35話 幼い少女の思い出
夜気が冷え始める頃、灯りに照らされた小机に、銀色の円盤が置かれていた。
「……これが、あたしの最初の“宝物”だったんだ」
静かな声で、リィナが呟く。
アランは黙って工具を並べ、ランプを近づける。
「なら、直してあげようぜ。俺も手伝うから」
「……ありがと」
長い夜の始まりだった。
ふたりは肩を並べ、壊れかけた思い出に、そっと光を取り戻そうとしていた。
夜も更け、宿の部屋には月明かりとランプの光が溶け合っていた。
古びた机の上に、修復中の魔道具がひっそりと横たわる。
薄い銀の円盤に、小さな亀裂が走っている。
リィナは慎重に接合針を当てながら、唇を噛んだ。掌に伝わる冷たい金属の感触と、微かな震え。
その隣で、アランが道具の取っ手をぎこちなく握っている。
「……大丈夫か? こっちの封蝋、温めておくけど」
「ん、ありがと。……ごめんね、無理に付き合わせて」
「今日は体も休ませたかったから」
夜気がふわりと吹き込むたび、ランプの炎が揺れた。
リィナの長い睫毛が影を落とし、机の上に淡くかたどられる。
「アラン、あんた下手くそだよね。こういう細かい作業」
「しょうがないだろ、剣振るのと全然ちがうし…でも……」
針を渡す手が一瞬止まる。
「……なんか……触ってると分かるんだ。ここに……流れてる、あったかいもんが」
「……魔力?」
「多分、そう。……ほら、ここ。ちょっとだけ、色が変わってる」
リィナが覗き込むと、確かに亀裂の端が淡い光を帯びていた。
封蝋が触れたわけでも、符文が再起動したわけでもない。まるで、アランの手の下にだけ、眠っていたものが目を覚ますように。
「……なんで、そんなのが分かるの?あんた、魔道具なんて直したこともないんでしょ?」
「んー、分かんねぇ。でも、感じるんだ。こいつが…寂しがってるような。冷たくて、ずっとひとりで、やっと会えたって言ってるような。」
言葉を探しながら、彼はゆっくり魔道具を撫でた。リィナは答えられず、ただ見つめた。
幼い頃、必死に抱きしめていた時の温度を思い出す。
「なぁ魔力って……温かいんだな」
ぽつりと零れた声が、灯りの中に消えていく。
リィナは気づかぬうちに胸の奥が疼いていた。
「……やっぱり、あんた……変なやつ」
「そりゃ悪かったな!」
そう言って笑う表情は、どこまでもまっすぐで。
どこか、あの人に似ていた。
いつしか深夜を過ぎていた。
ランプの炎は小さくなり、外では月が雲間を漂う。
最後の封蝋を針先で落としたとき、かすかに震えが走った。
円盤の中央――砕けていた宝石が、ほのかな青に滲む。
「あっ……起動……した?」
リィナがそっと手を離す。
アランの手が支えると、淡い光が波紋のように広がった。
次の瞬間、小さな幻影が浮かび上がる。
部屋の空気に、揺れる白い布と、暖炉の明かり。
小さな少女が笑っていた。
頬を撫でる手。あたたかな声。
「……お母さん……」
リィナが震える声でつぶやいた。
幼い自分が、家族に囲まれて笑っている。
泣いていた夜も、空腹に耐えた朝も。
でも、この一瞬だけは、笑っていた。
「……すげぇ。これが……」
アランが見上げる瞳に、反射した光が揺れる。
リィナは手を伸ばし、けれど触れることはできなかった。
「……ありがとう。あんたが居なかったら、きっと……諦めてた」
「……大事なもんなんだろ。直せてよかったな!」
しばらく幻影を眺めていたが、やがて魔道具の光は少しずつ薄れ、眠るように消えた。
部屋に残ったのは、ランプの小さな炎と、月明かりだけ。
リィナは瞳を伏せ、深く息を吐いた。
「……でも、まだ少しだけ……。全部信じられるには、時間がかかるから」
「そっか」
「……けど……もう少しだけ、一緒に居てもいい?」
アランは、まっすぐに頷いた。
月が雲間から顔を覗かせる。
静かな夜の底で、二人は隣に座り続けていた。
それぞれの胸に、あたたかな灯が、ゆっくりと揺らめいていた。
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