満月 欠けることなき月
八月になりました。私は毎日図書館に通っています。あの方、じゃなくて、伊吹くんに会うためです。最近、いろいろ分かったことがあります。きっと伊吹くんはあの方なのでしょう。でも、それは魂の話で、その他諸々はあの方でも何でもない、御門伊吹という人なのでしょう。あまりに違うことが多すぎるので。
ならば、もう彼に用はないのです。私が会いたかったのは、伊吹くんではなく、あの方なのだから。爺様と婆様が誰かは、もう見当がついています。今回は本当に運が良かった。会いたかった人たちの魂に会えました。
これで私が月へ帰れば、問題はないのです。でもなぜか、まだこの星に残っていたい。伊吹くんのことが気になって仕方がないのです。さらに、あの方の記憶が薄れつつあります。その空いたところが、伊吹くんとの思い出が埋まっていきます。私は、自分の気持ちが分からなくなってしまいました。
「ねぇ、伊吹くん。今度の夏祭りさ」
「俺、人ごみ苦手」
「えっと……、で、でもさ案内というか、何というか、いろいろ教えてほしいなぁって……。実は、そういう夏祭りなんてものは初めてで。伊吹くんと一緒に行きたいなって……、ダメかな?」
「……仕方なく行くんだからな」
伊吹くんはツンデレだと思います。だって、帰りは途中まで送ってくれたり、さりげなく車道側を歩いてくれたり、この前のお茶の件とか、あと最近は慣れてきたのか私にも毒舌になったし、でもそのなかでもチラチラ分かる優しさとか、もう私を殺すつもりか! と思います。
伊吹くんがオッケーしてくれたのが嬉しくて、アパートの大家さんに話してしまいました。すると、今日、もう出かけようとした時、大家さんと大家さんの娘さんに捕まって、あれよあれよという間に浴衣に着替えさせられました。だから、今は慣れない下駄で走っています。完全に遅刻です。
「遅い。って……浴衣」
「ごめんなさい。本当はもっと早く出ようとしたんだよ。でも大家さんたちに捕まっちゃって、浴衣着せられました」
「……チッ。行くぞ」
伊吹くん怒ってますね。でも手は繋ぐんですね。何だか嬉しくて、ぎゅっと繋いだ手を握る。
「……神楽は小さいし、迷子になりそうだから手を繋いでるんだ。ニヤニヤするな」
ツンデレ最強! 可愛すぎる! 小さいは余計だ!
その後、いろいろ見て遊んで食べて、結構疲れました。実は、伊吹くんもそんなにお祭りに来たことがなくて、こうして家族じゃない人と回るのは初めてなんだそうです! 嬉しすぎる! あと、伊吹くんのことがいろいろ分かりました。
例えば金魚すくいでは、
「伊吹くん! 一匹もすくえないよ!」
「紙無いんだから当たり前じゃない」
「むぅ、そんなに言うなら、伊吹くんがやってみてよ」
「楽勝」
すました顔で、実は結構はしゃいでいること。店のおじさんが半泣きになっていたので、私が止めました。おじさんは五匹くれましたが、伊吹くんはいらないと言って、全部私にくれました。私も飼えないので、大家さんにプレゼントしましょう。
また、綿菓子を食べてる人を眺めていたら、
「はい」
「えっ」
「欲しかったんじゃないの。言っとくけど、半分こだから。足りなければ自分で買えば」
「ううん! ありがとう」
案外私のことを見てること。あと、天然なのか、恥ずかしげもなく、あーんってしてきたり(あーん、とは言わないけど)私の飲みかけのジュース飲んだり。私たちまだ付き合ってないよね? 知らない人が見たら、いや、知ってる人が見ても、付き合ってると思われるよ。伊吹くんなら、別に嫌じゃないけど。でも、ドキドキして心臓に悪いです。
あと、射的では、
「伊吹くん! あのぬいぐるみが欲しいです!」
「自分で取りなよ」
「私には無理です! 今までのことを思い出してみて」
「……分かった」
