第一話:数学教師の十字架
――登場人物紹介
三野宮 織香:『織香部』顧問、既婚者、本編主人公。
東城学園高等部で、数学を教えている。ショートボブで、色白な大人の女性。
完璧主義者で、理論的。娘のプリカに「様」つけをしていて、愛している。
旦那は、教師一年目で知り合うが、ある理由から別居している。
園川 哲治:『織香部』部長、エロい男子。悠や椿、あずさより一つ年上。
好きなものは、フィギュア。自作でフィギュアを作るほど、手先は器用。
眼鏡をかけている痩せた男で、常にカメラを首にぶら下げている。
広州 伊豆奈:『織香部』部員、子役。
赤い髪でカールがかかっている、童顔で無邪気な人気天才子役。
しかし、普段は対照的におとなしく、周りと無駄な関わりを持たない。
皇 悠:『織香部』部員、気弱な少年。
ぼさぼさの銀髪、気弱で人見知りな少年。
しかし彼は普通の人ではなく、ある『特殊なこと』から体育祭に呼ばれていた。
沢尻 桜子:東城学園日本史教師、独身。
なぜか常にセーラー服を着ている、セーラー服日本史教師。
三野宮先生を尊敬していて、いいマンションに住んでいる。
長峰 あずさ:『織香部』部員、ツンデレ毒舌アイドル。
意外と可愛いロングヘアーと、目立ちたがり屋の大きなリボンが特徴。
テレビでは、ツンデレ毒舌アイドルとコピーで売っているけど、人気はいまひとつ。
夜奈月 椿:『織香部』部員、背の高い女子高生。
中学まではバスケをやっていて、身長が高い。
ポニーテール少女で、学校の寮で暮らしている。
天照 小百合:体育祭を走っていた女子。足は速い。
凛々しい女子のいでたち、長い髪が特徴。
赤組の勝利のために頑張っている。
福永 誠:赤いショートヘアで、筋肉質の男。
背は高く、スポーツ万能風な空気を持つ彼は、特殊な人間。
プリカ様:ピンクの髪の赤ん坊。
とても愛らしい、「にゅ」と、「ばぶばぶ」ぐらいしかしゃべれない。
彼女は、死ぬつもりではなかった。いや、殺すつもりがなかった。
わたくしの目の前で、かけがえのない一人の生徒の命が亡くなった時、わたくしの背中には罪という十字架を背負う。そして、その十字架はとてつもなく重く痛いもの。
わたくしの名は三野宮 織香、高校の数学教師ですわ。
紺色のスーツで、立ち尽くした簡易テントの中。
白い肌と、ショートボブのわたくしは、きれいな姿勢で立っていました。
そんなわたくしの目の前では今、体育祭を行っていますの。
体育祭は赤と青組か、グラウンド上で生徒たちが火花を散らしていましたの。
いよいよ、最後の競技ですわ。
「差は十点劣勢ですが、リレーですべてが決まりますわね」
そのリレーは、男女混合組選抜のリレー。
一年女子から三年男子まで、六人が繋ぐリレー。
そして、赤か青のはちまきをした一年の女子生徒二人が、目の前のスタートラインで号砲一発走り始めた。
わたくしは、担当する赤組を応援していましたの。
「あとは見るだけ、というわけか」
わたくしの隣に眼鏡をかけ、体操服姿の男がいた。彼女の名は、園川 哲治。
やや痩せこけた顔、顔から流れる汗は、まさに運動後の男子そのものだった。
そんな彼は、なぜかデジタルカメラを首にぶら下げ、写真を撮っていた。
「あんたのせいで、赤組負けちゃうわよ」
園川君の隣にいるのが、赤いワンピースの女の子。
高校生の園川君と違い、カールかかった髪の小さい女の子は、小学生っぽく見えた。いや、小学生ですわ。
彼女の名は、広州 伊豆奈。
彼女は、わたくしの引率する赤組のお手伝いをしてくれましたわ。
「あっちには、赤組には、あいつがいるんだぞ!」
「それまでに、リード取れるかが鍵ね」
グラウンドでは、最後のリレーが続いていた。
次を走るのは二年生の女子、赤と青のバトンをほぼ同時に受け渡した。
まさに横一線のレース、わたくしは厳しい顔を見せていた。
「だからこそ、彼を呼んでいますの。切り札は、最後まで取っておくものですわ」
そういってわたくしは、一人の人物をテントの奥から呼びつけた。
わたくしの腕で、ピンク髪の赤ん坊がとてつもなく愛らしい寝顔を見せていた。
その隣でわたくしは、そういいながら奥にいた気弱な少年を呼びつけた。
銀髪の少年、彼の名は皇 悠。彼は中学三年生、よその学校の生徒。
そして私が呼んできた、究極の切り札。
「彼は?」
「人は、汗をかきますの」
そういいながらわたくしは、そばにいる園川君の額の汗をぬぐった。
晴れた秋の日、人の熱気でグラウンドはさらに熱く感じられた。
「さて、問題ですわ」
「なんだ、俺は忙しいんだ。負けると、すべてがおかしくなるのだろう。
それまでに俺は、最後の完成フィギュアを完成させないといけない」
「あきらめるの、早すぎ」
「無理だろう、あっちの悪魔にかなう人がいない。
あいつには、心臓すらないんだからな」
「そうですわ」と、わたくしは、それでもほくそ笑う。
「皇君、彼が出てきますわ。よーく、見ていてくださいな」
わたくしの目の前、そこには一人の人物が映っていた。
容姿端麗、きりっとした目の男。
背も高く、彼が出てくるだけで、女子たちの視線が集められる。
それ以上に、人間以上の威圧感を放つ。
体操服を着たその男子は、いかにも運動ができそうなそんないでたち。
赤毛の男子は、それでも険しい顔を見せていた。
三年生の彼は、福永 誠。彼は、俗にいう半悪魔。
「本当にこんなことをして、いいのかな?」
「彼にバトンが渡るときが、勝負ですの」
皇君の確認に、わたくしは同意した。それは、悪いことかもしれない。
でも、やらなければ私の一番大事なものが失われてしまう。
「均衡した勝負、彼を足止めさせる小さいもので十分ですわ」
「先生、何をするんですか?」
「酸素を抜きますわ」
広州さんの質問に、わたくしが正面を向いたまま答えた。
そして、間もなくして三年生の女子が、男子にバトンを渡すところまで来ていた。
間もなく、アンカー勝負になる。
赤と青、ほぼ互角。
後ろの皇君に、わたくしは正面を向いたまま開いている左手をすっとあげた。
すると皇君の顔は、いや目が赤く光る。
そして、皇君の髪の色がぼさぼさの髪から、跳ねてとげのようなものが見えた。
「俺は、お前に指図をされる覚えはない、だがノーマルとの約束は守ってもらうぞ」
いきなり聞こえる、強くしっかりした声。先ほどまでの、弱気な皇君の声ではない。
「もちろんですわ、教師は生徒の悩みを叶えることがお仕事ですの」
赤い目で、わたくしを睨んできた。
皇君のもう一つの人格、それは『破壊の皇帝』という絶対的存在。
「では、作戦通りお願いしますわ」
「やるか。こいつの存在を、守ってやらないとな」
『破壊の皇帝』となった皇君は、先ほどまでの消えそうな存在感から急に強烈な威圧感を放つ。
隣にいた園川君と広州さんも、いきなりの皇君の変化に戸惑ってみていた。
そんなあっけにとられた二人とは対照的に、体育祭は進む。
そして、アンカーの福永君ともう一人の男子がバトンを待つ。
彼の背後から、赤と青の鉢巻をつけた三年生の女子が二人、バトンをつなぐために走って来た。
ほぼ横一線のリレー、間もなくバトンが渡る瞬間。
わたくしは、隣の彼をちらりと見ましたの。
「『破壊』、酸素とナトリウム」
わたくしの言うとおり、『破壊の皇帝』は『破壊』を行った。
それと同時に大きな爆発音と、黒煙が包む。狙い通りの、水素爆弾的爆発。
半悪魔である福永君は、どんなことがあっても死なない。
でも、水素爆弾を頭に受ければ、理論的に彼を止められるかもしれない。
わたくしは、水素爆弾で彼の動きを止める作戦を試みた。
そしてわたくしの理論通り、大きな爆発した。
わずか、一瞬のことだった。大きな爆発音が、グラウンドに響く。
福永君を中心に起きた爆発に、わたくしは彼の動きが止まったと思った。
だが、その爆炎の中から出てきたのが、赤い髪の男。
ゆっくりと現れた男の姿に、わたしは身震いした。
「ま、まさか……そんな」
現れたのが、赤い髪の福永君だった。
わたくしが確信した勝利は、一瞬にして砕かれた。
「なんだ、一体!」
「何が、どうなっているんだ?」
やがて晴れた煙の中、そこには巻き込まれた女子が横になって倒れていた。
息絶え絶えの少女の顔を見て、わたくしはショックでしたの。
それは、仲間でもある赤組の天照さんが、ススだらけの全身で、焼けた体操服で倒れていた。
あの爆発の後は、体育祭は中止ですわ。
騒然とした体育祭、グラウンドはあっという間に、違う形で修羅場と化した。
中断された体育祭の中、警察がやってきましたの。
騒然としたそのグラウンドの中で、爆発の原因を調べていく。
でもあの爆発の状況は、科学的に調べることはできないでしょう。
『アビ』を使っていますから。
それにしても、よくあの男が爆発の中でよけたのだと驚きがあった。
理論的に間違ってはいない、皇君はちゃんと彼のはちまきを狙って『破壊』しておりますの。だから、福永君が爆発に巻き込まれるのが筋ですわ。
なのに、なぜ後ろにいた天照さんが巻き込まれたのか。
職員室で、体育祭の事情聴取を終えたわたくしは、自分の机でゆっくりして考えておりましたわ。小学部の広州さんは帰ったのですが、園川君は今頃体育祭の片づけを行っているはずですわ。
そして、わたくしは机のそばにあるベビーカーにいた大切な娘の寝顔を見て、満足な顔をしておりましたの。
(プリカ様、お守りできましたわ)
わたくしには、安堵の気持ちがあった。
あの体育祭の景品で娘でもあるプリカ様を守れたことが、一番うれしかった。
そこで、職員室に走って現れたのが、なぜか水色のセーラー服女性。
我が東城学園高等部は、ブレザー着用なのでセーラー服はあの人しかいない。
生徒でなければ、そう、あの人。
「沢尻先生、なんです?騒々しいですわ」
「福永君が、捕まったですよ!」
沢尻先生が持ってきた情報は、わたくしにとっては一番意外だった。
彼女は、一応日本史の教師ですの。その情報で、わたくしの顔は一気に曇った。
「どういうことですの?」
「よくわかんないですけど、警察が彼を捕まえていったんですよ」
「ありえませんわ」
わたくしは、自分の机に座ったまま唇をかんだ。
今回の爆発は、科学的に捜査しても犯罪の凶器は見つからず、自然的な爆発に見えるような作戦。それ故に、犯人に結びつく根拠は何もない。
