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最終話:破壊と少年

――登場人物紹介


皇 悠:『織香部』部員、気弱な少年。本編主人公。

ぼさぼさの銀髪、気弱で人見知りな少年。

影の薄い、草食系男子。でも、彼は『破壊の皇帝』というもう一つの人格を持つ。


夜奈月 椿:『織香部』部員、背の高い女子高生。

背の高いポニーテール女子、かわいいものが好き。

悠の『破壊の皇帝』の正体を、知っている。


三野宮 織香:『織香部』顧問、既婚者

東城学園高等部で、数学を教えている。ショートボブで、色白な大人の女性。

完璧主義者で、理論的。授頼先生とは、実は大学の一年後輩。


園川 哲治:『織香部』部長、エロい男子。高三男子。

眼鏡をかけている痩せた男で、常にカメラを首にぶら下げている。

好きなものは、フィギュア。自作フィギュアを作るのが得意。


長峰 あずさ:『織香部』部員、ツンデレ毒舌アイドル。

意外と可愛いロングヘアーと、目立ちたがり屋の大きなリボンが特徴。

千影にとって、あこがれの存在。妹の胡桃と一緒に暮らしている。


広州 伊豆奈:『織香部』部員、子役、小四女子。

赤い髪でカールがかかっている、童顔で無邪気な人気天才子役。

好きな男子ができて、現在つき合っている。


福永 誠:赤いショートヘアで、筋肉質の男。

背は高く、スポーツ万能風な空気を持つ彼は、特殊な人間。


西園寺 轟:大きくて、太った男。

岐阜出身で、おとなし目。彼にはある野望があった。


星ケ崎 彩芽:小さい女子高生、甘えん坊で、甘いものが好き。

夜奈月 椿とは長い親友。実は、あまり頭がよくない。


そこは闇の中、ボクの闇の時間。

ボクの名は皇 悠、中学三年生。明るいはずの教室が、暗かった。

今は授業中、それなのにボクのそばには三人の男がいた。


「なんだよ、その目。生意気なんだよ」

金髪に染めた男は、挑発的な目でボクの髪の毛をつかむ。

ボクの目の前では、先生が関わらないように普通に授業をしていた。

ほこりまみれの黒襟制服は、ボロボロ。

それでもボクは、ただ彼らを見ていることしかできない。


「皇、楽しいか、ああっ?」

「俺たちのクラスは、最高だよな。クズ皇」

周りから聞こえる嘲笑と、前で淡々と進む授業。

温度差がある異様な光景で、ボクはもがき苦しんでいた。


「汚ねえ男だな、皇。くせっ、きったねぇんだよ!」

すると、ボクのことをつかんでいた男が、ボクの顔をためらいもなくに殴った。

ボクの顔が激しくゆがみ、そのまま床にたたきつけられた。


「なんで、ボクがなぐられ……」

「親のいない汚い男、やっべ、さわっちった」

言い放った言葉に、ボクは悲しくなったが、嘆いている時間はない。

ボロボロなボクを助けてくれる場所も、人もいない。


「なんだ、その反抗的な目は?」

「こいつ、クソ以下の価値のくせに抵抗するってのか?」

彼らを見ればボクは、モノのように投げ飛ばされて床にたたきつけられた。

それでも、前の教師は助けてくれない。まるで録音したラジオのように淡々と話す。

こちらの世界とは別世界のように注意もしない、空気のような存在。

それもそのはず、その中年教師も顔にあざができていた。


(ボクはこんな世界、いやだ!)

誰も助けてくれない、何もしてくれない。

周りにいるボクの知り合い、仲間はみんないなくなった。

父親も、親しい教師も、母親も、数少ない友人も。

そして残ったのがボクを嫌う生徒と、ボクを相手にしない教師。


「相変わらず醜いな、皇」

「クソ野郎で、どうしようもないな」

踏みつけられたボクに、つばをつけられた。

ぼろぼろの顔に、さらに二発腹にけりを入れられた、苦しい。


「こいつ、たまに見せる目が生意気なんだよ」

「結局お前はクズなんだよ、ば~か。

どうしようもなく、生きている価値もない本物のクズだ」

馬鹿にされていた、クズ扱いされていた、ボクはもう嫌だった。


(ボクは、なんでこんなところにいるんだろう?)

いつも思う疑問、親も死んでいるので学校に行く必要もないはず、ひっそりとどこかで暮らしていればいいはず。

なのになんで、ボクは生きているんだろう。

なんで、ボクはここに来るんだろう。


そう思ったとき、ボクは教室から闇の中にいた。

「お前は、自ら命を絶てばいいじゃないのか?それができないのか?」

「誰?君は?」

闇の中から聞こえた声。それは強く響いた声、ボクとは違う凛々しい声。


「『破壊の皇帝』、お前の中にいるペルソナだ」

「……随分怖い名前ですね」

「つけた人間が、ただのひねくれ者だ。

名前など、所詮はどんな価値を持つかを認知できればいい」

その声だけで、顔の見えない相手とボクは会話していた。


「お前は、自殺をすればいいんだろ。

生きているのがつらいなら、いつでも逃げられるだろう。

死という世界に永遠に逃げられれば、それでお前は勝者だ。

誰もお前を、追いかけることはできない」

「勇気がないんだ、死ぬ勇気が。どうしようもないクズだよ、ボクは」


苦笑いしたボクは、得体のしれない自分の中のもう一人のものと会話をしていた。

やがて見せる姿は、自信たっぷりな口調とは違いぼくにそっくりだった。

違いと言えば銀髪が跳ねたスパイシーヘアー、赤みのかかった前髪、それと威圧感のある雰囲気。

それ以外は、着ているものまですべて同じ。

皇帝なんて名ばかりだけど、ボクより自信たっぷりで時折笑みを浮かべていた。


「じゃあ、いっそ世界を破壊してみるか?」

「えっ、どうやって?」

「俺様に『破壊』できないものはない、さっそく試してやろう。

手始めに、お前が嫌うコイツらを『破壊』してやろうか。

心臓か?首か?それとも全てか?こいつらだって人間だ、破壊すれは死ぬぞ」

そのおぞましい空気に、ボクはすくんだ。

そんな真っ暗闇に、映されたボクをいじめる男たちの顔。

こいつの言葉は本気だと、自信たっぷりに語られた声にボクは震えていた。


「いや、ボクを殴っている手と足を、破壊してくれ」

「全く、お前は優しすぎるな。わかったよ、手足な」

そういってボクの目の前の『破壊の皇帝』は右手を開いて上にあげた。


次の瞬間、激しくバリンッ、とガラスの割れる音がした。

それと同時に、ボクは現実に戻った。戻って目撃した姿に、ボクは声を失った。

あちこちから聞こえる、男どもの阿鼻叫喚。

怯え、震え、驚きといった感情が混じった声が聞こえてきた。


「な、なんじゃこりゃ!俺の手足が、ない!」

ボクを殴っていた男たちの手足は、本当になくなった。

床に這いつくばったボクは、恐る恐る立ち上がった。

男たちの胴体だけが、手足のないマネキンのように床に転がっていた。

鋭利な刃物で切られ跡もなく、ただ手と足の先端が、初めからなかったもののようになくなっていた。


「はははっ、そうだ、そうだ」

なんだかボクは、嬉しくなっていた。

唯一の中年教師は、明らかに驚いた顔を見せていた。

やや体が、小刻みに震える。


「な、何事じゃ?」

「俺の名は、『破壊の皇帝』。そして、ボクの名は皇 悠。世界を破壊するもの」

ボクの半身は、銀髪の男『破壊の皇帝』という男の顔が一瞬だけ映った。

転がる生徒の一人を踏みつけたボクは、高笑いをしていた。


「お前も、こうして、こうしてやる!ボクにやったように」

ボクは、動けないいじめっ子にけりを入れた。

反撃は、遅くまで続いた。それは今までの恨みを晴らすかのように。

こうしてボクは、世界を変える力を手に入れた。



その日は、夕方から雨が降っていた。

夜に、家に帰った。ボクの家は、古ぼけた築三十年以上のアパート。

壁のところどころにシミやひびがあり、一見廃墟のようにも見えるアパート。

何か月分もの家賃滞納のチラシが突っ込まれていて、電気もガスも水道も止められていた。でも、ボクはただ唯一払い続けている義務教育の中学に通っていた。


ボクは仕返ししている間も、ただむなしさしかなかった。

(あんなことをして、なんのためになるのだろう。

結局、ボクはどうしようもない世界にいるのに)

