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第二話:子役と鳥かご

――登場人物紹介


広州 伊豆奈:『織香部』部員、子役、小四女子。本編主人公。

赤い髪でカールがかかっている、童顔で無邪気な人気天才子役。

しかし、普段は対照的におとなしく、周りと無駄な関わりを持たない。

最近、彼女は気になる声を聞いてしまった。


三野宮 織香:『織香部』顧問、既婚者

東城学園高等部で、数学を教えている。ショートボブで、色白な大人の女性。

完璧主義者で、理論的。伊豆奈が尊敬している、唯一の人物。


園川 哲治:『織香部』部長、エロい男子。悠や椿、あずさより一つ年上。

眼鏡をかけている痩せた男で、常にカメラを首にぶら下げている。

好きなものは、フィギュア。彼のことを、エロイ人物だと思っている。


皇 悠:『織香部』部員、気弱な少年。

ぼさぼさの銀髪、気弱で人見知りな少年。ただ、二重人格『破壊の皇帝』という人格を持つ。

そんな彼の言葉が、伊豆奈の心を揺さぶった。


広州 美雪:伊豆奈の母親兼敏腕マネージャー。

眼鏡をかけていて、背がすらっと高い。若干幼さがのこる顔の女性。

伊豆奈にとって、頭の上がらない母親であり、マネージャー。


長峰 あずさ:『織香部』部員、ツンデレ毒舌アイドル。

意外と可愛いロングヘアーと、目立ちたがり屋の大きなリボンが特徴。

伊豆奈から見て、彼女はかなりダメな部類。でも唯一会話できる相手でもある。


夜奈月 椿:『織香部』部員、背の高い女子高生。

ポニーテールで、かわいい部類の女子高生。

伊豆奈の頭を撫でて来るけど、伊豆奈はかわいがられるのが嫌がっている。


北斗 元気:伊豆奈のクラスメート、小四男子。

団子鼻に、黒っぽい肌、少し太った体格。

やんちゃで、漫画に出てきそうなガキ大将っぽい彼に、伊豆奈は声をかけられた。


長峰 胡桃:あずさの妹、あずさと一緒に住んでいる。

ほっそりした体、やつれた顔。

ショートヘアに、あずさと顔は少し似ている。


私は数日前に聞いたその言葉を、いつまでも忘れられないでいた。

小さな木製の椅子に座った私は、自分の出番を待っていた。

赤いカールの髪に、白いシャツと子供用ジーンズを着た私は難しい顔で前を向いていた。

私の名は、広州 伊豆奈。都内にある、私立東城学園小学部四年生。

その上に、もう一つ私には肩書がある。


ここは、小さな教室。といっても、普通の教室ではない。

大きなクレーンや、半分に切り取られた教室、廊下も途中までない。そう、作られた教室だった。

「はい、本番行きます!」

私の目の前には、数人の大人がいた。

三十代から四十代の男性が立ち上がって、メガホンを持っていた。


ここはドラマスタジオの、教室のセットだった。

そして私は、さっきまであの教室のセットの中にいた生徒。

私のもう一つの肩書は、子役。自慢かも知れないけど、みんなから天才子役と言われていた。


「どういうことだよ、ちゃんと見ただろう!禁断の愛を」

目の前の小学生の役の子が、演技をしていた。

「それでも、あいつのことを気にしちゃダメだ。あいつのことだから」

私の目の前には、演技が繰り広げられていた。

それでも、私はドラマの作られたセリフよりも、あんなにシンプルな言葉が頭から離れられなかった。




――数日前、私は『織香部』という付属高等部の部活に唯一、小学生の私が参加していた。

織香先生という、大人の教師に憧れて入った部活。

そこで、ある日みんなで探し物捜索をしていた。

捜索の最中、私は校舎からグラウンドに向かうときに、その探し物が見つかった。


グラウンドにたたずんだ探し物は、失踪した一人の男子高生。

二時間の捜索の末、諦めかけたときにそこにいた。

男子高生は人気のないグラウンドで、目の前の女子高生に言った一言。


「夜奈月さんが、好きになりました」

いきなり告白をした、男子高生。

普段はものすごくおとなしくもじもじした彼が、はっきり口にした自分の想い。

それを遠くからグラウンドの中で、私は見ていた――




なんかすごく憧れる、わたしはそんな思いで二人を見ていた。

そんな目の前では、教室のセットで二人の男の子が演じていた。

「梓が、先生にいじめられていることを、見過ごせっていうのか?」

「梓は、まだ助けを求めていない。だから僕らでは、どうにもならない!」

「ふざけるな、梓の顔のあざを見ただろう!」


ちなみに、「梓」とは私のドラマの役の名前。『北条 梓』って、役名をもらっていた。

ちょっと名前が気になるけど、わたしはこの役に、一生懸命に打ち込んでいた。

先生を信じながら、いじめやひどい仕打ちを受けるけど、誰にも言えずに耐え続ける女の子の役。

今は二人の男の子が、私の出ていないシーンで言い合うところを撮影していた。


私は、メイクさんに殴られたあざや、青たんのチェックをしてもらっていた。

でも、なんか落ち着かない。

生まれて初めてもらった主役なのに、頭の中は部活では、あの事と自分と置き換えて考えていた。


「ねえ、伊豆奈」

と、そこに出てきたのが、なぜか少し背の高い女。

長い髪で、ラーメン屋が着るような白い割烹着を着た若い少女。

優雅さよりは、どこにでもいるちょっとだけかわいい少女。

吊り上った目と、威張ったような顔が印象の女は、


「エキストラその二、長峰 あずさ」

「なんで、あんたが主役よ!」

明らかにふてくされた顔を見せ、眉間にしわを寄せて私に近づく。

そのままあずさは、私の頬を引っ張ってきた。


「品がないから」

「馬鹿にしないでよ、あたしはアイドルなんだからねっ!」

長峰 あずさ、一応アイドルとして事務所から売り出されていたが、あまり現場の人気がない。

毒舌をはき、いろんな芸能ネタの暴露が多く、視聴者から人気はあるみたい。

だけど、芸能関係者からいらぬことを言われまくって仕事を減少して、やがてチョイ役の扱いに。

まあ、批評ばっかりしているだけの中身のない人は私も嫌い。


「伊豆奈、なんか辛気臭い顔わよ。

ちゃんとセリフ、覚えなさいよ。あんたは、演じることだけが得意なんだから」

「女優の顔を、気安く触らないで」

むっとした私はあずさの手を、ぱしっとはたく。この現場で、よく会話をするのがこのあずさ。

高校生の彼女とは、同じ部活ということもあって、何かと向こうが絡んでくるんだけどね。

ただのやっかみよ。芸がないのは、これだからいけないわ。


「伊豆奈、さっきNG出したでしょ!」

「うるさい、あんたもエキストラだからもう出番終わったでしょ、さっさと帰んなさいよ!」

「このスーパーアイドル長峰 あずさ様が、どうしてエキストラよ、ふざけないで!」

あずさは、明らかに不満げに私に愚痴る。ぐちぐちと長いので全部割愛(かつあい)