『アビ』というものは、一般的に社会に精通しておりませんの。
それ故にわたくしは皇君を使って、ある意味完璧な事故に見せかけた作戦。
ノーリスクハイリターンな、パーフェクト作戦ですわ。
「そういえば、天照さんは?」
「ん~、病院に運ばれてから、情報が入っていません」
「そうですか」
「でも、オリッチ。あまり、芳しくないみたい」
沢尻先生が誰にも聞こえないよう、わたくしにこっそり教えてくれた。
その言葉に、わたくしはなんだか申し訳なさを感じた。
ちなみに『オリッチ』とは、沢尻先生がわたくしを呼ぶときのあだ名ですわ。
なんと、変なあだ名でしょう。
「しょうがないですわね」
「ねえ、オリッチ、そういえば昼間いたあの子は?」
「えっ?ああ、彼は皇君、彼は特殊な世界ですの」
「東城の制服、じゃないですよね。珍しいです」
まあ、セーラー服を趣味で着用している沢尻先生に、言われる筋合いはありませんわ。
「それでも、近くの学校の生徒ですわ」
「あの、すいません」
そんな時に一人の女子生徒が、わたくしのいる職員室の机にやってきた。
紺のブレザーということは、一年生ですわ。
「どうしましたの?」
「三野宮先生、教室の電球が切れているので、取り替えてもらっていいですか?」
「まあ、仕方ありませんわね。
沢尻先生、向こうのベビーカーにいるわたくしの娘をおねがいできますか?」
「アイアイサー、です~」
沢尻先生は、にこやかな顔でわたくしのそばにあるベビーカーを押して行った。
「では、先生」
「わかりましたわ」
わたくしはすぐさま立ち上がり、近くにあった白い蛍光灯を持って女子生徒の後ろについていく。それでも、わたくしの頭の中では、天照さんの安否が気になって仕方なかった。
職員室から間もなくして、たどり着いたのが教師棟から離れた二年生の教室。
ここは体育祭で、倉庫代わりに使っている空き教室。
最近は日が短くなり、六時前でもかなり暗いですわ。
秋の夕暮れから、夜に変わる時間帯。わたくしの時計は、五時五十五分を指していた。
「この部屋です」
「蛍光灯が、消えてしまったのですの」
わたくしは、女子生徒が入っていった教室の中に入ると、月明かりだけが、照らす薄暗い部屋だった。ちょうど日の入らない教室で、電気をつけないとさすがに暗い。
わたくしは、電気のスイッチを探そうと周りを見回したとき、ガサッと音がした。
案内した女子生徒は、次の瞬間に倒れた。まるで魂が、抜けていたかのように。
わたくしが駆け寄ると、女子生徒は気を失っていた。
だが、額に謎の模様のようなモノが見えた。
その薄暗い部屋から、見えたのが奥に一人の生徒?いや違う。
黒いマントのようなものが、奥で風になびいていた。
「三野宮 織香、ようこそ。魔術の世界へ」
「だれです?」
眉をひそめ、真正面の人物を見ていた。
顔は分からないけど、黒いマントをつけた女性。
それから、わたくしが聞き覚えのある声。
「あなたは、重要な罪を犯してしまいました。
聖戦に、犯してはいけない不正を犯しましたね」
その人物が誰なのか、すぐにわたくしは分かった。
すると、わたくしは電源のスイッチを入れた。
そこにいたのが、二十代前半の女。高校生ではなく、大学生のような女。
金髪のミドルヘアーに、細い体と高い背丈。それから全身を真っ黒なローブで覆った、イメージ魔女風の女。
「メヒカ・ヴェローチカ」
「正解よ」
メヒカは、この学園のOGであるが、学園によく手を出してくる要注意人物。
そして、この体育祭でも青組に協力をしていた。わたくしは、前に出て彼女をにらみつけた。
「あなたはもう、この学校の生徒ではありませんわ!」
「聖戦を不正したあなたに、言われる理由はない。
あなたには、冥界の悪魔より罰を与えましょう」
そういいながら、メヒカの顔半分が影に覆い隠された。
そのあとメヒカは、両手に持った一本の長い定規のような棒を床に突きつける。
すると、わたくしのいる教室の床が急に円が浮き上がって、青白く光りだした。
それは丸い円形のもの、円はわたくしを囲むように光りだす。
次の瞬間、持っていた蛍光灯がバリンと床で割れた。
わたくしは、頭をかかえて屈んでしまう。
「魔方陣?」
「『アビ』には『アビ』。あなたは、罰は受けてもらうわ。
不正をしたので、あなた方の負けです。
負けたら約束は、わかっていますね」
「プリカ様は、絶対渡しませんの!」
わたくしは自分の娘、ピンク髪の赤ん坊を頭に思い出していた。
さっきも机のそばのベビーカー、わたくしの一番大事な娘。
この聖戦は、プリカ様をめぐる戦い。
その戦いの内容は、体育祭の赤と青の組で競われる対抗戦。勝敗は、スコアで決まる。
勝ったほうが、プリカ様を自由にできるというもの。そんな約束が、されていたのだ。
「それは、あなた方が決めたルールにすぎませんわ!
わたくしは、あなた方に大切な娘を差し出すつもりはありませんもの!」
「理事長との契約があるでしょ、それだけよ。
大体、三野宮先生、あなたは今の立場が分かっているの?」
「くっ!」
青白く光った魔方陣は、わたくしの動きを、自由を奪う。
苦々しい顔、滴る汗、背筋に緊張が走る。
そして、わたくしの目の前には、無数の紫色の煙が浮かび上がっているのが見えた。
「不正は不正」
「体が……重いですわ。何をしたのです?」
「あなたがいなければ、プリカは一人では生きられない。
初めから、契約に乗っ取らずこうすればいいのよ。まあ、主人が直接能力で手を出すことを拒むから、私も遠慮はしていたけど、もういいわよね」
だんだんとわたくしの体に、激しい脱力感にさいなまれた。まぶたが、体が、重い。
「大丈夫、あなたには一生償っても償いきれない罪を、十字架を背負ってもらうわ」
「このままでは……いけませんわ!」
わたくしは険しい顔で、メヒカを見ていた。
でも、だんだんと意識のほうが遠のいていく。
もうダメかも。
わたくしの体に、紺のスーツに魔方陣で発生した紫色の煙が包んでいく。
しかし、絶望感漂うわたくしの背後から、声が聞こえた。
「正義の日本史教師、参上!」
「なんだと!」
メヒカのおののく声の後、私は次の瞬間、重い足を動かしていた。
激しく地面を蹴り、魔方陣の中から外の廊下まで体を飛ばしていた。
そのまま横に倒れたわたくしのそばには、ちょうどセーラー服のあの人がいた。
かがんだ私のそばには、沢尻先生。
その沢尻先生は、赤ん坊プリカ様を抱きかかえていた。
「『時を止める赤ん坊』、プリカ」
「プリちゃん、よしよし」
沢尻先生に抱っこされ、うれしそうな顔を見せていたピンク髪の赤ん坊プリカ様。
ちなみに、なぜわたくしが『プリカ様』と言っているかというと、かわいいものには「様」をつける癖があるからですの。本当ですわ、間違いありませんの。
「分が悪いわね、でも……」
「な、なんですの?」
「あなたには、完全にではないがかけてあるわ、三野宮 織香」
「メヒカ、これ以上、我が学園に関わらないでくださいな」
きりっとした顔で見ようとしたけど、次の瞬間わたくしの体から紫の煙が立ち込めた。
なんですの、この煙は。湯気のような紫色の煙は、わたくしの周りに立ち込め始めた。
「残念だけど、今回は邪魔が入ったようね。さすがに、アレには叶わないわ」
「こんなことは間違っていますわ、プリカ様を利用しようだなんて!」
「MOBAはそれでも、あきらめないから!」
メヒカは、そんな捨て台詞を言い残して、その場から立ち去った。
脱力感のあるわたくしは、追いかけることができず、その場で、濃くなる煙の中から成り行きを見守っていた。
が、次の瞬間、わたくしの視界が完全に煙で覆われていた。
「オリッチ、どうしたの?」
沢尻先生も、その異常に気がついた。でも、何か声を出そうとしても声が出ない。
視界が次第に狭まっていく、体が、苦しくだるい。
そして、紫の煙に私の体は完全に包まれた。
まがまがしい煙に包まれ、はらりと紺のスーツが落ちたのが見えた。
約十秒の出来事。あっというまに、煙が晴れた。
そのあと、私の視線が急に低く感じた。
なぜか、わたくしの着ていた紺のスーツが床にはらりと落ちていた。
「あ~、オリッチかわいい」
「わたくしは、かわいい類のものではありませんの」
などと言いながらも、わたくしの体は沢尻先生の大きい手が伸びてきた。
なんですの、急に沢尻先生が大きくなったような気がしますわ。
「オリッチの、新しいコスプレですね。ふかふかですね」
沢尻先生から抱き上げられた私のそばには、赤ん坊のプリカ様の顔が見えた。
まあ、なんと愛らしいのでしょう。
って、おかしいですわ、プリカ様も顔が大きいですの。
わたくしは、プリカ様から視線を逸らすと、沢尻先生の左腕にある腕時計が見えた。
その時刻は、丁度六時を指していた。はっ、プリカ様のご飯の時間ですわ。
「沢尻先生、あのわたくしプリカ様にご飯をさしあげないといけませんわ」
「何、ミャーミャー言っているんですか、オリッチ」
「ミャーミャー?何のことですの?」
しかし、よく耳を澄ましてみる。
確かに、あろうはずもない猫の鳴き声が聞こえてくる。
ど、どういうことですの?とわたくしは自分の右手を見た瞬間、今日一番の驚き。
「真っ黒な、猫の手ですわ!」
「猫オリッチ、じゃあ帰ろうか」
「ちょ、ちょっとどうするつもりですの?」
しかし、私の声は全て猫の鳴き声に変わってしまう。
沢尻先生は、猫のわたくしの声を理解できるはずもない。
これがあのメヒカが、やった呪いなんだと、わたくしははっきり感じた。
そのあと、間もなくして沢尻先生に抱きかかえられて教室を後にした。
黒猫に変わった自分の姿を見て、わたくしは事の重大さを感じた。
だけど、わたくしはプリカ様を、抱きかけるどころか何もできないでいた。
それから二時間、わたくしの目の間にはきれいなマンションが見えた。
夜の闇に包まれ、沢尻先生に抱きかかえられた黒猫のわたくしは、なすがままで玄関のドアを開けてきた。
「ささっ、猫オリッチ。私のおうちにようこそ」
そういえば、沢尻先生と仲がいいですが、家に行ったことはありませんでしたわね。
沢尻先生が部屋にわたくしを入れて否や、ものすごくきつい匂いが私の鼻を感知した。
