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【LUNA】  作者: 冬月 真人
4/13

【LUNA】



リストラされたのが半年前。

失業保険が切れたのが3ヶ月前。

住んでいたアパートを家賃滞納で追い出されたのは10日前。

炊き出しの存在を知ってこの公園に来たのが7日前。

ここで知り合ったゲンさんに連れられてホームレスのイロハを教わったのが3日前。

僕は順調に坂道を転げ落ちていた。


ゲンさんは仲間達に僕を紹介してくれた。

僕はここで寅さんと呼ばれることになった。

リストラのトラだそうだ。

トラウマが通り名になるとは思わなかった。

僕に寅さんと名付けたのはシャチョウだった。

嘘か本当かは分からないが、ホームレスになる前は社長だったらしい。

僕はこのシャチョウに不思議な興味を持った。


シャチョウは毎朝4時に起きる。

あまり汗をかかないように、早朝の涼しい時間に公園をランニングする。

そしてまだ薄暗い5時頃に水飲み場の水道で頭を洗い、濡らしたタオルで身体を拭く。

明るくなる頃には身支度を整えて、日雇い人夫の仕事に出掛ける。

シャチョウはその為にプリペイド携帯を持っている。

夕方、仕事を終えて戻ったシャチョウはコンビニ弁当を食べる。

それも1番安い弁当だ。

唯一の贅沢が缶入りのお茶。

それもどんなに暑い日でもホットを飲む。

そうして8時には寝て、翌朝4時起きの繰り返し。

おおよそホームレスとは思えない生活だった。


ホームレス代表のゲンさんの生活は、目が覚めたら起きて、金があれば酒を呑んで、無ければリヤカー借りてダンボール集め。

1日歩いて千円稼いで五百円のレンタル代を払った残りでカップ酒とツマミ。

炊き出しのある日はリッチにビールだ。


ある日、僕はゲンさんにお願いしてダンボール集めを紹介してもらった。

1日やってみたが、手元に残ったのは三百円。

なるほど奥が深い。

でも僕の目的はダンボール集めの職を得ることではなく、きっかけを手に入れることだった。


ビルの電光掲示板に出された翌日の天気予報は100%の雨予報。

僕はそれを確認するとシャチョウの所を訪ねた。

暖かいお茶と焼酎、それから多少のツマミ。

リヤカー稼業数日分だ。

シャチョウは驚きながらも僕を受け入れてくれた。

ダンボールの一戸建てで細やかな飲み会。

シャチョウは勧めた焼酎のお茶割りを美味しそうに飲む。

昔はよく飲みに行ったりしていたらしい。

僕はリストラされた話をしながら本題へと話をシフトしていった。

「シャチョウは本当に社長だったんですか?」

「昔、な」

「倒産ですか?リストラされた身としては身につまされます」

シャチョウは僕を見て少し遠い目をしながら「譲った」と言った。

「あ、僕はてっきり借金返済の為に毎日働いているのかと思いました」

シャチョウの勤勉振りがますます不思議になった。

シャチョウは僕の言葉に小さく笑うと「少し出ようか」と言って公園を歩き始めた。


明日が雨とは思えないほどに月明かりに蒼く照らされた公園は何処か幻想的で、僕は今、自分がホームレスになった夢を見ているような錯覚を覚えそうだった。

現実は僕もシャチョウもホームレスに違い無いのに。

ほどなくしてシャチョウは語り始めた。

「妻と娘が居たのだが離婚をしてね。私から切り出して全財産と会社を譲ってホームレスになったんだ」

「えっ、浮気とかの代償ってヤツですか?」

我ながら下衆な物言いをしてしまった。

「・・・浮気か。そうか、これは浮気なのかもしれないね。寅さん、これは浮気だよ」

そう言うとシャチョウは笑い始めた。

僕には何が可笑しいのかさっぱり分からない。

少し困惑気味の僕に気付いたシャチョウはこんな昔話をしてくれた。


服飾デザインの学校を出たばかりのシャチョウは、尊敬するデザイナーの先生の事務所に入ってそのセンスを学んでいたそうだ。

夢中で先生を追いかけたシャチョウは徐々に頭角を現して1、2を争うスタッフに成長した。

でも順調だったのはそこまで。

先生を尊敬し、傾倒しきっていたシャチョウはどうしても先生のテイストの模倣の域を超えられずに伸び悩むようになってしまった。

そんな時に出逢ったのが瑠奈さんだった。


「あの日、瑠奈はそこのベンチに座っていたんだ」

シャチョウは木製の小さなベンチを指差した。