手足のない無抵抗のいじめっ子に、ボクからの仕返し。

いじめを黙ってみている、空気のように干渉を嫌う中年教師。

ボクは、今までいじめられた分、殴る蹴るを繰り返していた。


でも、すぐに飽きてしまう。ただ、(むな)しかった。

不意に与えられた圧倒的な力、その使い方が分からない。

いわば、赤ん坊にパソコンを与えるようなものだ。


「何の役にも立たない、生きていくのには……」

ワンルームの部屋、ぼろい廃墟のような部屋。

(ふすま)から見えるのが、ハエがたかる一体の人の形をしたもの。

いや、それは人というよりミイラ化していた。壁に、もたれかかりうなだれていた。

ボクは、そのミイラのそばに蹴り跡のついた学ランのまま立っていた。


「帰ってきたよ、父さん」

半年前にひっそりと亡くなった、父。ボクが見つけたときは、もう死んでいた。

彼はもともと優秀ら商社マンだったし、奥さんもいた。

でも離婚して、そこからおかしくなった。


中学に上がるころ、父の勤めた会社がなくなった。

無職の父は働く気も失せ、酒とギャンブルに明け暮れた

気に食わないと、すぐボクに暴力をふるうので、僕自身父にいい思い出がない。

酒とショックから父は、そのまま病をこじらせてしまう。

お金がないので、治療費もないボクの家。


それでも父は、最後まで生活支援を拒み続け、医療も薬も受けることなくそのままここで亡くなった。

半年前に亡くなった父を、結局埋葬するお金もないまま現在もここに放置していた。

この家の守り神のように、ボクの行く末を見守るかのようにただ座っていた。


「さあ、次は何を『破壊』する?」

唐突に闇が広がり、ボクの目の前に再びあの『破壊の皇帝』が現れた。

「ボクは、これからもずっと一人なんですか?」

「当り前だ、お前に近づくものは俺が破壊する。

俺の快楽は、『破壊』だからな。今まで漠然と、『破壊』というものが見えなかったが、ようやく見えるようになっただけ」

やっぱり危ない、怖い力、それが『破壊』。

ボクはその言葉に怖くて、震えが止まらない。

それを見た『破壊の皇帝』は、嬉しそうな顔をしていた。


「別にいいだろ、お前に近づくヤツはお前をみんな嫌っている。

お前を殴る、蹴る、馬鹿にするカスどもだ」

「そうだね、そうだよ……」

「ならば、何をしても構わぬ。お前に対し、みなにそうされてきたように。

世界には、『復讐』という言葉がある。

それでも、お前がこの生活を、この世界を嫌いなら、俺の力で、お前の心臓だって破壊してやる」

「そうか、そうだね」

ボクは、ずっと覚悟を決めていた。

できない勇気を、ボクはおびえながら暮らすのは嫌だった。


父は死ぬ間際に、唯一残した言葉がある。

雨降る夜に、うつろな顔で酒を最後に飲んでいた父は、

「悠、何をしてもお前は構わねぇが、誰にも迷惑をかける人間にはなるなよ」と。

その父のポリシー、プライド。ボクは、飲んだくれのダメ父から唯一教わった言葉。


何度、屋上から下を見ただろう。

結局、恐怖に打ち勝てず、飛び降りることができない。

何度、木に縄を巻きつけ輪を作っただろうか。

そこに、ただ恐怖があって輪に入れない自分。

首をつるせば終わりなのに、飛び降りれば、この苦しみから解放されるのに。

でも、彼ならできる。誰にも迷惑をかけずに、この生という地獄から抜け出せる。

ボクは彼に語りかけようとしたその時、闇を切り裂くような声がした。


「いけませんわ!」

全く聞き覚えのない女性の声がした。

そして、ボクの周りの闇が晴れて広がる四畳半の部屋。

ボクの目の前にいた『破壊の皇帝』も、闇と同時に姿を消していた。

代わりにボクの家にいきなり現れたのが、一人の大人の女性。

見知らぬ顔、きれいで凛々しい顔立ち。

髪を後ろにまとめた女性は、紺のスーツを着ていてボクをまっすぐに見ていた。


「あなたは、皇 悠君ですわね?」

「えっ、はい。あなたは……」

「この家、鍵がかかっておりませんわ、不用心ですの。

大事なものは、ちゃんと鍵をかけておいてくださいな。

そうしないと、わずかな大事なものも、あなたの手からすり抜けるように失ってしまいますわ」

紺のスーツを着た大人の女性は、ドアのほうを指さして微笑んでいた。

美人な大人の色気ある女性の微笑み、ボクは顔を赤らめていた。


「あの……あなたは……」

「申し遅れましたわ、初めまして三野宮 織香と申しますの。

東城学園で、数学教師をしておりますわ」

「東城学園の、数学教師?」

さらに聞き覚えのない単語が出てきた、かまわず三野宮先生は続けていく。


「わたくしのことは『織香先生』と呼んでくださいな。

ただ、オリッチと呼んではいけませんわ」

「は、はあ」

「皇君、あなたの中にいる『破壊の皇帝』はどうですの?悪さしていませんか?」

「ちっ、そういうことか」

ボクの中から、ボクじゃなく悪態をつく声がした。もちろん、もう一人の彼の声で。


「しばらく、体を借りるぞ」

そのままボクは『破壊の皇帝』は、ボクの体を乗っ取った。

一気にボクの髪が跳ねて、目が赤くなる。

見下すような(さげす)んだ目で、数学教師の織香先生を見ていた。


「なんの用だ、東城の先こうが」

「まあ、汚いお言葉ですの。教師として、あなたに言葉づかいを指導しますわ」

「そいつは結構、さっさと本題を言え」

ボクの体を使い、『破壊の皇帝』は強気な声で威圧し、織香先生を睨みつけていた。

それでも織香先生は、背筋よく立ったままボクの顔を見ていた。

ちょっと悲しげな顔で、ボクを哀れむかのように。


「『破壊の皇帝』、あなたに用はありませんわ、皇君に用がありますの」

「皇 悠は、お前と話を……」

「皇君。あなたは、こんなところでひっそりと消えるべきではありませんわ。

今、ここで命を絶つことを、あなたのお父様は喜ぶのでしょうか?」

その言葉は、織香先生が表の『破壊の皇帝』に言ったんじゃなく、中にいるボクに語りかけるもの。ミイラの父は、反応を示さない。

腐敗しきり肌がボロボロの顔は、ただうつむいていた。


(この人とは、もう少し話したい。なんだかボクを、理解してくれるような気がする)

ボクは、念じると『破壊の皇帝』からいつの間にか自分の体を取り戻していた。

髪が元の跳ねない髪に戻り、目の色が黒くなっていた。覗かせる顔は、気弱なボクに。


「どういう……ことですか?」

「皇君、お願いがありますの。『破壊の皇帝』ではない、あなたへのお願い」

「な、なんですか?」

「東城学園に来て、私たちの聖戦(ジ・ハード)に加わってもらえますか?」

その言葉に、ボクは耳を疑った。

いきなり出てきた知らない単語に、ボクはどこか懐かしさを覚えた。


「そして、あなたは東城に来るべきですわ。

あなたは今、わたくしに必要とされているのですわ。

人は、必要とされることに生きがいを感じますわ。

生きがいこそが、世界を変えますの」

織香先生の言葉に、ボクは考えていた。


(必要とされている、このクズな、生きる価値もなく、死ぬ勇気もないこのボクが?)

そんな抑え込まれた『破壊の皇帝』は口惜しく、今のボクを見ていることだろう。

その言葉に、ボクは下を向いたまま目だけを織香先生に向けた。


「いいですよ、こんなボクでよければ」

考えたら、ボクには何もないんだから。

親も、家も、食べ物も、服も、なにもないんだから。

失うものは、ボクの命だけ。それすらもためらうボクは、本物の弱虫だ、クズだ。

ならば、行こう。この力があれば、いつでも命を絶てるのだから。

『最後の破壊』は、いつでもできるのだから。




中三のボクは、初めて高校にやってきていた。

秋晴れの高校のグラウンドを、織香先生と歩く。

聖戦(ジ・ハード)と聞いて、いろんなものを想像していた。

学校テロリスト、武器を持って生徒同士の殺し合い。

でも、そこはなんともまあ平和的だった。唯一ボロボロの(これでも一番きれいな)中学の制服を着ていたボクだが、歩くだけで注目を集めてしまう。


「体育祭?」

少し離れたところにある体育祭のゲートを見て、ボクは首をひねった。

周りには体操服姿の男女が、歩き回っていた。

「そうですわ、体育祭のスコアこそ、聖戦(ジ・ハード)での勝者と敗者を決めるもの」

織香先生と歩いてたどり着いたスコアボードを見て、彼女は頷いていた。

スコアボード前には、多くの人が集まって注目していた。

現在、赤組と青組が九三十対九四十。

わずか十点差という僅差で、青組リードと表示されたスコアボード。


「あの、ボクは何をするんですか?」

「『破壊』か、待ってたぜ。さて、どいつだ?全部やるか?」

ボクの中で、『破壊の皇帝』の声が聞こえた。幸い彼は、まだ姿を現さないでいる。

どうやら彼はボクが抑えようと思えれば抑えられる、体を乗っ取られることはない。


「『破壊』、って殺人ですか?」

「そんなことはしませんわ。

この聖戦(ジ・ハード)には東城学園独自の規定がありますもの。

殺人は禁止、人の命を奪うことはあくまで犯罪行為ですわ」

さらには、直接相手に『アビ』を使うことは禁止事項ですの」

「『アビ』というのは?」

「簡単な話、特殊能力ですわ。あなたの行う『破壊』も『アビ』ですの。

好きや、得意、または熱中した事柄が、一般的な人間の限界を超えて使える特別な力、それが『アビ』ですわ」

その言葉を聞いて、ボクは二つの矛盾があった。


「でも、ボクは破壊なんて……好きでも、得意でも、熱中も……」

「皇君には、潜在的なものがあるのかもしれませんわ。

あなたの『アビ』は、わたくしが見たことない特別な人ですもの」

「それと、『アビ』を使うのは禁止では……」

「その通りですわ!」

織香先生が、一本指を立てて顔を近づけてきた。

大人の甘い、いい匂いがする。ボクはどきっとしてしまう。


「だからこそ、あなたの『破壊』という間接的な『アビ』を使いますの。

さて、ではここで問題ですわ」

織香先生は、紺のスーツの内ポケットからなぜか出てきたのが、小さなフラスコ。

中には透明の液体。下のほうに、沈殿する白い粉が見えた。


「食塩水から、酸素を抜き取ると何が残るでしょうか?」

「え~、えと……」

「ちっちっちっ、ブーですわ。中学二年生の化学の問題ですわ。

皇君は、ちゃんと勉強をやっているのですの?」

「ご、ごめんなさい」

そんなボクは、おびえるように謝った。

織香先生は、一つ咳払いをしてボクの謝る顔を見ていた。


「正解は、水素とナトリウムですの。燃焼の基本ですわ。

人間の汗は食塩水、塩分と水分で構成されていますわ。

固体のナトリウムは、布に残りますわ。

なのであなたには、ナトリウムと酸素を破壊してもらいますの」

「すると、どうなるんですか?」

「残ったのは水素のみ。

酸素をいきなり非科学的に失った水素は、単一で熱を帯びた空気に触れると……」

「触れると?」

すると、織香先生がボクの目の前に右手こぶしを持って握って見せてきた。


「バン!」

拳を開いて、ボクは驚いてしまう。

あまり迫力はないのに、ボクは腰を抜かし、その場にへたれこんでしまう。

「わっ!」

「つまり、爆発しますわ。わずかな汗でも、その爆発の力は大きなガラスのフラスコを飛ばす勢いがありますもの。俗にいう水素爆弾の原理ですわ、まあ恐ろしいですの」

「爆発させるんですか……やはり、物騒ですね」

「ですがその爆発も彼だけを、足止めさえすればよろしいのですわ」

織香先生は何となく余裕の笑みを浮かべて、一人の人物を指さした。


「次のリレー、彼が出ますわ。ターゲットは福永君、青組の彼ですの」

その人物は、赤い髪で青い鉢巻の男子生徒、一見ちょっと大きく顔立ちのいい凛々しい男子。

「彼は、何者ですか?」

「我が赤組のライバルで、青組のアンカーエース、福永 誠。

彼は、普通の人間ではありませんの」

織香先生の言葉に、含みがあった。苦めしい顔を見せていた。


「普通じゃない?」

「彼は人間を超越した、悪魔ですの」

「あ、悪魔って……」

真っ先に、黒い体に羽の生えた人間ぽくないトカゲのような生き物を、ボクは思い浮かべた。でも、羽もなければ黒くもない、ごくごく普通の日本人男子。

しいて言えば赤い髪の毛と、顔立ちがいいことぐらい。


「悪魔もいろいろあって、彼は人間でありながら人としての道を捨て悪魔と契約した『半悪魔』ですの。

抜群の運動神経、アビを超えた魔法のような力、なにより一番すごいのは……」

「えっ?なんですか」

「彼は死にません。心臓が動いていませんから」

織香先生の言葉に、ボクはただ驚くだけ。

真偽は定かではないものの、確かに言われてみると人とちょっと違う空気を出していた。いじめっ子のような空気で、威圧するような嫌な空気。


「だから彼に、水素爆弾をぶつけても平気ですの。

とにかく次のリレー、絶対勝たないといけませんわ!