「な、なんですの!この異界のにおいは!」
「ちょっとオリッチ、ご飯作るから待っててね。プリちゃんはこっちで」
部屋に入ると、そこはとにかく狭かった。いや、狭く感じられた。
畳の和室で、窓側に大きなキッチン。
だけど畳の和室には漫画や下着、さらには学校で使うプリントなんかが散らかっていた。足の踏み場さえない、とにかく汚い部屋。
「なんという、汚い部屋ですの!」
「じゃあ、ちょっと待っていてくださいね。今、ご飯作っちゃいます」
とか言いつつも、私の目の前には食べた後っぽいプラスチックの容器が見えた。
あれは、即席めんのカップですわ。
なんだか嫌な予感がしますの、それに体中がむずむずしますわ。
かゆくてたまりませんの。
それでも隣のプリカ様は、いろんなものに興味を示しているようにも見えた。
ダメですわ、そんな汚いものを触っては。
そんなプリカ様が触っているのは、バイ菌だらけの無造作に捨てられた、いや虫。
緑色のにおいのきつそうな小さな虫が、目の前を横切った。
わたくしは、プリカ様を抱きかかえ引きはがそうとしたが、プリカ様を抱きかかえることができない。黒猫の姿が、もどかしいですわ。
そのまま黄緑色の虫を捕まえた後、じーっと見つめ、観察している。
それから間もなくして、プリカ様は口を開けた。
どうやら赤ん坊の特性として見たものを口に入れる、いけないと判断したわたくしは、猫なのでプリカ様に飛びかかっていくしかなかった。
「にゅ?」
小さい右手に持っている紙くずを体で体当たりして、吹き飛ばした。
黒い右手を伸ばし、無理矢理払う。
「にゅ、にゅ」
床に転がった紙くずを、やはり興味本位に見ていた。
「口に、入れたらいけませんわ!」
しかしわたくしの言葉は、猫の鳴き声としてしか聞こえない。
「にゅっ!」
プリカ様は、やはりハイハイで紙くずを追いかけていく。
このままではプリカ様は、あの紙くずを食べてしまいますの。
黒猫のわたくしは、何とか先回りして紙くずとプリカ様の距離を話そうとした。だが、
「この部屋は、ものすごく汚すぎますの!」
慣れない四つ足、猫には歩きにくく、散らかり激しい部屋でわたくしは激しくコケてしまう。
「まずいですわ!」
しかしプリカ様は、ほかの小さな虫を見つけてハイハイで近づく。
そして、ようやく虫を手で摑まえた。
「にゅ?」
どうやらプリカ様は、黄緑色の虫を口に入れようとしていた。そこに、
「は~い、プリちゃんいけませんよ」
右手に持った虫を、払ってキッチンから出てきたのが沢尻先生。
にこやかな顔を見せたセーラー服姿の沢尻先生が、プリカ様を抱きかかえた。
そのまま自分の胸に当てて、頭を優しくなでていく。
「プリちゃんは、やっぱりおっぱいですね」
もどかしく、黒猫のわたくしは疲れた顔つきで漫画の上に横たわってみていた。
「猫オリッチは、こっちね」
そんな沢尻先生が、わたくしの目の間に見せたのが、すごい異臭を放つ魚が見えた。
「な、なんですの?これは食べ物ですか!」
もちろん猫の鳴き声に変換されるが、一応言ってみた。
「さ、オリッチ。猫は、やっぱりお魚よね~」
「くっ、こんな家に住んでいるとわたくしも、プリカ様も死んでしまいますわ」
などと口走ると、沢尻先生はプリカ様に対して、セーラー服の上半身のボタンをはずし始めた。
「プリちゃんは、こっちですね。
オリッチほどじゃないけど、おっぱいはあげられますよ」
などと言いながら、露わになる胸。
沢尻先生は、ためらいもなくプリカ様に対しておっぱいをあげ始めた。
その時だった。わたくしの携帯電話の着信音が鳴った。
お気に入りのインディーズロックバンドの着信音は、完全にわたくしのものですわ。
でも、黒猫だと電話を取ることができない。着信音に気づいたのか沢尻先生が、携帯のあるスーツに近づく。
「あっ、この着信音はオリッチですね」
沢尻先生が、床に乱暴に置いたわたくしの紺のスーツから、携帯電話を取り出す。
くっ、携帯に出る気ではないでしょうか?などとおもいつつも見ているがあっさりと電話に出た。なにか、わたくしの中の崩れるような気がした。
「少しぐらい、躊躇はせめてしてほしいですわ」
と言っても、もちろん猫の鳴き声になる。
「もしもし、沢尻です」
沢尻先生は私の黒い携帯電話を取り出し、耳に当てていた。
黒猫のわたくしは、這いつくばってただ見るしかなかった。
沢尻先生が、軽快な声で私の代わりに電話に出ていた。
「はい、はい……そうですか」
ふと、沢尻先生の声のトーンが少し下がったのが分かった。
間もなくして、わたくしの携帯電話の電源を切った。
その顔は、ちらりとどこか神妙な顔にも見えた。
「プリちゃん、よしよし」
何かをごまかすように沢尻先生は、プリカ様を抱きかかえ頭を撫でていた。
プリカ様は、やっぱりうれしそうに、沢尻先生のおっぱいを大事そうにつかんでいた。
「沢尻先生、何があったのです?」
わたくしは、すかさず彼女の足元にやってきた。
しかし、彼女の頭の上から水滴がわたくしの頭に零れ落ちた。
なんですの?汗?母乳?いや、涙ですわ。それは、沢尻先生は泣いていたから。
プリカ様に顔を見せまいと、うつむきつつも泣いていた。
でも、わたくしは涙を、水滴を、猫肌で感じていた。
「天照さん……死んじゃった」
弱気な声に、電話の内容をはっきりとわたくしは感じた。
それは、紛れもなくわたくしの責任で、失った一つの命。
とてつもなく悲しげな現実をわたくしは、沢尻先生の言葉と涙で思い知らされた。
そして、わたくしの背中には確かに、黒猫と十字架が背負われたような気がした。
なんだか、体が急に重くなってきましたの。
それは、早朝のこと急だった。
わたくしは、慣れない沢尻先生の部屋の環境に、一睡もできなかった。
たまにカサカサする音にびくついてしまい、おちおち眠るどころではありませんわ。
わたくしの隣で、やや湿った敷布団に沢尻先生がプリカ様と一緒に眠っていましたの。
そんな睡眠が取れないわたくしの体が、重くなりずっしりと自分の体に重さを感じていた。
その瞬間は、不意に訪れた。
再びわたくしの周りを今度は白っぽい煙が噴き出した。
わたくしは、猫鍋ではありませんわ。などと突っ込みを入れる間もなく、わたくしの猫の体が包まれた。
「ま、またですの!」
しかし、白い煙が晴れて間もなく、わたくしは、自分の視線が高くなっていた。
「あれ?」
わたくしは、なんだか少し肌寒く感じた。
そのあと、自分の手が視界に入ってくる。
それは肉球のある猫の手ではなく、人の手だった。
白くてしなやかなわたくしの手が見えた瞬間、安堵の気持ちが湧き上がる。
「人に戻りましたわ」
わたくしは、自分の姿をよく見まわした。
白く美しいわたくしの肌、大きな胸、まさに人間そのものだった。
(にしても、裸ですわね)
などと思っていたら、無造作に置いてあった紺のスーツをわたくしは見かけた。
置時計の時間は、丁度朝の六時を過ぎていた。
それからしばらくして、わたくしの姿は和室にあった。
紺のスーツに、キッチンの奥にあったエプロンをつけて和室に戻ってきた。
(この部屋では、プリカ様は死んでしまいますわ。片づけをしましょう)
次々と要らないものを捨てていき、部屋の整理や掃除をしていた。
沢尻先生は、プリカ様と隣の洋室で眠っていた。
まあ眠っているほうが、都合いいですわ。
掃除をしながら、わたくしはいろいろ考えていた。
メヒカ・ヴェローチカ、青組のOG。
あのOGがかけた呪い、MOBAをずっと援助していたそうですわね。
急にわたくしの姿が、彼女の呪いで変わった黒猫の姿。
現実は、受け止めなければいけませんわ。
「ほえ、オリッチ。よしよし」
などと、寝相悪くだらしなさそうに聞こえてきた沢尻先生。
食事を終えたわたくしは、思慮を一旦停止した。
その沢尻先生は、下着姿でまだ寝ていたが、プリカ様の頭をなでていた。
どうやら、寝言ですわね。安心しましたわ。
そんなわたくしが自分の携帯をふと見てみると、もう朝の十一時になっていた。
大体の掃除と食事の用意を終えたわたくしは、沢尻先生の眠っている布団に近づいた。
「沢尻先生、起きてくださいな」
「えっ、ねむい~」
「もうお昼ですわ」
「ん~、あと五分」
「五分も待てませんわ、食事が冷めてしまいますの!」
そういって、わたくしは沢尻先生の布団を強引にはぎ取った。
沢尻先生は、寝ぼけた顔とぼさぼさの髪でゆっくりと起き上った。
そんな沢尻先生の隣のプリカ様を、わたくしが抱き上げて、頭をなでてあげた。
プリカ様のほうが寝起きよく、すぐにわたくしの顔をみて、甘える顔を見せてくれた。
「オリッチ~」
「ちゃんと起きてくださいな、もうお昼ですの」
そういって、寝ぼけた沢尻先生は体を起こして周りを見回した。
「あれ、ここ私の家ですか?」
「何をおっしゃっているのです、わたくしが片づけましたの」
やや不機嫌にわたくしが言うと、沢尻先生を無理やり用意した座布団に座らせた。
その部屋は、はじめ来た時の散らかった部屋とはまるで違う。
本棚の中にきれいに整理された漫画、無くなったゴミたち。
足の踏み場のない昨日とは、全く違う。
「布団を干しますわ。どいてくださいな。沢尻先生はご飯を食べてくださいな」
てきぱきと指示をして、わたくしはさっきまで沢尻先生が寝ていた布団を窓から干していた。
「すごいね、オリッチ。こんなこともできるんだね」
「当り前ですわ。主婦ならこれぐらい朝飯前ですの」
「本当に、朝飯前ですね」
「ちゃんと食べてくださいな」
わたくしは、沢尻先生の眠っていた布団をてきぱきと干していく。
「沢尻先生、ありがとうございますわ」
窓から、わたくしは外を眺めた。
外は、驚くほど晴れていて、秋晴れの雲が空に広がっていた。
そんな光景を見ると、昨日の出来事が嘘のようにさえ感じられた。
でも、私の胸に残るはわずかな違和感。
なにか、煮え切らない顔で、布団を抱えたわたくしは窓の外を見た。
「いえ、オリッチ。こちらこそお部屋掃除してもらって……」
「それにしても、沢尻先生」
布団を干し終えたわたくしは、すかさず部屋のほうに振り返った。
部屋の主である沢尻先生は、わたくしの作ったサンドウィッチを口にほおばっていた。
「どうしたの?」
「どうしたのではありませんわ、この部屋はなんですの?