とても優しくて、とても格好いいこと。一発じゃあ取れなくて、何度も挑戦して十回を越えたぐらいで、誇らしげにぬいぐるみを渡してくれた。嬉しくて、泣きそうになって、思わず抱きついてしまいました。すると伊吹くんは大慌てで、笑ってしまいました。
「伊吹くん、どこに行くの?」
「内緒」
さっきから何度聞いてもこの調子。私は今、伊吹くんに手を引かれながら、祭りの賑わいから遠ざかっています。
「よし、今から俺が良いって言うまで目を閉じてて」
「分かった」
何も見えないまま、伊吹くんの手が私を引っ張ってどこかに連れていきます。不安はありません。伊吹くんの手があるから。しばらく歩くと、伊吹くんが立ち止まりました。
「良いよ。目を開けて」
私たちは大きな竹で出来たドームの中にいました。竹と竹の間から星や月が見えます。
「去年、学校行事で作ったんだ。すごいだろ? どうしても神楽に見せたくて」
「うん。すごいね。私も一緒に作りたかったなぁ」
「光牙なんて、俺は竹取り職人やぁ! とか言いながら竹切ってたし。七瀬は七瀬で、器用だから竹をドーム状にするの上手いし。あの二人を筆頭に最初白けた雰囲気だったクラスがまとまって。神楽がいたらもっと楽しかっただろうな」
しばらく私たちはそこで夜空を眺めていた。伊吹くんは何も言わなかったし、私は何も言えなかった。やっと月へ帰る決心をしたのに、好きになってしまったら、愛してしまったら、帰るに帰られない。私が帰らなければ、いずれ月から迎えが来る。帰ろうとしなければ、最悪の場合、この星は簡単に滅ぼされる。私は、私は……!
「月が綺麗だな」
伊吹くんがぽつりと呟いた。それを聞いて、私は涙を流した。前に七瀬ちゃんに借りた『口説き文句百選~ときめくものからクサイものまで~』という本を読んだ。ほとんどは爆笑しながら見ていたけれど、「月が綺麗ですね」という台詞はいいなと思った。まさか、伊吹くんに言ってもらえるなんて。あ、でも、本当に月が綺麗だと思って言ったんだとしたら、こんな勘違い恥ずかしすぎる!
「……チッ。何か言えよ。人が勇気だして言ったのに」
「えっ、えっ? まさか、伊吹くん、本当に?」
「何? 俺が好きになったら悪い?」
伊吹くんは真っ赤な顔で私を睨み付けると、プイッとあちらを向いてしまった。ヤバい。もう帰れない。私はきっと、あの方よりも伊吹くんが好きだ。
「私、死んでもいいわ」
「ふはっ、二葉亭四迷できたか」
「だ、だって、月が綺麗って言われてオッケーする場合はこう言えって、『口説き文句百選』に書いてあったんだもん!」
「く、『口説き文句百選』って何だよ。なんて本読んでんの」
「わ、私のじゃないよ! 七瀬ちゃんのだもん!」
さっきまでの空気はどこへやら、伊吹くんは「腹痛ぇ」と爆笑。私もつられて大笑い。
「おーい! やっぱりここにおったんか」
「お邪魔虫参上。花火しよう、神楽」
恭牙くんと七瀬ちゃんがやって来た。七瀬ちゃんは手に花火セットを持っている。二人とも浴衣似合うなぁ。伊吹くんの浴衣姿も見たかったなぁ。
「お前ら邪魔だって分かってるなら来るなよ」
「可愛い可愛い我が子がどこぞの馬の骨にたぶらかされてると思うたら、居てもたってもおられんで」
「そうそう。でも、遅かったみたいね」
「何やと? 伊吹、神楽に手ぇ出したんか? 正直に言うてみ、多分怒らんから」
「付き合うことにした」
恭牙くんは多分爺様で、七瀬ちゃんは多分婆様だ。今も昔も二人はとても私を可愛がってくれる。
恭牙くんと伊吹くんがじゃれあっている間、七瀬ちゃんは黙々と花火の用意をし、二人で先に花火を始めた。しばらくして、息を切らした二人が戻って来た。またしばらくすると颯人くんが不良なお友だち(中身はピュア)を連れてきて加わり、その後、クラスの女の子たちとかチャラい男の子たちとか、一杯参加してきた。気がつけば大人数の花火大会になっていた。わいわいとても楽しかった。
私は今日を忘れない。好きな人を守るために私は月へ帰ることを決めた。