そうしなければ、わたくしの大事な娘が、奪われてしまうのですの!」

織香先生は、ボクに訴えるような顔で見てきた。

ボクはただならぬ彼女の気迫におされていた。


織香先生と歩いたボクは、テントにたどり着いた。赤組用のテントに入った織香先生は、一目散に黒いベビーカーへと駆け寄った。

そこには、一人の赤ん坊がかわいく眠っていた。

織香先生に遅れてたどり着いたボクは、その赤ん坊の顔を見た瞬間、なんだか不思議な感覚になった。


(あれ、おかしいな。ボク、この赤ん坊を……知っている)

その赤ん坊は、ピンクのちじれ髪で愛らしい寝顔をしていた。

黒系のベビー服に、大きなほっぺ。

赤ん坊としては髪以外あまり珍しいものではないけど、懐かしいというそんな気がしてならなかった。

聖戦(ジ・ハード)は、プリカ様を守る戦いですの」


「これより、東城学園体育祭、最後の種目に入ります。

最後は、『男女混合リレー』です!」

体育祭の運営委員の生徒のアナウンスで、テントの後ろの生徒たちが歓声を上げた。

ボクが赤ん坊を見ていると、織香先生が隣にやってきた。

聖戦(ジ・ハード)は、絶対に負けられませんわ。あなたの力が必要ですの」

それから間もなくして、赤と青組の代表の生徒、二人の女子がスタートラインに立つ。




赤と青のリレー、最後の種目ということですごい熱気に包まれたグラウンド。

高校の体育祭で、ボクは初めて見る光景に食い入るように見ていた。

もう間もなくやってくる役目に、ボクは顔をこわばらせていた。

「緊張しているのか?」

そんな刹那、闇が広がりすぐボクは、『破壊の皇帝』が声をかけてきた。


「本当にこんなことをして、いいのかな」

「やるのは俺だ、お前じゃない。人間というものは酷いものだな。

力があるとわかれば近づいてきて利用する、なければずっとお前はずっと孤独。

見向きも、相手にもされない。結局、あの織香という女は俺が目的なんだよ」

ボクは『破壊の皇帝』の言葉に、胸が痛い。

きれいな言葉を並べて誘った織香先生は、ボクじゃなく『破壊の皇帝』をアテにしているんだから。


「やるぞ、時間は待ってくれない」

再び、現実。グラウンドでは、リレーの熱戦が続いていた。

赤と青の拮抗したレースは進み、そして次はアンカー。

ターゲットのあの男、福永がスタートラインに向かう。

その福永に対して、黄色い声援が飛び交った。


「彼にバトンが渡るときが、勝負ですの」

テントの中からボクに指示を出してきた織香先生。指をさした福永をボクは見ていた。

「やるか。こいつの存在を、守ってやらないとな」

ボクは、そして彼に体をゆだねた。

そこは『破壊の皇帝』の戦場、ボクの出る幕ではない。

そして、福永ともう一人の男子がバトンを待つ。

彼の背後から、赤と青の鉢巻をつけた女子が二人、走って来た。

ほぼ横一線のリレー、間もなくバトンが渡る瞬間。彼は動いた。


「『破壊』、酸素とナトリウム」

織香先生の言うとおり、『破壊の皇帝』は、福永のはちまきを狙って『破壊』を行った。

だが、福永の目が一瞬ボクとはっきり合う。

(えっ?)

その瞬間、ボクは身震いした。その福永は、バトンを受ける手を、素早く頭のほうに持っていく。

伸びた左手で、彼は躊躇(ちゅうちょ)なくはちまきを投げた。


後ろに投げたはちまきは、背後の赤いはちまきの女子に向かって飛んでいた。

そのはちまきから間もなく酸素が抜け、水素が空気と混じり合う。

そして、織香先生の理論通り、爆発した。

わずか、一瞬のことだった。大きな爆発音が、グラウンドに響く。

そしてその爆発は、後ろを走った女子を巻き込んでいた。


「なんだ、一体」

「何が、どうなっているんだ?」

巻き込まれた女子は、爆音と立ち込める黒い煙。

やがて晴れた煙の中、そこには巻き込まれた女子が横になって倒れていた。

息絶え絶えの少女の顔を見て、ボクは顔を青ざめていた。




依頼を終えたボクは、織香先生を待っていることにした。

誰もいない静かな教室、窓から眺めるグラウンド。

人がいて、警察の姿が見えた。もちろん、あの事件の見聞をしていた。

そんな窓から、こけしの置いてある棚を通り過ぎ、ボクは空いている机に座った。


「この現象は、非科学的なことですわ。

ですので、あなたに何のリスクもありませんの、心配いりませんわ。

あなたが、犯人になる確率は百パーセントありませんわ。

いざとなれば、わたくしが責任をとりますの」

織香先生が言う、グラウンドの実況見分が行われ終わる頃。

ボクは、あの場所に帰らなければならなかった。

中学生、受験生のボクは、ここにいてはいけない。


「不安か?」

不意に目の前がまっくらになり、例のごとく現れた『破壊の皇帝』。

ボクは、どうしても気になっていた。

狙うべき相手を仕損じて、巻き込まれた少女。

水素爆発に巻き込まれ、いまだに起き上らない少女。

体操服の少女は、頭から血を流し、すすけた黒い顔で意識を失っていた。

遠巻きに、それが見えた。


「ボクは、なにか取り返しのつかないことをしたのではないか。

そもそも、ターゲットにする福永にすら、ボクはなんの興味も憎しみもない」

「俺は楽しかったぜ、俺様の能力に間違いはないということで」

「本当に君は、壊すのが好きだね」

悪そうに笑うほぼボクと同じ姿の『破壊の皇帝』に、ボクは半ばあきれていた。


「少女は死んじゃうのかな?ボクのせいで」

「まあ、それは仕方ない。世界が決めた、運命だからな。それとも、助けたいのか?」

「世界は……残酷だね……」

『破壊の皇帝』にボクは、悲しくなる顔を見せるのが精いっぱいの抵抗だった。


「それより、お前に客がいるぞ」

そして、ボクの周りの闇が晴れると、そこには赤い髪の男性が立っていた。

緑色のブレザーを着て、ズボンのポケットに手を突っ込み、顔立ちのしっかりした男。

その黒い目は、忘れられない強烈なインパクトを放つ。


「見慣れない顔だな、お前か?もしかして、あの『アビ』を使ったのは?」

そこには、間違いなくあの福永の姿があった。

いかにも好意的な感情ではなく、敵対的にとれる彼の雰囲気。

突然姿を現し、ボクはおののいた。冷たい目で、彼はボクを観察するように見ていた。

「な、なんですか?」

「違うか?いや、なんだこいつは?」

彼は、乱暴にボクの頭をつかんできた。

ボクは、いじめられたいつもの日常がシンクロした。


「えっ……」

「じっとしてもらおう、すぐ終わる」

張りつめるような威圧感を放ち、彼はボクの頭をつかんだまま立っていた。

わしづかみされた頭から、ボクは彼の顔を逆に見返すことができない。

ただ、ボクは怯えるしかなかった。


「なるほど、やっぱりお前か」

「え、なんで、ボクのことが……」

「俺に、わからないことはない。だが、お前には礼を言わねばならないな」

ボクは何のことかわからない。そのあと、誠は手をボクの頭から離して目を向けた。


「あいつを、天照 小百合を、殺してくれてありがとう」

「殺して……違う!」

「あいつは死んだ、お前の手で殺した。それが現実」

「なんで、そんなことを?」

「分からないのか?生身の人間が、あの水素爆弾を頭に受けて、生きられる人間(ヤツ)がいるか?頭が消し飛ばなかったことは、幸いだ。

でも脳はぐちゃぐちゃ。ショック症状をおこし、人間的機能はマヒ。

仮に生き返ったとしても、ヤツは植物人間。

よって小百合(あいつ)は死んだ、ありがとう。お前の手で殺してくれて」


違う、と言おうとしたが、ボクの声が恐怖と悔しさでかすれた。

恐怖と不安、罪と苦悩を背負ったボクはショックで震えていた。そんなボクを、うれしそうに眺める福永。

「お前には、織香のところ『GROO(グロー)』はふさわしくない。

どうだ、俺と一緒に『MOBA(モバ)』来ないか?」

「えっ……ボクは……」

「断らせてもらおう、彼はどちらの人間でもない!」


すると、教壇そばの棚に置いてあるこけしが、いきなりしゃべりだした。

女の顔をしたこけしから、男の声がした。

「園川 哲治か、織香の犬め」

「織香先生から言われてきたが、ここに現れたとはな、福永!」

次は、こけしはしゃべらなかった。

ボクの背中から聞こえた声、福永はドアのあたりを鋭い目つきで見ていた。

でも、余裕の顔を見せていた。


一人は赤いショートカールの髪型で、小学生の女の子。ランドセルを背負っていた。

もう一人は、眼鏡をかけたボクと同じぐらいの年の男。紺のブレザーを着ていた。


「追ってきたようだな」

「警察の間をすり抜けるとは、たちの悪いことをする。福永 誠容疑者。

お前は、すでに犯人なんだよ」

眼鏡をかけた園川君は、福永と向き合っていた。

夕日が傾く教室、赤い光が入り込んで作られた四つの影。

そんなボクのそばには、小学生ぐらいの女の子がやってきた。

心配した顔を見せ、ボクを見てきた。

ボクは何がなんだかよくわからない、ただ立ち尽くしていた。


「心配しなくていいよ、伊豆奈が何とかしてあげるね、おにいちゃん」

ピンクのワンピースを着た女の子は、無邪気な笑顔を見せた。

彼女の笑顔には、なんだか不安がかき消されて心が落ち着いていく。

何より、かわいいその女の子の笑顔が、けなげにさえ見えて心が和んだ。


「逃げることはしない。ただ俺は、こいつに興味があったから会いに来ただけだ」

「お前には少年院が似合う、犯人として」

すると園川君の言葉を聞いた福永は、下を向いて黙ったまま歩きだした。

机に座るボクのそばにすれ違う福永の足音だけが、夕ぐれの教室に響く。

ボクの近くに来た小学生の女の子は、睨むような顔を見せてボクのことを、小さな両手を広げてかばっていた。


あの女(織香)は、決してお前の欲望を叶えてはくれない。

俺たちのほうが、今のお前に限りなく近い」

その一言を言った後、彼は眼鏡男子のいる方に歩いていた。

彼に付き添われて、二人は教室から出て行った。

彼の足音が鳴り響く中、ボクは言われた言葉を考えていた。




あれから三か月、秋から冬になったこの時期。

ボクは、やっぱり同じ東城学園の教室にいた。

再びボクは東城学園の門をくぐった、この日は編入試験の日。

織香先生に勧められるまま、ボクは東城学園に入試をすることにした。


(結局、ボクには居場所はない)