虫は湧いて出てくる、足の踏み場はない、おまけに謎のキノコまで生えているではありませんの」
「勝手に生えてくるんですよ。でも、キノコもおいしいですよ。
たまに笑いが止まらなくなったり、お通じが止まらなくなったり」
妙にうれしそうに語る沢尻先生、彼女はなんとたくましいのでしょう。
わたくしには、とてもついていけませんわ。あきれ顔のわたくしは、ため息をつく。
そんな沢尻先生のそばでは、プリカ様はゆっくり眠っていた。
「わたくしはともかく、プリカ様にあんなものを食べさせては、死んでしまいますの!」
「あううっ、ごめんね、オリッチ」
「沢尻先生の生活態度は、見えましたわ。
これでは、生徒指導の田奈先生を、この部屋に入れて教育すべきですの」
わたくしは、不機嫌な顔を見せた。
沢尻先生は、バツの悪そうな顔でうつむいてしまう。
「ですが、大目に見て差し上げますわ。
なんといってもプリカ様に、わたくしの代わりにおっぱいを上げてくださいましたの」
「オリッチ、ありりね」
「変な挨拶は、教師としてよくありませんわ」
わたくしは、やっぱり怪訝な顔で沢尻先生をにらんでいた。
そんな沢尻先生はなんとまあ、下着姿ではにかんで見えた。
「沢尻先生、それよりなんで下着姿ですの?何かのサービスですか」
「え~、暑いからですよ。寝るときはいつも下着だし。
ほらセーラー服って着るのにも……」
サンドウィッチをテーブルに置いた沢尻先生は、窓にかけてあった青いセーラー服を頭からかぶる。
すると、あっという間に上半身はセーラー服姿になった。
「は~い、変身完了」
「何が、変身完了ですの?ただの物ぐさですわ」
やはり、呆れ顔に変わった。
そんなわたくしは、紺のスーツのポケットに手を入れ取り出した携帯電話。
「沢尻先生。それより昨日の連絡、詳しく教えてくださいな」
わたくしはやはり気になっていた、あの事。そして、沢尻先生が涙した電話の内容。
その言葉が、来たばかりと沢尻先生の顔が一気に曇った。
そのままテーブルについて、わたくしの顔をじっと覗き込んだ。
「今日の夜六時、緊急職員会議があるってこと。
そして、昨日の体育祭の事故についての話があるみたい」
「そう、ですか」
「オリッチ、気を落とすことはないですよ」
「そう思わずには、いられませんわ」
わたくしは、なんだか泣きたくなりそうな顔を見せていたのでしょう。
母親として強い女性として毅然たる表情を崩さないわたくしは、やはりその事になると苦しい。見えない十字架を、わたくしは背負っているようなそんな気がした。
「わたくしには、責任がありますわ」
「責任?」
「そうですの、天照さんのために、生きることをしなければいけませんわ。
それが、生者に課せられた責任ですの」
「おおっ、なんかオリッチ哲学的ですね」
何がと思ったが、その言葉を飲み込んだ。
それはわたくしの目の前に、かわいいプリカ様がいたから。
「よしよし、プリカ様」
わたくしは、眠るプリカ様の頭をなでてあげた。
プリカ様は、わたくしになでられてうれしそうな顔を見せていた。
眠そうな顔で、起きてしまったプリカ様。
眠気眼の愛らしい娘、そんな娘をやはり母親の顔で向き合うわたくし。
「オリッチ、そういえば黒猫からどうやって戻ったんですかぁ?」
「おそらくは、あれですの」
そういってわたくしは、奥に置かれた置時計を見ていた。
「沢尻先生が、あの魔術師の呪いをぎりぎりで止めてくださったおかげで、どうやらこの呪いは完全にかからないものですの。
昨日の呪いのかかった時間から換算すると、十二時間。
呪いの時間は十二時間、人の時間も十二時間ということのようですわ」
「なるほど~、さすがは数学教師ですね」
「いずれにしても、呪いは残っていますわ。
しばらく沢尻先生、わたくしとプリカ様をよろしくですの」
わたくしは、沢尻先生ににこやかな笑顔を見せた。
しかし、沢尻先生はなぜか左手を頭の上にあげて、口を開けてわたくしのほうを見ていましたの。
「な、なんですの?」
「あ、いえ、なんでもないです」と恥らう顔の後に、沢尻先生が、えへへっ、と笑っている。
その瞬間、沢尻先生のそばを突如、黒い石のようなものがさささっと、素早い動きで走り抜けていった。
「くっ、こ、これは!」
「ゴキちゃんの、ジェッファルソン・パピオン三世ですよ~」
「は?」と漏らした後、わたくしは、途端に青ざめた顔になり、近くの雑誌を手に取る。
わたくしから必死に逃げるゴキブリを、目の色変えて追いかけて叩きまわっていた。
(こんな部屋、いやですわ!早く呪いを解かないと、死んでしまいますの!)
などと、強く強く思いながら。
あれから半年もの月日が経った。わたくしは、ホワイトボードのそばに立っていた。
ここは数学準備室、もともと数学の授業で使うものを置いている倉庫の部屋。
都内でも指折りの大きな東城学園では、いろんな空き教室があり、わたくしはその部屋を部室として学校側に申請した。そんなわたくしは、部活に来ていた。
「それで、何をするのだ?」
わたくしの目の前には、五つの机が中央に集まっていた。
その机に、座っているのが眼鏡姿の男子。青色のブレザーを、着ていた園川君がいた。
お決まりのデジタルカメラを、首にぶら下げていた。
彼は、この部活の部長になりますの。
やや長めの髪の園川君は、時折怪しく笑い、奥のほうを見る。
「あら、時間ですが一人、まだ遅れていますわ」
わたくしは、腕時計を見て一個だけ開いていた机を見ていた。
「まったく、時間にルーズなんてどうかしているわ。あたしは、忙しいのよ!」
奥に座る女子生徒が、やや目を吊り上げて怒った顔を見せた。
長いストレートヘアに、かわいくリボンをつけて紺のブレザーとスカートを着ていた。
彼女の名は、長峰 あずさ。新しく部活に入った、一年生。
わたくしがお金で雇った彼女は、芸能関係の仕事をしているようですの。
「毒舌アイドル、少しは黙んなさい」
「なによ、伊豆奈!あんた、生意気よ!」
長峰さんの隣にいるのが、長峰さんよりはるかに低い背で、白いワンピースを着た女の子。広州さんですわ。
彼女は東城学園付属小学部の、三年生になりましたわ。
ちなみに広州さんとは、二年前にわたくしが小学部で代理の授業をしたときに知り合いましたの。
広州さんは、わたくしに憧れてこの部活に来ましたの。本当ですわ。
以来ずっと広州さんは、わたくしたち高等学部の生徒と行動していますわ。
「あの……」
そして、広州さんの目の前にはやはり紺のブレザー、灰色のズボンでぼさぼさの銀髪男子、あの皇君が見ていた。
「大体、時間に遅れる奴なんてクビよ、クビ!」
「あずさだって、よく仕事を遅れてくるじゃない!」
皇君の声をよそに、広州さんと長峰さんは言い合っていた。
この二人、もともとの知り合いなので、いつもこんな調子ですの。
わたくしは、そんな二人のやり取りをほほえましく見ていたが、わたくしには時間があまりありませんの。使える時間は、十二時間ですから。
「全員そろっていないですが、はじめますわ」
と、わたくしがホワイトボードにマジックで部活名を書こうとした。
そんなとき、突如ホワイトボードの裏のドアが開いた。
「す、すいません。遅くなりましたっ!」
ドアから出てきたのが、ポニーテールの女子生徒。
彼女も、紺色のブレザーを着ていた。
「よく来てくださいましたわ、夜奈月さん。あなたは来てくれると……」
「あーっ、プリちゃんだ」
そういいながら、彼女はわたくしのそばにあるベビーカー中の赤ん坊に近づいて、頭をなでていた。
「にゅ?」
「夜奈月さん、謝ってくださいな」
わたくしはやや険しい顔で、彼女を見ていた。わたくしは、遅刻には厳しいですの。
そんな夜奈月さんを、部長の園川君がすかさず写真を撮っていた。
「えっ、はい。初めまして夜奈月 椿です。
東城学園の一年生だよぉ、みんな遅れてごめんなさい!」
夜奈月さんは、大きな身長だけどかわいく頭を下げた。
そんな彼女は、わたくしの今の切り札ですの。
「夜奈月さんは、あそこの皇君の隣ですわ」
夜奈月さんは、わたくしの指示に従いプリカ様からすぐに離れて空いている机についた。園川君も、夜奈月さんの写真を何枚か撮っていた。
「あの、なんで写真を撮っているんですか?」
「あんたは写真、撮られるのが苦手?まあ、素人だから仕方ないわね」
夜奈月さんの目の前にいる、長峰さんが腕組みしながら大きな彼女を見ていた。
園川君は、夜奈月さんの言葉を聞いたのか、カメラを構えるのを、なぜかやめていた。
「えっ、あーっ、長峰 あずさちゃんだね。テレビで、見たことあるよぉ」
「さすが気づいたたようね、超絶美少女、スーパーアイドル長峰 あずさ様を……」
「毒キノコアイドルだっけ、なんかそんな感じで言われているんだよね」
「毒キノコじゃなく、毒舌。まあ、毒キノコもはずれじゃないわ。
リボンが、キノコのかさに見えるし」
と、広州さんが突っ込みを入れた。当然、長峰さんは顔をこわばらせていた。
「なによ、デカ女!あんたに、言われる筋合いないわよ!」
「あたし、何も言っていないよ」
「みなさん。まずは、自己紹介からしましょう」
目の前のわたくしは、前にいる五人の生徒に促した。
そして、なぜかわたくしのそばにいる、部長の園川君のほうに向いて哺乳ビンをマイク代わりに向けた。園川君は、首を少々ひねりながらも大事そうなカメラを置いて、周囲をやや険しい目で眼鏡越しに見ていた。
「まずは、俺からいくか。俺の名は、園川 哲治。特進クラスの二年だ。
この織香部の部長として新しくなったばかりだな、次は隣のお前だ」
「えっと、僕は……その、皇 悠といいます、一年です……」
園川君の右隣の皇君は、気弱に人見知りした。
無理もありませんわ、彼はあまり人に打ち解けるのが得意ではありませんもの。
それが、わたくしの与えられし問題ですわ。この部活の、テーマでもありますの。
そんな彼は、わたくしのクラスの生徒でもありますの。
「えっと、じゃあ次はあたしいくね。
さっきも言ったけどあたしの名は、夜奈月 椿っていうんだよぉ。
ここの部活は、とってもかわいい赤ちゃんのお世話できるって聞いてやってきました」
夜奈月さんは頭を下げるが、「ふん」と長峰さんが鼻を鳴らしているのが見えましたわ。
「じゃあ、このスーパーアイドル、長峰 あずさ様が特別に挨拶をしてあげるわ!」
「性格わるそ」
「伊豆奈、うるさいわよ」
長峰さんが、隣の広州さんを睨む。平然とした顔の広州さんは、長峰さんを見上げた。
「あたしはね、本当は忙しいんだけど、特別に下々の部活に付き合ってあげるから、感謝なさいよ!」
「仕事、また切られたんでしょ」
「うるさ~い!そんなこと、ないんだからね」
そういうと、自分で認めたことになりますわ、などと思いながら長峰さんは自分のかわいいポイントからいろいろと話し続けた。だるそうに聞いている広州さんと対照的に、夜奈月さんはじろじろと長峰さんを見ていた。
「じゃあ、最後、はい」
「わたしは、広州 伊豆奈です。見ての通りほかの人と違って小学部から来ました。よろしくおねがいします」
哺乳ビンを、もって無邪気にお行儀よく一礼した。
「ああっ、伊豆奈ちゃんも、かわいいなぁ」
そういってすかさず、かわいい物好きの夜奈月さんが広州さんのほうに手を伸ばして頭をなでようとした。が、
「触らないで、伊豆奈は子供じゃない!」
ぱしっ、と夜奈月さんの手をはじいた。
夜奈月さんは、不満そうに手をひっこめるのだった。
「まあ、みなさん、全員終わりましたわね」
「織香先生、聞きたいことがある」
「なんでしょう」
わたくしのそばにいた園川君が、手を挙げてわたくしのほうに振り返った。
わたくしは、哺乳ビンを近くのベビーカーにちょこんと座っているピンク髪のプリカ様に渡した。
「ところでこの部活は、何をする部活なんだ?
