第49話 アランの新たな剣
アランは書類の山に埋もれるバズを見つけると、迷いを押し込めて声をかけた。
「……相談があって。」
バズはペンを止めると、顔も上げずに低く応えた。
「剣のことか。」
「はい。」
ゆっくりと顔を上げ、鋭い視線を向ける。
その目に射抜かれるような気がして、アランは無意識に背筋を伸ばした。
バズは書類の束を脇にどけ、机の端に立てかけたアランの剣に手を伸ばす。
「前に言ったことは覚えてるか?」
「重さじゃなく、リズムを意識しろ。ってこと?」
「そうだ。力の抜き方ひとつで、剣は何倍も速くなる。」
刃を持ち上げ、軽く一振りする。
金属が低い唸りをあげて揺れた。
「ん、重いな。これじゃあ、お前の筋力では振りぬくたびに負荷が溜まる。技術が追いつく前に身体を壊す。」
「でも、重い方が、一撃も強い気がして。」
視線を落としながら、アランは正直に打ち明けた。
一撃で終わらせられるなら、と戦いのたびに思ってきた。
だが、その考えが限界に来ているのも分かっていた。
バズは短く鼻を鳴らす。
「一撃に賭けるのは下策だ。斬れなきゃ終わる。疲れたら終わる。無理に力で斬ろうとするから、次の攻撃に繋げられないんだ。」
ゆっくりと剣を机に戻すと、静かな声で続けた。
「まず剣は絶対に軽くしろ。属性を付与できれば、刃はお前の魔力で斬る。肉や骨じゃなく、意志を通す武器になる。これから先は、今までの敵とは比べ物にならん。武器に足を引っ張られていては、すぐに命を落とすぞ。」
その言葉は、言い訳も言い返しも許さない重みを持っていた。
アランは唇を引き結び、剣を見つめた。
(……わかってる。今のままじゃ、きっとどこかで限界が来る)
「わかりました!」
そう言われてしまえば、返す言葉はなかった。
不安もあったが、このままではいけないのは自分が一番わかっていた。
武器屋は市場の一角、古い石造りの建物だった。
軒先に吊るされた油灯が、夕暮れの影を橙色に染めている。
扉を押すと、ひんやりとした空気と鉄の匂いが鼻を刺した。
店主のドワーフは、分厚い革エプロンを身に着け、無造作に腕を組んでいた。
「剣の新調をしたくて、軽くて、振りやすい。魔力を通しても壊れないものってありますか」
視線を上げると、短く頷き、重い足取りで奥の棚に向かう。
「……あった。」
ごつい指で抱え出したのは、青鋼の剣だった。
光を吸い込むように鈍く輝き、装飾もほとんどない簡素な造り。
だが、握った瞬間に分かる。
冷たくしなやかな刃が、わずかに震えて呼吸をするようだった。
「魔力伝導の高い青鋼だ。見た目は地味だが、扱いやすさは折り紙付きだぞ。」
店主は顎で示しながら、低く続ける。
「改造するなら……二、三日はかかる。だが質は上物だ。きっちり仕上げれば、どんな剣よりも、お前の力を通すだろうな。」
アランはしばらく無言で刃を見つめた。
重さも癖も、今までの剣とは違う。
それでも、何かが呼びかけてくる気がした。
店の奥から若い声が響いた。
「――そうだ、師匠。騎士団に頼まれてたメンテナンス、もう取りに来る頃じゃないですか?準備してますか?」
「今は忙しい!後にしろ!」
無骨なドワーフの声が低く響き、棚の奥を探る手が止まることはなかった。
やがて、他の剣も候補と言わんばかりに、無造作にカウンターへ置く。
「どうだ、坊主。手に馴染みそうか?」
アランはそっと柄を握った。
掌にじわりと冷たい感覚が染み込む。
「……剣が、妙に魔力を吸うんだ。まるで、腹を空かせた獣みたいに。」
その言葉に、ドワーフの目が一瞬だけ鋭く細められる。
「……ほう。いいじゃないか。気に入ったんだろう?それにしてみろ。」
「はい!これにします。でも……改造は、もう少し考えてみます。」
剣を丁寧に布に包み、店を後にした。
(……ただの剣じゃない。そんな気がする)
ギルドの調合室。
ヴィルマは棚の上段に並んだ大きな薬瓶を慎重に整理していた。
ガラスがかすかに触れ合う澄んだ音が、静かな空間に小さく響く。
そんな中、アランが剣を抱えて入ってくると、彼女は振り返り、目を細めた。
「……何だい、剣なんて持ち込んで。鍛冶屋に行ったらどうだい。」
「改造するか迷ったんだけど、ヴィルマなら、より強くしてくれるんじゃないかって。頼む!魔力伝導を活かした改造がしたいんだ!いつか属性魔法を使う時にも、威力が上がるようにしておきたい!」
「……あのねえ、私は武器の改造は本職じゃないんだよ。」
わずかに眉根を寄せ、呆れたように息を吐く。
「でも……ヴィルマさんしか頼める人がいないんだ。」
アランは真剣な眼差しで訴えた。
短い沈黙のあと、ヴィルマは肩をすくめ、諦めたように小さく笑った。
「まったく……根負けだよ。いいさ、そこに置いておきな。」
作業台の上に剣をそっと置くと、ヴィルマは金属の手袋を嵌めた。
微かな金属音が響き、彼女の指先に青い魔力が集まる。