あの少女は、やっぱり死んだ。

ボクは目の前で死を目撃して、いやボクの手で殺してしまい、それを自供することもできず、立証することもかなわず、ただ生きていた。

いつも通り、あのアパートと義務教育という名の監獄で。

犯人が捕まったから、東城学園の体育祭事件は、すでに過去のものになった三か月後。


あの事件をきっかけに、ボクは死に対してさらに臆病になっていた。

嫌いな世界、食べていくのも、生きていくのも、さらに地獄のような世界。

ボクをいじめる奴は、次から次へと現れていた。ボクを馬鹿にし、殴り、けなす。

学校そのものが、ボクの敵にさえ感じてしまう。ボクは、この世界に必要ない存在。

それでも、ボクはあの事件以降、『破壊の皇帝』を使わない、そう心に決めていた。

『アビ』と言われるこの能力は、関係ない人を不幸にする。危険で、怖いもの。


そんな僕は、ボロボロの制服のまま着て試験を受けていた。

筆記試験を受け終え、次は面接。

全国的に有名なこの学校の試験、難しい。何点取れているのかすごく不安。

東城学園は、もともと偏差値も高く、難関な私立学校という話も納得できた。

ボクは、問題がほとんどわからなかった。

そんなボクは、気落ちしている暇もなくもう一つの試験である面接を受けに、この教室に来ていた。


「失礼します」

中に入ると、ボクの前に椅子が置いてあった。

中央の机には一人の女性、ボクが知っているあの女性がいた。

「織香先生!」

「お久しぶりですわ、皇君。わたくしは、今日は試験官ですので、よろしくですの」

久しぶりに紺のスーツを着た織香先生は、にこやかな顔でボクを迎え入れた。

ボクは、目の前の空いている椅子に座った。

それと同時に車いすが、押される音が聞こえた。

そのあと、ボクの席のそばに車いすがやってきた。


「はい、よろしくおねがいします」

ボクの隣には車いすの少女、紫色の髪の少女は、可憐な声で澄んだ目をしていた。

車いすで華奢(きゃしゃ)な体の割には、なぜか大きな胸、かわいらしい声と顔、髪の毛以外はかわいい部類の少女は、織香先生のほうを向いていた。


そんな織香先生は、なぜか両手にあの赤ん坊を抱きかかえていた。

テントで見かけたあの赤ん坊、その赤ん坊が指をくわえてこっちのほうを見ていた。

「プリカですか?」

「プリカ様、ちゃんと覚えてくださいな」

しかし、織香先生の抱きかかえられたプリカ様は、ボクではなくもう一人の少女を凝視していた。少女からも、やはりいい匂いが漂う。

この世界は、不思議だ。なぜ女性はボクと違ういい匂いなのだろう。


「では、改めまして。面接として自己紹介お願いしますわ。まずはそちらの方」

抱きかかえたプリカ様を、隣になぜかおいてあったベビーカーに座らせた。

真剣な顔つきに変わった織香先生は、ペンを片手にボクたちのほうを見ていた。

織香先生に刺されて、ボクは思わず背中をビクつかせて立ち上がった。


「はいっ、ボクは皇 悠といいます。中学は帰宅部で、引っ込み思案です。

あと、しゃべるのが苦手で、特技は、なくて……」

「皇君、答えがネガティブすぎますわ。

まあ、皇君はちゃんと言うことを聞いてくれることが、わたくしは思いますの。

そういった長所を、ちゃんとお話になったほうがよろしいのですの」

織香先生の正しい指摘に、ボクはただうなだれるだけだった。

座って、肩身を狭くして、やっぱり体が震えた。


「……ごめんなさい」

「では次は笹川さん、車いすのままでお願いしますわ」

「はい」

かわいい声、ボクはどきっとしてしまう。彼女は、深々と一礼した。


純粋なきれいな瞳で織香先生を映した彼女は、両手を広げていた。

「笹川 千影と申します、勉強は大好きです。特に国語と音楽が大好きです。

東城学園は、私のような障害者でも勉強しやすい環境があるのが志望動機です。

あと、あこがれている方が東城学園で頑張っています。よろしくおねがいします」

「はい、よろしくお願いしますわ」

笹川さんは、優等生の風格で最後にまた深々と頭を下げていた。

ボクは、なんだか自分にさらに自信が持てなくなっていた。


「当試験は、お二人の適性を確認しますの。では、まず笹川さんからいきますわ」

「はい、わかりました」

織香先生は立ち上がり、そばのベビーカーからプリカ様を抱きかかえた。

そのまま、彼女のほうに歩いていく。

やっぱりプリカ様は、笹川さんをじーっと見ていた。


「笹川さんには、このプリカ様をあやしてもらいますの。

名付けて『母性適性試験』ですの」

「にゅ~?」

「はい、わかりました」

『母性適性試験』って、変な試験。まるで保育園の保母さんを決める試験みたい。

そういいながら織香先生から笹川さんは、両手で優しくプリカ様を抱きかかえた。


「よしよし、かわいいのです」

そんな疑問に、一切問題視することなく笹川さんは、プリカ様の頭をなでてあげた。

すると、プリカ様は嬉しそうな顔を見せて笹川さんの、胸にしがみついた。

よく見ると笹川さんの胸、かなり大きいな。

ちょっと、プリカ様がうらやましかったりする。


「にゅ」

「笹川さん、プリカ様をしばらくよろしくですの」

「ええ、わかりました」

笹川さんは、やはり保母さんのようにプリカ様をあやし続けていた。

そのまま織香先生は、やや険しい顔に変わってボクのほうを見ていた。


「さあ、皇君。次はあなたの番ですの」

「えっ、ボクもプリカ様ですか?」

ボクは、なぜか自分の胸を見てしまう。

もちろん笹川さんのような、立派なおっぱいはない。


「違いますわ、プリカ様は男がだっこをすると泣いて、暴れて、大暴走ですわ。

それより、彼はどうですの?」

織香先生の言葉、ボクはよくわからない。抽象的な言葉に、最初戸惑った。


「彼ですわ、あなたの中にいる彼」

「彼、ですか。最近は、彼の力に頼らずに暮らしています。

あんな力、ボクには怖くて使えません」

「では、質問です。中学時代、あなたは何か熱中できたこととかありますの?」

「熱中ですか、……とくには」

「好きな食べ物は?」

「ありません」

面接試験らしく織香先生は、ボクへの質問を次々としていく。


「では、これが最後です。あなたは、この世界が好きですか?」

いろんな質問の中で、この質問だけが漠然としていた。

何を言っているんだろう、ボクには分からない。

「えと、嫌い……です」

ボクの言葉を聞いて、織香先生は深くため息をついた。

隣で赤ちゃんをあやす笹川さんと、あまりにも対照的で異様な面接の風景。


「あなたは、世界を好きにならなければいけませんわ。

これは、あなたの世界ですから」

「どういうことですか?」

「決めましたわ、あなたは合格ですの。

春からあなたは東城学園の生徒です。喜んでくださいな」

織香先生が、にこやかな顔を見せていた。

ボクはいきなりの合格宣言に、どちらかというと戸惑っていた。


「いいのですか?……ボクが合格で?」

「ただし、皇君」

「はい、なんですか?」

「あなたは、わたくしの『織香部』に入ってもらいますわ。よろしいですわね?」

織香先生の優しそうなショートボブの髪から突如、謎のあほ毛が出現。

ミミズのように現れたその毛に、ボクはびっくりして椅子ごと倒れそうになった。


「よろしいですの?」

「は、はい……」

「『織香部』は、難しいことはしませんわ」

にこやかな顔を見せ、織香先生は笹川さんからプリカ様を抱きかかえていた。

そのプリカ様は、織香先生のゆらゆら揺れ動くあほ毛に気になっていたのか、小さい手を一生懸命伸ばしていた。


「具体的には、プリカ様のお世話と、わたくしの雑用ですわ。それともう一つ」

「もう一つ?」

「皇君、あなたの世界を、変える部活ですの」

織香先生は、優しく微笑んでプリカ様を抱きかかえた。そのプリカ様は、満足そうな顔を見せていた。いつの間にか、プリカ様は笹川さんのブラジャーと思える黒いブラジャーを頭にかぶっていた。




あの面接からさらに半年、一年生のボクは東城学園高等部に入学していた。

そして、あの面接で言われた通りに『織香部』という部活に入っていた。

部室の数学準備室で、ボクの周りには何人もの部員がいた。

テーブルをくっつけて、みんな資料を眺めていた。


「星ケ崎か、あのロリっこだな」

「ロリをフィギュアにすることは、反対です、法律違反です」

そこには眼鏡をかけて紺色のブレザーを着た園川君、じゃなく園川先輩がいた。

体育祭で助けてくれた彼。だけど彼の前には、なぜか女の子のフィギュア。

前に置いて、名簿を眺めていた。


隣にいるのが、小学生の広州さん。

小三の広州さんは、なんでも役者をやっているとか。

彼女が、冷ややかな目で園川先輩を見ていると、不意にボクに白い紙を渡してきた。


「皇先輩、こっちの電話番号は、終わりました」

「あっ、はい」

広州さんから渡された名簿と電話番号を、ボクは受け取った。

本人は、ランドセルから台本を取り出した。


「すごいねぇ、伊豆奈ちゃん」

「ああいうところは、誰に似たのかしら、全く」

ボクの右隣にいるのが、同じクラスでポニーテールの夜奈月さんと、大きなリボンが特徴の長峰さん、二人の女子がいた。

二人ともボクと同じ深緑のブレザーを着て、ペンを走らせていた。


ドアのそばのホワイトボードには『本日の活動「名簿の照合作業」』、と書かれていた。

書いた織香先生は、何でも今日も時間がなくプリカ様の世話をするためにボクら『織香部』に頼んでいた。

連絡網と、ボクたちのクラスの名簿を調べ上げて、プリントを作る作業を先生の代わりにしていた。


「でもでも、あずさちゃん。こういうの、生徒がやってもいいの?」

「いいんじゃない、あんたと皇は同じクラスでしょ。あたしのクラスは関係ないし」

「あ、そか。皇君もそういえば、同じクラスだね」

そういって夜奈月さんは、隣のボクをちらりと見てきた。

もしかして、ボクのことを知らなかったのかな。


確かに、夜奈月さんとは接点もないし。それに、ボクは人と関わりを持ちたくない。

中学まで、ボクはずっといじめられてきて人が怖かった。関わらなければ、ボクはいじめられることもない。

「お前はクズだ、生きる価値もない」

いじめられていた時の言葉がよみがえって、ボクは震えていた。


その時、ボクは園川部長にじーっと見られていることに気ついた。

ボクは、仕事をしないといけない。そのために、『織香部』に入ったんだから。

ボクを、少なくとも必要としてくれる織香先生のために、再びペンを走らせることにした。


「あたしのほうも、終わりね。全く織香のやつ、人使いが悪いわよ。

あんなにわがままで、よく嫁の貰い手がいたものね。とんだ奇特な方もいたもんね」

ふんっ、と鼻を鳴らす長峰さん。だけど、ボクは長峰さんの背後から何か殺気のようなものを感じた。

それは狭い数学準備室を、さらに狭くする白いカーテンの奥から。

明らかに、何かがきらりと光った。


「あ、あの……その……」

「なによ、皇?ちゃんと話しなさい」

「う、うし……」

「うしって、何?そういえば焼肉が食べたいわね。芸能人はやっぱ焼肉よ」

長峰さんは怒っているけど、その怒り顔が次の一瞬にして引きつった。


突然、風を切り裂くように飛んできたのが三角定規。

白いカーテンから、ブーメランのように飛んできた。

「な、なにっ!」

長峰さんの後頭部をかすめ、そのまま近くの壁に突き刺さった。

めりこむ小さな三角定規が、飛んだほうをみんなが注目していた。


「わたくしをそれでも、大事にしてくださる方がいますわ」

織香先生のダーク属性の声だけが、白いカーテンから聞こえた。


そのあと、ゆっくり姿を現した。

プリカ様を抱きかかえた織香先生は、いつも通り優しそうな顔を見せていた。

けど、あほ毛だけはなぜか立っていた。まるで生き物であるかのように。

それを、プリカ様がつかんでいた。

しかも、織香先生は下着姿でブラすらしていない。

白いきれいな肌がはっきり見え、ボクは赤くなってしまう。

かろうじて胸の大事なあたりはプリカ様の頭が、あって見えないけど。


「ここは、数学準備室。今度は大きな三角定規を投げますわ」

「は、反則よ!織香、あたしを殺す気?」

「わたくしは、旦那を馬鹿にするものが許せませんわ。大丈夫ですわ、三角定規が頭に刺さったところで非科学的に死ぬことだけはありませんの。

わたくしの計算は、間違いありませんわ」

「にゅにゅ?」

「まあ、プリカ様。わかりましたわ。おっぱいをさしあげますの」

険しい顔を見せた織香先生は、瞬時にママの顔に戻り、白いカーテンの中にプリカ様を抱きかかえて入っていく。


「なによ、あれ!」

「織香先生は、怒らせると意外と怖いんだよぉ。

この前は、教師用の大きなコンパスを投げてきたし」

夜奈月さんとボクの間の壁、確かに野球のボール大の不自然な穴が開いていた。


「そうね、気をつけるわ。椿、それより終わった?」

「もう終わっているよぉ、あずさちゃん」

「なんで終わっているのよ、椿」

「それはね……」

長峰さんは、夜奈月さんのほうに突っかかっていく。

でも、夜奈月さんは白いカーテンのほうを見ていた。

今にも飛び出そうなそんな夜奈月さんは、両手を広げた。


「プリちゃんと、遊びたいからだよぉ」

「あっ、そう。それはよかったわ。

椿、あんた終わったんだから、あたしのも手伝いなさいよ、あんたのクラスでしょ」

「えー、やだ。そんなこと言っていたら、あずさちゃんも嫁の貰い手ないよぉ」

夜奈月さんは、白いカーテンのほうに顔を突っ込んでいく。

長峰さんは、なぜかふてくされていた。


「椿、あたしは忙しいのよ。さっさと……」

そういいながら、長峰さんとボクは目が合ってしまった。

すると長峰さんは、なんだか悪い笑みを浮かべた。

「ああ、いるじゃないの、こんなところに適任が」

なんだか、イヤな予感がした。

長峰さんは、嬉しそうに甘える顔でボクのほうにすり寄ってきた。

ボクは逃げようとしたけれど、長峰さんがすぐに迫っていた。




結局、ボクの仕事は『織香部』の時間まで終わらなかった。今も変わらず仕事の継続。

(長峰さん、ひどいよ)