見たところ男子、女子、一般人、アイドル、小学生とばらばらの人選をしているようだが……」
「よく気づきましたわ。では部活名を書きますわね」
そういってそばのホワイトボードに、わたくしは『織香部』と大きく書いた。
「『織香部』?」
「そうですの、『織香部』ですわ」
「なに、ダサい名前ね。
『あずさ様ファンクラ部』、とかセンスある名前に変えなさいよ!」
「そっちのほうが、ダサい」
広州さんが、すかさず長峰さんに絡んでいました。
この二人の席の隣同士は、考えたほうがいいですわね。
「何をするんですか?」
「簡単ですわ。
この『織香部』はわたくし数学教師、三野宮 織香のお手伝いをする部活ですの」
「おてつだい?」
「そうですの、早速、わたくしのお手伝いを皆さんにやってしてもらいますわ」
そういいながら、わたくしは目の前の園川君に一枚のプリントを手渡した。
「これは?」
「これは、今度の一年生の抜き打ちテストの問題用紙ですわ。
園川君には、このコピーをお願いしますの。
それが終わったら、こちらの解答用紙のコピーもお願いしますわ」
「えっ、あの……」
「皇君も、一緒に行ってくださいな。コピー機はこの部屋の廊下をまっすぐ歩いた先に事務室がありますので、そこでコピーができますわ、みなさんよろしくですの」
「わ、わかりました」
「ああ」
男性陣には、今日はコピーをお願いしましょう。
何より女性陣は、ほかにやるべきことがありますわ。
「あの、あたしたちは?」
「そうですわね、女性陣は女性陣にしかできないことを教えますの」
「えっ、女性にしかできないことって?」
夜奈月さんが聞いてくると、わたくしはこの部屋の奥にある白いカーテンを指さした。
「全ては、あの中で話しますわ」
わたくしは、にこやかな顔で机にいる三人の女子をみていた。
「やった、プリちゃんだよぉ」
夜奈月さんのうれしそうな声が、白いカーテンの中に響いた。
白いカーテンの中、そこは赤ん坊グッズであふれていた。
中央にあるのは、木製のベビーベッド。そして、ガラガラ。
ほかにも紙おむつの束だったり、粉ミルクの缶だったりと、ここが学校であることを忘れさせるものばかり。
「こうやって、プリカ様を抱きかかえるのですわ」
わたくしは、得意げに自分の娘ピンク髪のプリカ様を抱きかかえた。
「よしよし」
「広州さん、おびえないで、優しく撫でるのですわ」
わたくしは、広州さんに優しく頭のなで方を教えてあげましたの。
「こうですか、先生」
「そうですわ。ほら、見ていてくださいな、プリカ様が喜んでいますの」
わたくしに、抱かれたプリカ様の顔がほぐれて笑顔になっていた。
安心した表情の、かわいい赤ん坊なプリカ様。
「なにやってるの?伊豆奈。そんなんじゃだめよ」
「では、長峰さんやってみてくださいな」
わたくしは、長峰さんにプリカ様を手渡した。
長峰さんは、片腕でやっぱりぎこちなく抱きかかえる。
すると、抱きかかえられるほうのプリカ様は、途端にこわばった顔へと変わっていく。
「あずさちゃん、こうじゃなくて、肘をつかって、そう」
「うるさいわね、分かっているわよ!」
夜奈月さんは、やはり的確にアドバイスして長峰さんを誘導していた。
そんな夜奈月さんをうっとうしがりながら、なんとか抱きかかえる形になる長峰さん。
「抱っこは、みなさんどうやら問題ないようですわね」
「こんなもの、あたしにかかれば……」
「よしよし、プリちゃん」
長峰さんのことを無視するのか、かわいいプリカ様の頭をなでていた夜奈月さん。
「ちょっと、椿。いい加減しなさいよ!」
「かわいいものには、やっぱり叶わないなぁ」
「では、次にいきますわ、だっこ、なでなで、ときたら後は」
わたくしは不意に、近くにいた夜奈月さんの胸をつんと指さした。
「あんっ!」
「ミルクですわ」
「ミ、ミルクってもしかして……」
「広州さんは、小学生ですから仕方ないとしまして、夜奈月さん」
「はい。あたしも、あまり自信ないなぁ」
夜奈月さんは、そういいながら自分の胸をブレザー越しに見ていた。
「なによ、椿は自分のおっぱいに、全く自信ないの?」
「そういう、あずさちゃんは自信あるの?おっぱい」
「もちろんよ、超絶美少女アイドルに、不可能はないわ!」
自信たっぷりに、胸を張って長峰さんが言った。
わたくしは、二人のやり取りをじっと見ていた。
「じゃあ、見せてあげるわよ。超絶美少女アイドルの、おっぱいをね」
「えー、すごいね」
夜奈月さんが、わざとらしく拍手した。
おっぱいと聞いて、プリカ様も喜んでいる様子。
本当は粉ミルクで済まそうと思ったのですが、まあ面白そうなのでいいでしょう。
長峰さんは夜奈月さんにプリカ様を抱かせて、ブレザーの上着を脱ぎ始めた。
それにしても、さすがは夜奈月さんですわ。
プリカ様の抱きかかえ方は、やはり一番手馴れていますの。
白いシャツになった長峰さんは、さらにシャツも脱ごうとしたとき、急にぴたっと止まった。
「あれ、あずさちゃん、どうしたの?」
「なんかいるわ、その白いカーテン」
「そうね、いるわね」
わたくしは、何も感じなかったが、長峰さんと広州さんはどうやら何かを感じたみたい。そのまま二人は、白いカーテンのそばに近づいた。
そして、長峰さんは白いカーテンを開いた。
すると、そこにはコピーしに事務室にいっているはずの、園川君と皇君の姿が見えた。
「な、なにしてるのよ!」
「決まっているわ、覗きよ!」
広州さんの言葉に、長峰さんの右足がすかさず飛んできた。
園川君と皇君は、逃げようとしたけど、長峰さんのけりは二人の逃げる背中に思いっきりぶつかった。
蹴り飛ばされた二人は、そのまま床に転がり込む。
腕を組んだ長峰さん、そのそばに、園川先輩にカメラが床に転がる。
それを広州さんが、素早く拾った。
ああっと、園川先輩が声を漏らすが、もう遅かった。
「覗きを、アイドルのあたしにやるなんていい度胸ね!」
腕組みした長峰さんの迫力が、まるで背後に炎をまとっているかのようだった。
赤いドラゴンの影が見えますわ。
園川君も、隣の皇君も完全におびえていた。
睨みつける長峰さんの迫力は、アイドルのものとは違う。
「こ、これには深いわけがあって……。皇、後は任せたっ!」
「せ、先輩ずるいですよ」
「大丈夫、二人とも逃がさないから」
いつの間に夜奈月さんも、長峰さんに加担し逃げようとする園川君の背後を抑えていた。なんだか夜奈月さんに抱きかかえられたプリカ様が、とっても嬉しそうですわ。
その後、皇君と園川君は、問答無用で女子たちの洗礼を受けるのだった。
呪いがかかって、二度目の春を迎えた。
わたくしは、未だに自分の家に帰ることができませんの。
それでも、わたくしはあの沢尻先生の家から引っ越しはしていましたの。
沢尻先生の家は、ゴミ屋敷ですわ、地獄ですわ、異世界ですの。
それと違い、ここなら安心ですわ。
もちろん、わたくしが夜六時には黒猫になるからですわ。
わたくしとプリカ様には、ほかにお世話してくれる人が必要ですから。
そして今現在、夜のわたくしは黒猫になっていまいましたの。
洋室の部屋に女の子らしい部屋にいたわたくしは、自分の家から持ってきたパソコンを猫姿で動かしていた。
「マウスが、動かしづらいですわ」
といいつつも、ミャーミャーと鳴くだけのわたくし。
黒猫の手で動かすパソコン、画面で見ていた。
そんなパソコンの後ろにあるベビーベッドには、現在プリカ様の姿がなかった。
「プリちゃん、お風呂気持ちよかったね」
そんな時、部屋のドアから夜奈月さんが出てきた。
ピンクのバスタオル一枚の夜奈月さんは、プリカ様を抱きかかえている。
わたくし親子は今、夜奈月さんの寮で一緒に暮らしていましたの。
そんな夜奈月さんは、パソコンの前で器用に二足立ちしている黒猫のわたくしを見かけましたの。
「あっ、先生。そっか、そろそろご飯を作るね」
そういいながら風呂上がりの夜奈月さんは、プリカ様をベビーベッドにおいてキッチンのほうに向かっていた。
それから間もなくして、夜奈月さんは白いお皿を私のほうに持ってきた。
「織香先生、ご飯ですよ」
彼女は、白いお皿を床に置いた。わたくしはそれを見ると、ミルクがつがれた白い皿に、中央にはキャットフードの缶詰の山が見えた。わたくしの猫の時では、至福のごちそうですの。
ここは天国ですわ。料理はうまくありませんが、お部屋はきれいに掃除されていますし、夜奈月さんは優しいですもの。
沢尻先生のところだと、食事は腐った魚や謎のキノコばかり、いくら掃除してもゴキブリは住み着いていますし、(本人いわくペット)いつ命がなくなってもおかしくない地獄でしたもの。
「じゃあ、プリちゃんはミルクね」
小さい子が大好きな夜奈月さんは、プリカ様に近づきベビーベッドから抱き上げた。
「にゅ」と不機嫌な顔で、プリカ様は夜奈月さんの哺乳ビンを、なぜか拒んでいた。
実はプリカ様は、赤ちゃんですがグルメなので粉ミルクを、なかなか飲まない傾向がありますの。
「プリちゃん、のんでよぉ」
こういう時は母乳しかありませんわ、などと思いつつもわたくしは夜奈月さんに出されたエサを食べていた。
(にしても、お世話されるのも悪くないですわね)
夜奈月さんの四苦八苦する、プリカ様のミルクあげを見ていた。
食事中のわたくしの背後にあるパソコンが、メールを着信したと音楽が流れた。
(メールですわ)
わたくしは食事を切り上げ、猫としては立ちづらい二足で小さいテーブル上のパソコンを覗き込んだ。
見づらいパソコン画面、足をバタバタさせると少し離れたところから夜奈月さんが来て、正座した。
「先生、乗って」
わたくしは、ミャアと猫らしく鳴いて夜奈月さんのひざの上に乗った。
パソコンが、見やすいですわ。そこから覗き込んだパソコンで見たものは、学校側からのメール。
これでも教師なので、わたくしは学校で何かあったらメールで知らされることになっていますの。
「えっ、学校でウチのクラスが、急に手品のように消えたんだって」
夜奈月さんは、メールの内容を読み上げた。
ちなみに、夜奈月さんとわたくしは、同じクラスですわ。
わたくしは、猫目でメールの内容を詳しくよく見ていた。
それは、最近二年生を担当して間もないここ数日、わたくしのクラスで起きていた一つの小さな問題だった。
「では、今日の授業はこれまでですわ」
昼間は人のわたくし。自分の担任するクラスの数学の授業を終えて、起立、礼、着席。
教壇の前、わたくしは次のクラスに移動すべく教科書とプリントをまとめているとき、
「織香先生、すいません」
と紺のブレザーを着た男子生徒に、呼び止められた。
「なんでしょう」
「先生、俺の学生手帳がなくなったのですが……」
「まあ、よく探しましたの?生徒指導室にはいきましたの?」
などと指示してみた。落し物はたいてい生徒指導室に、届くようになっていますわ。
