第37話 ヴィルマの冗談
「……私はずっと、この理屈の森を彷徨っている。魔道具に何を託したのか、何を失ったのか。愚かで、滑稽で……だが美しい。そう思う」
「……師匠……楽しそうですね」
トリムが恐る恐る呟くと、ヴィルマは珍しく口元をわずかに緩めた。
「楽しいよ。無知な者に知を授けるのは」
「……無知、か。手厳しいな」
リィナが肩を竦めたが、その目にはどこか憧れの色があった。
「では、ここにある魔道具について、一つずつ解説しよう」
ヴィルマは棚から古びた球体を取り上げ、淡々と話し始めた。
「これは“真実の瞳”。持ち主の魔力に反応し、相手が嘘をつくときに光る。……ただし、持ち主自身が嘘に慣れていると、誤作動する」
「そんなことが?」
レオンが興味深げに覗き込む。ヴィルマは視線を横にずらし、わざとらしく溜息をついた。
「……ちなみに、この工房には旧魔導帝国から伝わる“魂の複製機”もある。人間を丸ごと写し取り、記憶も感情も複製できる。ただし三日以内に元の身体と融合しないと、両方が消滅する」
「……」
「……」
アランもリィナもレオンも、一瞬黙り込む。トリムだけが顔を青くして震え出した。
「し、師匠!? そ、それは、まさか、保管庫の奥に……」
「冗談だ」
「…………」
「……うそかよ!」
アランが呆れた声をあげる。リィナは思わず吹き出し、レオンすら口元を押さえて笑った。
「……珍しいな。ヴィルマさんが冗談を言うなんて」
「たまには場を和ませようと思っただけだ」
淡々とそう言って、ヴィルマはそっぽを向いた。
だが、頬がわずかに赤いのをリィナは見逃さなかった。
「……ふふ、でも意外。ヴィルマさん、教えるときはいつもこんなに楽しそうなんですか?」
「知識を共有するのは……悪くない。特に、素直に学ぶ者が相手ならな」
アランがきょとんとした顔をする。
「俺のことか?」
「……お前は半分くらいしか理解していないだろうが、その素直さは貴重だ」
「子犬ちゃんなら。半分も理解してるなら上等なんじゃない?」
またリィナが笑い、トリムも安堵の息をついた。
ひととおり魔道具の講義が終わり、工房にはひと息ついた空気が流れていた。けれど、レオンは窓際に立ったまま、ずっとヴィルマを見つめていた。
「……一つ、聞いてもいいですか」
静かな声に、ヴィルマの手がわずかに止まる。
「何だ」
「なぜ……あなたはナリアと名乗っているのですか?」
リィナが息を呑み、トリムは何か言いかけて口をつぐんだ。
レオンはゆっくり言葉を継ぐ。
「僕が学術都市で聞いた話では、“ヴィルマ・ルドノア”は……かつて王立錬金院に在籍していた。
でも、爆発事故で多くの研究が失われ、あなたは追放されたと聞いています」
工房の奥、ガラス瓶に映るヴィルマの横顔が一瞬だけ歪んだ。
だが、すぐに無表情に戻る。
「それがきっかけだ、それが何か?」
「あなたが“ナリア”を名乗るのは、その過去を隠すためですか」
ヴィルマは視線を落とし、道具をひとつひとつ丁寧に並べた。
そして、わずかに肩を揺らす。
「……そうだとして、お前に何の関わりがある」
「……特にない。ただ――」
短い沈黙が落ちる。やがてヴィルマは小さく息を吐いた。
「……それ以上は詮索するな。今は、ナリアで呼ばれている」
「……分かりました」
空気がわずかに重くなる。
だが、その緊張を破るように、ヴィルマは振り返った。
「……さて、次は実践だ」
机に置かれた古びた小箱を、アランのほうへ滑らせる。
「これを修理してみろ。……言っておくが、これは私でも三度失敗した代物だ」
「俺が?」
「そうだ。触ってみろ」
アランは箱にそっと手を添えた。
木目はひび割れ、魔力を蓄える符文はかすれかけている。
だが――
(……なんだ、これ……)
脈打つような何かが、指先に伝わる。
冷たいのに、深いところで懸命に生きようとしている。
「こいつ……何か、探してるみたいだ」
「……探すって何を?」
リィナが小声で呟いた。
アランは無意識に目を閉じる。
「……ずっと、誰かに何かを届けたかった。……でも、届かなくて、忘れられて……」
視線を上げると、ヴィルマがじっと見ていた。
「……その感覚、何だ」
「わかんねぇ。ただ……伝わってくるんだ」
誰も声を発さなかった。トリムの手が震え、レオンが目を細める。
アランはそっと箱の欠けた封蝋に手を当てる。 胸の奥から、何かが溢れるように流れた。
「……ありがとう、って……言ってる」
微かに光が滲んだ。壊れた符文がひとつ、ゆらりと輝く。
「――っ」
リィナが小さく息を呑んだ。箱の傷がわずかに収まり、欠けた木目が再生し始める。
「感覚だけで……魔道具を読んだのか……?」
(アランの奴、魔法に関して成長してる。)
レオンの声には、珍しく驚きが滲んでいた。トリムも呆然と立ち尽くす。
ヴィルマは、しばらく黙っていた。
それから――
「……なるほど」
珍しく、その口元に微笑が浮かんだ。
「お前は……“想いに応える者”か」
「……なんだそれ」
「私が何年探しても得られなかった感覚だ。理屈では届かない領域。……面白いな」
ヴィルマはゆっくりと椅子に腰かけ、アランを見つめた。
その視線には、初めての――敬意のようなものがあった。
「……覚えておけ。修理とは、ただ形を戻す行為じゃない。
込められた意図と想いを、もう一度繋ぎ直すことだ」
「……うん」
「お前には、その才能がある。……私も、少しだけ見習うべきかもしれないな」
工房に、穏やかな沈黙が満ちた。
――それは、ヴィルマが他人を認めようとした、第一歩だったのかも知れない。
読んで頂きありがとうございます。
2章の半分ってところです。
明日も更新しますのでよろしくお願いします。