心の中で、そう恨みつつもボクは断れない自分を呪っていた。

数学準備室には、ボクがたった一人残っていた。夕日傾く五時に終わる『織香部』。

そんなボクの机の前には、大量の資料があった。

自分の仕事はもちろん、追加の仕事まであった。


(夜七時までには、終わらないなぁ)

防犯の関係もあって、学校が閉まるのは夜七時まで。

それまでに終わらないと、風紀委員が見回りに来る。


顧問の織香先生や、ほかのみんなはすでに帰っていた。

園川先輩は、フィギュア作りをするって言っていたし、長峰さんと広州さんは、同じドラマの仕事があるみたい。ちなみに長峰さんは、アイドル。

広州さん言うには、ローカルアイドルで、レア仕様らしい。

夜奈月さんは、まあ普通に帰ったと思う。


家に帰っても、結局一人ぼっちのボクは黙ってこなすしかなかった。

静かな数学準備室、ただボクが仕事をするペンの音だけが響いていた。


そんな数学準備室のドアが、突如開いた。

仕事に集中していたボクは、急に開いたドア。

気弱なボクは、その音だけでびっくりした。


「もうっ、織香先生も自分で取りに行ってほしいよぉ」

女の声と同時に数学準備室に現れたのが、夜奈月さんだった。

ポニーテールをなびかせ、ボクに見向きもせず白いカーテンの中に入っていく。

そのあと、夜奈月さんはなぜか織香先生の赤ちゃんの持ち物でもあるカラフルなベビー服を持って出てきた。

「かわいいなぁ、このベビー服」

なんだか目を、とろんとさせて歩く夜奈月さん。

ほほをすりすりさせると、不意にボクの視線に気づいたか慌てて平静を装っていた。


「あっ、皇君?」

「うん……」

気まずい空気が流れた、そんな夜奈月さんがボクのそばに来た。


「あれ、まだ終わっていなかったの?」

「うん……」

「終わりそう?」

「大丈夫……です」

「大丈夫じゃないよ、これ全部、残ってるんでしょ!」

夜奈月さんに言われて、ボクは黙り込んでしまう。

そのまま彼女は、黒いベビー服を机に置いた。


「ちょっと待ってね、今電話するから」

そのままブレザーのポケットから取り出した、携帯電話をかけていた。

「あ、織香先生。ごめん、今日ちょっと帰り遅れるから」

どうやら電話の相手は、織香先生みたい。

うんうん、と頷いてそのまま彼女は電話を切った。

ボクは夜奈月さんのほうを見ながらも、自分の仕事に集中していた。

すると、電話の終わった彼女から、


「皇君、じゃあ今日は頑張ろう」

「えっ、あの?」

「二人なら、間に合うから、ね」

戸惑うボクのそばに、夜奈月さんはにこやかな顔で隣の席に座った。

ボクは、彼女の笑顔と仕草にドキドキしていた。

(なんか夜奈月さん、すごくかわいい)

そのまま夜奈月さんは、ボクの名簿を手に取り書類を片手にペンを持っていた。


「早く帰んないと、姉瑠花ちゃんがおそってくるからね」

夜奈月さんの声に、ボクは無言で何度も頷いていた。

それと同時に、ボクは一気に胸が熱くなった。

(ドキドキする、なんだろう?)

それは中学までにいじめられ、殴られておびえていた時の感情と違う。


「どうしたの、皇君?」

不思議そうに、夜奈月さんがボクの顔を覗きこんだ。

さらにボクは、顔を赤らめてしまう。

かわいい夜奈月さんの顔を見てしまうと、さらに心臓の鼓動が上がる。

「はやくやろ、あたしも大好きなプリちゃんが待っているから」

「う、うん」


ボクは今の状況を、いろいろな角度から自分のことを分析する。

(怖い?違う、苦しい?違う、さびしい?違う、じゃあそれは……)

そして導き出した、一つの単語。ボクはその状況を飲み込んだ。

(これが、好きなんだ……)

彼女のことを、好きという初めての感情を感じたことをボクは初めて知った。




あの日から、ボクの人生は変わった。それからあっという間に一年以上が過ぎた。

いろんなことが起きた、夜奈月さんにあの場所で告白もした。

広州さんの告白も、手伝った。

長峰さんの親友も、助け出しに行った。

夜奈月さんに、ボクはキスをしてしまった。

楽しい思い出も、あっという間に過ぎていった。

中学までの絶望した人生から、一転した世界。

ボクは、いつの間にかこの世界が好きになっていた。


高校二年になったボクは、東城学園のビックイベントの一つ『東城祭』の日を迎えていた。打ちあがる花火、開始を知らせるあいさつ。ボクは数学準備室にいた。

ボクの所属する『織香部』は、織香先生考案の『数学カフェ』が『東城祭』の出し物。

四組限定(狭いから)の、数独を使ったカフェを営業していた。そんなわけで数学準備室の中は、いつも以上に人口密度が高く、ちょっと蒸し暑い。

唯一の予約席以外は、満席と盛況だった証でもあった。


「伊豆奈ちゃん、かわいいなぁ」

夜奈月さんの声、カフェ仕様に飾りつけられた数学準備室、入口にいたレジ係の広州さんの頭をなでていた。

「椿、私は女王陛下、伊豆奈様ですわ。

私に踏みつけられたくなければさっさと働きなさい、馬車馬のごとくビシビシしごきますわよ」

などと言いながら、猫耳ピンクメイド服を着た広州さんが、ビールの宣伝のようなレースクイーンの夜奈月さんになぜか持っていた鞭で打ちならす。


「やー、伊豆奈ちゃん、こわ~い。でも、かわいいなぁ」

「とっとと行く、二番テーブル」

「は~い、女王伊豆奈様」

などと言いながら夜奈月さんは、銀色のお盆に数独カードを乗せて二番テーブルに向かっていく。


二人が、コスプレをしているということは、ボクも当然コスプレをしていた。

そんなボクは、テーブルについて接客をしていた。

カンフー映画さながらの、真っ黄色な全身タイツを着て。


どうやら数独よりも、お客さんはコスプレ喫茶だと思っているらしい。

なのでメニューを見ると、数独のカードしかないのでびっくりする客が多かった。


「では、このカードの……二重□……」

今ボクが、男の生徒の接客をしていた。人前が苦手のボクは、完全にあがっていた。

人見知りなボクは、どう見ても声がたどたどしい。

あがったボクを、男の生徒は不思議な目で見ていた。

でも、彼らはなんだか中学のいじめた連中に見えてしまう。

昔、ボクをクズ呼ばわりした人に。


「あの、どうするんですか?」

ボクの客が、明らかに困っていた。

でも、ボクは声が出ない、頭の中は動いているのに。

(どうしよう、どうしよう)

心の中で、次の言葉を探していた。でも見つからない。


「数独は、縦横そしてブロックの中に数字が重複しないように、一から六までの数字を並べるものです。二重の□が四つありまして、四つすべて埋まったら、裏に書かれているメニューをお持ちしますね」

そばにいた夜奈月さんが、ボクに助け船を出してくれた。

なんでも夜奈月さんはできるね、運動神経もいいし、頭もいい、おまけにかわいいし、性格もいい。

なぜか小さい子が好き、(園川先輩いわくロリコン属性)だけど、ボクが好きになった人、初キスをした人。


そんな彼女は、ボクに文化祭の準備の買い出しの日に初めて気持ちを伝えてくれた。

一年前のボクの告白を彼女が、彼女の、彼女なりの言葉で返してくれたこと。

そんな彼女の丁寧な接客の様を見て、ボクはドキドキしていた。


「悠、こんな感じね」

「うん、ありがとう」

そんな彼女のおかげでボクは変われた、変わることができた。

だからボクも、ちょっとだけ感情を崩そう。

はにかんだ笑顔で、彼女に応えた。

すると、ボクのタイツをお尻のあたりから強く引っ張る姿があった。


「俺は椿のことは、あきらめない。

お前が何をしようがな、俺と椿の時間のほうがずっと長いんだ」

そこにいたのが、太った男子生徒。

ひげが生え、貫録のある老け顔、険しい目でボクを見ていた。

西園寺君、夜奈月さんの地元の幼馴なじみ。

ちょっと強面で睨む顔にボクは、戸惑っていた。

「……はい」

脅しに弱いボクは、弱気な態度でうつむいてしまう。


「轟、ダメだよ。悠をいじめたら、あたしが許さないから!」

そういって夜奈月さんは、西園寺君とボクの間に割って入った。

また、助けてくれたんだ。

でもボクは、彼女を助けていないのに。助ける力もないのに。

夜奈月さんが言うと、西園寺君はバツの悪そうな顔でボクを見ながら数独カードに目を落とした。


「戻ったわよ、こら、離しなさい!」

声と同時に、数学準備室には長峰さんが姿を見せた。

彼女は、なぜか着ぐるみを着ていた。

子供向け番組、ウラドラマンの怪獣メガロドン、見た目は二足歩行する赤いサメの姿、口から顔を出していた。


「メガロドン、ウラドラマンの仇!」

「メガロドン、これでも喰らえっ!」

子供たちにすっかりなつかれ?た長峰さんは子供のキックを食らい、その場に倒れこんだ。


「や、やられた~」

やられっぷりは見事、長峰さんに勝利した子供たちはわーい、と喜びそのまま廊下を駆けていく。


「あの子たち、かわいいね」

「ふざけんじゃないわよ!

