第41話 失踪した錬金術師
朝霧がまだ街路に溜まる頃、街の錬金術師協会の前はいつもより人だかりができていた。
「……もう三日も戻っていないんだってさ」
「まさか、何かの研究で事故にでも……」
「いや、失踪だよ。あのヘルマンが――」
錬金術師たちのざわめきは、いつも通りの好奇心に彩られたものではなかった。
不安と恐怖が、湿った空気に混じっていた。
「ふむ、それは実に興味深いな、うむ!」
それが、つい三日前までヘルマン・グレイスの口癖だった。
ボサボサの灰髪を振り乱し、夜通し研究室に籠もるその姿は、街の人々にとって風物詩のようなものだった。
だが、彼は忽然と姿を消した。
残された机には、何枚もの走り書きと、歪に破損した魔道具の試作品。
最近、彼が執念を燃やしていた研究――
それは「魔力流通理論」。
一個人の魔力を超え、街全体に魔力を供給する、新しい網を作る計画だった。
その理論の一端を、ようやく形にしようとしていた矢先の失踪。
ーー同じ頃、冒険者ギルドでは、アランたちが別の討伐依頼の報告を終えていた。
「よくやってるね!君たち、最近、顔つきが変わったみたい。それにリィナちゃんも一緒になって安定感増してるよ。もうGランクとFランクのチームとは思えないね!」
受付嬢が笑みを向ける。アランは報酬袋を腰に収めると、ふと掲示板に視線を移した。
そこに、新しい紙が貼り出されていた。
【特別依頼】
《錬金術師ヘルマン・グレイス失踪事件の調査》
・調査対象:錬金術師協会内部、研究室周辺
・優先度:高
・危険度:不明
・報酬:調査進捗に応じて
「あっ!これ!やっぱり噂だけじゃなかったんだ。」
(大きく組織が動き始めたのね。)
リィナが小さく呟く。
「……街の魔道具、最近やたら不安定だと思ってた。夜中に街灯が爆ぜたり、屋根の結界が勝手に作動したり」
その声は、いつになく真剣だった。
アランが視線を向けると、彼女の額には細かな汗が滲んでいる。
「ヴィルマも言ってた。魔力流通理論の試作が絡んでるんじゃないかって」
レオンは無言で腕を組む。
その瞳が、どこか淡く、氷の刃のように冷たい光を宿した。
「……ヘルマンは理論を立てただけじゃない。魔道具の応用試作まで進めていた。
もし彼の失踪が偶然なら――それに越したことはないが」
言葉の端に、いつもは見せない不安が滲んだ。沈黙のあと、受付嬢がそっと口を開く。
「でも……助手の子が言ってたのよ」
彼女はそっと視線を落とし、指先を胸元で絡めた。その仕草に、抑えきれない恐れが滲む。
「毎晩、研究室に結界を張っていたらしいの。出入りも、何もかも細かく記録を残して……。
何かに……追われていたみたいだって」
空気がぴんと張り詰めた。まるでそこに、見えない何者かが立っているかのように。
「……ただの失踪じゃない」
(組織が間違いなく絡んでる)
リィナの声が、かすかに震えた。
アランの胸の奥に、無鉄砲な正義感がひたひたと火を灯した。
それは勢いだけの衝動ではない。
街の空気に染みついた不安や、怯えた人々の顔が脳裏に浮かんで離れなかった。
自分がまだ何も成せない小さな冒険者であることを知っていても――それでも、何もしないで見過ごすことだけはできなかった。
「また、街が怯えてる空気が漂ってる。放っとくわけにいかねぇ」
静かに放たれた言葉に、リィナとレオンが視線を向ける。
彼の真っ直ぐな金の瞳は、もう何かを決めていた。
その決意に、レオンは一拍置いてから低く問いかけた。
「お前が動くことないだろ?」
その声には責める色はなかった。ただ冷静に、確認するように続ける。
「他にも冒険者はいる。俺らよりもずっと強い奴らに任せたっていい。
……それでも、お前が行く理由は何だ?」
問いかけるレオンの瞳は、氷のように澄んでいた。他人の情熱をただ肯定するつもりはなかった。
それが本当に覚悟かどうか、確かめようとしていた。
アランは視線をそらさずに答えた。それは、言い訳ではなく、彼の中にある真実だった。
「俺は……知りたいんだ。魔道具や錬金術が、ただ人を脅かすものなのか……それとも違うのか。
ヘルマンさんが、何を残したのか。
……知って、それを伝えたい。誰かが向き合わなきゃいけないなら……俺がやる」
しばらくの沈黙。リィナはゆっくりと息を吐き、レオンは目を伏せた。そして小さく肩を竦める。
「……やれやれ。本当に、止めても聞かないんだな」
その口調に呆れた色が混じっても、どこか諦めではない温かさがあった。
「それに、やってみなきゃわかんねぇだろ?」
掲示板に貼られた調査依頼の紙が、かすかに揺れた。受付嬢は戸惑いながらも、少しだけ優しい目で彼を見つめる。
「調査に参加するの?……危険よ。行方不明になった人が、もう何人もいる」
それでも、アランは頷いた。拳を軽く握りしめ、仲間へと視線を移す。
言葉にするほど、その気持ちは確かなものになった。街を守るためだけじゃない。
魔道具や錬金術が生んだものが、誰かを傷つける道具で終わってほしくなかった。
――もしヘルマンが最後に何かを託そうとしたのなら、それを見届ける責任がある気がしていた。
「行かなきゃ。ヘルマンさんが……何を残したのか、確かめたい。俺がやらなきゃいけない。そんな気がするんだ」
金の瞳が、掲示板に映る文字を静かに射抜いた。
その横顔を、リィナもレオンも黙って見つめていた。
ためらいはあったが、誰も「やめろ」とは言わなかった。




