第36話 ヴィルマと魔道具教室
次の日の昼下がり。細い路地の奥にある木造の工房は、いつにも増して妙な薬品の匂いが漂っていた。
アランが遠慮なく扉を押し開けると、乾いた鈴の音が室内に響く。
「ヴィルマさん、いるか? 今日はちょっと……」
「勝手に入るの、慣れたねえ。……どうぞ、奥に」
無表情の声が聞こえたが、視線を移すとヴィルマは作業台の向こうにいて、隣には見知らぬ青年が立っていた。
ぼさぼさの金髪、焦ったような顔。白衣は何かの液体が飛び散り、無残な染みが広がっている。
「あっ、あの、すみません師匠、やっぱり僕、ここの理論の再計算だけは……っ」
「トリム、その話は後だ。……来客だよ」
「あ……あ、えっ……えええ!? お客様!? いや、でも僕、まだ解説を……」
青年――トリムは、視線を泳がせながらこちらに慌てて頭を下げた。
「ど、どうもすみません! 錬金術師ギルド第三研究室、トリム・セラロスと申します!」
「……何だ、やたら騒がしい研究員だな」
(リリアさんが落ち着いてるだけか?)
レオンが小声でつぶやいた。
リィナは口元を押さえ、笑いをこらえている。
「今日は何の用だ」
ヴィルマが淡々と問う。
アランが一歩前に出る。
「魔道具のこと、ちゃんと知りたくてさ。使うだけじゃなくて……中身とか、仕組みとか」
「……珍しいな。お前が“知りたい”と言うのは」
「こないだの投影機の修復で、何となく分かったんだ。ああいうのって、ただの道具じゃないんだって」
リィナがうなずく。
「それにレオンも、ちゃんと話を聞いたほうがいいってさ。……ね?」
「……ああ、僕も。君の知識は、調べた本とは違う角度からの情報が多い。興味深い」
レオンは無表情のまま頷いた。
「……ふむ。では……トリム」
「えっ、僕ですか!?」
「説明してやりな。どうせ今やってる試薬は反応待ちだろう」
「そ、そんな……僕が、僕が教えるんですか!? あああ……師匠、ひどい……」
「お前も他人に話すことで頭を整理できるだろ。……急遽開催だ、魔道具教室」
トリムは半泣きで白衣の裾を整えると、震えた手で試薬の瓶を片付け始めた。
アランたちは、工房の壁際に置かれた簡易ベンチに腰を下ろす。
「え、えっと……あの……まず魔道具っていうのは、“意図を込める器”です」
「意図?」
「そ、そうです! たとえば、火を起こす、傷を癒す、記憶を映す……用途は多岐にわたりますが、重要なのは“使用者の魔力”をどう変換するかなんです!」
声が大きくなるたび、リィナが肩を揺らしながら笑う。
レオンは真剣な顔でメモ帳を取り出した。
「魔道具の中には、旧魔導帝国の技術が遺されているものもあります。当時は“魔導核”と呼ばれる中枢があって、術式と魔力変換を自動で行う精緻な構造が……」
「旧魔導帝国……」
レオンの筆が止まる。
トリムは少し誇らしげに胸を張った。
「ええ、何百年も前に滅びた帝国の遺産です。あの技術は現代でも完全には再現できません。だから、魔道具は時に“意思を宿す”なんて呼ばれるんです」
「意思……」
アランが小さくつぶやいた。
先日、あの投影機から感じたあたたかさが蘇る。
「触ってると、なんか……生きてるみたいに思えるんだよな。冷たいけど、どっかあったかい」
「そ、それです! 魔力共鳴……あるいは感応体質と言うんですが、稀に触れた魔力の“癖”を感じ取れる人がいるんです。……それ、すごい素質なんですよ!」
「……素質?」
リィナの視線が、アランを一瞬だけ見つめた。淡い驚きと、わずかな安堵が混じる。
「それは……後の研究課題だな」
ヴィルマが淡々と口を挟んだ。「興味深い」とだけ言い、また黙る。
トリムは熱気に頬を赤くしながら、息をついた。
「……と、とりあえず、基礎はこんなところです! つ、疲れました……」
「すごいじゃない。ちゃんと説明できてたよ」
「リ、リィナさんに褒められるなんて……うれしい……!」
レオンは静かにページを閉じる。
「……やはり聞いておいて正解だった。君の知識は理路整然としている」
「そ、そうでしょうか……ありがとうございます……!」
アランは机の上の古びた魔道具を一つ見つめた。ランタンと同じように、どこか眠っているものを感じる気がした。
(うん。やってみなきゃわかんねぇ。な、やっぱ!知るって、面白いな)
ひとしきりトリムが熱弁を終えると、工房には奇妙な静寂が戻った。
アランは机の上の古びた魔道具をじっと見つめていたが、ふと視線を上げる。
「なあ、ヴィルマさんも……何か教えてくれないか?」
「……私が?」
髪をひとつに束ねたまま、ヴィルマは無表情でこちらを見た。
だが、その瞳の奥にわずかな光が揺れた。
「……いいだろう。せっかく興味を持ったんだ。だが教えるとなると――覚悟はいる」
「覚悟?」
「……魔道具というのは、扱いを間違えれば容易く命を奪うものだ。先ほどの説明にあった旧魔導帝国の遺産――あれは研究者が五十人消えても一基も再現できない、呪いと同義の遺物だ」
レオンが眉をひそめる。
「つまり、“危険だからやめておけ”と?」
「いや――だからこそ面白い」
ヴィルマは言い切った。
その声は普段の冷静さと変わらないのに、不思議と楽しげに響く。
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