そんなあずさは、愚痴に飽きたのか、じーっ、と私のほうを見ていた。

「伊豆奈、今日は精彩欠いているわね、ど、どうしたのよ?」

「どうも、していないわ」


でも、あずさに指摘される通りに精彩を欠いていた。

珍しくNGは出すし、会話に詰まるし、なんだかちょっとドキドキする。

芸歴七年、三歳からこの世界に投じた私としては、ありえないミスばかりを連発していた。

もちろん、それはあの事を思い出して羨ましく思えたからに他ならない。


「あんたは、あたしのライバルなんだからしっかり……」

「はいはい、それまでよ、ローカルアイドルのエキストラ。

うちの女優に、手を出さないでちょうだい」

そんなとき、私の背後から一人の女性が出てきた。

彼女の名は、広州 美雪。私のママにして、敏腕マネージャー。

黒縁メガネで、知的な水色のスーツを着た女性。ショートヘアで、やや目の細い私のママ。


「なによ、あたしはローカルアイドルじゃないわ、スーパーよ」

「スーパーがついていなかったわね、スーパーローカルアイドル、こういえばいいのかしら。

伊豆奈、こういう相手は無視しましょう。女優としての沽券(こけん)に関わるわ。

あれほど言ったじゃないですか、こんな輩と関わるとあなたの演技が悪くなってしまいますよ」

「はい、ママ!」


私は、ママに対してものすごくにこやかな顔を見せた。

それはカメラが回った時に、見せる無邪気な子供の顔。

生まれつき訓練した無邪気な笑顔は、どの子役にも負けない自信があった。

目の前のあずさは、私の豹変(ひょうへん)ぶりにやや呆れた顔を見せた。

そんなママは、私の無邪気な笑顔を見せるとちょっとだけ笑って頷いた。

そんなママの笑い顔が、私はこの世で一番好きな表情。


「そう、ならいいわ」

と、私のそばから離れて行った。

一般的にマネージャーは、現場より少し後方のエリアから見るルールがあった。

たとえ母親でも例外はない。


わたしは、ママの姿が見えなくなると再び目をやや険しくして、あずさのほうを見た。

「で、あずさ、一つ聞きたいことあるけどいい?」

「な、なによ?なんで、ふてぶてしい顔をするの?」

「あずさは、好きな人いる?」

「もちろんいるわよ」

自信たっぷりの顔を、見せたあずさ。胸を張った態度が、勝ち誇っていた。


「あたしは、もちろんファンよ。アイドルは、鉄の掟で恋愛禁止だから」

「あっ、そう。ファンなんて、どうせいないくせに」

「なによ!ムカツク。ちゃんとファンレターだって、来るんだからね!」

「は~い、北条 梓ちゃん、本番入りま~す」

と、私のそばに二十代前半女性のディレクターさんから声がした。


「は~い、今いくね」

私は一瞬にして、無邪気な子供の顔に変えて見せた。

そのままディレクターが、私を引き連れて、スタジオ中心のセットの中へと入っていく。

背後のあずさに対しては、私はあかんべーをして離れて行った。




私は、実際(リアル)の退屈な学校に来ていた。

あれから二日後、私は子役と両立した小学校に来ていた。

スタジオのものと違い、本物の教室。そこには、ちゃんと私の机があった。

東城学園小学部はGWという大型連休を終えた生徒たちが、みな一様にGWの思い出を楽しそうにおしゃべりしていた。


GWの思い出、結局私は仕事。

ほかの大人の俳優さんと違い、まとまったGWでドラマを撮ることが多い。

生まれて初めての主役、ということもあるけど。


にぎわうクラスの中、私は静かに台本を読んでいた。

退屈な授業、小学校のものはどこか子供じみていた。

わたしは、世界にのめりこむかのように台本を黙々と読む。

周りの子供な小学生は相手にしない、そっけない私。

これはいつもの光景であって、周りと溶け込めもうとしない自分がいた。

それは、私の感情の無駄遣いを避けているからよ。


「あ、広州さん」

「何?」

「えっと、この前のドラマ見たよ。すごくかわいいね」

「そう、ありがと」


話しかける女子に、私は台本に顔向けたまま会話をした。

そんな女子は、私に興味があるのだろう。

でも、私は相手には興味がない。それは、私はずっと大人の社会を歩いていたから。

子供の社会が、なんだか小さく軽く見えてしまう。


「言いたいことは、それだけ?」

「え、うん、ごめんね。台本読んでいるところを呼び止めて」

などと女子は、そそくさと私の席から離れて行った。

だけど、私は人を遠ざけている理由はそれだけではない。座右の銘もあるから。


そんな時、五人組の男子が遅刻すれすれで入ってきた。

五人のグループを私は台本の中から、わずかに逸らしてあるものを探す。

そこには、私の意中の人がいた。


「北斗」

やや日に焼け、団子鼻のあまりかっこよくはない男子。

白と水色の縞々(しましま)のシャツを着ていて、短パン姿の小学生が、黒ランドセルを背負って教室に入った。小太りの男の子が好きになった私には、理由があった。




――四月入って間もなく、春の陽気が心地よい日。

この日は、二回目の図工の時間。そこで、外に出ていた。

図工の先生が言ったこと、それは、

「春を感じましょう、みなさん今日は外で絵をかいてね」

というものだった。つまり写生大会。


桜が散り始めの今日は、春を感じるために学校のそばにある公園に来ていた。

周りの生徒たちは、みんな仲良しグループを作りそれぞれ散っていく。

でも、私はこの公園に来たことがなかった。


「どこで描こう?」

しかし周りで距離を置いている私には、誰も近づいてこない。

「同世代の友達と群れる必要はない、大人と交わればいい。

人間は大人とつき合う時間のほうが、子供の四倍長いんだから」

という、母親の座右の銘を忠実に守っていたから。

始めてくる公園に私はとりあえず、うろうろしていた。


歩いて五分ほど、私は自分の認識の甘さに悔いていた。

(なんで、こんなに広いの?)

都内でも数少ない公園なのか、ものすごく広く感じた。

周りは森のように木々が見えた。緑やピンクの木々と、赤と青の花。

それに対して、周りには人がいない。

きれいという感嘆の声も出なくなって、人の姿もなかった。

そして、少し寂しさを感じていた。


「寂しくは、ありません」

何となく、孤独に負けないように声を発した。でも、誰も反応がない。

心細く、わたしは周りを見回していた。

こうしてきれいな場所だと、逆に不安も強くなるじゃない。

すると不意に背後からガサガサっと、音がした。


「な、なに?」

まさか、熊?それとも大蛇などと考えていると、出てきたのが少し大きな影。


「うがーっ!熊だぞ!」

「えっ、きゃっ!」

と、大きな影は両手を挙げてあたしの目の前に現れた。

思わず、びくついた私は二散歩下がり腰が砕けた。

地面にへたった私は恐怖で、凍りついたが目の前にいたのが熊ではなく人だった。


「はははっ、広州。何びくついているんだよ。熊はしゃべらないぞ」

「えっ!」

驚いた私は、すぐに冷静になって目の前に現れたのが短パンとシャツの男子。

イケメンとは言えず、少し不恰好な顔。

団子鼻のひょうきんな部類に分類される男子が、私に向けて馬鹿笑いしていた。


「怖かったんだな」

「怖くありません、ただ不意打ちで……」

「なんか、一人で歩いていたからな。広州、お前こんなところで何してるんだ?」

「えっと、その春を、描く場所を……」

そっか、と私の話を相槌入れながら聞いていた。

そんな男子が、不意に私の手をつかんだ。


「じゃあ、こっちこいよ。俺も迷ったから、一緒に歩こうぜ」

「馬鹿じゃないの、一緒に歩いたら……」

「大丈夫だって、俺にまかせろ。このあたりは、俺の庭みたいなもんだ」

何の根拠もないことを、彼は言っていた。

そんな明らかに子供っぽい彼に、やれやれと思いながらも、私はついていこうとなぜか思えてしまった――




そんな彼との出会いで、妙に惹かれていった。

教室で彼の背後を見ていると、ドキドキしている自分がいた。

あの後も何度も声をかけ、やはり彼が好きだと自分で感じていた。

それでも、半信半疑なところがあったけど、


私の姿は、今体育館の裏にいた。

放課後、私は教室から出る北斗を、半ば強引に呼びつけた。

壁にもたれかかり、人気のない場所で私はただ時計だけを見ていた。


「北斗が好き」

その気持ちが、徐々に自分の中で固まっていることが分かった。

その証が、私の開いている台本の中に忍ばせていた。


(まさか芸能人の私が、一般人に向けて書くとは思わなかったわ)

そこに忍ばせたのが、昨日一晩かけて書いたラブレター。

彼に対する思いが、こめられた一枚の紙。

かわいらしいピンク色の封筒に、入れていた。


(やっぱり渡さないと、私の気持ち)

そう思いながら、私は時間まで待つことにした。

ドキドキしながら、ハラハラしながら。

小さい心は、初めてのドキドキを楽しんでいたかもしれない。

待つということは、こんなにドキドキするものだと私は、初めて感じた。


今日は、『織香部』に遅れることをすでに伝えてあった。

そんな私は、まだ待っていた。ピンクの時計のさす時間は、三時四十分。

もう、待ち合わせの時間を過ぎて、それでも待っていた。


(遅いね、もう忘れちゃったのかな?)

胸のドキドキが、やがて不安に変わっていく。

不安が、表情に出さないはずの私に出てきた。


そんな時に、突如私の足元にサッカーボールが転がってきた。

不満げに私がとると、そのボールを追いかけて一人の男子が姿を現した。


「わりぃ、悪い広州。待たせたな」

黄色いビブスをつけて、短パンの元気な男の子、北斗が姿を見せた。


「遅い、北斗!」

「で、なんだよ?」

そういいながら北斗は、私からサッカーボールを受け取った。

そのまま器用に、リフティングを始める。

おどけている北斗、そういえば彼はサッカーをやっているんだった。


「またサッカー?」

「サッカーじゃない、フットサル。今、面白いんだぜ」

と言われたが、聞き覚えのない言葉が出てきた。

それでも、北斗はリフティングを止めることはしない。


「真面目に聞いて!」

リフティングに夢中の北斗は、私の声に反応した。

でも、北斗は頭でくるくるとボールを回していた。

私は手を伸ばしてボールをとろうとしたが、北斗は私の手をあっさりとかいくぐって、私は無様に転倒してしまう。小学部の制服でもある白いワンピースについたほこりをはたくと、北斗は私が落としたピンクの封筒を見つけた。


