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【LUNA】  作者: 冬月 真人
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【営業のルシフェルさん】

尻尾の先の三角形。

背中に生えた黒い翼。

服なのか皮膚なのか、とにかく黒い全身。

喉の奥を鳴らすように笑う度に僅かに覗く牙。

今ボクの目の前に居るのは確かに悪魔だ。

絵に描いたような、あきらかに絵そのものの悪魔だ。

あまりにそのまますぎてペタペタ触ったら怒られてしまった。


「なぁ、叶えたい望みは無いか?」

あぁ、やっぱり悪魔だ。

「魂と引き換え?」

「チッ。最近はやりにくいぜ」

「あははは。やっぱりそうなんだ」

ボクが笑うと悪魔は不機嫌そうにコチラを見る。

「でよ、叶えてやるよ」

「うん。でもさ、見ての通りでボクはこの病院のこの病室。そしてこのベッドから動けないんだ。望みなんか…」

そこで言葉に詰まった一瞬を悪魔は見逃さなかった。

きっとトップセールスの営業マンってこうなんだろうな。

ボクは思わずそう考えていた。

「ククク、あるんだろ。言ってみろよ」

楽しそうだ。

「うん。ボクを殺せる?」

「無理」

即答だった。

「叶えられない望みもあるんだ」

期待はずれという表情をあからさまに浮かべてみた。

悪魔はどんな反応をするのだろう。

「あのな、叶えた望みで死んじまったら魂の回収が難しくなるんだよ。この業界も手続きとか縄張りとか色々複雑で面倒でな。サクッと叶えてサクッと回収!これがウチのモットーなんだよ」

言ってる意味がイマイチ分からなかったけど、多分『割に合わない』という事なんだろう。


「初めは死神が殺しに来たのかと少し期待したんだ」

ボクの言葉に悪魔は明らかに不快な表情を見せた。

「死神と一緒にされるのは面白くないな。あいつらは寿命の予定表を元にして回収に行くだけの集金係みたいなモンよ。俺たち悪魔は言ってみりゃあ、一発勝負の訪問営業。どこの世界でも飛び込みってのは大変なんだぜ」

しみじみという感で語る悪魔はそれなりに苦労をしているのだろう。

「で、どうして死にたい?」

ボクが考えている間に悪魔が言葉を続けた。

「ボクが生きてると皆に迷惑が掛かるんだ」

「ああ、入院費とかか?」

「うん。治る見込みも無い病気の治療は高い薬とかも必要で、ウチにはもうお金が無いんだ。お兄ちゃんは学校を辞めてボクの治療費の為に働いている。お姉ちゃんは修学旅行を諦めたし、小さな弟はおばあちゃんの家にずっと預けられているんだ。お兄ちゃん、学校の先生になりたかったんだ・・・」

「なるほどな。お前が死ねば万事解決って訳だ」

悪魔は何度も頷いている。

「だから死にたい」

「それは無理なんだけどよ、お前、病気を治したいとかって願ったりしないの?」

「あ・・・」

ボクは何度も瞬きをして悪魔の顔を見た。

顔が熱くなる。

きっと真っ赤になっているに違いない。

恥ずかしいのだ。

「悲劇の主人公気取ってるから死ぬことしか考えないんだよなぁ。『病気を治して下さい!』ってすがってくるのが普通だぞ」

悪魔が痛いところをついてきた。

ボクはますます赤くなった。

「ケケケケケケ」

悪魔は悪魔っぽく笑うと「どうよ?」と言って顔を近付けてきた。

「・・・きたい」

「ん?」

「生きたいです!」

ボクは泣きながら叫んでいた。

ずっと死んだ方が良いと思っていた。

こんな身体で生きているから家族に迷惑を掛けている。

自分さえ居なければ。

そんな思いがボクから生きるという選択肢を忘れさせていた。

この悪魔に言われてボクは初めて『生き抜きたい』と強く思った。

そして悪魔はボクの言葉に微かに笑った。

それは魂さえも凍るような冷たい微笑みだった。


「さて、お客様。では改めて私、ルシフェルと申します」

ルシフェルと名乗った悪魔は名刺を差し出した。

受け取った名刺には『(有)堕天使商会 営業課 ルシフェル』と書かれてあった。

「有限なんだ」

「零細企業ですからねぇ。でも今日日有限会社は老舗の証ですよ。下手な株式よりも実績はありますからお任せ下さい」

ルシフェルさんはそう言うと契約書を取り出した。

「それでは今回のご契約の説明をさせて頂きますね。ご契約商品は生命満期回収型となっております。お客様の願望成就の暁、ご寿命を全うされた後にお客様の魂をこちらで回収させて頂きます。詳しくはこちらの約款をご熟読下さいませ」