しかし、すぐさま深緑のブレザー男子の後ろから、女子たち三人組が現れましたの。
「先生、図書館で借りた本がなくなっちゃいました」
「わたしは、携帯です」
すると続々とモノがなくなった生徒たちが、わたくしの教壇前に来ましたの。
「すいません、先生こっちも……」
「私のほうも」
十人ほどの生徒が、我先にと被害報告を訴えてきた。
要はこのクラスで、モノがなくなる被害が多発しているということですわ。
「具体的に、いつ無くなったのですか?」
「それが、学校に来るまではあったんですよ」
「そうそう、いつの間にかなくなって……」
なるほど、忽然と姿を消したというわけですわ。
まあ、わたくしは刑事でも、風紀委員でもありませんが、この問題に関しては考えてみますの。一応、わたくしはこのクラス担任ですから。
そんな時、わたくしは教室を見回すと、一人の男子が、ややバツ悪そうに窓を眺めているのが見えた。
その人物を見て、わたくしはこの問題の謎が解けた。そして、わたくしはこう言った。
「消失したものは、残念ながら戻っては来ないですわ」と。
その日の放課後。彼を職員室に呼びつけたのが、久しぶりの事。
その人物は、わたくしのデスクのそばに立っていた。
やや泣きそうな顔を見せた彼の名は、皇 悠。
「皇君、あなたですわね。消失事件」
わたくしは、感情を押し殺して冷静に言い放った。
いろんな感情はありますが、ここは冷静にと考えましたの。
いつも内気で、おどおどした皇君は声を発することなく頭を垂れた。
「まあ、あなたのことですから、仕方ありませんわ。ですが……」
座っていたわたくしは、思わず立ち上がり、皇君のほうに顔を向けた。
驚いた皇君は、背をそらそうとしたけど、わたくしはすかさず彼の顔を両手でつかんだ。
「ちゃんと、起きたことは報告だけはしてくださいな。
あなたは、普通ではないのですから」
内気な草食系少年、皇君は普通ではない。
『破壊の皇帝』と呼ばれる、破壊的な性格をもった二重人格。
どんなものでも、原子レベルから存在するものを『破壊』できる、普通の人と全く違う少年。
でも、気弱で草食系な皇君に、わたくしは『破壊の皇帝』を抑える様に言っておりますわ。編入試験の日に。
でも、彼の中に眠るもう一つの人格といいましょうか、それが『破壊の皇帝』。
そんな彼をわたくしはあの時、体育祭という建前の聖戦という戦争で、彼を使わせた。
そして、そんな彼は、『破壊の皇帝』に感情を支配され、一つの失敗を起こす。
「皇君、やはりあなたは『破壊の皇帝』を抑えられませんの?」
「……無理です。最近は強くて」
あきらめ色の、暗い顔を見せた。うつむいたまま、重く声を紡ぐ。
「そうですか」
皇君は、やや感情に乏しい。怯えているだけ。
聖戦は終結したが、皇君の『破壊の皇帝』は問題を引き起こしていたの。
彼と違うところで、起こしてきた問題、『破壊』の暴走。
『破壊の皇帝』になると、どんなものでも触れることなく、破壊ができますわ。
それは、存在がなくなるということ、消失。
非科学的に、ひっそりとモノがなくなる現象。
「あなたの感情を抑えられれば、『破壊の皇帝』は出てこなくなりますわね」
「でも、どうやって?」
おそらく彼は、わたくしと出会ったあの時から問題と向き合っていますわ。
だから、わたくしは彼の顔から手を離してにこやかな顔を見せた。
「そのために、『織香部』を作りましたの。
この部活は、あなたの悩みを解決するきっかけですの」
わたくしは、おどおどする皇君の顔を覗き込んでいた。
やや戸惑った感のある皇君だが、わたくしは安心させるように頷いて見せた。
次の日、わたくしは数学準備室に集めていた。
今日は土曜日ということもあって、午前中で授業が終わっていたのでお昼時間ではあったけど、わたくしは四人の部員を集めていた。四人とは、皇君以外の全員。
それぞれ食事をしながら、皆さん集まっていますの。
わたくしを含めても五人、いや、プリカ様も入れると六人ですわ。
もちろん、プリカ様は白いカーテンの奥のベビーベッドで眠っていますわ。
「先生、なんでお昼に呼び出したんですか?」
先に言ってきたのが、夜奈月さん。
夜奈月さんの隣だけが空席、彼女はなぜかメロンパンを食べていた。
「今日の織香部は、こちら。『皇 悠大作戦』ですわ!」
「皇 悠?」
「大作戦?」
部員の女子三人が首をひねった。
唯一部長の園川君は、じーっ、とわたくしの文字をみていた。
「皇君のことは、皆さん知っていますわね」
「ああ、なんかいつも、もじもじしている男ね」
「あまり喋らないから、よくわかりません」
長峰さんと広州さんは、皇君の印象を正直に答えた。
まあ表面的なところは、そうですわね。
「あたしもクラス一緒だけど、よくわからないなぁ」
そういえば、夜奈月さんは皇君と同じクラスでしたね。
まあ、わたくしが担任だから当然ですけど。
「ヤツは、イイヤツだぞ。
なんでも嫌な顔一つせず、やってくれるしな。エロ本やれば、何でも言うこと聞く」
相変わらず、園川君はカメラを首にぶら下げていっていた。
「園川君が、よく知っているみたいですね。じゃあ内容を話しますわ。
皆さんには、それでもよく知らない皇君の心を、開いてもらいたいのですわ。
つまり、仲良くなってもらいたいのですわ」
わたくしの言葉に、全員食べるのをやめてわたくしを見ていた。
「でもあいつのこと、あたしは知らないわ。織香は知っているの?」
「彼は臆病で、なかなか本当のことを話してはくれませんの。
わたくしも初めて会ったのは、半年ぐらい前ですけど、わたくしは彼のことをよく知りませんわ」
「情報を渡しなさいよ、それじゃあ、なんにもわかんないじゃない!」
「あんた、馬鹿ね。わからないから、生徒である伊豆奈たちに頼んできたんでしょ」
と、小学生の広州さんに言われて文句を言う長峰さんは、むっとした顔を見せた。
「そうですわ、さすが広州さんですの。
まあ長峰さんはアイドルですし、ファンの心をつかむように、彼の心をつかむのは当然できますわね」
「当然よ、あたしにまっかせなさい!」
胸を張った長峰さん、彼女は扱いやすいですわ。
「広州さん、園川君、お二人もお願いできますか?」
「はい、先生のためですから」
「俺は……」
素直に従った広州さんに対し、ややごねた様子の園川君。
そこでわたくしは彼の背後に立ち、耳もとで囁く。
「成功したら、夜奈月さんのオフショット写真を差し上げますの」
すると、彼は眼鏡の鼻あてを抑えて頷いた。
交渉成立ですわ、交渉のダシになった夜奈月さんは、ちょっとこっちのほうを見ているが残ったメロンパンを食べていた。
「皇君は、午後はわたくしのクラスの教室にいるように話をしていますわ。
彼には午後から、『織香部』があるので残ってもらっていますの。
皆さん、さあ頑張ってくださいな」
「あたし一人で十分、あんたたちは指をくわえて見ているといいわ。
超絶美少女アイドルの、実力見せてあげる」
鼻を鳴らした長峰さんは立ち上がり、そのまま歩いて行った。
「待ちなさい、皇先輩の心は伊豆奈が開きます」
と長峰さんに競うように、広州さんも部屋を出て行った。
部長の園川君は、じーっと夜奈月さんのほうを見ていた。
「これで、椿人形が、グフフっ」
「あ、あの……」
ぶつぶつ言いながら謎の舌なめずりをして園川君は、やはり立ち上がりぶつぶつ言いながらも部屋を出ていく。
やや怪しげな園川君を、夜奈月さんは困惑気味の顔で見ていた。
わたくしと夜奈月さんの二人きりになった数学準備室、メロンパンを食べ終えた夜奈月さんは首をひねっていた。
「な、なんだったの?」
「夜奈月さんは、断る権利がありませんわ」
「あっ、立った」
「何が立ったのですの?」
夜奈月さんがわたくしの顔を、笑顔で指さしてきたので不機嫌な顔で彼女を見ていた。
「本当に、生きているみたい髪の毛。なんか入っているの?形状記憶のヤツとか」
「ふざけないでくださいな!
あなたは切り札なので、皇君の心を開くまで残ってもらいますわ!」
彼女のほうに近づくわたくしは、じーっと彼女のほうに顔を向けた。
「えー、土曜日ぐらい友達と遊びたいよぉ。
渋谷に遊びに行きたいなぁ。大体切り札って何?」
「ダメですのっ!」
強く反対されて夜奈月さんは、がっかりした顔を見せていた。
わたくしたち『織香部』は、全員教室そばのドアにいた。
ちなみにプリカ様は、夜奈月さんが抱きかかえていますわ。
土曜日の放課後、学校は人が減り部活の生徒以外はほとんどいない。
「ここにいますわ」
皇君は、行くあてもないのか誰もいない教室で、携帯電話をぼーっと見ていた。
どうやら、『織香部』開始の時間まで彼はここで時間をつぶしているようですの。
「あれね、楽勝じゃない」
「ふーん、こうしてみると皇先輩は、いつも一人なんですね」
長峰さんと広州さんは、皇君のことをドアから隠れてじっと見ていた。
部活に行く生徒が、グループを作りご飯を食べている中で、窓際の席で一人いる彼。
担任のわたくしがいうのもなんですが、いつも通りの光景。
「彼は編入でこの学園に来たので、周りの友達が少ないのですわ。
では先に誰からいきますの?」
「このあたしに、任せなさいよ!」
そういって、肩を怒らせて長峰さんが中に入っていく。
その成り行きをわたくしは、三人の部員と見守ることにした。
「ねえ、皇」
「あっ!」
興味なさそうにのそっ、と彼は長峰さんの声に小さく声を漏らした。
携帯を持ったまま、その場に恐縮するように立ち上がった。
「あんた、最近元気ないわよ。悩みがあるんでしょ、あたしに話しなさいよ」
「えっ、うーん」
意外と図星ですの、彼は『破壊の皇帝』という人格に悩んでいますから。
それにしても、長峰さんは高飛車スタイルですか。
男性は、ツンとした女性に弱いですわね。デレもあれば、完璧ですが。
「えっと、その……」
「分かった、あたしのサインがほしいんでしょ!」
「へっ?」
「いいわよ、ペンを出しなさい」
長峰さんはやや強い口調で、強引に皇君の筆入れを取り出した。
「あーっ、遅いわね!」
もたつく悠に長峰さんは、荒々しくペンを取り出し、机のあたりを見回す。
「教科書に書くわね、これがあればもう悩むことないわよ。
なんと言っても、超絶美少女アイドルのこのあたしがサインしてあげるんだから」
と長峰さんは、さらさらさらっとサインを書いてあげた。
皇君は、何も言わず黙ってサインのほうを見ていた。
「いい、皇。悩んだらこれを見なさい。悩みなんか吹っ飛んじゃうんだから、ね」
「は、はい……」
「じゃあ、帰るから、ついてこないでね」
得意げな顔で、皇君から離れて私たちのほうに戻ってきた長峰さん。
ペンをくるくる回して、びしっと親指を立てて、わたくしたちのほうにやってきた。
「これで完璧ね」
「何が完璧よ!