「なんだ、これ?」

いつの間にかボールを右足に収めた北斗が、私の封筒を拾った。なんか、最悪。

「あっ、えと、北斗に渡そうと思って……」

「そうか、はい」

「それだけ、鈍感?」

北斗が、まるであまり相手にしていない様子を見せて、私はものすごく不快な顔を見せた。

しかも表を見て、すぐに私に手紙を返してきた。


「え、だから?広州?」

「これ、何かわかるの?」

「手紙だろ、ファンレター、ラブレターか?」

まあ、そうだけど、と私は言いかけた。でも、北斗は淡々とボールを右わきに抱えた。


「でも、今はフットサルに夢中で、俺は、そんな恋している場合じゃないんだ。

今度、大事な試合もあるし。よかったら今度の試合、見に来いよ」

「えっ、ちょっと……」

「じゃあ、練習行ってくるから、また明日学校でな」


そのまま、そそくさと北斗は私に背を向けて去っていく。

私は、手を伸ばして北斗を引き留めようとしたけど、北斗はそのまま体育館の裏から消えて行った。

私は呆然と、ただそれを見守るしかなかった。

何かが零れ落ちたように、わたしは呆然として動けなかった。


(なに、やってんだろ。私って、馬鹿じゃない)

次の瞬間、私の心は締めつけられるように苦しかった。




私は次の日から、学校がものすごく嫌になった。

フラれた彼と顔を合わせるのが、ものすごく辛かった。

そんな朝の教室で、私はいつも通りランドセルを置いていた。

しかし、私は不意に周りのわずかな変化が気になっていた。


それは、小さな声で聞こえる話。

普段からクラスの中で周りの生徒を子ども扱いして遠ざけていた私は、クラスの評判はあまりよろしくない。そんな私が着席して先生が来るのを待っている間、北斗の来ていないこの教室で、聞こえた言葉に固まった。


「広州って、昨日フラれたんだって!」

その言葉に、私は一気に顔を赤らめた。

なんで噂になっているかわからないが、ものすごくショックを覚えた。


「いい気味、あの子、前から生意気だったのよ」

「ねー、誰にフラれたの?」

「北斗君だって。まあ威張っている北斗と、生意気子役ならお似合いね」

などと、女子の声が聞こえた。

悪い噂、私に聞こえるように言っているようで、ものすごく嫌な感じがした。


私は、ものすごく泣きたい心を抑えつつ、そのままドラマの台本を広げた。

涙を出す練習はしても、涙を止める練習を私はしていない。

ドラマの台本に、顔を隠しながらもやっぱり涙は出ていた。


それは悔しく悲しい、フラれたあの出来事。

好きという間もなく、フラれて残った後悔。

(なんで、あんな男子(北斗)を好きになったんだろう)


経緯を考えても、答えなんて出てこなかった。それでも、私は女優。

自分の感情を抑えつつ、再び平静を装う女の子を学校で演じることを心に決めた。




なんでこんなことが、度重なるの。

フラれた翌日、結局昨日休んでしまった『織香部』に、今日は姿を見せる。

そんな、私は唯一尊敬できる大人の女性、三野宮 織香先生を頼るべく、東城学園高等学部にある教師棟の部室に向かった。

数学準備室のドアを開けたとき、私は今一番見たくないものを見てしまった。


そこには、二人の男女がいた。

二人とも同じ深緑色のブレザーを着ていて、東城学園高等学部の生徒。

銀髪のショートカットで気弱な男子は、皇 悠先輩。

そして、黒髪ポニーテールの女子は夜奈月 椿先輩。

二人は、机をくっつけ体を寄せ合って教科書を広げていた。


「ここはね、こうするの、悠」

夜奈月先輩は、にこやかな顔で隣の皇先輩に勉強を教えていた。

あの日グラウンドで、皇先輩は夜奈月先輩に告白して、あれ以来、二人はなんだか仲良くなっていた。

それが、今の私にとってものすごく辛いことのようにも思えた。だから、装う平静。


「あ、伊豆奈ちゃん。こんにちは」

「先輩たち、なにをやっているんですか?」

「試験が近いから、一緒に勉強やっているんだよぉ。

それより昨日、伊豆奈ちゃん休んだでしょ。ドラマ忙しいの?」

「別に」と、どこかの女優のようなふてくされた顔で、私は自分の席に着いた。


「あ、あの……広州さん」

皇先輩は、やや申し訳なさそうに私のほうを見ていた。

「何?忙しいんだけど」

「何か、あったんですか?いつもと違います」

いつも通りに私は接していたけど、皇先輩に指摘されて、私はつまらない顔を見せた。

ランドセルを床に置いた私は、表情をうかがわせないように、台本を広げて見ていた。


「いつも通りです、普通です」

「あ、そうそう、伊豆奈ちゃん」

夜奈月さんは、なぜか私の顔を見て妙ににこにこしていた。

私は、台本から目だけをなぜか恐々と出していた。


「伊豆奈ちゃん、今日来たってことは、ついに、園川先輩の『毒牙』にかかるってことだよね。ご愁傷様です」

「えっ、そうですね……見て……みたいかも」

「なに、それ?」

私は『毒牙』という言葉に気になるが、夜奈月先輩はなぜか笑っていた。

草食系の皇先輩も、珍しく興味を示していた。


「あたしじゃあ、ダメだったし、あずさちゃんも無理だからね。

アレは、やっぱり伊豆奈ちゃんだよね」

「でも、本人の同意が……」

「ちょっと、びっくりするよね、強引だし。

でも伊豆奈ちゃんなら、かわいくなると思うなぁ。

元々、伊豆奈ちゃんって、かわいい属性だしね」

「私はかわいくありません、女優です」

夜奈月先輩はかわいいものが好きらしいけど、私は「かわいい」といわれるのが好きではない。テレビの中では、タレントで、子役だから言われ続けているだけ。

年齢だけで、人を批判することは私は好きじゃない。


夜奈月先輩の「かわいい」発言で、いつも通り私は不機嫌な顔をしていると、私の背後から突如手が伸びてきた。

「えっ、なに」と、思わず声を漏らすと背後から一つの影が見えた。


「ふっふっふっ」

「誰?痴漢、いやーっ!!」

と、不敵な男の笑みに、つい演技で私は反応してしまった。

すると、背後の男性の眼鏡がきらりと光り、やがて姿をはっきりと見せていく。


「伊豆奈、今日は逃げずに来たようだな。撮らせてもらうぞ」

「へっ、ちょっと……」

私は、ひるんだ顔と演技で背後の園川先輩を見ていると、私の着ていた白いワンピースが、いともあっさりと強引に脱がされていった。


「な、何するの?」などと突っ込みを入れる間もなく、高速移動した園川先輩は謎の高速移動で下着姿に。

そのあと、園川先輩はどこからともなく取り出した、ピンクのメイド服を取り出した。

ひらひらのついたその服は、Sサイズみたいでかなり小さい。


「お前は、これから萌え属性になるのだ!」

どこからそんな低音の声が出てくるかわからないほどの声で、私に語りかけた先輩。

眼鏡を光らせ、そのまま下着姿の私にそのメイド服を着させた。

ついでに、白いカチューシェをかぶせられた私。

小さなメイドの格好に、されてしまった。


「園川先輩、これはなんですか?」

ふりふりのメイド服に高速で着させられた私は、当然のごとく不満を先輩にぶつけた。

水色のブレザー、痩せている園川先輩は、眼鏡越しに私を眺めてそのまま首にぶら下げたカメラを構えた。


「なかなかいいぞ」

と、言いながらシャッターを、何回も押していた。


「先輩、もうやっちゃっているね」

「うん、すごいバイタリティ」

夜奈月先輩と皇先輩は、なぜか暴走した園川先輩に呆気にとられていた。


「なんで、私がこの格好なんですか?」

「今日の部活で、お前にしてもらうからな」

「メイドの格好って、メイドカフェでもやるんですか?」

「ま、それに近いかな」

園川先輩の言葉に、ものすごく不愉快な顔を見せた。

すると、園川先輩の後ろからもう一人厄介なのが姿を現す。


「あら、伊豆奈。メイドね、似合うじゃない」

そんな時に、数学準備室に入ってきたのが私の腐れ縁で、うるさい長峰 あずさ。

深緑のブレザー姿で、現れた彼女は高等学部の生徒でもあった。


「なんでいるの?毒牙アイドル」

私の言葉にあずさは、すごくむっとしていた。単純で、分かりやすいわ。

「毒牙で、悪かったわね!」

「みなさん、お待ちどうさまですの」

そんな時、あずさの後ろから一人の女性が出てきた。

いつも通りの大人の女性、紺のスーツに優しそうな顔、私の憧れる三野宮 織香先生。

ちなみに、いつも一緒に抱きかかえる赤ん坊のプリカちゃんは、見当たらない。


「織香先生、聞いてください!」

「広州さん、メイド服、お似合いですわ」

織香先生の軽い笑顔を見ると、私の反論する気はあっさり消失してしまった。


「そうだね、伊豆奈ちゃんよかったね。はい、これ」

そんな夜奈月先輩は、足元に置いていた通学カバンから、銀色のお盆を取り出してきた。なんで銀色のお盆が通学カバンに入っているのか、少々の疑問は残るけど。


「なんですか、これ?明らかに変です」

「広州さん、本日の『織香部』はこちらですわ」

そういいながら、織香先生がホワイトボードを、指さしてくれた。

そこには、『中間試験勉強会』と書かれていた。


「中間試験?それって、なんですか?」

「高等学部では、試験を一学期ごとに二回行いますの。

来週から、一学期の中間試験がありますわ。

我が『織香部』は、試験後に大きな依頼がありますので、中間試験を落ちないよう皆さん、今日はお勉強会ですの」

「依頼?何があるのですか?」

「それは、秘密ですの」

織香先生と呼ばれた大人の女性は、人差し指を一本立てた。


「私は、それで何をすればいいのですか?」

「広州さんは小学生ですので、みなさんに癒しのお手伝いですの」

織香先生の言葉に、わたしはちょっとだけ自分の服装について理解ができた。




このメイド服、着たような形跡がありますが、まさか園川先輩が家で着ているわけではないでしょうね。などと勘繰(かんぐ)りながら、私は高等学部の廊下で、お盆を運びながら歩いていた。


