第58話 リィナの秘密
――ああ、ここで……終わるのか。
指先がしびれ、握った剣がいまにも落ちそうになる。
だが――
「アラン!! しっかりしろ!!」
震える声が耳を打った。
レオンが駆け寄り、その身体を必死に支えた。
瞳はいつになく真剣で、荒い息を吐きながら言葉を絞り出す。
「お前がここで死んだら……俺は絶対に許さないからな!!」
「レ……オン……」
かすれた声が喉から漏れた。
意識が闇に沈もうとする。
だが、その前にもうひとつの温もりが、そっとアランを抱きしめた。
「……ごめん……ごめんね……私……全部……」
リィナだった。
小さく震える肩が頬に触れる。
嗚咽が耳元に零れ落ちた。
「私が……私が騙したから……こんなことに……っ」
「いいんだ……お前が……選んだ道だ……」
唇が血に濡れる。
それでも微笑んだ。
意識が遠のく中でも、その温かさだけははっきりとわかった。
「ふざけるな……泣くのは後にしろ……まずは手当だ……!」
レオンが震える手で回復魔法の触媒を取り出す。
氷の結晶に淡い光が灯り、癒しの魔力が流れ込む。
熱がひいていく。
張り詰めた痛みが、少しずつ溶けていった。
リィナも懸命に止血の布を当てる。
指先が真っ赤になりながら、それでも離さなかった。
「生きるんだ、アラン。……私が、私が必ず守る……!」
「……俺もだ……こんなところで……終わらせない……!」
視界が霞む。
それでも目を開けると、二人の顔があった。
涙ににじんでいたが、それでもはっきりとわかった。
――ああ、ここにいる。
もうひとりじゃない。
視線を横にやると、捕縛されたセイラスが倒れていた。
両腕を氷の鎖に縛られ、無力に地を見つめている。
その姿は、もう脅威ではなかった。
「……これで……終わった……?」
「いや……まだ全部じゃないさ。でも……今は生き延びるんだ。」
レオンが短く息を吐いて言った。
リィナも、涙を拭いながら頷く。
「生き延びて、取り返す。私も……もう嘘はつかない。」
アランの胸に、小さな熱が灯る。
それは痛みや恐怖をひとつずつ溶かしていく、優しい光だった。
「……ああ……わかった……」
細い声で、それでも確かに応えた。
三人の手が重なる。
剣ではなく、涙でもなく。
ただ同じ命を賭ける覚悟が、そこにあった。
冷えた地下遺跡の空気の中、確かに生きようとする意志だけが――
赤く、静かに燃えていた。
セイラスは倒れ込むように膝をつき、乾いた吐息を漏らした。
ゆっくりと氷に縛られた顔を上げる。
その視線が、まっすぐにリィナを射抜いた。
「……ああ、なるほどな。」
氷越しに光る瞳が、暗い底光りを宿す。
「やはりお前だったか――あの村で、たまたま生かされた小娘。」
リィナの顔色がわずかに変わった。
「……何の話をしているの。」
「とぼけるな。」
セイラスは唇を歪める。
「お前の兄……あれは優秀だった。組織にとっても都合が良かった。だから、お前は生かされたんだよ。」
言葉が、氷よりも冷たく胸を抉った。
「兄さんが……?」
「そうだ。」
声に僅かな嘲笑が滲む。
「勘違いするなよ。お前が特別だったわけじゃない。ただの駒だ。村を壊滅させ、お前らが逃げたときも――組織はな、暇つぶしに泳がせていただけだ。」
レオンが杖を構え直す。
「もういい。口を慎め。」
「いや……聞いておくといい。」
セイラスの視線はリィナを離さなかった。
黒紫の瞳に、濁った怨念が深く沈む。
「裏切った代償は、いずれ払うことになる。この先、お前らの死は――確定事項だ。」
リィナは唇を噛みしめた。
胸の奥で、古い痛みがじわりと滲む。
それでも言葉は返さなかった。
氷の鎖が軋む音だけが、ひどく遠くに聞こえた。
「せいぜい……足掻け。」
セイラスは最後にかすれた声で吐き捨てる。
「この国ごと……その綺麗事の絆ごと……全部、潰してやるよ。」
リィナの目に、憎悪と覚悟が一瞬だけ燃え上がった。
だが、その色をすぐに押し殺す。
震える吐息を一度だけ吐いてから、ゆっくりと背を向けた。
「もう……好きにはさせない。」
かすれた声だった。
けれどその背は、何よりも固く決意を刻んでいた。
(兄さん……私、やっと少しだけ……前に進める気がするよ。)
胸の奥に疼く過去の影を抱いたまま、リィナは踏み出した。
それはまだ癒えぬ傷跡と向き合う、始まりの一歩だった。




