第一話 老婆の余命
「残念ですが、もう、治療できる段階を超えています」
ある病院の一室。
そこで老婆は自分の余命を告げられた。
末期がんであった。数日前から急に体調の異変を感じ、昨日、家で倒れて救急搬送された。
がん検診は受けていたが、発見しにくいがんで自覚症状もなかった。そのため手の施しようがないところまで進行してしまった。
そうか、いよいよお迎えが来たようじゃの。
老婆はため息を一つ付いただけで、取り乱すようなことはなかった。
もともと平均寿命を過ぎた頃に、かかりつけの医者に言われていた。
立つ鳥跡を濁さず、平均寿命を超えたらいつ死んでもおかしくない。
だから覚悟と身辺整理はしておけ、と。
未練が無いわけではない。
かわいい孫との約束、結婚式を見ることが叶わないのは心苦しいし、来月に予定していた老人会の旅行に行けないのは残念に思う。
「延命措置を行えばおそらく二ヶ月は生きられるでしょう。しかし、かなり心身に負担がかかると思われます」
いや、これも天命じゃろう。延命は必要ない。
その言葉に医者は肯いた。
「御家族の方にはすでにお話ししてあり、貴方の意思を尊重するようにとのことでした」
それを聞いて老婆は少しだけ安堵した。自らそれを家族に告げるのは気が重かった。
医者の話はこれからのことに移った。
痛め止めを打つのであまり苦痛はないが、効きにくくなるのでだんだん量が増え、一日の活動時間が短くなっていくこと。
希望があれば半日程度は自宅に帰れること。
いよいよ痛み止めが効かなくなったら全身麻酔で眠り、そのまま亡くなるであろうこと。
その際には家族に別れを告げる場を設けてくれること。
そういった話を聞くにつれ、ああ、本当に死ぬのか、という自覚が出てきたが、それでも老婆の心は凪のように静かだった。
医者が老婆の体調を気遣い退出すると、すぐに眠気がやってきた。
知らずに疲れが溜まっていたのだろう。
老婆はその睡魔に逆らうことなく眠りに就いた。
夢の中で老婆は今までの人生を振り返っていた。
幼少期から始まり、今に至るまで、様々な思い出があった。
父との思い出、母との思い出、兄との思い出、姉との思い出、弟との思い出、妹との思い出、幼馴染との思い出、親友との思い出、旦那との思い出、息子との思い出、娘との思い出、孫との思い出、そして、仲間との思い出。
目が覚めたのは翌日の昼だった。
休日だったため、老婆の家族が皆見まいに来ていた。
息子夫婦と娘夫婦とその子供たち。
一緒に暮らしていた息子夫婦はともかく、遠く離れて暮らしていた娘夫婦とその子供たちがこんなにも早く来てくれたことはうれしい驚きだった。
老婆は少しの遺言の話とたくさんの思い出の話をした。
夢に見たものを順番に語り、夢に見なかったものを語られて思い出し、時に笑い、時に涙ぐみ、時に憤慨した。
そうして日が傾いたころ、看護師が検診に来たことを切っ掛けにお開きにした。
最後に息子が家から持ってきてほしいものを聞いた時、生活用品がいくつかと、旦那との思い出の品を一つ、持ってくるように頼んだ。
それらをメモして病室を後にしようとした息子に、大事なものを忘れていたことに気付きあわてて声をかけた。
いつも使ってた、パソコンを持ってきてほしい、と。