『織香部』のある高等学部の廊下は、教師棟という生徒のあまり通らない場所なので、人とすれ違うこともない。

冷静に考えたらただのお茶くみというわけだけど、このままドラマの撮影に行くよりはまだましかも。今日は、私のメインの撮影が五時からだから時間は空いているし。


私は『織香部』に個人のマグカップに、給湯室からお茶をついで持ってきていた。

戸棚には、お菓子もあるのね。ちょっとだけつまみ食い、お菓子も持っていく。

皇先輩は、かなり渋い茶色の湯飲み。夜奈月先輩は、女の子らしいカラフルなもの。

園川先輩は、趣味悪いわ。ちなみにあずさと同じなんだけど、二人ともあずさの顔写真をプリントしたマグカップ。

なんでこんなものあるのよ、なんて思いながらも私は数学準備室に戻ってきた。


「お茶が入りました、ご主人様、お嬢様」

萌えるメイドという役を、私はやったことない。見たことはあるけど。

でも、あずさにレクチャーされて初めてやってみた。


「あー、かわいい、伊豆奈ちゃん」

椅子に座って勉強していた夜奈月先輩は、立ち上がってお盆で両手をふさがれた私の頭をなでた。


この人は、なんでいつも私の頭をなでてくるのだろう。

それでも、満面の笑みになって夜奈月先輩は、私の頭をなでていると、

「あ、ありがとう、ございます、お嬢様」


一応、メイドの役を演じているので、しおらしい顔を見せていた。

「ふむ、メイド姿はいいな。これぞ、男のロマンだ」

奥の机から、私を(いや)しく見ている園川先輩。

一応この人部長だけど、すごくエロい。

もう一人の男子の皇先輩も、きっとそんな目で見ているでしょう。


丁寧に、私はお盆を中央に集めた机の上に置いた。

一人一人お茶を、丁寧に取り分けていく。


「広州さん、ご苦労様ですの」

白いカーテンそばに、椅子で腰かけた織香先生が優しく私に語りかけてくる。


「ちょっと、これ熱いじゃないの!」

「はい、お嬢様。申し訳ありません」

感情をこめて、うつろな顔を見せた私。

役を演じろと言われて、演じないわけにはいかない。それがプロ、それが女優。

私の女優魂(プライド)が、適当な仕事を許さない。

あずさは文句を言うさまを見て、私はあずさのマグカップを手に取った。


うるさいクレーマーと思いつつ、私はからのお盆にあずさのマグカップだけを乗せていそいそと立ち上がった。そんな時、私のことを見て織香先生が立ち上がった。


「広州さん、わたくしも一緒に給湯室に行きますわ」

織香先生が、私と一緒に給湯室に来てくれることになった。




私は織香先生と、給湯室に来ていた。綺麗な給湯室は、清潔感のある小さな部屋。

てきぱきと私は、メイドとしてお茶を入れていた。

プロの女優である私は、どんな仕事も手を抜くことはない。

そんな私の隣には、優しく憧れの織香先生が手伝ってくれた。


織香先生との出会いは、二年前。

小二の時、代理の教師としてきた織香先生に、悩みを聞いてもらったことが始まり。

役者として悩んでいた私に、アドバイスをしてくれたので、ずっと尊敬している。

優しくて、何より知的、理論的、そんな織香先生が私は好き。


「広州さん、本当にありがとうございますの」

もう一度、私に感謝の言葉をねぎらってくれた織香先生。

私は、すこし恥ずかしくなって、ねぎらいの言葉を受け取った。


「みなさん、試験通るといいですね」

「それは、大丈夫ですわ。

広州さんは、みなさんが頭よくなるように、お茶を入れてくださいますもの」

優しい織香先生の言葉に、私はちょっとうれしくなっていた。


「広州さん」

「はい、織香先生?」

「広州さん、小学校で何かあったのです?」

織香先生の言葉に、私はどきっとした。

あずさのマグカップを持った私は、ちょっとだけ固まった。


「いえ、たいした……」

「隠さなくても、いいですわ。広州さん、恋をしましたわね」

「はい、フラれちゃいました」

はにかみながら言うと、織香先生はすごく悲しそうな顔をしていた。

でも、なんで織香先生が知っているんだろう。ちょっと、不思議な感じもした。


「そうですか、広州さん。あなたは、本当に思いをちゃんと伝えたのです?」

「え、その、伝える前にというか、もう決まっていたというか……」

「広州さんが好きな人は、ほかに好きな人がいたのですか?」

「うーん、それは言っていませんね」

「そうですか、ならば、もう一度ちゃんと告白必要がありますわね」

そんな織香先生は、ポケットから一枚の紙を取り出した。


「織香先生、これは?」

「今週末の日曜日、フットサルの試合がありますの。

そこに広州さんの大好きな、あの北斗君が出ますの」

「織香先生、なんでそれを?」

「わたくしは、皆さんの教師ですわ。

生徒のことを、ちゃんと把握していますし、そういう努力は怠りませんの。

離れていても忙しい広州さんのことが、とっても心配ですから」

織香先生は、ちょっとずるいです。でも、そんな優しさに私は安心もしていた。


「広州さん、今週の日曜日は空いていますわね」

「はい、空いています」

「ならば、行きましょう。一度、北斗君が戦う姿を見るのもいいですわ。

そうすれば、彼がなぜフットサルに夢中なのかが分かりますの」


織香先生が、なんだか私を励ましてくれた。

この先生は、本当に私のことをちゃんと見てくれるんだなって、改めて思えた。

私は、織香先生に元気よく、本心で「はい」と笑顔で返事をした。

その瞬間、私の背後からシャッター音が聞こえた。

私は振り返ると、そこにはストーカーのような園川先輩の姿が見えた。




部活が終わり、メイド服から通常のワンピースに戻った私。

車に乗り込んだ私は、なんだか心が晴れていた。

(そう、まだ本当にフラれたわけじゃいないんだ)

北斗のこともよく知らず、ただ好きになった私に、織香先生が教えてくれたこと。

気落ちもする必要もなければ、悲しむ必要もない。彼を、もっと知りたい。

そう考えると、感情だけ、想いだけで動いた私の軽率な行動を、今更ながら悔いた。


そんな私は、ドラマの撮影がある。おそらく、日本一多忙な小学生だろう。

マネージャーであり、ママが運転する車の後ろ座席に乗っていた。

後ろの座席で、私はドラマに集中をしていく。

(鳥かご)と、書かれたおもて表紙の台本を再び見返す。

運転席のママが、車を運転しながら私のほうをバックミラーで見ていた。


「伊豆奈、今日の予定だけど、ドラマの撮影が十七時半から三時間。

明日は、午後から撮影あるから、授業は午前中で切り上げて」

「はい、ママ!」

台本を読みながら私は、ママの言葉に相槌を打つ。


いつも通りに、ママの私の車の中でのやり取り。

初の主役、夏の改変期に放送されるつなぎのドラマだけど、私にとっては重要な仕事。

小学生でもあり、子役でもあり、時折部活にも参加する私は、とにかく時間がない。

どれも大切だし、どれも私にとって必要なもの。

だから、いつも「ながら」行動。


「それと、ドラマの撮影が少し押していて急遽(きゅうきょ)、日曜にも撮影が入ることになったから」

「えっ!」

私は一瞬、耳を疑った。

「日曜、朝七時から夜まで撮影するから。

もうすぐドラマの編集もあるから、いいわね?」

「ごめん、ママ」

「なに?」

ママの声が、聞き返す声に、ややトゲがあった。


「ママ、日曜休んでいい?」

「ダメよ!」

その時、車はちょうど赤信号。

ママは急ブレーキを踏んだが、車は停止線を少しオーバーしていた。

キキッと大きなブレーキ音が聞こえた後、わたしは体を運転席に向けた。


「伊豆奈、あなた主役でしょ!」

「そう、だけど日曜日だけは、ダメ!ダメなの!」

「馬鹿なこと、言っていないで台本覚えなさいよ!

