第43話 暴走の連鎖
ヴィルマの工房を後にした三人は、薄闇が街を覆いはじめる中、旧工房へ向かって歩を進めていた。
レオンが静かに言った。
「……準備は整った。あとは踏み込むだけだ」
アランは一度だけ深呼吸し、頷いた。
「よし。行くぞ」
その声に、リィナが歩を緩める。
いつになく真剣な目で、二人を見つめた。
「危険だと感じたら……即帰還よ。約束して」
アランは一瞬だけ言葉を飲んだ。
だが、決意は揺るがなかった。
「わかってる。でも……やる」
そのとき、陽が落ちる街の通りから、ざわめきが押し寄せてきた。
市場の喧騒は、いつのまにか悲鳴に変わっていた。
「離れてください! 魔道具が暴走しています!」
衛兵の怒声が響く。
振り返った視線の先、屋台の上に吊り下げられた魔力照明が、青白い火花を吐きながら激しく明滅していた。
「……っ!」
数歩先で、買い物客が肩をすくめて逃げ惑う。
魔道具は止まらない。火花は周囲の木箱に燃え移り、辺りはたちまち白い煙に包まれた。
リィナは咄嗟にアランの腕を掴む。
「これも……魔力密造の影響?」
「多分……そうだ」
レオンの声は低かった。
だが、表情は冷静さを保っている。
「連鎖が広がっている。想像よりずっと早いペースだ」
アランは唇を結び、もう一度、照明の火花を見つめた。
人々の恐怖が、焼けつくように胸を刺す。
「これ以上、放っておいたら――!」
アランは叫ぶと、押し寄せる人波をかき分けながら、魔力照明へと駆け寄った。
焦げた風が顔を打つ。火花が弾け、耳鳴りがする。
「避難しろ! 離れろ!」
周囲の人々が戸惑いながらも退き始める。
すぐ後ろから、リィナが息を切らせて飛び込んだ。
「アラン! 下手に衝撃を与えたら爆発する!」
「わかってる……でも、このままだと――!」
照明の外殻が乾いた音を立ててひび割れ、蒼白い光が奔流のようにあふれ出した。
空気が膨張し、肌に刺すような熱が突き上げる。
「くそっ、動くなよ……!」
アランは短剣を引き抜き、接合部に刃を差し込んだ。
汗が首筋を伝う。ほんの少しでも力を誤れば、破裂するだろう。
「レオン!」
振り返る声に、レオンは静かに頷いた。
両の手をゆっくりと前へ伸ばす。
灰青の瞳が、氷のように冷たく細められた。
「……制御する」
低い声とともに、足元から冷気が霧のように立ち上る。
照明を中心に白い息が渦を巻き、裂け目を覆うように凍結が広がった。
「《氷鎖の封印》――」
氷の鎖が、過熱する魔道具を絡め取るように巻き付いていく。
暴れ狂う魔力の脈動が、わずかに落ち着いた。
アランは息を詰め、短剣の刃をさらに押し込む。
「……頼む、もってくれ」
だが、照明はなおも低く震え続けた。
「これ以上はもたない……!」
リィナが息を呑む。
アランは短剣を構え直し、接合部の奥を覗き込む。
(どこだ……暴走の核は――)
蒼白い閃光が一際強く脈動した。
そのとき、胸の奥にひやりとした感覚が走る。
――ここだ。
「……あった」
彼の指先が、内壁に刻まれた奇妙な印をそっとなぞった。
目に見えないはずの刻印が、淡く青い光を返す。
「やはり……これが原因か」
レオンが低く呟く。氷の瞳が細められる。
「アラン、ここだ。そこを……」
わずかな逡巡ののち、アランは深く息を吸った。
短剣を強く握りしめ、震える手で印の中心を狙う。
「――頼む、これで……!」
最後の一撃が刻印を貫いた。
次の瞬間、照明は小さな閃光を散らし、音もなく光を失った。
市場に、深い静寂が降りた。
「……ふう……」
リィナが膝に手をつき、荒い息を吐いた。
「もう……無茶するんだから」
「へへ……出来たからいいだろ?」
アランがいつもの調子で笑ってみせたが、声にはまだ震えが残っていた。
ちらりと視線を上げると、周囲の人々が恐る恐る近づきはじめていた。
「負傷者は?」
「何人か火傷と打撲だけ。重傷者はいないわ」
リィナの報告に、安堵の色が広がる。
だが、レオンだけは照明の破片を拾い上げたまま、表情を険しくしていた。
「この刻印……古い密造工房のものに酷似している」
「密造工房……」
アランの瞳が鋭さを帯びる。
「やっぱり……繋がってる。ヘルマンの失踪と、この暴走は同じ線だ」
その言葉に、三人の間に再び緊張が戻った。
淡く残る煙が、どこか不吉な匂いを運んでいた。
冒険者ギルドに戻った三人を、ギルドマスターが黙然と待っていた。
古びた机の上には、すでに一通の封書が置かれている。
「ご苦労だったな」
低く、押し殺した声。
ひとつ息を吐き、彼は書類を掲げてみせた。
「街の混乱は、もう見過ごせない」
その瞳が、ひび割れた照明の破片を一瞥する。
「正式に調査依頼が出た。……密造工房跡地の探索、原因の究明、関連する証拠の収集――全てだ」
周囲にいた受付嬢や冒険者たちが息を呑む。
空気がぴんと張り詰める。
「これ以上、深入りすることは勧めん。相手はただの盗賊ではないだろう。……引き受けるか?」
言葉の重さが、部屋の空気を沈めた。
アランは破片を見つめ、ゆっくりと息を吸った。
「やる」
短く、迷いのない声。
「……やらなきゃ、ここで逃げたら、なんか……違う気がするんだ」
「そうだな」
レオンがわずかに目を細め、静かに頷いた。
リィナも短剣を握り直す。
マスターはそんな三人を見つめ、表情を崩さず引き出しから何かを取り出した。
掌に収まる、黒鉄の小さな魔道具――通信のための結晶端末だった。
「これはヴィルマが置いていったものだ。何かあったら、これを使え」
そっとアランに手渡す。
冷たい金属の重みが、決意を刻むように掌に残った。
「……ありがとう」
アランは真っ直ぐにギルドマスターを見返した。
「危険度が増した、気がするわね。」
リィナが呟く。
だが、その言葉に怯む者はもういなかった。