なんでトップアイドルのこのあたしが、子供に怪獣の相手をしないといけないのよ」

「性格凶悪だから、お似合いよ、うふふ」

メイド服の女王様、広州さんが言うと長峰さんは広州さんに詰め寄ってきた。

サメの鼻のあたりが、広州さんの猫耳にしっかりあたっていた。


「あんた、今はかわいいって言われているけど、裏ではかわい子ぶった勘違いヤロウって言われているのよ」

「わがままローカルメガロドン。

この伊豆奈様にかなうはずもありませんわ、おーほっほっほ」

メイドとサメが、いがみ合っていた。

ボクはまずいと思いながらも、ただ見ているだけでしかない。


「ちょっと、二人とも。今日はお祭りだし、ね、ね」

夜奈月さんが、やっぱり二人の間に割って入った。

二人は、お客のほうを見るとすぐに笑顔を見せた。

怒りをそれぞれぎこちなく抑え、問題はすぐに解決した。


「そんなことより、フィギュア部長は?戻っていない」

長峰さんが、ここに来たってことは交代の時間か。

時計の針が、昼の二時を指していた。

部長の園川先輩と長峰さん、ボクと夜奈月さん。

二人一組で、この数独カフェの当番になっていた。

ちなみに広州さんは、レジ係。

小学生で、本来お客さんだけど、彼女が進んでレジをしてくれた。

それにしても、交代要員の部長、園川先輩の姿がまだこの部屋にはなかった。


「おお……、俺のフィギュア。椿マークスリー、おいおい」

それからほどなくして、泣きそうな声で現れた園川先輩がいた。

彼はパイロットスーツを着て、眼鏡もかけて、賢そうなパイロットのような雰囲気。

でも、顔だけは泣きそうだ。なぜかフィギュアを持って、登場した泣き虫パイロット。


「びーびー、泣くんじゃないわよ。

さあ、仕事よ。仕事は、全てを忘れさせてくれるわ。

悲しいことも、つらいことも、あんたは一応ボスなんだから」

などと長峰さんが、園川先輩を引いて部屋の中に入った。


「何があったの?」

「椿、聞かないほうがいいわよ。椿マークスリーのことだから」

「そうだね、聞かないほうがいいかも」

すると、園川部長は、なぜか夜奈月さんのほうに近づいて、這いずりまわりなめまわすように見てきた。


「あ、あの……」

「レースクイーン椿か、こいつは新たな上物だ」

すると、どこからともなくカメラを取り出し、素早くカメラを構えた。部長の構えるカメラに夜奈月さんが、戸惑っていたけど、ボクもなんだか自分のことのように戸惑っていた。


「そして、メガロドンに、カメラを奪われました。残念だったわね」

「おい、返せよぉ。椿マークフォーを作る」

「馬鹿なこと言わないで、少しは部長らしくしなさい!

そんなんだから、妹に逃げられるのよ」

長峰さんの突っ込みに、園川部長が口を真一文字にした。

それは、園川部長のキラーワード。


「じゃあ、あずさちゃん、部長。二人とも、伊豆奈ちゃんをおねがいします」

「まっかせなさいよ、スーパーアイドル、長峰 あずさが来れば大行列間違いなしよ!」

「メガロドンを、やっつける子供たちの大行列ね。いい気味ですわ、ほーほっほっ」

「かわいこぶってんじゃないわよ、賞味期限切れの子役メイド!」

長峰さんと、広州さんはやっぱりいがみ合っていた。

それをなぜか、頑張ってカメラに抑えようとする部長。

カメラを撮るのは、自作フィギュアの資料にするためだって。


「じゃあ、悠。いこ、あたしたちの文化祭も、スタートだから」

夜奈月さんは、そういいボクの手を引いてくれた。

しなやかな彼女の手にひかれ、ボクは数学準備室を出ようとしたとき、

「皇、しっかりやんなさいよ。あんた男でしょ」

長峰さんが、ボクになぜか声をかけてきた。

ボクは、その言葉になんだか勇気をもらえた気がした。




「悠、せっかくだからいろいろ見に行こうよ」

ボクは、夜奈月さんに手を引かれて進んでいた。楽しい世界は、まだ続いていた。

廊下を歩いていたボクと夜奈月さん。なんだかドキドキとしていた。

いつの間にか制服に着替えたボクたちは、文化祭のクラスの出し物を見て歩いていた。


「賑やか、だね」

「そうだね、みんな青春真っただ中だね。ほら、あれ、かわいいなぁ」

そういって夜奈月さんが見つけたのが、なぜかお化け屋敷。

和式の古ぼけたお寺の絵だけで、ボクは怯えた。

なんか怖そう、生徒が作ったものであってもビビリ症のボクは震えていた。

そのお化け屋敷の前で、白い布をかぶった小さな女の子が廊下をうろついていた。


「お化けだよ~」

「よしよし、お化けちゃん」

夜奈月さんは、ためらいも、怯えることもなく、小さなお化けの頭をなでていた。

その白い布のお化けもどきは、確かに入り口と比べると迫力が感じられなかった。

すると、お化けは顔を向けて脅かすというより犬のように夜奈月さんになついていた。


「よ、夜奈月さん。お化けが、なついていますよ」

「ああ、これ。彩芽のクラスの出し物だよぉ。ウチの隣のクラスの、ね」

あっ、そういえばそうだった。『織香部』の出し物ばかりでほかのクラスのことを気にしていなかったな。

すると、小さいお化けはゆっくりと白い布を取り上げた。

そこから現れたのが、ツインテールの女の子。

広州さん並みの、童顔だけどブレザーを着ているから東城の生徒。

しかし、背がすごく小さい。


「えへへっ、椿お姉ちゃん。

そこからは、椿お姉ちゃんが大好きな彩芽が出てきました」

「彩芽だね、かわいいよぉ」

いつの間にか、夜奈月さんに抱きついてすりすり。

彼女は、夜奈月さんの親友の星ケ崎 彩芽さん。

しかし、星ケ崎さんはちらりと、ボクに対して悲しい顔を向け、すぐに夜奈月さんに笑顔を振りまく。


「お化け屋敷は、人、入ってる?」

「うん、いっぱい来たよ」

「よかったね、彩芽。じゃあ、あたしたちもいってみよっか」

「えっ……ちょ、ちょっと」

怖がりのボクは、断ろうとしたけど断れそうもない。

星ケ崎さんに見送られて、夜奈月さん手を引かれて一緒に中に入っていった。


そんな時、ボクは最近立ち読みしたある雑誌のことを思い出した。

「お化け屋敷は、男が女をリードするとデートに適している。お化け屋敷のように、怖かったりドキドキしたりする場所には、逆に恋のようなドキドキと錯覚をする。

それが、吊り橋状態である。そうすることで恋愛がうまくいくことが多い」

お化け屋敷は、ボクと夜奈月さんの距離を近づける。

そう、ボクにとってはまたとないチャンス。


(ボクは、変わったんだ。新しい皇 悠を見せるんだ)

ボクは、気合を一つ入れて顔をたたいた。そんな決意でお化け屋敷へと入っていく。




「ひーっ、ダメダメダメダメ、メダメダメダメダ!」

ボクは腰を抜かしていた、お化けに怯えたボクはクズだ。

本で見た、シュチュレーションと真逆の展開。

男が、女を守ってお化け屋敷で株を上げるはずが、やっぱり腰を抜かしてしまった。


そこは真っ暗、自分のいつもいる教室が暗くなることに違和感を覚えていた。

それ以上に、単純にボクは震えていた。足がすくんで前に進まない。

何も見えない、真っ暗闇。

黒いダンボールで隠された部屋、電気も消されて、お墓のようなものも見えた。


「悠、どうしたの?」

ボクの前にいた夜奈月さんが、声をかけてきた。

でも彼女までの距離が、ものすごく遠くに感じた。

そのボクは、恐怖で前に進めないでいた。足が、すくんで震えていた。

「ほら、悠。行くよ。それとも怖いの?」

「怖く……ないよ」


でも、声はしっかり震えていた。強がりは、いともたやすく簡単に看破された。

「しょうがないな、じゃあ椿お姉ちゃんが、手を引いてあげる」

そういって前から手が、ボクの手をつかんできた。

そのまま、ボクは体ごと引っ張られた。


墓地をモチーフにしたエリアを抜け、見えたのが小さな小屋。

火の玉お化けに驚き、ろくろ首に腰を抜かし、そして骸骨に気を失いそうになるボク。

「彩芽のクラスも、大がかりだね」

そこには古ぼけた小屋の絵が描かれ、入り口が見えた。イラストの絵だけど、ボクを怖がらせるには十分だ。

さらに、ボクはものすごく疲れていた。

怖がって、騒いで震えて、夜奈月さんに手まで引っ張られて。


「そ、そうだね」

「悠、火の玉で腰を抜かしちゃだめだよぉ」

「こ、怖くない……ですから」

上ずった声のボクは、何とか女の子の前で強がろうとした。

でも、夜奈月さんがボクの震える体を引っ張る。

なんか、ボクはめちゃくちゃダメな男にしか見えないな。


(ちゃんとしないと)

ボクは夜奈月さんに、なすがままの自分にサヨナラしないといけない。

「こ、こ……ち」

「どうしたの、悠?」

「ボクは、あの……」

「もう、悠。入るよ、後ろつかえてるし」

夜奈月さんに、結局ボクは怯えるまま引っ張られてしまった。

そのまま、前の小屋の中に入っていく。


「皇、お前はおびえていたほうがいいかもしれないな」

と目の前の闇が広がり、ボクの目の前に抑え込んだ彼が、『破壊の皇帝』が出てきた。

「お前は、なんで出てきた?」

ボクが、いつも意図的に彼を抑え込んでいた。でも、ボクの精神の隙間に彼は現れるのだ。幸い、『破壊』は彼の自由にはさせていない。


「おい、お前は俺を抑え込むなよ。こんな俺でも、お前自身なんだからさ」

「……うん」

確かにそうかもしれない。ボクの姿によく似た彼の姿を見ていると、そう思えてきた。


「積極的な椿と、おびえて何もできないお前。

逆にあっているじゃないか、尻に敷かれっぱなしだな」

「ううっ、なんだよ。他人事だと思って」

「今の世界、好きか?」

『破壊の皇帝』は不意にボクに聞いてきた。ためないなどない、ボクはきっぱりと、


「世界は、本当はいいものだったね。ボクは、あそこでは悪い世界しか見ていない」

「そうか、でもやるんだな。お前の決意、『最後の破壊』を」

「ずっと決めていたから、あの時から」

『破壊の皇帝』は何も言わず、ボクと交わるように消えた。


そしてボクの目の前は、お化け屋敷を歩く夜奈月さん。

大好きになった彼女の、後ろ姿を見ていた。

(いつか、ボクは決しなければいけないんだ。彼女が好きだから)


