時間よ止まれ
2XXX年5月1日の午前0時。空には雲が犇めいていたが雲間からは時折真紅の月が姿を覗かせていた。
この夜、とある国立研究院で世界を変える程の発明が産声を上げることとなる。
その発明とは『時を止める機械』であった。
時間を止める、そんなことが可能なのか。その話を聞いたとき私もそんな疑問を示したし周りの人たちも皆そろって難色を示していた。
しかし、それは本当に実現したのである。確かにこの世は“時間を失った”のだった。
生憎、この件に関して私は全くの門外漢であるから詳しい説明は出来そうに無い。
だから、これより先は一人の狂科学者に語ってもらおう。何せあの機械を作ったのは彼その人なのだから。
〇
やあやあ、ご機嫌麗しく。
今宵は実に良い天候でございますな。暗雲立ち込め血のように紅い月が聳えている。いやあ、この狂った研究にはうってつけだと思いませんかね。
おっと、ご紹介が遅れましたな。私、この国立研究院の第十三研究室の室長でエフ博士と申します。以後、お見知りおきを。
いやあ、それにしても貴方は実に運が良い。何せ歴史的な大発明の目撃者となることが出来るのですからね。
今夜、人類は初めて『時の止まった世界』に足を踏み入れることとなるのです。これは素晴らしいことですぞ、きっと私と貴方は歴史にその名を残すことになるに違いありませんな。
ん、本当に時間を止めることが可能なのか、ですって?
ふう……貴方もあの学会の頑固な老頭児達と同じことを言うのですね。まあ、いいでしょう。人は実現してないことに対しては積極的に否定したがるものですから。
飛行機が出来る前は人が本当に空を飛べるだなんて誰も真剣に信じたりはしなかったわけですし、ましてや天空より上の世界に生きたまま足を運べるなんて考えもしなかったでしょう。
ですが現に今、人は当たり前のように空を飛んでますし、それよりもっと外の宇宙にまで足を踏み入れているのです。そして今は誰もそんなことに疑問なんて持っていやしない。
いつの時代も先駆者というのは異端者扱いされるのです。狂人だと罵られ、夢想家と笑われる。
発明家や研究者がその実績に対して正当な評価を受けるときには既にその人はこの世にいない、なんて云うのはこの業界では常識みたいなもんです。
しかし、今ここにはそんな狂人の幻影と夢想家の夢を実現させる発明があります。
周りを見回して下さい、これがその機械です。この部屋いっぱいに広がった配線が、壁に取り付けられた数々の精密な鋼鉄細工が、時間を止めるための装置なのです。
これが『夢物語』を『科学』へと変える革命爆弾なのですよ。
さあ、では説明しましょう。この狂った機械について。愛しい我が子について。
もっとも、多少難しい話になるかもしれないので噛み砕いて説明するように心掛けはしますが。
さて、まず私は『時間』と『物理空間』の一体性に目を向けたのですな。
つまり物理空間を自在に操ることが出来れば時間を止めることも可能になります。
簡単に言えば『時間を止める』と言うのは『物理法則から脱却』そのものなのです。
たとえばこの私が今持っているコーヒーカップがありますね。私がこの手の力を緩めれば……ほら、カップは床に落ちて割れてしまいました。
カップは重力に従って地面に引き寄せられていったわけですな。また重力以外にも私が手を離したときの微細な振動やこの部屋の空気の揺れなどもカップには影響しているはずでしょう。つまり様々な力がこのカップには働いているわけです。
ですが、もしこのカップをそういった物理的な力から全て解放してやったらどうなると思います?
……そうです、外部からの影響を一切受けないのでカップは一切の動きを止めてこのまま空中に止まり続けることになりますね。
私が作ったこの機械も結局はそれと同じようなことを実現させるのです。
この世の物質を全ての物理法則の因果から解き放ち、その動きを簡単に止める。粒子レベルで動きを固定しますからこれは相当なものですよ。
蛇口を捻れば水が止めどなく流れますが、この機械を使えば水の分子そのものの動きを止めるので水はまるで氷柱のように固まってしまうのです。
だから、これを使えば川の上を歩くことも出来ますし、やろうと思えば雲の上にも乗ることも可能でありましょう。
どうです、素晴らしい発明でしょう。理論は完璧なのです、後は今夜それを実現させるだけ。
まあ、百聞は一見に如かず、ですな。ごちゃごちゃと長ったらしい講釈を聞くよりも実際にこの身で『止まった時間』を体感した方がいい。
さあさ、そこの台の上に立って下さいな。
今から貴方と私だけはこの機械の効果の外に置かなければいけませんからね。何せ粒子レベルで動きが止まりますから、私たちの身体までカチコチに固まってしまいます。
それに私たちの時間が止まってしまったら、『時間が止まった』ってことを誰が証明するんですか。
貴方はこの発明が成功したことの証人になって貰わないといけませんからね。
さあ、それでは準備は良いですか。機械を作動させますよ。
今から私と貴方は歴史的な瞬間の目撃者となるんです。人類として新たな世界に足を踏み入れるのです。
さ、では行きますよ。カウント3・2・1……。
〇
3カウントが終わり、エフ博士の歓喜の叫びとほぼ同時に機械のスイッチが彼の手によって押される。
すると確かに時間は止まった。つまり、この実験は成功したのだ。
ただ、一つ問題がある。
それは一つの死であった。彼らは止まった時間の中で死んでしまったのだ。
機械の不良などではない。むしろ、機械は良好に作動している。流石、天才的な狂科学者がその人生を賭した発明品と言うべきか。
原因は他にあった。
一応、彼らの死因を記しておくが、それは窒息だそうだ。
時を止める機械は確かに正常に機能した。物理法則の因果を断ち切り、粒子レベルで彼ら以外の物質の動きを停止させたのだ。
しかしながら、空気中の酸素分子もこの例に漏れず、空中で動きを止めてしまった。
停止した酸素分子は如何なる物理法則にも縛られないためその場から決して動くことは無い。その場で停止した酸素分子は外部からの干渉を全て遮断する。この時の止まった世界では誰一人としてこの分子を動かすことなど出来はしないのだ。
もちろん、それはたとえ時間停止を受けていない博士たちといえども例外では無い。
博士たちがどれだけ息を吸おうとも酸素を肺に入れることは出来ないし、どれほど手を伸ばそうとも酸素を掴むことは出来なかった。
それどころか空中に固定された気体は流動性を完全に失ってしまい、その動かぬ気体の粒子はそのまま見えない壁となってしまった。
博士たちは息苦しさに喘ぎ、ほとんど身動きの取れないまま命を落としたわけである。
それにしても『優れた科学者が正当な評価を受けるときには既にその人物はこの世にいない』とエフ博士は言ったけれども確かにその通りとなったわけだ。
しかし、亡き博士が死後の栄誉を受けるのは一体いつのことになるのだろうか。
何せ、世界の時間はまだ止まったままなのだから。
おそらく世界が時間を取り戻すのはあの機械が壊れたときなのだろう。だが、それがいつなのかは誰も知らない。
そして“時間を失った世界”でこう言うのは少し変な気もするが、あの機械は“今も”正常に動き続けている。
ふと思いついて勢いに任せて書きましたが、ネタとしては既に有りがちかもしれませんね。
分かりにくい点もあったでしょうし、きっと私の気が付かない矛盾点も掘ればざくざくと出て来ることでしょう。
SFは私には荷が重過ぎたようです。反省。