棚の奥から取り出したのは、きらきらと光を反射する薄い銀色の粉と、深い澄んだ青の液体だった。
「魔力を勝手に吸収する仕組みに改造する。そうすれば、戦いながら自然と魔力の感覚が身につく。」
銀粉を手のひらで少しだけ揉むと、魔力の気配がじわりと部屋に満ちる。
「……まずはそれでいいかい?」
「そんなことが……」
思わず呟くアランに、ヴィルマは手を止めずに返す。
「誰だと思ってるんだい? 超一流の錬金術師だよ。」
目も合わせずに淡々と言いながら、手にした調合用の軽い槌をそっと刃にあてがう。
一度、二度と叩くたび、金属がきらりと青い光を吸い込み、刃全体に淡い輝きが走った。
刃がわずかに震え、脈動のような感触がアランの指先に伝わってくる。
胸の奥がざわりと熱を帯びた。
「……終わりだよ。」
「え? もう?」
あまりの早さに、思わず声が上ずる。
「武器屋じゃ二、三日かかるって言われたぞ……!」
ヴィルマはやっと顔を上げ、肩越しににやりと笑った。
「だから言ったろう。私が誰かって。」
その誇らしげな横顔を見た途端、緊張が抜けるように、アランの口元に笑みが滲む。
「おっ、それとおまけがついたな。」
ヴィルマは青い液体の瓶を片付けながら言葉を継ぐ。
「持ち手の魔力が切れない限り、剣の切れ味がずっと上がる。……いい武器になったじゃないか。」
刃先に触れると、ひやりと心地よい冷たさが指に伝わった。
半壊した訓練場は、まだ修復用の足場と資材が残されたままだった。
崩れた天井から差し込む陽光が、白い埃をゆらゆらと照らしている。
アランは剣をゆっくりと抜き放った。
一度手の中で握り直すと、これまで感じていた鈍い重さはどこにもなく、代わりに薄い膜のような魔力の手応えがあった。
剣がまるで呼吸をするかのように、彼の魔力を静かに吸い込み始める。
(……すごい。勝手に魔力を取り込んで……)
「兄貴、準備はいいか?」
訓練場の奥で、ドランが軽く腰を落とし、獣じみた白い牙を覗かせた。
「手は出さないから。新しい武器の馴染みを確かめるだけだぞ!」
「頼む。」
アランは深く息を吸い込み、剣を構えた。
一歩、二歩。踏み込むと同時に魔力が刃に流れ、かすかな抵抗の感触を残して身体から抜けていく。
「――はっ!」
振り抜いた瞬間、空気が鋭く鳴った。
ドランは素早く体をひねってかわすが、肩口をすれすれに切り裂くような気圧が通り過ぎる。
「……おい、ちょっと待て。なんか速くなってないか?」
「わかる。魔力が流れるたびに、動きが軽くなる……!」
一太刀、また一太刀。
振るうたび、刃が喉奥に冷たい息を吹き込むように魔力を吸い上げ、次の動きへ推進する。
その感覚は恐ろしいほど快感で――同時に、制御を誤れば自分まで切り裂きそうな危うさを孕んでいた。
「兄貴、ちょっと待った! これ以上は無理だ、本気になるなよ!? 流しだって言ったろ!」
ドランが額に汗を浮かべて叫ぶ。
「え? 本気じゃないぞ? 流してたつもりだけど。」
「……嘘だろ……これが流し……?」
アランは剣を下ろし、小さく息を吐いた。
胸の奥に、まだ渇くように剣が魔力を求めている感覚が残っている。
(これなら……戦える。いや、それ以上に――)
アランは剣をそっと下げたが、刃の奥からまだ鈍く魔力を吸い上げる感覚が残っていた。
その余熱が、胸の奥をくすぐる。
「……ドラン。もう少しだけ、いいか?」
「えぇ……兄貴、まだやる気かよ?」
「すまん。もう少し、この感覚を確かめておきたいんだ。」
ドランは肩をすくめて、諦めたように笑う。
「ったく。じゃあ軽く流すだけだぞ。今度こそ。」
「もちろんだ。」
二人は再び間合いを取った。
アランが剣を掲げると、刃先に淡い光が滲む。
魔力がゆっくりと、だが確実に増幅されていく。
踏み込む。
振り下ろす。
――ガァン!
乾いた破砕音が響いた。
剣が訓練場の床を裂き、支えの柱を二本まとめて折り砕く。
砕けた壁が鈍い音を立てて傾き、崩れ落ちる破片が砂埃を巻き上げた。
「……あー……やっちまった。」
ドランが顔を引きつらせた。
訓練場の入り口から、こちらを見ていたシェリルが笑いをこらえ切れずに吹き出す。
「ぷっ……ふふ……何? 訓練じゃなくて解体作業でもしてるの?」
「ち、違う!今のはちょっとだけ……!」
「冗談じゃないぞ!」
奥から低い怒声が響いた。
バズが巨大な書類束を抱えたまま、眉間に青筋を立てて立っていた。
「どれだけ修理費がかかると思ってるんだ! ほんの少し手加減を覚えろ!!」
「すみません……!」
アランは剣を下げて深々と頭を下げた。
しかし心の奥底では、恐怖よりも小さな確信が芽生えていた。
――この力なら、きっと仲間を守れる。
そう思いながら、立ち込める粉塵の中、そっと剣を見つめていた。
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