今夜のような蒼い夜の闇に、まるで白く浮かんだ月のような瑠奈さんを見てシャチョウは一瞬で心を奪われたそうだ。

そして天啓のようにデザインが閃いたらしい。

「私もね、どうしてあんなに大胆な行動に出たのかわからないよ」

思い返して照れ笑いするシャチョウはとても嬉しそうだった。

「座る瑠奈の前に駆け寄った私は『モデルになってください!』と大声でお願いしたんだ」


瑠奈さんはビックリした表情をしてシャチョウを見上げたあと、クスっと微笑んで「はい」って言ってくれたそうだ。

後で聞いたら、シャチョウは月明かりの下でも分かるくらいに真っ赤な顔をしていのが可笑しくて思わずOKしたとの事。

「そしてね、その話をすると思い出したのかまた笑うんだ」

シャチョウは本当に嬉しそうだ。


ふたりはいつしか一緒に暮らし始めた。

今までのスランプが嘘だったようにシャチョウのデザインは変わった。

遠ざかっていた賞を取るようになり、業界でも期待の新星として話題をさらった。

「瑠奈が喜ぶ服を作ろうとしただけなんだ」

シャチョウの顔が急に曇った。


先生の勧めもあって独立。

小さなデザイン事務所を立ち上げたシャチョウ。

「私はね、とにかく瑠奈に似合う服を、喜ぶ服を作りたかったんだ。

だからブランド名はLUNAにしたんだ」

「えっ、LUNAってあの有名ブランドの社長がシャチョウ!?」

「会社はすぐに大きくなったよ。四畳半のアパートでひとつのカップラーメンをふたりですすっていたのがまるで嘘だったようにね」

「そんなに苦楽を共にして愛していた奥さんとどうして?」

僕がそう尋ねるとシャチョウは首を振った。

「瑠奈はね、ある日出て行ったんだ」


それは事業も軌道に乗ったシャチョウが瑠奈さんに結婚を申し込もうと決意した日。

予約したレストランに瑠奈さんは現れなかった。

「今のように携帯は無くてね。ずっと待っていたよ」

家に帰ると瑠奈さんの荷物も何も無かった。

【さよなら】の書き置きさえも無く、瑠奈さんは消えた。


「あれから私は別の女性と結婚して子供も生まれ家庭を築き、LUNAブランドを益々成長させた。そしてファッション界に確固たる地位を作り上げたのと引き換えに、家庭の居場所を喪っていた・・・と思い違っていた」

そう言って僕をジッと見つめた。

「さっき寅さんに言われて分かったんだ。私は浮気をしていた。結婚し家庭を持った私の心には常に瑠奈が居たんだ。冷めきった家庭は財産目的で私と結婚した妻が原因だと恨んでいたが違う。妻は誰よりも私を見ていたんだな。だから、私の心に居る誰かを感じていた」

シャチョウは大きく溜め息をついた。

「瑠奈の居ない人生と上手くいかない家庭に意義を見出せなかった私は自棄になっていた」

「だから全てを渡して世を棄てたんですね」

僕がそう言うとシャチョウは頷いた。

「そしてもうひとつ。奇妙な噂を聞いたんだ。都市伝説って言うのかな。夢に向かってひたむきな若者の背中を後押しする、成功に導く女性の噂」

「それは?」

「若者を導いて、時が満ちれば消え去る女神。もしかして逢えるかもしれないと思ったが、私の若者の季節はもうとうに過ぎ去ってしまっている」

人は寂しさと悲しさを瞳に宿すとこんなにも切ない表情を見せるのだろうか。

僕は気休めの言葉すら持てなかった。


「寅さんの夢はなんだ?」

不意にシャチョウが僕に尋ねた。

「作家です。僕は小説家になりたかった」

照れ臭くて親にも友達にも言えなかった夢。

今は素直に言えた。

「寅さん、【なりたかった】じゃない。【なりたい】だ」

シャチョウはそう言って笑うと片目を閉じた。

「いつかキミが彼女に逢えたら伝えてほしい。ありがとう、そして愛していると」


翌朝、シャチョウは公園から姿を消した。

僕のダンボールハウスに万年筆を置いて。



僕は今、小さな出版社で編集のアシスタントをしながら小説を書いている。

夢を抱く若者を成功に導く女神の物語。

女神のイメージは僕の彼女だ。

付き合ってもう1年。

ホームレスの日々を懐かしく、あの公園を散策した夜に出逢った彼女。

小説は明日には書き上がる。

だから今日、彼女に伝えなくちゃいけない。

「瑠奈、チョット来てくれ」


僕はようやく約束を果たせそうだ。










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