そんなボクと夜奈月さんが入った小屋は、何もなかった。

「あれ、へんだね。ここに一番怖いお化けがスタンバイしているのに」

「一番怖いお化けって……」

でも、この空間にボクは震えなかった。

それよりも、ひんやりとした冷たい空気さえ漂っていた。


「何か来るよ!気をつけて!」

夜奈月さんは、目の前から何かを察知した。ボクの手を、強く握ってきた。

ボクも、彼女の手を強く握り返す。

その気配は、作り物のお化けなんかではない。

もっと凶悪で、かつての不良たちを呼び起こされるもの。

やがて、薄暗い闇の中で足音が聞こえ、それから先に一人の人物が姿を見せた。


「久しぶりだな、皇 悠。そして、椿よ」

その声に、夜奈月さんははっとした。

ボクもどこかで聞いたことある声だけど、思い出せない。

いや、思い出したくない類の声だった。


「「お兄ちゃん」?」

「えっ、お兄ちゃん?」

やがてはっきりと見えた、赤い髪の男性。

長い髪を結わえ、鋭い目を向けてきた背の高い男。

何より、殺気のような威圧感は、あの時の教室を、思い呼び起された。

そう、目の前にいるのが、少年院にいるはずの福永 誠。

前に会った時より、明らかに貫録のある顔になった。


「どうして?」

「俺は、『破壊の皇帝』である皇 悠に会いに帰ってきた」

その言葉にあったのが、ものすごい嫌悪感だけ。ボクは、険しい顔で彼を見ていた。

相変わらず凛々しいというか、目をぎらぎらさせた男。

不敵な笑みが、なんともいけすかない。

ダメージジーンズのポケットに手を突っ込み、真っ黒なシャツ。

そんな彼を夜奈月さんは、好きとも、好意的とも、憧れとも目で見ていた。


「悠、もしかして知り合いなの?あたしの「お兄ちゃん」、福永 誠と?」

「うん、古い……」

「俺は、お前みたいな雑魚は知らん。知っているのはあくまで『破壊の皇帝』だ」

余裕たっぷりに言う言葉、挑発と感じたボクは精神のタガを強めた。

彼を封じるために、感情が働く。

それより、気になるのは夜奈月さんが、なぜ福永を知っているんだろうということ。

ボクが頭の片隅で考えていると、目の前の福永が言葉を発してきた。


「だが、今のお前に何の魅力もない」

言葉だけを残し、福永は姿を消した。いや、違う。

ボクの目の前にいきなり現れた。わずか一瞬のこと、ボクは思いっきり焦った。


「お前、椿が好きだな」

「えっ、あ……」

ボクは一瞬顔を赤らめようとしたが、それはできなかった。


福永の拳が、ボクのみぞうちに思い切りめり込む。

ドスッ、と鈍い音。ボクは呼吸が途端に苦しくなった。

痛みというより、苦しさが、ボクの体を襲う。

何かを発しようとしたけど、声が出ない。

そのまま、ボクの視界にあった福永の顔がおぼろげになり、まもなく闇に包まれた。




長すぎる闇、それはボクを不安にさせていた。

そんな闇から覚めると、真っ白な部屋。ボクは保健室のベッドにいた。

ボクは目を覚ますと、白衣で黒髪の女性が心配そうに顔を覗かせた。

でも、すぐ視線を少し下に映す。


「大丈夫ですか?よしよし」

「よしよしって」

「にゅ、にゅ」

白衣の女性は、なぜかピンク髪の赤ん坊プリカ様を抱きかかえて頭をなでていた。

ボクは、困った顔を浮かべつつも白衣の女性を見ていた。彼女の名は、授頼先生。

前の事件で、ボクたちに助けを求めた元看護師さん。

現在は、東城学園の保険室の主をしていた。

プリカ様は、授頼先生に抱かれてうれしそうな顔を見せていた。


「……はい」

「皇君、夜奈月さんは、どうしましたの?」

そういって、プリカ様を抱きかかえていない紺のスーツの織香先生が、授頼先生の隣に座っていた。ボクに珍しく焦った顔で姿を見せ、不安がっていた。

ボクは話すのをためらおうとしたけど、プリカ様の視線がボクをなぜか見ていた。


「福永 誠が……」

「福永 誠、そうですか。MOBA(モバ)の活動が、なるほど……」

織香先生は、苦虫をつぶしたような顔でボクの話を聞いていた。

すると、急に保健室のドアが開いた。


「皇先輩、一体何をやっているんですか!」

ドアから出てきたのが、意外にも広州さん。

普段落ち着いた小学生の彼女が、やはり取り乱したように、やってきた。

そのままベッドの上にいるボクの襟元をつかんで、ボクを激しくゆすった。


「く、苦しい……」

「どうして夜奈月先輩が、連れて行かれるんですか?」

「えっ、ボクは……ダメなんだ」

「ダメ、ダメでは進みませんわ。

夜奈月さんを、助けなければなりませんの。福永に連れて行かれたのですから」

織香先生は、険しい顔を見せていた。


ボクのせいでいなくなった夜奈月さん、彼女が連れて行かれた。

隣に、彼女のぬくもりを感じない。

そのことは、ボクに痛烈な精神的ダメージを与えた。

そんな折、ボクは一つの疑問が生じた。

落ち込むボクは、目の前の織香先生の顔を下から見ていた。


「先生、夜奈月さんと福永はどんな関係なんですか?」

「そうでしたわね、まだ話していませんでしたわね。実は、二人は親戚同士ですわ」

「親戚、ほ、本当ですか?」

「彼らは、血でつながっていますの。ただ、それだけの関係ですわ」

「そう、ですか」

ボクは、すごく複雑だった。

夜奈月さんが見せたあの時の目は、それだけじゃないから。


「皇君、それで福永は、何か言っていませんでしたか?」

「えと、『破壊の皇帝』に会いたいとかで、でも夜奈月さんをさらって……」

「『破壊の皇帝』ですか、くっ」

織香先生の顔が、険しくなった。明らかに、何かを知っていた。


「前言撤回ですわ。皇君、あなたはここにいなさい。広州さん、彼をお願い……」

「待って、ボクは大丈夫です!」

ボクは上体を起こして、織香先生に食らいつく。

夜奈月さんがさらわれたのが、ボクの責任。

やっぱりボクのせいで、みんなは不幸になる。

だったら、ボクは彼女を助けなければならない。

居ても立っても居られないボクは、織香先生のほうを見上げていた。


「いけませんわ、彼の狙いはあなたの中にいる『破壊の皇帝』ですの。

あなたは、彼と接触してはいけません」

「それでも、ボクは彼女を助けたい。夜奈月さんを助けないといけない」

「ダメですの!あなたのいいところは、なんでも言うことを聞くところなんですから」

織香先生は、ボクにふつふつと怒りがこみ上げた。

ボクはうつむいて、自分の寝ている白いシーツを見ていた。

そして、白いシーツを力強くぎゅっと握った。


「広州さん……」

「そんなんじゃない、ボクだって人間。ボクだって意見がある」

「皇君……」

「みんなに合わせるだけじゃ、ボクの世界は変わらない。

織香先生は、ボクに言ってくれたじゃないですか。

『織香部』は、ボクの世界を変えてくれる部活だって。

ようやく好きになれたんだ、ボクはこの世界を!」


ボクは初めて、織香先生に意見をちゃんと言った。織香先生は命の恩人。

ボクの寮から、学校の授業料まで全てを出してくれた人。

嫌われるかもしれない、ずっと黙っていた。

でも、彼女のことにだけは曲げられなかった。

それだけ、彼女に思いがあったから。

彼女のために、ありのままの自分をさらけ出したいから。


しばしの沈黙、やがて織香先生はにっこりと微笑んだ。

「分かりましたわ、そこまで言うなら広州さんと一緒に探しに行ってくださいな」

織香先生の声に、ボクは嬉しい顔を見せた。

だが、そこにさらに一人別の女の声が聞こえてきた。

「その必要は、ないわよ」

すると、保健室のドアに一人の女が立っていた。夜奈月さんかと思ったけど、違う。


「ローカルメガロドン」

「うるさいわよ、クソ生意気な子役!伊豆奈」

長峰さんが、手に腰を当てて立っていた。

左手に一枚の手紙を持って、ボクらを見下ろしていた。

ちなみに、着ぐるみ姿ではなくいつも通りの紺のブレザー姿になっていた。


「長峰さん、何しに来たのですか?」

「そうそう、皇。あんたに招待状が来ているわよ」

「招待状?」

ボクは、長峰さんからもらった招待状を見ていた。

それを見た瞬間、ボクは目を疑った。




そこは何もないグラウンド。静かに、フォークダンスの音楽が流れていた。

祭りを惜しむ人たちが残って最後に踊る、グラウンド。

後夜祭、文化祭の最後に行われるフォークダンス。


夕暮れから、暗くなっていく講堂。

外のグラウンドでは、フォークダンスの音楽が流れる中でここは静かだ。

先ほどまで出し物が行われていた祭りの後は、片づけそっちのけでみんなはグラウンド。よって、軽音部のものだろうか、大きな看板がそのまま残っていた。

かすかに聞こえる音楽で、祭りの後の哀愁漂う静けさ。

講堂のステージに、二人がフォークダンスを踊っていた。

一人は赤い髪の男子、福永。そしてもう一人は、


「夜奈月さん、助けに来たよ」

ボクは招待状を、片手に握りしめた。

両手を握り、抱き合う二人の姿を見て少し切なくなる。

声がしたのか福永が、ボクのほうをじっと見てきた。

二人は、踊っていたフォークダンスをやめた。


「夜奈月さんを……」

「悠、知っていたのね」

その夜奈月さんは、悲しげな顔を見せていた。

その瞬間、ボクの世界がはっきりと音が崩れて壊れた気がした。


「何を知って……」

「とぼけないで!お兄ちゃんを、殺人犯にしたでしょ、ひどい、ひどいよ!」

『殺人犯』と聞いて、思い出された体育祭のこと。

あの時、確かにボクが破壊を行った。


「椿よ、皇 悠こそが悪。そして、そこの鼠こそが……」

福永は夜奈月さんから離れて、降伏のように手を上げた。

すると、舞台袖から二人見えた。

日本史で、セーラー服姿の沢尻先生が赤ん坊プリカ様を、抱きかかえて出てきた。


しかし、彼女の背後にはテロリストのような銃を持った二人組の男が見えた。

真っ黒な布を顔にかけていて、顔をうかがうことはできない。

だが、大きさからみても男だ。


「さ、沢尻先生、どうして?」

「織香先生に頼まれて、来ちゃったんですけど、トホホですぅ」

なんだかうれしそうに、降参ポーズをとっていた。


「お前の思いのたけを、話してやれ。皇 悠に」

「お兄ちゃんが捕まって、あたしたち大変だったんだよ!

みんな暗くなって、親戚の間でもめていて、喧嘩も起きて……

みんな、めちゃくちゃになって、苦しかった。だから、悠は、『破壊の皇帝』は嫌い」

そんな夜奈月さんは、急に涙声へと変わる。つらそうな顔で、目に涙を浮かべていた。


「本当に、本当につらかったんだよ。お兄ちゃんが、殺人なんかするばずないって。

でも、真犯人が、高校で知り合って、告白されて、好きになったのが、よりにもよって悠だって、馬鹿みたい。

あたし、どうすればいいの?ねえ、教えてよ!」

夜奈月さんは、その場でしゃがみこんで泣いていた。体を震わせて、ただ泣いていた。

いてもたってもいられず舞台に上がったボクは、夜奈月さんのそばで立っていた。


「ごめん、夜奈月さん、ごめん」

「もう、悠もお兄ちゃんも、ひどいよぉ。

やだ、やだ。あたしに、何も教えてくれない」

全てを知ってしまった夜奈月さんは、いろんなことが、頭の中をごちゃごちゃに駆け巡っていることだろう。

整理がつかない、夜奈月さんを悲しませた自分に罪を感じた。

やっぱりボクは、人間のクズだ。


「殺人鬼、皇 悠。椿を傷つけたお前は、もう今までの関係ではいられない」

福永の淡々とした言葉に、ボクは苦しかった。

その瞬間、ボクの精神バランスは一気に崩れた。

それは、押さえつけていた堤防が完全に決壊したものであり、


「お前、俺と会いたかったんだろう、悪魔よ」

あっという間に、体を乗っ取った『破壊の皇帝』が現れて、ボクはボクの目からそれを眺めるしかなかった。


「『破壊の皇帝』、それで殺したの、天照さんを?」

夜奈月さんの目は、涙目だけど睨みつけているようにも見えた。

でも『破壊の皇帝』は、彼女の頭に手を触れた。

「そうだ、こうやって破壊したんだ。『破壊』、椿の脳内の酸素」

夜奈月さんが、「えっ」という言葉を漏らしたが、間もなくボクに寄りかかるように倒れていく。

それを、彼は抱きかかえた。脳内の酸素を失った夜奈月さんは、生きているというより眠っていた。


「お前が目を覚ましたら、踊ってやろう。ノーマルが大好きな女」

「会いたかったぞ、『破壊の皇帝』。そして、お前と取引がある」

夜奈月さんを舞台の床に寝かせた後、『破壊の皇帝』は声の主である福永のほうをにらんでいた。


「取引だと?」

「お前に、もっと破壊をやらせてやろうというものだ。

この腐った世界を、破壊するということだ」

「どういうことだ?」

「理不尽で、つまらない世界。そんな世界にサヨナラしないか?お前が欲しがるものは、MOBA(モバ)にある」

福永は、『破壊の皇帝』にいきなり右手を差し出してきた。その言葉に、ボクは聞き覚えがあった。


MOBA(モバ)は、世界を改革する集団だ。

だが、この学校には世界さえも従わなければいけない絶対校則がある。

それでも、学校を出れば自由だ。

お前は、たくさんの破壊をしたいのではないか?