最近それじゃなくてもNGばっかり出しているから、間に合わないんだからね!」


ママの言うことは、正しい。

最近の私はNGばかり出していて、スタッフに迷惑をかけていた。

そのことは、十分に知っている。でも、日曜だけは絶対に譲れない。

(もう一度、北斗に会いたい)

ただ、そういう想いが私を揺り動かしていた。


「日曜は、用事あるの!」

私が強く言い出す。車の前の信号が青に変わり、車は前に進んでいく。

交差点を抜け、見慣れたスタジオの入口へと入っていく。

ママの頭しか私からは見えないけど、すごく怒っているように見えた。

でも、私は引き下がれなかった。


「大体、何の用よ?学校行事は、何も入っていないわ」

「そ、それは……会いたい人がいるの!」

スタジオの中の駐車場に、車が入っていく。

駐車場で、ママは車をバックするために私のほうに顔を向けていた。

その顔は私の想像から離れていて、妙に落ち着いていた。

もともと、ママもかつては役者だから、表情は読み取りにくい。


「誰に?」

「だ、誰だっていいでしょ。でも、私にとっては大事な人」

ものすごく恥ずかしくなった私は、そこで名前だけは伏せた。

「それじゃあ、ダメね」

ハンドルを回しつつ、車が曲がっていたので、もう一度車を前進させていく。


「じゃあ、名前を言ったらいいの?」

「そうね」

ママは、淡々と車をバックさせていた。再び、後ろを見ながら車を後進させていく。

ママの言葉を信じて、私は息を大きく吸った。


「同じクラスの、北斗 元気君よ。彼に、会いたいの!」

次の瞬間、後進を終えた車のサイドブレーキを引いたママは、私から顔をそむけるように前を向いた。

「そう」

「いいでしょ、日曜日」

しかし、ママは無言で前を向いていた。私はさらに畳み掛ける。


「いいマネージャーは、役者のスケジュールを管理して調節できるもんだよ!」

「……」

「ドラマの撮影を、平日にずらしてもいいから、お願い!一生のお願い!」

私の声が、車内に響く。ママは、うつむいたまま黙っていた。

そんなママは、バックミラー越しに表情をうかがおうと体を前のほうに動かしたとき、私の体を、両手で抑え込まれた。

ママの手が、私のワンピースの首元をがっしりとつかんでいた。


「あなた、今のドラマ主役だってこと、わかっているでしょ!

七年やってようやく、つかんだ主役よ!」

その顔は、ものすごく泣きそうな顔だった。泣きそうで、怒っていた顔。


「今まで、どれだけ苦労したと思っているの?わがまま言ったら、次はもうないのよ!

現場で嫌われたら役者は、二度と役を演じさせてもらえないのよ!

伊豆奈、あなたは何もわかっていない。

あなたのわがままひとつで、多くの大人が困ることを。

あなたは、甘すぎる!芸能界は、数少ないチャンスを逃したら、全て終わりなの!」


ママの言葉は、迫力があった。鬼気迫るものがあって、怖い。

役者になった過程が、走馬灯のように私の頭の中をよぎっていく。

そう、私は女優であるから。

でもそんなよぎった役者としての私を、北斗はいともたやすく追いかけて行った。


「ダメ、どうしても日曜は北斗に会いたい!」

私は、気持ちに素直になった。いや、素直になるだけのものが、北斗にはあった。


「伊豆奈、スケジュールは絶対よ。どんなことがあっても、曲げられないわ!」

ママは、私をつかむ手をさらに強く激しくつかんできた。でも、わたしはひるまない。

「会いたい、北斗のそばにいたい!」

あの変な部活(織香部)に、そそのかされたのね、伊豆奈。目を、覚ましなさい!」

「じゃあ、ドラマやらない、やりたくない!」


ママの手を払いのけた私は、そのまま車の隣のドアから出ていく。

ママは、車の中から私の方を見ていた。

その顔は、怒っていてちょっと悲しげにも見えた。

でも、私はどうしてもママが許せなかった。


「ママなんて、知らない!大嫌い!」

「伊豆奈、待ちなさい!」

でも、私はママを置いて、とにかく走った。

駐車場の中に、ママの声だけが響いていた。




星の見えない空、私の心は曇ったまま、夜の町を歩いていた。

スタジオの駐車場から出ていくが、私はこのあたりの町を全く知らない。

綺麗なイルミネーションが見えるけど、それが逆に不安を掻き立てる。

知らない町は、人の波が見えた。そこにもまれる私がいた。

どうすればいいのか、わからない。

なんで、逃げ出したのかわからない。


ただ言えることが、今は好きな人に会いたい。

そして今、大事な主演のドラマをやっている。

それが私の女優として、キャリアとしての大きな分岐点であることはわかっていた。


(でも、私にはドラマの主演より、北斗に会いたい)

町は、帰るサラリーマンや、カップルでにぎわった。

暗くなった夜を、街の明かりが照らしていた。

行き交う人を見ながら、私はいろいろ考えていた。


「罪な北斗」

私は、楽しげに歩くカップルを見るたびに、男の顔が北斗の不恰好な顔にすり替わって見えた。


そんな私は、歩き疲れてスーパーにやってきていた。

おなかがすいた、などと思いながら惣菜のいい匂いがスーパーからしていた。

「おいしそう」

匂いにつられ、ふらふらとスーパーの中に入っていく。


店内は、夕方のタイムセールスが終わってか、少し人が少なくなっていた。

売れ残りの総菜コーナーで、私は眺めていた。さすがに試食は、なかった。


そんな私のそばを通りかかった、仲のよさそうな親子連れ。

「ママ、あれ買って!」

「今日は、テスト頑張ったからご褒美買ってあげるね」

「わーい」と、幼い子供。親子の会話が聞こえてきた、そんな夜のスーパー。

私は、なんだかそんな会話が、うらやましくさえあった。

それでも、私は帰るところがない。


(ママは、嫌い。私を、何も分かってくれない)

ママの言う座右の銘が、一つある。それは「役者に無駄な恋愛は不要」というもの。


空腹が、私の中に感じられた。

(おなかすいた)

私は、パックに詰められたコロッケを見ていたが、そのコロッケを一人の女性が取り上げた。そのまま買い物かごに入れていくと、私は無意識のうちに浅ましくそれを目で追っていた。だけど、そんな私に不意に声がかかった。