ピークすぎたアイドルのサインを勝手にして、皇先輩が呪われたらどうするの?」
長峰さんに、すかさず広州さんが絡んでいった。
唯一小学生な広州さんは、長峰さんのほうを見上げていた。
「そうですわね、これでは皇君の心は開かれたとはいかないですわ」
「なんでよ?あたしのかわいらしさで、とっくに……」
しかし、皇君の様子はほとんど変わらず携帯電話を見ていた。
なんだかそれを見て、悔しそうな顔を見せた長峰さん。
逆に、勝ち誇った顔を見せた広州さん。
「やっぱり駄目ですね、落ち目のアイドルは。
織香先生、伊豆奈が次やります!見ていてください」
小さい手を挙げた広州さん、わたくしは一番背の低い、広州さんを見ていた。
「いいですの、では広州さんお願いしますわ」
「は~い」
お行儀よく、子供らしい笑顔で広州さんは教室の中に入っていった。
そのまま、教室の隅で携帯電話を見ていた皇君。
すると、広州さんが低い背丈を利用して彼の懐に入った。
「お兄ちゃん、何してるの?」
天才子役でもある広州さん、先ほどまでと急に変わってかわいらしい声と顔で、皇君のほうを見上げた。
「あの、広州さん……」
なるほど、広州さんは妹キャラで勝負ですわね。ロリ属性は、強烈ですの。
皇君はそれでも、なぜか困惑気味の顔をしていた。
「伊豆奈、お兄ちゃんが心配。ねえ、悩んでいることなんかない?」
「えっ、大丈夫です。ボクは何もないです」
「ホント?伊豆奈のこと、好きじゃないの?」
「えっ、いや、その……」
広州さんは、澄んだ目で皇君を見ていた。
なんともまあ、本格的な演技ですわ。さすがは、天才子役ですの。
でも、逆にすごすぎる広州さんに、皇君は逆に引いている感もあった。
「じゃあ、お兄ちゃん、嘘ついたら、指切りげんまんだよ」
「はい、わかりました」
なんだかぎこちない皇君は広州さんにせがまれるまま、なぜか指切りげんまんをしていた。
そのまま、満面の笑みを浮かべた広州さんは、皇君のほうを見て手を大きく振った。
「じゃあね、お兄ちゃん!」
広州さんは、大声で皇君に言ってあげた。
そのまま、わたくしたちのほうに走って戻っていく。
戻ると、先ほどまでの無邪気な妹キャラから、いつも通りの顔に戻っていく。
「ちょっと、伊豆奈。何媚を売っているのよ、馬鹿じゃない。「お兄ちゃん」だって」
「「お兄ちゃん」は、いいもんだよぉ」
そこで、なぜか夜奈月さんが参加してきた。
夜奈月さんって、一人っ子ではありませんの?などと思うと、広州さんは険しい目つきで長峰さんを見上げた。
「あんたに言われたくない、皇君はもう、伊豆奈の虜です。
男は単純ですね、かわいいものに弱いです」
「なるほど、一理あるな」
園川君は、ちょっといやしい目で広州さんを見ていた。
視線に気づいたのか、じーっと逆に見返していた。
「ですが、皇君の心は開かれてはいないですわ」
わたくしは再び教室を見ていると、皇君はやっぱり携帯電話を見ていた。
何も変わらず、悔しそうな広州さん。
「なるほど、では俺の出番だな。やはりこういう時は、男同士がいいだろう」
園川君は、皇君のほうに向かって歩きだす。
いつも通り、カメラを首にぶら下げていた。
「伊豆奈、一ついいことを言ってやろう。
男というのは単純だが、かわいいものにだけ弱いわけではないぞ」
「じゃあ、何に弱いの?」
「色気だ」
園川君の言葉に、広州さんは冷静に彼の背中を見ていた。
長峰さんは、「脱ぐの、アンタ?」などとつぶやいた。
園川君は歩きながら、ブレザーの胸ポケットに右手を忍ばせていた。
そして、そのまま彼は皇君のそばにやってきた。
「皇、いいか?」
「あ、はい。なんで先輩がここに?」
携帯電話を見ていた、皇君は顔を園川君のほうに向けていた。
「お前、最近元気がないそうじゃないか。アレが立って、いないんじゃないか?」
と、園川君は懐から本を取り出した。写真がいっぱい見えるあの本は、
「先生、あの本はなんだかまずい本じゃないんですか?」
そう、それは成人向けの雑誌。
私の代わりにプリカ様をだっこしていた、夜奈月さんが反応した。
女性の裸がいろいろ見えた、R―18指定の本。俗にいうエロ本。
「皇、これはいいぞ」
「ちょっと、なんでこんなものを学校で……」
「好きだろう」
にやりと笑った園川君、皇君は顔を赤らめながらセクシーな写真を見ていた。
やっぱり困惑した園川君は、直視できないでいた。
「なかなかいいだろ、俺の珠玉のコレクションだ。
ここで気持ちよさそうにしているのなんか、夜奈月にそっくりだ」
そんな気持ち悪いセリフを聞いて、さすがの夜奈月さんもちょっとムッとしていた。
園川君の懐から、さらに追い打ちをかけるように出てきたのが一体の人形。
「こいつはな、『長峰 あずさ』フィギュア。
十六分の一スケール、マークツー、スク水バージョンだ。
これさえあれば、いつでも毒舌アイドル長峰 あずさといつでも一緒だ。どちらも俺の自作だ」
と皇君に、スクール水着姿の長峰さん人形を手渡されていた。
おもわず、わたくしも「まあ」と声を上げしまった。
「あ、あの……」
「心配するな。俺たちがついているぞ。皇、お前が心配しているのは女のことだな」
「えっ、あっ……先輩」
「ん、どうした?」
「う、うし……」
皇君は、一段と青ざめた姿で、園川君のほうにあるものを指さした。
園川君が振り返ると、ものすごくにこやかな声で長峰さんが立っていた。右手には、血管浮き出る拳が握られる。
猛ダッシュをしたのか、やや肩で息をしていた。
やはり背後に見えるのは、なぜか赤いドラゴンの影。
なんで赤いドラゴンなのでしょう、やっぱりわかりませんわ。
「部長。あたしはこんなにね、胸が……」
「長峰、大体この人形とそっくりだろ。
体のつくりといい、下のパンツといい、完璧だ」
「小さくないわよ!」
そして長峰さんのキックが、園川君を容赦なく蹴り飛ばした。
吹き飛ばされた園川君は、そのまま床に飛ばされた。よく飛びますわね。
「皇、返しなさい!」
すごい剣幕で、皇君から強引にフィギュアを奪い取ろうと手を伸ばしたが、怖くなったのか反射的に走り出した。
「待ちなさい!」
長峰さんが、追いかけていく。
意外と皇君は足が速いのか、駆け足で教室を出て行った。
それを、険しい顔で長峰さんがやはり追いかけていく。
「なんということですの」
そういいながら、わたくしたちは地面にのびている園川君のほうに近づく。
広州さんは、やや軽蔑の目で園川君をじーっと見下していた。
長峰さんのキックがすごいのか、ブレザーの背中にしっかりと足跡がついていた。
「不潔ですね、園川先輩」
広州さんの、冷淡な声が浴びせられた。
一方プリカ様を抱きかかえた夜奈月さんは、置かれたエロ本の開いたページをまじまじと見ていた。
「そんなにあたしに、似ているかな?」
「みなさん、何をしているのですか、追いかけますわ!」
わたくしは立ち止まる二人と、園川君を叩き起こして、皇君を追いかけに教室を出て行った。
手分けして、探していた昼の放課後。みんなで、手分けして探していた。
プリカ様が心配なのか。夜奈月さんからわたくしの腕の中に納まったプリカ様と一緒に校内を歩いていた。
いつの間にか、足の速い皇君を見失った長峰さんと合流する。
それから、『織香部』全員で皇君を探す。
二時間ほど歩きまわって、一人で探していたわたくしは、中庭にたどり着く。
そして、中庭でわたくしは、目的の彼がベンチに座っているのを見つけた。
「あれ、皇君ですわ!」
声をかけようとしたとき、少し奥から一人の女子生徒が歩いていた。
それは、夜奈月さんですの。
「皇君、ここにいたんだね」
ベンチで、相変わらず携帯電話を見ていた。
彼はちらっと夜奈月さんをみて、ベンチの端のほうに人を避けるようにずれた。
「大変だったね、あずさちゃんに見つからなかった?」
「うん、何とか……」
「皇君は、クラスで友達とかいるの?」
しかし夜奈月さんの問いに、黙々と携帯電話を見ていた。
ただ、なんだか彼の表情はちょっと赤い。
思わず携帯を持っていない左手で、自分の顎を触っていた。
「いません」
「そっか、皇君もあたしと同じで編入組だからね。なかなか友達作るの、大変だよね」
東城学園は、小中高一貫教育ですわ。
二人とも編入で、ほかの学校から来た共通点がありますの。
「ねえ、皇君。もうちょっと、みんなと話したほうがいいよ。
なんか部活でも、浮いている気がするし」
「……はい」
「皇君は、楽しいの、学校?」
「えっ、あっ」
「あたしは、楽しいよ。学校きれいだし、変な部活だけど、友達もできたし、中学から行きたかった学校だから」
夜奈月さんと皇君、なんかちょっとよさそうな空気を出していますね。
皇君は、夜奈月さんのほうを興味深そうに見ていますわ。
「皇君、あのね、お互い名前で呼び合わない」
「えっ、でも」
「同じクラスだし、同じ編入組だし、同じ部活だし。
なんかあたしたちって、共通点あるし。
これからも、一緒になること多いからね。皇君、名前は?」
「悠、だけど」
「いい名前だね。あたしはね、椿っていうんだよぉ。夜奈月 椿、よろしくね、悠」
わたくしは、プリカ様を抱きかかえながら自然な二人を見ていた。
そう、これですわ。皇君に足りないもの、それが青春を謳歌するコト。
彼は、『破壊の皇帝』だけではありませんの。
本来は学生として、生きていかなければならないものですから。
わたくしは、二人をもう少し植え込みに潜んで優しく見守ることにしましたの。
「悠、あたしのこと呼んでみて」
「えっ、あ、夜奈月さん」
「もうっ、椿って呼ばないとだめだよぉ」
「えっ、えっ……」
「ちゃんと言うの。あたしも、ちゃんと呼んだんだから!」
「は、はい、ごめんなさい」
夜奈月さんに言われて、すごく困った顔を見せた皇君。ちょっと顔も、赤いですわ。
「じゃ、じゃあ……椿」
「よくできましたね、うん」
そんなベンチで二人は、まだ少し離れた場所に座って互いに向き合っていた。
「なんか、初めてだね。こうやって話すの」