その体を、使っているのはそのためだろう」

「確かに、このノーマルの体を使って幾多の『破壊』をしてきた。

そこで俺は、幾多の快楽も得た」

「お前は、もっと多くの破壊を望んでいるのだろう。

『破壊』は、『世界』という集合の一つだ」

「いい案件だな。興味がある」


「ダメですぅ、そんなことしちゃ」

そこに沢尻先生が、口を挟んできた。

しかし、銃を突きつけられて、積極的に発言ができない。

「黙れ、ん?その赤ん坊は……」

「まさか、あのプリカ。その赤ん坊をこちらによこしてもらおう」

「やー、ダメですぅ」


逆に沢尻先生を人質にとった黒い布の男は、赤ん坊プリカ様に手を伸ばす。

だが髪の毛に触れると、いきなりプリカ様が泣き出してしまう。

「びえーん、えーん!」

プリカ様の激しい鳴き声に、思わず二人組の男は戸惑っていた。

すると、ボクは、いや『破壊の皇帝』は一瞬の隙を逃さずにすでに動いていた。


「『破壊』、男たちのズボン」

言葉と同時に、男たちの下のズボンが文字通りなくなった。

「な、なんだよ、いやっ」

「み、見るんじゃねえ!」

男たちは、恥ずかしくなってパンツ姿の下半身を隠す。

いきなり起きた非科学的なことに、理解できないでいた。


それとほぼ同時、黒猫が沢尻先生のスカート下から現れた。

いきなり黒布男に飛びついて、ひっかいていく。

ひっかかれた男は、顔を抑え逃げていく。

もう一人の男が黒猫を捕まえようと手を伸ばした。


「これでも、くらいなさ~い」

沢尻先生は、背中に背負ったリュックから哺乳瓶をとりだして男の顔に突き刺した。

どうやら、哺乳びんの固いところが当たったらしく、武器を手放し顔面を抑え痛がって逃げていく。

それでも、仲間の闘争に余裕の顔でボクを『破壊の皇帝』をみていた。


「実にすばらしい『アビ』。

お前は敵にしておくのが惜しい、お前は『破壊』が好きなのだろう?」

「もちろんだ、俺は『破壊の皇帝』だ。存在理由、特技、意義、すべてが『破壊』だ!

これは素晴らしい提案ではないか、俺の趣向にあっている」

嬉しそうな『破壊の皇帝』、でもボクはそれを見守るしかない。

ボクには、体の主導権はない。

左手を差し出す福永に、『破壊の皇帝』は手の先の彼を見ていた。


だが、次の瞬間固く握った右ストレートを彼の顔面に思いっきり殴った。福永はよけようと後ろに下がろうとしたが、反応が遅く顔面をとらえていた。

振りぬいた右ストレートは、ボクより大きい福永の体を吹き飛ばした。

そのまま彼は、ステージの床にたたきつけられていた。

上体を起こして、苦々しくボクを福永が見ていた。


「お前は抗うのか、世界に?」

福永がつばを吐いた。だけど『破壊の皇帝』は、にやりと笑っていた。


「けどな、ノーマルはそれを望まないし、ノーマルが言う『最後の破壊』も俺は興味がある。勘違いするな!

俺は破壊狂だが、ノーマルは大事だ。こいつの世界は、お前たちとともにはない」

「なるほど、それがお前の意志か」

すると殴られた福永は、よろよろと立ち上がった。

重そうな体を引きずり、険しい顔を見せていた。


「俺はあきらめんぞ。お前の力は、世界を破壊するためのものだ。『破壊の皇帝』よ!

だが、今日は預けておこう。お前の意志だけは、伝わったからな」

福永は口惜しいセリフを吐いて、人並み外れた跳躍力で飛び上がっていく。

ボクは上を見上げていた、あっという間に福永はいなくなった。

沢尻先生は、まずそうな顔でボクを見ていた。そして、ボクは闇の中に入った。


真っ暗な闇の中、ボクは『破壊の皇帝』と再び向かい合っていた。

「あとは、お前で決着をつけろ」

「うん、ボクが彼女の誤解を……」

「誤解なんか、解く必要はない。お前は、現実を受け入れなければいけない。

お前は、結局織香に踊らされた殺人犯だ。それは変わらない事実。」

その言葉に、ボクはようやく抵抗なかった。不安も、不満も何もない。


「椿とは、もう戻れないんだぞ。このままではな」

「そうだね、彼女はボクの知らない過去を知ってしまった」

「知っているか、人間というのは脳にいろんな制御を抱えている。

脳内の酸素不足は眠気を誘い、脳内の細胞は記憶をつかさどる。

中でも側頭連合部は、聴覚の記憶だ。

記憶を消せば、彼女は福永の話した事を忘れることができる」

「いや、そんなことはしない。ボクは、やっぱり彼女が好きだから」

そういいながら、ボクは再び『破壊の皇帝』にふたを閉めた。

元に戻った髪が、自分であることを示した。


「あちゃ~あ、お手伝いのはずが……」

「夜奈月さん、大丈夫ですか?」

ボクは、夜奈月さんに近づいた。沢尻先生は気まずそうな顔を見せていた。

お邪魔とばかりに、裾のあたりに隠れていく。

肩に黒猫を乗せ、赤ん坊プリカ様を抱きかかえたまま。

眠った夜奈月さんは、ボクに抱きかかえられて目を覚ました。


「なんだか、短い夢を見ちゃったよ。いい夢、心地いい夢」

「夜奈月さん、ごめんなさい。今までずっと黙っていて、ずっと逃げていて」

夜奈月さんに、ボクは甘える顔で見ていた。

夜奈月さんは、体を起こしてボクに抱きつく。

「お兄ちゃんは、あたしの大事な人なんだ。

いじめられているときも、助けてくれたし、すごく憧れていた。

何でもできて、大人で、かっこいいの。あたしの初恋の人」

はにかんだ夜奈月さんの笑顔が、やや苦しそうにも見えた。ボクは黙って聞いていた。


「でも、お兄ちゃんが殺人犯で三年前に捕まって、みんなおかしくなって、でも、お兄ちゃんを信じていた。

間違ってはいないんだよね、お兄ちゃんが犯人じゃないんだよね」

「そうだよ、ボクが悪いんだ」

「悠は、やっぱり嫌いだな」

夜奈月さんの言葉に、ボクは悲しかった。

ボクが行ったあの行為は、間接的に彼女を傷つけただけだから。

後悔と無念が、ボクに残る。

仕方のないこととは思っても、それを判断したボクに後悔があった。


「でも、悠は今のあたしにとって大切な存在。

悠が殺人を犯していても、あたしの中で大きくなっていくの。

始めから弱そうで心配症で、臆病で、今でも頼りないけど……」


「夜奈月さん……」

「でも、結局好きになっちゃった人なんだよね。

世話したい、かわいがりたい、構ってあげたい。

結局あたしが悠を下に見ていたんだね、だからお兄ちゃんから体育祭の話を、真実を聞いたとき動転したの」

「うん。ボクが悪かったんだ。

あの時、逃げた。知らないつもりで過ごそうとして、逃げた。

人並みの幸せをつかみ、世界を変えようなんて馬鹿げていたんだ。そんなボクも……」


夜奈月さんは、やや涙目にボクの言葉を見ていた。

軽快なフォークダンスの音楽が、外からおぼろに聞こえる。

ボクに対し、夜奈月さんは手を差し伸べてきた。


「踊ろうよ、あたしたちの文化祭は、まだ終わっていないよ」

夜奈月さんは、そこで嬉しそうな顔を見せてくれた。

ボクは、『破壊の皇帝』に対して一言声をかけた。

(ボクに、期待してくれてありがとう)と。




ボクと夜奈月さんは、フォークダンスを踊っていた。

外から聞こえるかすかな音で、踊る。


「悠と踊るの、初めてだね」

「そうだね、本当にボクはずっと逃げていて、ダメだね」

「ダメは禁止」

夜奈月さんは笑っていた。彼女にリードされ、ボクはやはり踊っている。

いつも通りのかわいい笑い顔に、ボクはドキッとしてしまう。

そう、ボクは普通の彼女が好きなんだ。

やはり夜奈月さんは、ボクにないものを持っている。


「夜奈月さんが、ボクは大好きです」

「あたしも、だよ。だから……」

夜奈月さんの言いたい言葉は、分かっていた。だからこそ、ボクはつらかった。

でも、殺人を犯していつまでも逃げているわけにはいかない。

夜奈月さんの言葉で、二年近く抱えていた罪にようやく分かった。

何をすべきか、何をしなければいけないか。


そんな時、ボクは初めて踊るフォークダンスに体勢を崩してしまう。

「あっ、ごめん」

するとボクと夜奈月さんの顔が、一気に近づいた。二人で顔を見合わせてしまう。それと比例して、ボクの心臓がバクバクとしていく。顔も赤くなったボクと夜奈月さん。

「でも、悠はやっぱり優しいね」

「夜奈月さん、ボクは……」

そんなボクが行う。一瞬『破壊の皇帝』の姿が見えた。彼は、にやりと笑っていた。


「本当にやさしいよ、悠は」

夜奈月さんは、ボクを引き上げて、笑ってくれた。

そんな瞬間が、たまらなく心地よい。今まで生きた中で一番、心地よい。


やっぱり夜奈月さんにリードされるボクだけど、それでも一緒に合わせていた。

ボクと夜奈月さんとの最後の時間が近づく。そして曲が終わった。

「終わっちゃったね」

「うん、ごめんなさい」

「やっぱり祭りの後は、さびしいね」

しみじみという彼女の横顔に、ボクは息をのんだ。


「もう、ダメだよぉ。悪いことしちゃ」

「そうだね、逃げるのはもうやめる。ボクは、やっぱり夜奈月さんが好きだ」

「恥ずかしいなぁ、そんな急に言われたら」

夜奈月さんは、恥らっていた。ボクは真剣な顔で、じっと見ていた。


「ごめんね、大好きだよ」

「いいよ、あたしも好きだから。でも……」

「だから……」


ボクはためらった。彼女の顔が、笑ってそして赤い。

好きになったボクが、夜奈月さんにどうしてもやりたいことがあった。

もう、逃げない。

それは、ボクは彼女が好きだということ。そして、それが全てなんだと。

だから夜奈月さんの顔から、ちょっとそらしてしまう。

ボクの顔には、はっきり影が出ていた。


「だから……」

「だから?」

夜奈月さんが、ボクに訪ねてきた。そしてボクが顔を上げたとき、ボクの髪が跳ねた。

『破壊の皇帝』が、ボクの顔に現れた。それは、強気のボク。

なんでもできるボクが、選んだこと。

彼に体をゆだねた。いきなりの登場に、夜奈月さんは驚いて悲しそうな顔を見せた。


「悠、なんで?」

「夜奈月 椿を、破壊します」

そして、ボクが最後の究極の破壊をしたとき、ボクのそばにいた夜奈月さんがいなくなった。彼女が、何か声を発しているけど最後まで聞こえなかった。


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