「あら、伊豆奈。こんなところで、何をしているの?」

その声は、意外と聞きなれたものだった。

やや鼻につく声、その声を出るほうを見ると、ブレザー姿であずさが買い物かごを持って立っていた。


「あずさ、な、なんでもない」

あずさにこんなところ見られた、一気に恥ずかしくなった。

取り乱した私は、逆にあずさを睨み返した。


「伊豆奈。あんた、今日は撮影じゃないの?」

「そう、だけど」

「じゃあ、なんでこんなところにいるの?」


あずさの質問に、私はしっかりと答えようとした。

だけど、それ以上におなかがすいて、ぐぅの音が聞こえた。

さすがに私のことを感じたのか、あずさはやれやれといった顔を見せた。

敗北感だけが残った私は、なんだか悔しい顔を見せていた。


「あんた、あたしの家に来なさいよ。おなかすいているんでしょ」

「せっかくだけど……お願いするわ」

変な会話だけど、私はあずさの誘いにのっかかることにした。



その家は、思っていた以上に小さかった。そして、何もない。

かなりぼろく古いアパート。ここは、あずさの住処(すみか)らしい。


「意外と、すっきりしているのね」

「なによ、不満?」

何もない玄関を通された私は、四畳の狭い和室に通された。


外と対照的に掃除はしているらしく中はちょっときれい、というか何もない。

「伊豆奈、その辺に座って」

その辺ってどこよ、畳が広く感じ、テーブルがぽつんと置いてあるだけの部屋。

ただ、あずさのアイドル写真だけは、壁にいっぱい飾られていた。

そんなあずさは、隣の部屋に入っていく。

間もなく出てきたあずさは、誰かと出てきた。


「あっ、こんばんは、広州さん」

あずさに肩を借りて出てきた人物は、ショートカットの少女。

あずさと違いどこかおっとりしていて、気立てのよさそうな雰囲気。

あずさとちょっと似ているけど、頬がかなりやつれていた。

水色のパジャマ姿で出てきた少女は、私を知っているらしくにっこりと微笑んでいた。


「あ、初めまして」

「紹介するわね、長峰 胡桃。あたしの妹よ」

妹さんか、なるほどね。全体的に、あずさに似ているわね。

でも、あずさとちがって体全体が細く、弱い感じもした。

それよりよくわからないけど、存在感が薄いような、そんな気もした。

まあ、あずさが変にでしゃばっているだけね。


「今日は、ゆっくりしていって、ゴホッ、ゴホッ!」

「胡桃、大丈夫?とりあえずご飯を、食べましょ」

あずさは咳き込む胡桃さんを座らせて、そのままさっきスーパーから買ってからコロッケを取り出した。テーブルもないので、床にそのまま置く。

胡桃さんの表情は、なんだか苦しそう。

でも一生懸命、私に微笑んでいるようにも見えた。


「ゆっくりしていってね、広州さん」

「あっ、いいんですか?なんだか悪いです」

「ええ、お姉ちゃんのお友達の方でしょ。

お姉ちゃん、お友達が連れて来るの、珍しいから」

「違うわよ、こいつはあたしの弟子よ、弟子。

ルックス、歌、それから演技まで、全てにおいてあたしのほうが上なんだから」


あずさの言葉に、胡桃さんは微笑んでいた。

どうやら、あずさの嘘を知っている感じの顔。

でもなんかいいな、姉妹って。一人っ子の私は、そう思えさせる微笑ましい光景。


「ねえ、大丈夫?」

「心配かけちゃって、ごめんなさいね。大丈夫です、私にはお姉ちゃんがいますから」

「ふーん」

胡桃さんは、元気なく微笑んでいた。どう見ても、体がやばそうよ。


そのあと割り箸で、コロッケを半分していたあずさ。

割ったコロッケを、私に差し出した。

いきなり差し出されたあずさに、私は首をかしげた。

いつも威張っているあずさだが、この部屋に入ってから、ずっと顔が曇っていた。


「はい、あんたの分、伊豆奈」

「えっ、これだけ?今日の夕食?」

あずさの渡してきたコロッケを、私はついまじまじと見てしまう。

「そうよ、なんか文句でもある?あたしは、稼ぎが少ないから。ごめんね、胡桃」

「いえ、お姉ちゃんが稼いでくれるのがうれしいです。学校も部活も忙しいのに」

「いいのよ、胡桃が早く元気になってくれれば……そう、元気に」

胡桃さんは、あずさからわたされたコロッケを、嬉しそうに頬張った。


胡桃さんのそばで、あずさは四つ這いになって薬の入っているビニール袋を取り出した。中からは六種類の薬が入っていて、それをテーブルに無造作に広げた。

「これ、全部飲むの?」

「そうよ、伊豆奈。さっさと食べなさい!」

そのあと水を汲んできたあずさは、胡桃さんに一個一個薬を胡桃さんに渡していた。


「はい、胡桃」

胡桃さんは、嫌な顔を一つもせずあずさから受け取った薬を飲んでいた。


「そんなに一気に薬を飲んで……」

「大丈夫よ、胡桃は死なない!」

あずさは、きっぱり言い放った。眉間のしわを寄せ、右手を強く握る。

胡桃さんは、一回だけ軽く頷いていた。

私は、今までの疑問を素直に聞いてみることにした。


「あずさ、なんでこんな生活しているの?」

私は貰ったコロッケを口に入れながら、あずさに質問した。

今度のあずさは下を向いたまま、カラになったパックを見ていた。

でも、顔はどこか苦そうな顔になっていた。

「あたしと胡桃は、家族の最後の生き残りだから!」

「お姉ちゃん」

珍しくあずさの絞り出す声に、胡桃さんは心配そうな顔を見せていた。


「あたしたちは、一家心中したのよ!」

苦渋の顔で絞り出したその言葉を聞いたとき、私は言葉を失った。

それでも強気のあずさは、憮然とした顔を見せた。


「ごめん」

「いいわよ、あんたには話しても害はないし」

あずさの話を聞いて、周りに物がない理由がようやくわかった。

親を亡くし、二人身を寄せ合い、一生懸命生きているんだ。

ちょっと、あずさを見る目がかわったかも。


「伊豆奈はいいわね、いつも一緒にいてくれるママがいて」

あずさの何気ない言葉に、一気に心が急に張り裂けそうになった。そんなママと、

「喧嘩して、逃げてきた」

正直に、話してしまう自分がいた。

「あら、大丈夫ですか?」

胡桃さんは、心配そうに私を見ていた。

割り箸を持ったまま、私が固まっていた。


「平気よ、ありがと」

胡桃さんは、いつも心配そうな顔を見せていた。

あずさの大事な妹の前に、私が不安な顔を見せるわけにはいかないわね。

子役として、やはり無邪気な笑顔を見せていた。

なんだか、この胡桃さんをあまり悲しませてはいけないような、そんな気がした。


「伊豆奈、フラれたんでしょ」

そんなとき、あずさの言葉を聞いて、私は不意に怒りを見せた。

「な、なんであんたが、知っているの?」

「あたしは、毒舌アイドルよ。いろんな、ゴシップ情報を持っているわ」

それで、分かった。織香先生が、どうして私の失恋を知っているのか。


「もしかして、部員全員に話したんじゃないでしょうね」

「織香先生だけよ、不安がっていたから。でもみんな、やっぱり不安がっていたわよ。

あんたの悪態も聞けないし、椿なんか、おろおろしていたわ」

あずさの話を、半分聞き流していたけど、みんなが心配していたことは、ちょっとうれしかった。


「それより、伊豆奈。はっきりさせたいことが、あるの!」

「なに?」

「あなたは、子役が好き?」

あずさの言葉に、「もちろん」と言うはずが戸惑った私。

その言葉が口から出かかった時に、呑みこんでしまう。


それは、わずかな思考が入ったから。そしてその思考は、

(本当に私は、役者が好きなのだろうか?)

というもの。今初めて、しっかり考えたような疑問。


ずっと、好きなママが進めてきて、ママが全て仕切って、ママの言うとおりにずっとやってきた。

私にしては、唯一の家族。ママとパパは、離婚したから。

役者は、私の人生の半分以上を占めたモノ。

それが、好きということになるのか、私にはわからない。


「どうしたの?なんか答えなさいよ!」

「わからない!」

あずさの問いに、情けないことに答えられない自分がいた。

怒ったあずさは、すぐさまあたしのワンピースの首元をつかんだ。


「わからないって、あんたね!もう、決まっているでしょ。

何をすべきか、ああっ、もう生意気よっ!」

なんだかわからないけど、あずさはものすごい剣幕で怒っていた。

胡桃さんが、少し心配した顔で見ていた。


「な、何言っているの。私のワンピースが、よれちゃうわ」

「馬鹿よ、あんた。

迷っているのも、逃げ出すのも。だから、あんたはまだ子供(、、)なのよ!

もっと欲張りなさい、あなたは一つじゃない。強欲な、子供なんだから!」

その言葉を聞いて、私は、ブチッと何かが切れた。


「うっさいわね、ダメアイドル!

あんたはもう、ピーク、過ぎているのよ!賞味期限切れよ!」

「なによ、生意気。コロッケ返しなさいよ!」

「あの、お二人とも……」

「あんたは、黙ってて!」

最後のセリフだけ、私とあずさの声がなぜかシンクロした。

胡桃さんはおびえた表情で、私たちを見ていた。

そのあと、私とあずさはしばらく喧嘩をしていたのだった。




今思えば、ものすごく大人げない。

それでも、あずさはなんだかイイヤツだと思う。


結局、私はあずさの家に一泊してランドセルを背負い、学校に向かった。

何度も鳴る携帯電話を、私は一度も取らなかった。

ママとは、やっぱり話せないでいた。

次の日も、学校。あずさとは、付属の高等部なので行く場所は同じ方角。

体調不良で胡桃さんは、家で休んでいる。


そんな私は、授業は普通に出て、あっという間に放課後になる。

学校で唯一のユートピア、一番楽しい時間の『織香部』に向かうことにした。


その途中、数学準備室近くの職員室で、私はあるものを見かけた。

それは、普段の学校ではありえないもの。

(ママ、どうしてここに?)

いつも通り、マネージャースタイルの黒いスーツを着た女性。

見覚えある女性は、紛れもなく私のママ。

そのママは、眉間にしわを寄せて、椅子に座る人物と会話していた。


「三野宮先生、やはりあなたのところに預けたのが、間違いでした」

「まあ、広州さんがいなくなったのですの」

怒っているママの会話の相手は、なんと織香先生。

綺麗な顔立ちの織香先生は、不安そうな顔を見せていた。


「あなたには、責任を取ってもらうわ、伊豆奈がおかしくなったこと。

だいたい、こんなへんてこな部活(織香部)に伊豆奈を行かせたことも失敗ね。

もうちょっと、あの子の演技の肥やしになるかと思ったけど、全部あんたの責任よ!」

「申し訳ありませんわ」

織香先生は、ママにまくしたてられて、ただ謝っていた。

困った顔の織香先生は、頭を下げていた。


職員室の教師たちは、織香先生のほうを遠くから見ていた。

私は、なんだか心がはちきれそう。

(どうしよう、私のせいで)

憧れの人の、みじめな姿。理想の大人として認めている織香先生の、悲しげな顔。


「早く、伊豆奈を探しなさい。

そしてちゃんと目の前に連れてきなさい、全部あなたの責任なんだから。

演技がおかしくなったのも、あなたや、あの変な部活(織香部)のせいよ。

教師の仕事は、生徒に悪い虫を近づけさせないことも大事な仕事のはずよ!

あんたは間違っているわ、低能の教師よ!」

ママが放つきつい言葉、つばが飛び、激しくつめよっていた。


「本当に、申し訳ありませんの」

「あんたは最低、クズ教師、ダメ教師!」

気落ちした顔で織香先生は、それでもただ聞いていた。

唇をかみしめて、言葉をただ受け止めていた。


「伊豆奈は、もう『織香部』をやめさせます!

たとえ、伊豆奈が行きたがっても、絶対にやめさせます!」

「それは、ダメ!」

私は、その言葉にだけ耐え切れなくて前に出た。


「広州、さん」

「伊豆奈、どこに行っていたのよ!みんな心配していたのよ!