「あのう、口調が突然変わりましたね」

「それはもう、お客様には失礼の無いよう心掛けておりますから」

ルシフェルさんはニッコリと笑った。

先ほどの微笑とはまるで違う。

「それではですね、こことここ、それから次のページのここに印鑑と、最初のページの枠外に捨印をひとつお願いします」

手際良く鉛筆で丸を囲む。

「契約は血判とかじゃないんだ」

「お客様も古いですねぇ。イマドキの悪魔はそんなことをしませんから」

ルシフェルさんはまた笑った。

笑ながらもボクが押す印鑑の場所をじっと見ている。

全ての捺印が終わると素早く用紙を取り上げて鞄にしまった。

「では審査の後、契約は明日の正午より有効となりますのでよろしくお願いします」

「審査ですか?」

「ええ、こちらの内部的なものです。契約に際し説明をしたかとか、強制の類が無かったかとか・・・ま、そんな内容ですから間違いなく契約は成立しますのでご安心下さい」

「そうですか。じゃあ治りますね」

「もちろんです。それではまた、遠い未来にお迎えに伺います」


夢を見ていたのだろうか。

何もすることの無い病室。

治る見込みの無い病気。

幻想か妄想か、白昼夢に違いない。

悪魔とか契約とかあり得ない話だ。

現に今、目の前に居たはずの自称悪魔は何処にも居ない。

もうすぐ夕方の回診だ。

検温をして血圧をみて、いつも通り同じ。

そんな退屈が見せた夢だろう。

そう思った。

翌朝の検査までは。


先生は何度も首をひねり、診察室に呼ばれた母さんは泣きじゃくって白衣にすがりついていた。

ボクは何故かそれを他人事のように眺めていた。

「令二、あんた治ったんだよ!あんたも早く先生にお礼を言いなさい」

母さんは何度も何度も先生に「ありがとうございます」と繰り返していた。

先生はやはり首をひねるばかりで戸惑いを隠せない様子。

ボクはなんだか可笑しくなって笑い出してしまった。

お母さんはそれを咎めると、ボクの頭を押して下げるともう一度「ありがとうございます」と言った。


あれから80年以上が過ぎた。

与えられた命で懸命に働き、小さな会社を興し、十分な財を成した。

親兄弟には多少なりとも恩返しが出来たと思う。

その父も母も随分前にこの世を去り、兄と弟も他界した。

姉はまだ存命だが今は施設で暮らしている。

そして今、私は病室のベッドの上にいる。

妻と子供達をはじめ、沢山の孫。

私の名を呼んでいる。

医者が激しく胸を押す。

ああ、もう最期なのだ。

私はよく生きた。

もう目は見えていない。

呼び声も遠くなってきた。

そんな中、ハッキリと感じる存在があった。

迎えが来た。

黒いフードを被り、闇を宿したような眼窩。

大きな鎌をを握るその手は骨だった。

ルシフェルさんではない。

「吉澤令二だな」

声とも音ともつかない呼び声だった。

ルシフェルさんが絵に描いたような悪魔なら、こちらは絵に描いたような死神だった。

「死神が来ても私が差し出すべき魂はありませんよ」

そう答えると「往生際の悪い」と死神は呟いた。

「私の魂は契約で悪魔に差し出すことになっています」

「いや、お前の魂は今日刈り取り、天へ送ることになっている」

死神は目録のようなものを確認しながら私に言った。

「おかしい。ルシフェルさんとの契約で私の病気は完治したんだ」

「ルシフェル、堕天使商会のルシフェル課長か?」

白骨のドクロの顔が訝しげな表情を浮かべた気がした。

「当時はヒラだったよ」

私が小さく笑うと死神は何かを唱えながら魔法陣を描いた。

魔法陣が紫色に光ると中からルシフェルさんが現れた。

「なんだよリッチー」

ルシフェルさんは仏頂面で死神を見た。

そしてすぐ私に気付くと「これはお懐かしい」とベッドの脇へ来てくれた。

「ルシフェルさん、この死神の方に私達の契約の話をして差し上げて下さい」

私がそう言うとルシフェルさんの表情が雲った。

「実は、あの契約は無効になっております」

「えっ、ですが私は翌日には病気も治り今日まで生きる事が出来たんですよ」

「はい、それが問題なのです。契約の開始は正午からだったのですが、お客様がご快復なさったのは午前中。せめて検査が午後に行われていたなら我々としても契約の履行を主張出来たのですが、午前中の記録が残ってしまっている以上は私達の契約の結果ではなくお客様ご自身の力となります。ですからこの契約は自動的に無効となりました」

ルシフェルさんは深々と頭を下げると魔法陣の中へ消えて行った。

「納得したか?」

問い掛けに頷いた私に死神は言葉を続けた。

「どんな理由があろうと悪魔との契約で差し出された魂は輪廻の輪を外れるのだぞ。行き着く先は永遠の煉獄。再び巡る時にはこの様な真似は絶対にしてはならん。もっとも、いつかまた生まれ来る時にはこの記憶は無いのだかな」

「はい」

私は畏まって返事をした。

「では、しばし魂を休めるといい」

死神がその大きな鎌を振り下ろすと全てが闇に閉ざされた。




「ルシフェル、おまえがやったんだろ」

「さあな。ただよ、人の為になら自分の命を差し出そうなんて純粋な魂はマズイんだよ。やっぱり適度に欲望のサシが入ってないとよ」

「あまりやり過ぎるなよ」


闇に閉ざされて全てが消え去る一瞬、そんな会話が聞こえた気がした。




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