない。
俺は静かに身体を起こした。
「むにゃむにゃ……」
ただの寝言か。
目を覚ましたかと思ったじゃねえか。
入学初日から変態扱いされる羽目になった元凶が……。
ちょちょちょ、調子に乗ってんじゃねえよ……。
残念なことにリー・ファーシイは俺のシャツをがっしりと、握っていた。
スマフォをとるための方法はただひとつ――
シャツをつかんでいる彼女の指を一本一本ひらいて離すことだ。
ごくり……。
俺は恐る恐る手を伸ばし、ファーシイの白い右手に触れた。
ああ。
初めてクラスの女の子に触れた。
冷たく繊細な、芸術品か何か。
遠く遠くから見ていたその指は、まぎれもなく男のそれとは違っていた。
柔らかな指先から、手の甲へと滑らせる。背筋に寒気を覚えた。
武闘をしているだけあって、ほどよい肉質の腕はなんども指を往復させたくなるような病み付きのさわり心地。
二の腕はぷにぷにしていて、右へ左へと指を滑らせる。
それよりも先、すなわち、女の子の心臓へと指を進めようとしたとき――
パチリ。
ファーシイと目があった。
「え、え、え、ええ……」
「マイジマセイイチ……、なにをしているの?」
◇◇◇
覆いかかるように寝ていたファーシイの指をほどこうとして触れたら、感触が楽しくてまさぐっていた――
と言えば退学決定である。
「早起き、なんだ」
「そう……」
眠そうにゆっくりまばたきをした。そして、ふたたび俺の上にかぶさってしまった。
嘘に気付かなかった振りをしているのか。
気づかないわけないだろう。懺悔の機会を与えようとしている?
しばらくすると、すーすーという寝息が聞こえた。
寝ているのか!
俺は暖簾に腕押しの気分にされてしまった。
結局それから眠りに落ちることはなく、起床の時間を迎えることになった。