ドラマのスタッフさん全員で、昨日夜遅くまでずっと探していたのよ。

もちろん、私だって!」

ママは、私の顔を見るなりすごい剣幕で私に近づく。

そのまま私を、激しく抱きよせた。


「もう、帰るわよ!ドラマの撮影、おしているから!」

「ダメ!私は、『織香部』をやめない!」

私は、やっぱり意思を強く示した。

そう、『織香部』には私が行きたいと言った、唯一の我が儘(わがまま)


「三野宮先生、失礼しました。もうあなたとは二度と会うことは、ありません!」

ママは、私の手を強引に引っ張る。織香先生は、顔をあげていた。

その顔は、なんだかさっきまでの落ち込んだ顔と違って、どこか笑顔にも見えた。

いや、その笑顔は私に向けられていた。


「先生……」

「広州さん、『織香部』はいつもあなたの味方ですわ。あきらめては、いけませんの!」

微笑む大人の女性、織香先生。私は、うつろな顔で織香先生の言葉を聞いていた。

しかし、私はママに強く引っ張られ、職員室から強引に連れていかれたのだった。

引っ張られる間も、私はあずさから言われたあの事を考えていた。




私のエネルギーは、輝きは、失っていた。

それでもドラマの撮影だけは、驚くほど順調に進んでいた。


あれから日曜までの放課後は、部活に行くこともない。

学校の授業が終わると、小学部の校門にママがすぐに車で迎えに来ていた。

部活で二時間使っていた時間は、完全にドラマ撮影にあてられていた。

誰とも遊ぶことも、部活に行けないも感じさせないほどの厳しいスケジュール。


そして、今日は日曜日。朝早く、私は車に乗り込んでいた。

ママの言うとおりスケジュールは組まれていて、車に乗っていた。

今日も始まる、ドラマの撮影。いつも通り、ただこなすだけ。

演技になれば、カメラがあれば、そこで女優としての自分が自然に出てくる。


私を乗せた車は間もなく、スタジオにたどり着いた。

逃げることもなく、私は女優の顔に戻る。

「あなたは女優なんだから、しっかりやんなさいよ」

「はい」

スタジオの教室のセット、毎日通ったこのスタジオで、今日も私は女優をする。

ママに、言われたから。ただ、それだけ。

重い扉を開けると、そこは目がくらむほどに眩しかった。


「空っぽ」

そこに広がったのが、真っ白な空間。なにもない、静かなスタジオ。

「あれ、どういうこと?あなたは……」

「ドラマ(鳥かご)は、なくなった」


そういって、奥から凛とした男性の声がした。

そこから出てきたのが、二人組の男女。

二人とも、東城高等部の深緑色のブレザーを着ていた。

その顔には、二人に見覚えがあった。そして、驚かされた。


「皇先輩、どういうことですか?」

「ドラマは、この俺が『破壊』した」

見た目は、皇先輩だ。銀髪のショートカットが、見覚えあった。

雰囲気が少し違うけど目がしっかりしていて、いつもおびえているようなそんな姿ではない。そういえば、なんか目が赤くないですか。隣は夜奈月先輩、かわいい物好きの先輩も、やはりしっかりした顔で私たちを見ていた。


「あなたたち、ここは部外者以外立ち入り禁止。今すぐ出ていきなさい!」

「あたしたちは、部外者じゃないよ。

伊豆奈ちゃんはね、あたしたちと同じ『織香部』だから!」

「伊豆奈は、『織香部』をもう、辞めたのよ!」

「本人はそう、望んでいるのか?」


ママと夜奈月先輩が言い合う中、皇先輩がママを強く睨み付ける。

それにしても、皇先輩。なんだかちょっと冷たい氷のような、オーラを出していた。

普段と違っておどおどした様子もなく、赤い目をしっかり見開く。

(ちょっと、怖いかな)

などと心の中では思っていた。


「お前が、伊豆奈の母親か?」

「そうよ、ママよ。そして敏腕マネージャーよ」

「ならば、子供の幸せを大事に考えなければいけないだろう。

今の伊豆奈を、本当に(いつく)しんでいるのか?」

「あたしはね、(いつく)しんででるよ。オムツかえるのも……」

夜奈月さんは嬉しそうな顔で、私を見てきた。

すぐさまツッコミ役になった隣の皇先輩に、強引に口を押えられた。


「お前のことはいい」

「むーっ、悠、ひどいよぉ」

「伊豆奈は大好きだし、本当に(いつく)しんでいるわ。唯一の家族だから」

「なら、これを見ろ!」

そういって、見せてきたのが一枚の写真。

その写真を見たとき、私の顔はなんだか真っ赤になった。


「先輩、なんでこんな恥ずかしい……」

「な、何をさせているんですか?伊豆奈にこんなに、恥ずかしい格好させて!」

「お前には、伊豆奈のベストショットはあるのだろう、俺に見せてみろ?

これ以上に、生き生きしていて、伊豆奈の感情あふれる写真があるのか?」

「な、いきなり。わかったわよ」

そういって、ママは携帯画面を取り出した。

皇先輩に見せようと、携帯電話を向けようとしたとき、なぜかママはためらった。

ママは苦い表情に、唇を震わせていた。


「こ、これは違う……」

「分かっただろう、お前の持っている写真は、伊豆奈が本心で笑っていない。

そこに映るのはあくまで演技だ、演じている役者の顔をした伊豆奈の笑顔。

お前の夢を伊豆奈にかぶせて、それを演じさせているに過ぎない。

この写真との違いが、はっきりと分かるだろう」

「伊豆奈ちゃん、行こう。今日は、何の日かわかっているよね?」

「うん!」

夜奈月先輩の差し出す手に、私は迷うことなかった。そう、私は『織香部』なんだと。

先生の言うとおり『織香部』が、私にはついているんだと。


そして、私は夜奈月先輩の右手を引くと、夜奈月先輩は私のことをぐいっと胸のほうに引きつけた。

「あー、伊豆奈ちゃん、やっぱりかわいいなぁ。一週間分の、よしよし」

夜奈月先輩が、私の頭をめいいっぱいなでてくれた。


「私は、子供じゃないです」

しつこい夜奈月先輩に、いつも通りつっこんだ私。

でも夜奈月先輩の小さな胸は、ちょっと温かった。

私の背後では、ママが悲しそうな目で見ていた。

まるで娘が嫁入りする父親のような、そんなさびしそうな目。

ママのその視線を、私はしっかり感じていた。そして、振り返る。


「ママ、ごめんなさい。やっぱり私は彼が好きだから、これだけは譲れない」

「伊豆奈、ママは……」

「お前に、その写真をやる。伊豆奈のこの顔を見られるように、努力しろ」

スパイシーヘアーの冷たいオーラを放つ皇先輩は、落ち込むママに上から見下す。

ママは、ずっとあの写真を見ていた。


負けを認めたママは、写真を持っていた。

それは、私が真っ黒なメイド服を着て、嬉しそうにしていた写真。

撮った人は、もちろんエロ部長の園川先輩。


すると、私のそばにいた皇先輩が、突如顔を歪めていた。

顔の右側を、激しく手で覆う。

「悠、大丈夫?」

「くそっ、椿!あとは任せた!俺は、もう持たない」

「あ、う、うん」

そんな皇先輩は、夜奈月先輩に寄りかかっていた。

肩を貸した夜奈月先輩は、ちょっと私も憧れて見えた。

女子の中でも大きな夜奈月先輩によりかかり、さっきまでの強気な皇先輩は、意識を失っていた。いつの間にか銀髪の髪が、大人しく額に吸いついていた。


「早く、行こう。織香先生が外で待っているよ」

それでも私は、夜奈月先輩の言葉を聞いて、なんだかうれしくなった。

私は、背後で崩れたママをちらりと見た。

ママは、床に置かれた私の写真を黙って見ていた。


「ママ、ごめんなさい。でも『織香部』も、女優もやめないから!