「えっ、ダメ」
「ダメ?」
夜奈月さんの語りかけに、皇君は拒絶した顔を見せた。
わたくしは、皇君のわずかな反応を見逃さなかった。
「あれは、『破壊の皇帝』?」
皇君の背後には、一人の男の姿が見えた。銀髪のはねた、鋭い目つきの男性。
わたくしの背中に、一瞬にして恐怖が走った。
夜奈月さんは、皇君が持っている携帯電話を見つけた。
「ねえ、悠。いつもさ、携帯電話で何、見てるの?」
「えっ、えと……」
夜奈月さんが、ベンチと皇君の距離を一気に詰めていく。
そして、夜奈月さんは皇君の携帯電話を覗き込んだとき、顔が、一瞬にして赤くなる。
「『自殺サイト』?悠、これ……ダメ!」
夜奈月さんは、すぐさま皇君の携帯電話を奪い取ろうとした。
しかし、その夜奈月さんに対し、今度ははっきりと皇君の髪の毛が突っ立った。
「『破壊』、夜奈月 椿のしん……やめろ!」
そのまま反射的に、皇君は後ろに両足を使って器用に跳ねた。
夜奈月さんの手は、皇君にハラリとかわされ、ベンチにうつぶせた。
ベンチで寝そべる夜奈月さんは、皇君を見ていた。
「悠、ダメ、死んじゃいけないよ!」
「うるさい!俺は人を殺したんだぞ!」
しかし、その声はいつもの皇君の声ではなく、はっきりとした強い声だった。
威圧感のある、いつもとは違う人格『破壊の皇帝』、その姿に変わっていた。
赤い目が、血の色の様に見える。
初めて見たものは、彼の威圧感に驚き、おののくだろう。
冷たい空気を放ち、わたくしも恐怖があった。
でも、夜奈月さんは、彼のほうを険しい顔でじっと見ていた。
「皇君、もうやめましょう!」
遠くから見ていたわたくしは、もう見ているわけにはいかった。
植え込みから出て、彼を睨む。
疲れ切ったわたくしの顔を見た皇君は、顔を歪めて苦しそうな表情へと変わっていく。
「もう、関わらないで!」
その声は、二重にも聞こえた。弱い声と強い声、二つの声を発した少年。
わたくしたちから、逃げるように走り去っていく。ようやく聞こえた心の声に、わたくしは固まってしまう。
「先生、悠と何があったの?」
夜奈月さんは、ベンチに座ったままわたくしを見ていた。
「もう、夜奈月さんの役目は終わりですの。
わたくしは、彼を追いかけなければなりませんわ!」
「はぐらかさないでください、先生!」
しかし、わたくしは走りにくいハイヒールで、皇君を追いかけて行った。
無視された感の夜奈月さんは、膨れたような表情で、後を追いかけていくのだった。
わたくしは、あの場所に気づいたら戻っていた。
一年半ほど前に、起きた体育祭のあの事件。
グラウンドは曇り。
土曜日の夕方、さすがに部活で使っている生徒たちもほとんどいなく静か。
その静かさが、悲しさを呼び起こす。
時折吹く風は、亡くなった彼女の泣き声であるかのように聞こえる。
わたくしが、プリカ様を抱きかかえてその場にたどり着いたとき、彼はテントのあった位置に立ち尽くしていた。
「はちきれそうだよ、織香!」
皇君は、完全に『破壊の皇帝』へと姿が変わっていた。
赤い目は、グラウンドの土を見ている。
「もう、迷わなくてもよろしいのですわ!」
凛とした顔でわたくしは、プリカ様を抱きかかえ立っていた。
わたくしの背後は夜奈月さん、心配そうか顔を覗かせた。
彼女も、皇君のことを気にしているようですわ。
「皇君は、ずっと孤独でしたの」
そう、彼と初めて会ったとき、彼は死ぬ間際でしたの。
わたくしは、能力者として、『破壊の皇帝』である彼の力を欲していましたの。
もちろん、プリカ様を奪い合う聖戦と名付けられた戦いに、勝利するため。
「だからといって、あなたが死ぬことを、誰も望んではいませんわ!」
「俺が存在することを、誰かが望んでいるのか?
俺はお前専属の、殺人兵器なんかじゃない」
「違うと思う」
そこに、わたくしの背後から夜奈月さんが声を出してきた。
「織香先生は、悠のことをちゃんと考えているよ。
だって、悠は一人なんかじゃないから!」
「えっ、でも、ボクはこの能力で、いつも一人になっていた、だから」
「そんな優しい悠は、ただ寂しいからだけだと思う」
「うるさい、椿!」
激しく怒った顔を見せた、『破壊の皇帝』。
そのまま、夜奈月さんの首元を激しくつかんできた。
「『破壊』するぞ!お前の心臓」
「させませんわ、夜奈月さんも、皇君も」
わたくしは、抱きかかえた赤ん坊プリカ様の頭をなでた。
すると、さっきまで眠そうな顔を見せていたプリカ様の目が、大きく見開いた。
その眼の色は青く、澄んだもの。
そして、わたくしの胸にしっかりしがみついたかと思うと、目だけをつぶった。
「ぷりぷり、プリカ様、わたくしのお願い聞いてくれますの」
「にゅにゅにゅっ!」
わたくしが優しく語りかけると、突如、世界の色が灰色に変わる。
土のグラウンド、サッカーゴール、トラックの白線、周りの木々の全ての色が灰色へと変わる。
そして、夜奈月さんや、上を飛んでいたむく鳥が、まるでビデオの一時停止のようにぴたっと止まる。
色があるのは、わたくしとプリカ様、そして皇君ではなく『破壊の皇帝』。
プリカ様は、『時を操る赤ん坊』。灰色の世界は、時が止まった世界。絶対的な能力。
プリカ様に、声を語りかけて眠っている間は、ずっと時が止まる。
だから、プリカ様は、今わたくしの腕の中で安らかな寝息を立てていた。
「時を、止めたな」
「わたくしは、あなたのクラスの担任ですの。
担任教師は、生徒を守る義務がありますの!」
「コイツには何の幸せもない、哀れな男だ!」
「違いますわ、彼はあなたを抑えるために、一生懸命、苦悩しているだけですわ。
それに、さっき見て確信しましたの。
皇君、そのためにあなたには、『織香部』がありますわ!」
わたくしは、微笑みながら言い彼に歩を進めた。
迷った難しい顔の『破壊の皇帝』は、指をくわえ立ち尽くす。
「彼は、いまだに道を失った赤ん坊ですわ。よしよし」
わたくしは、わたくしより少し背の高い少年の頭をなでてあげた。
それはプリカ様を、泣き止ませるためにいつもやること。
泣き出しそうな顔へと変わる跳ねた銀髪の少年は、目を細めていた。
いつの間にか、目の色が黒く戻る。
「先生……ボク、死にたくありません」
「そう、よかったです」
「織香先生や夜奈月さんがいる世界に、ボクはまだいたい。それにボクは……」
わたくしは彼を左手で抱きかかえようとしたとき、わたくしの右手に抱きかかえられたプリカ様は眠っていた。
「にゅにゅ」
どうやら男性アレルギーのプリカ様は、皇君が怖いらしいですの。
そして、次の瞬間プリカ様が目を覚まして、世界に色と時間が戻った。
プリカ様のばたつく足で、わたくしと皇君の距離が一瞬離れた。
「夜奈月さんが、好きになりました」
はじめての、告白。皇君の言葉は戻った時間の中、夜奈月さんにもしっかり聞こえた。
「えっ?何?あたしが、好き?」
「あ、あんなところにいたわ!」
そういうと、校舎側のほうから三人組の男女がやってきた。
少し前にいた広州さんは、やはり驚いた顔を見せた。
長峰さんと園川君は、広州さんの後ろから急いで走ってくる。
そのまま皇君の顔を、指をさしていた。
「ちょっと、皇。あんたね、何をやっていたの?」
なぜか園川君のフィギュア(六分の一長峰 あずさ)を持って、肩で息を切らしつつも皇君をにらむ。園川君の頭には、たんこぶができていた。
「ご、ごめんなさい」
「このスーパーアイドルに、説明してもらうわよ!」
「あずさ、うるさい」
「ちょー生意気!あんたね、年上に対して、しかも、スーパーアイドルのあたしに対して口のきき方がなっていないわよ!」
「芸能歴は、伊豆奈のほうが上です」
などといつも通りに、長峰さんと広州さんが睨み合っていた。
「どうなったんだ?結局のところ?」
「ええ、終わりましたわ」
部長の園川君は、カメラをぶら下げて聞いてくるが、わたくしは満足げに答えようとしたが、時計が視界に入る。
時計は、五時五十五分を指していますの。
まずいという気持ちが、わたくしに湧き上がった。
「はっ、もうこんな時間ですわ!」
わたくしは、眠そうなプリカ様を抱きかかえて、ハイヒールで再び走り出した。
「今日の『織香部』はこれで終了ですわ。
夜奈月さん、後で女子更衣室に来てくださいな!」
などと、業務連絡を残しつつ、急いで女子更衣室を目指すのだった。
わたくしには、居場所がありますの。そう、夜奈月さんの寮ですわ。
夜奈月さんと夜六時過ぎに、更衣室で合流をしますの。黒猫になった、呪われた姿で。
そんなわたくしは、もちろんプリカ様を抱きかかえられず、白いクッションの上に丸くなっていましたの。
プリカ様に、哺乳ビンでミルクを悪戦苦闘しながらも上げた夜奈月さん。
あまり語りかけられずに、わたくしは猫の姿で見ていましたわ。そういえば、今日もおなかがすきましたわ。
「ミャーミャー」
わたくしは、猫の鳴き声でご飯を夜奈月さんにせがんだ。
しかし、プリカ様にミルクをあげ終えた夜奈月さんは、無視して自分の料理を始めましたの。
夜奈月さんは、学校帰りになぜか立ち寄った書店で、買ってきた料理の本を見ながら、調理していましたの。
(そういえば、夜奈月さん、料理をあまり作ることがありませんわ)
などと、空腹なわたくしは、夜奈月さんの料理を見守ることにしましたの。
それから、慣れない手つきではあるもののできたのが野菜炒め。
「うーん、こんなものかな」
テーブルに運んだ、夜奈月さん。
今日は豪勢な夕食ですわ、などと思い始めたら、わたくしに取り分けることもなく一人でご飯を食べ始めた。
おあずけをくらったわたくしは、夜奈月さんの膝の上にのっかかっていく。
でも、すぐに手で払われてしまう。
「先生、ダメですよ。悠のことをちゃんと話してくれるまでご飯抜きです!」
くっ、なんということでしょう。
ややふてくされた夜奈月さんは、一人で黙々とご飯を食べていた。
わたくしがテーブルに飛び掛かっても、ふり払われて、結局その日はわたくしのご飯がありませんでした