第44話 旧工房跡へ
夜の街を抜け、郊外の荒れ地を進む。
月明かりが冷たく照り返し、草の上に長い影を落とした。
廃棄された工房――
かつて錬金術師たちの研究拠点として名を馳せた場所。
今はただ、呪われた遺跡のように沈黙していた。
朽ちかけた門標が、ひび割れた文字を晒す。
《第七魔道工房》
その名は、かすれながらもどこか禍々しかった。
「……ここが……」
リィナが息を呑む。
木造の屋根は半ば崩れ落ち、壁は煤と苔に覆われている。
だが、そこにはただの廃墟にはない生々しい気配があった。
まるで、誰かの視線が奥から注がれているように。
「気をつけろ」
レオンが一歩前に出る。
指先をわずかに掲げると、薄青い光が空中に浮かび上がる。
絡み合う紋章が、ふっと脈動するように揺れた。
「……内部で動いている反応がある。封印が……最近破られた形跡だ」
言葉が冷たい夜気に滲む。
廃墟の奥から、微かに魔力の匂いが漂ってきた。
アランは手を伸ばし、軋む扉をゆっくりと押し開けた。
ひどく冷たい空気が、夜気よりも鋭く肌を刺す。
「……行こう」
中に足を踏み入れると、そこはまるで荒らされた祭壇のようだった。
床には砕けた魔道具の残骸が散乱し、机は粉々に破壊されている。
壁に刻まれていたはずの紋章も、何かの刃物で無理やり削り取られていた。
「……ひどい……」
リィナが小さく息を呑む。
「ここまでめちゃくちゃにしなくてもいいのに……」
「逆だ。ここまで徹底しているなら、証拠を消すのが目的だ」
レオンが足元の破片を拾い上げ、光にかざした。
砕けた金属の縁に、かすかに封印の刻印が残っている。
「けど……」
リィナは粉塵をかき分けて屈むと、床に伸びる痕跡を指さした。
「誰かが……ここを通った跡がある。あんまり時間は経ってないかも」
粉塵の上に、複数の新しい靴跡が鮮明に刻まれていた。
その先――棚の一角が荒らされ、金属製の大きな箱が運び出された跡が残っている。
「……これが、持ち去られた道具か」
「たぶん……でも、何を運ばれたんだろ」
リィナが唇を噛む。
「こんなに念入りに隠されてたものなんて……ろくでもない予感しかしない」
アランは無言で頷いた。
アランは散乱した破片の中に、小さな銀の留め金を見つけた。
触れた瞬間、胸の奥がひやりと震え、次いで不意に熱を帯びる。
(……これは――)
「アラン?」
リィナの声が遠のき、視界がゆっくりと暗転していく。
まるで何かに引きずり込まれるように、意識が別の場所へ落ちていった。
――冷たい石の床に、ひざまずく男の背中があった。
灰色に乱れた髪。
荒く途切れる息づかい。
朽ちかけた机の上に、幾重にも重ねられた設計図。
(……ヘルマン……?)
「……これが……最後の……証明だ」
掠れた声が、耳の奥に深く染み込む。
男は震える手で銀の留め金を撫で、その先に広げた紙束を見つめていた。
「待て……ヘルマン! まだ……!」
誰かの声が重なる。
焦燥と悲痛が混じった叫びが、ひどく遠く感じられた。
しかし、応える声はもうない。
視界が黒く染まり、世界が閉じていく。
――暗闇。
深い、凍るような沈黙。
「……アラン!」
強く肩を揺すられ、現実に引き戻された。
視界がゆらりと揺れて、リィナの心配そうな顔が浮かぶ。
「……大丈夫か?」
「ああ……」
声がかすれていた。
彼はまだ指先に残る熱を感じながら、手の中の留め金を見つめる。
「……ヘルマンは、ここにいた。何かを……証明しようとしてた」
「証明?」
レオンが低く問い返す。
「魔力密造理論の……何かだ。
でも、それだけじゃない。――自分が狙われているのを、知ってた」
短い沈黙が落ちた。
屋根の崩れ目から月光が差し込み、銀の留め金を淡く照らす。
「……まだ、終わってない」
アランは息を整え、視線をまっすぐに上げた。
「証拠も、手がかりも……俺たちで探し出す」
「じゃあ、まずはこっちを見て」
リィナが低い声で呼んだ。
彼女は瓦礫に埋もれた古い棚を押しのけ、床に手を当てる。
「隠し通路がある。……空気の流れが違うの、わかる?」
レオンが視線を走らせ、頷いた。
「確かに……封印が施されているな。ここを通った者がいるはずだ」
リィナが指先で隙間に細工を施すと、かすかに金属が外れる音がした。
石の床がずれ、階下へ続く暗い通路が口を開ける。
「奥に何か残ってるかもしれない。けど……」
リィナの声が、僅かに固くなる。
「……気をつけて。ずっと誰かに見られている気がする」
アランも息を飲んだ。
言われてみれば、さっきから薄い視線のようなものが背後にまとわりついている。
目には映らない。だが確かに、冷たい魔力の残響が漂っていた。
「幻覚か、残留思念か……それとも別の何かか」
レオンは片手を上げ、周囲の魔力を探る。
「……共鳴している。俺たちが入ってから反応を強めた」
「別の勢力が来てたのかもしれない」
リィナが短剣を抜く。
「この工房を荒らしたのは、ヘルマンを誘拐した奴らだけじゃない。……他にも、密造を追っている奴らがいる」
再び沈黙が落ちた。
だが三人の目は、一つの場所を見据えていた。
開いた通路の奥。
そこに真実と、さらなる危機が潜んでいるのは明らかだった。
「行こう」
アランが小さく息を吐き、留め金を握りしめた。