私は、強欲な子供で、全てが私だから」

それは、ある親友から言われた言葉の答え。

ママは顔を上げたとき、私はすでに夜奈月先輩と皇先輩と三人で、一緒にスタジオの外に出ていた。

鳥かごから出た、鳥が見た外は広く見えた。




唐突ですが、私は命の危機に面しています。

今、私は軽乗用車の右の助手席に座っていた。

なぜか外車に乗っていた私は、車内が激しく揺れていた。


「先生、安全運転で!悠が死んじゃう!」

車の後部座席、夜奈月先輩の切実な声が聞こえてきた。

だが、まだ甘い。私のほうが、もっと怖いから。

右から近づく電柱が、ふいに大きく見えた。


しかし、車は横に傾いたのかぶつかる寸前で電柱を急ハンドルで回避。

私の隣の運転席には、あの織香先生がいた。

なぜか前髪を一本ぴんと立たせて、顔を強張らせてハンドルを握る。

織香先生の運転は、恐怖そのもの。

ジェットコースター以上の恐怖の世界が、そこに広がっていた。

交差点で曲がるとき、赤信号ぎりぎりで、一切スピードを落とさずに左に曲がる。


「わっ!」

ぐらりと傾く織香先生愛車の外車、フォル○スワーゲン、ニュービー○ル。

シートベルトをしている私でも、体が激しく揺れてなぜか浮き上がった。

織香先生の一応愛車である赤い車は、一車線の中央分離帯に乗り上げて、片輪走行。


「だ、大丈夫ですわ。いつも安全運転ですの!」

よく見ると、一般車道六十キロ制限道路なのにもかかわらず、スピード計は軽く百三十キロを指していた。


「先生、怖い!」

「安全運転で、ぶっちぎりますわ。試合に、間に合わないですもの!」

言っている意味が、よくわからない。

今日は、皇先輩といい織香先生といい、裏の顔が出て驚かされてばかり。

大人はみんな役者だと、改めて思えた。

織香先生の隣、私のそばにはほんの数センチのところで車とすれ違う。

恐怖が、私の背筋を凍らせた。


そして、私は目の前にある停車中の大型トラックを見かけた。

猛スピードで突っ込む車に私は、思わず前を指さす。

「先生、前!」

「大丈夫、ですの!」


急ハンドルで、大きく右に切っていく。

ガツン、トラックの後ろの荷台が車にあたったような気もしたが、そのままスピードを落とさずに車は、前が空いていた自転車専用道路を、猛スピードで駆け抜けていく。


「風に、なりますわ」

織香先生は、なぜかにこやかな顔で私のほうを見て微笑んだ。

その笑顔に、私はおもわず恐怖で凍りついた。




それから、約五分もの地獄の時間を耐え抜いた私は、団地にたどり着いた。

正確には、団地の中にあるグラウンド。小さな公園、そこに待っていたのが、

「遅い!」

あずさだ。腕組みをしながら、やはり深緑のブレザーを着て仁王立ちしていた。

いつも通りかわいこぶってか、大きなピンクのリボンをつけていた。

そのあずさの目の前に、車は急ブレーキで止まる。


「死ぬかも思ったよ、ああ、悠、戻しちゃダメ!」

車内では夜奈月先輩は、青白い顔の皇先輩を介抱していた。

そんな後ろ座席の二人組を、疲れた顔で見ていた私。

運転手の織香先生も、魂が抜けたような感じでハンドルにもたれかかっていた。


「風に、なりましたわ……」

などと言いながら、魂が抜けた顔になっていた。

私は、一礼して車を降りてあずさの目の前に立つ。


「伊豆奈、行きましょ。もう試合、始まっているわよ」

「わかっているわよ」

そこは平静を装い、乗り物酔いの残る私は、あずさについて行った。




小さなフットサルのグラウンド、私はフットサルを生まれて始めて見ていた。

サッカーみたいなものだけど、人数がサッカーより少ないらしい。

隣のあずさが、うんちく交じりで説明していた。

屋外の芝のグラウンドでは緑色のユニホームを着たチームと、白いユニホームを着たボールを取り合う。

北斗は、緑か。チーム名は、よくわからないけどスコア的に「五対五」で同点らしい。


「ああっ、もうじれったいわね!シュート、しなさいよ!」

あずさは、なんか知らないけど私の隣で試合を見ていた。そして、エキサイト中。

そこで、いつも教室で見る以上に、生き生きとする(北斗)を初めて見ていた。

ボールを受けた、北斗。そのままドリブルをしながら、ゴールへと駆け上がっていく。

そんな北斗の目の前には、立ちはだかる大きな体のキーパー。


「北斗、かっこいい」

ちょっと小太りの北斗と、対するは北斗よりさらにがっちりした中学生のような大きなキーパーは、鬼のような形相でゴールを守る。

北斗が右足を振り上げた、そのままシュートを放つ。

キーパーの右方向に、放たれたシュート。

だが、キーパーもそれを読んでいて、北斗のシュートの方向へと飛んでいく。


「ダメ、とられちゃう!」

そう思った瞬間、ボールは急にキーパーの下をかいくぐるように落ちた。

沈んだボールは、ワンバウンドでゴールネットに吸い込まれた。

そして、ゴールと試合終了のホイッスルが鳴った。


北斗の周りには、チームの仲間が集まった。勝利を、喜ぶ選手たち。

試合を食い入るように私は、北斗が好きなフットサルの意味をようやく理解した。


(北斗が好きなんだ、これがフットサル。みんなを喜ばせる)

私は、数十人しかいない観客の中でも、喜んでいる親や友達を見てうれしく、誇らしくなった。あんまりかっこよくなく、立派でもなく、どちらかというと面白く、そして残念な顔。

でも、そんな彼がみんなから喝采を浴びて、喜ばせる。

広がる歓喜の輪を、ちょっと誇らしげに私は見ていた。


「やったわね、伊豆奈。はい」

そんなとき、さっきまで隣でやかましいあずさが私に、真っ白なA4サイズの茶封筒を手渡す。その中から出てきた、あのピンクのラブレター。

あの時に、渡せなかったラブレターを、私は渡されるがまま、受け取った。


「渡しに来たんでしょ、あんたの気持ち。

伊豆奈は、今のあたしに少し似ているから分かる。

それに、あなたには一つ貸しを作っておくわ。胡桃に会ってくれた、アンタにね。

一番大事で、一番重いことをあなたにやってもらうわ。アンタ、女優だし」

「何言っているか、わかんないんだけど……」

「いいのよ。じゃあ、そういうわけで、さっさと行きなさい!」

あずさの言葉に、無言で頷いた。


そして簡易ベンチに戻った北斗のところに、客席から私は立ち上がって向かう。

(私は女優、女優は度胸が大事)

いつもママが、大事な撮影の時に私にかけてくれた言葉を、私は私にかけていた。

それから間もなくして、私は試合終了のコートに入った。


少しざわつくけど、私の気持ちはやっぱり抑えきれない。

あの時と同じように、ものすごくドキドキしていた。

勝利の余韻に浸るコートに入った私は、北斗を見上げた。

目の前の北斗は、私の姿に気づいてこっち見ていた。

周りのチームメイトたちは、なぜか私の顔を見るなりひそひそと噂をしている。

でも、構わず私は声を出した。


「北斗、話があるの」

試合終わった北斗は、汗がしたたる顔をぬぐうことなく私を見ていた。

「広州、見に来てくれたんだな」

北斗は、私の顔を見て豪快に笑って見せた。


「北斗、いいよね」

「うってつけの場所がある」

北斗は、私の言葉を理解したのか、一言そういってくれた。

そういって、北斗は私のほうに近づき、手をそのままグイッと引っ張った。




ある団地の上、屋上に二人で来ていた。そこは何もない。

北斗に言われるまま、私は上がったそこは団地の共有エリア。

この屋上から見えたのが、見晴しい場所。

「遠くに、東京タワーが見えるんだぜ」

北斗が教えてくれたその場所から私は覗き込むが、見えない。


代わりに、学校付近にあるビルが見える。

でもここはちょっと高いから、天気がいいと見えるかもしれないね。


「北斗、勝っておめでとう」

「ありがとな」

北斗は素直に嬉しい顔を見せたけど、すぐに顔を曇らせた。


「あの後……気になっていてな。お前のドラマ、急になくなったみたいだから」

あ、うん、と私は相槌を入れた。北斗は、申し訳なさそうな顔を見せていた。

「なんで、悪いことをいきなりいうの?」

「わ、わりぃ。なんかこういう空気に慣れていなくて。

俺は、専門じゃないとずっと思っていたから」

「専門?」

「モテる専門。どう考えたって、俺ってかっこよくないだろ」

「当然よ」


私は、そっけなく言った。

それでも、私は彼が好きになったのは外見じゃなく、彼の人柄だから。

こういう気遣い、暖かいところが、私は好き。


「でも、伊豆奈が元気でよかった。

あの日から、伊豆奈がおかしくなって本当に心配だったんだぞ」

「う、うるさいよ!」


でも、うれしかった。

教室にいるときも、北斗の視線が私に向けられていたことは何となく感じた。

そう思ってもらえたことが、私の胸を熱くする。

そのまま、自分のポケットに忍ばせたアレに手を伸ばす。


「もう一回、受け取って」

そんな私は、抑えきれない気持ちをしわくちゃのピンクのラブレターにこめて、彼の前に突き出した。


「俺でいいのか、伊豆奈?子役で人気者のお前と、こんな俺でいいのか?」

躊躇(ちゅうちょ)する北斗、私はいらだったがぐっとこらえた。

下を向いて赤くなる顔を、こわばる顔を隠して手だけ彼に向けた。

それからすぐに、彼は私のラブレターをようやく受け取った。


「分かった。伊豆奈も、勇気出して言ってくれたし、な」

「うん」

声がして、顔を上げた。

北斗は、私にいたずらっぽい笑顔でそれでいてまっすぐ見ていた。

手を差し伸べてくれた北斗の手を、私は握った。


その手は、やはり織香先生みたいにとっても温かい。

ちょっとごつかったけど、それは男の子の手だった。

私の顔は、自然と赤くなって、笑顔になった。


「伊豆奈、これからよろしくな」

北斗の声に、私は子役でも、タレントでも見せない、人生で一番の無邪気な笑顔を見せた。

それから私と彼は、いつまでも屋上にいました。


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