第30話 不穏な動き
月が赤く染まっていた。
血のように濁った光が、村の屋根を不気味に照らし出している。
――ごうっ。
破られた柵がはじけ飛び、焔の匂いが夜気に混じった。続けて、獣のようなうなり声があがる。叫び声と破壊音が、深夜の静寂を裂いた。
「なんだ……?」
アランは寝台から跳ね起きた。薄い寝着の胸を押さえる。脈が、ありえない速さで暴れていた。
「アラン!」
襖を開けてレオンが駆け込んできた。肩で息をし、瞳が警戒に細められている。
「村が襲撃されている。盗賊団だ……!」
すぐに剣を手にし、腰の鞘を鳴らして立ち上がる。宿の廊下を走り抜けると、リィナも同じく剣を構えていたが何かに怯えるように震えていた。
「鉄牙団……っ。最悪の敵。」
リィナが呟く。夜空の下、村の広場に立ち込める煙と炎。その向こうに、闇の影がうごめいていた。異様に膨れ上がった体躯。皮膚に埋め込まれた金属片が赤く光っている。暴走魔道具だ。
「ここを通る荷馬車を襲ったって噂は聞いてたが、まさか……」
「考えてる暇はない。村人が――!」
レオンが先に駆けだす。アランとリィナも後に続いた。
広場の真ん中で、叫ぶ老婆に巨漢が迫っていた。肩幅は人の倍はあろうか。筋肉が皮膚を突き破らんばかりに脈動し、赤黒い戦斧を片手に振りかぶる。
「ガルバード・バスラ……!」
リィナが息を呑む。その男こそ、鉄牙団の頭目だった。
かつてリィナが村を襲った盗賊
「どけ……邪魔だ。」
低く響く声が、鼓膜に鈍く刺さる。次の瞬間、巨斧が閃いた。
リィナは体が震え、動けない
「やらせるか――!」
アランが飛び込んだ。剣が火花を散らす。が、重い。振り下ろされた一撃を受け止めた瞬間、腕が痺れ、膝が沈む。
「ふん……虫が。」
斧を横に薙がれる。吹き飛ばされる寸前、レオンの氷の盾が割って入った。轟音。盾が砕け、冷気が霧散する。
「おい、意識を保て!」
「分かってる……!」
歯を食いしばり、短剣を握り直す。周囲では村人が逃げ惑い、仲間を呼ぶ声がこだまする。
「待ちなさい!もう犠牲者はみたくない!」
リィナが斬りかかるも、ガルバードは巨腕で払うだけでその攻撃を受け流す。
「無駄だ。強さだけが……正しい。」
そのとき。煙の向こうから、短剣を持った影が忍び寄った。ロカ・イェーンだ。獣のように静かに走り、別の村人に刃を振りかける。
「――くそっ!」
アランがそちらに走りかけた刹那、ガルバードの蹴りが横腹を打った。空気が抜け、景色が跳ね上がる。土に転がり、視界が真赤に染まった。
「アラン!」
リィナの悲鳴。立ち上がろうとするが、足が震えた。目の端に、爆薬を構えるダボンの影が揺れる。笑いながら火薬壷を投げた。
「燃えろぉっ!」
――轟音。
爆風が襲い、レオンがリィナを庇う形で地面に倒れた。
耳鳴りの中、ガルバードがゆっくりと歩いてくる。戦斧を肩に担ぎ、瞳に赤い光を宿していた。
「無様だな。坊主ども、、、雑魚は、潰すだけだ。」
――嫌だ。
アランは膝をついたまま、震える手を見た。剣が重い。身体が、動かない。
「まだ……動けるだろう。」
その声は、心の奥底で響いた。
(動け。守れ。誰も、失うな。)
赤い月が瞳に落ちる。
胸の奥に何かが弾けた。
「――ッ!」
世界が一瞬、音を失った。血が、逆流する感覚。気づけば立ち上がり、剣を構えていた。視界が赤に染まり、周囲の気配が鋭く研ぎ澄まされる。
「まずい!このままじゃ昨日の二の舞に、レオン!アランが!」
リィナが叫ぶ。
アランの背から溢れる気配が、空気を震わせていた。
「ぐあぁあぁ、守る!絶対に守る!」
威圧が乗ったアランの叫びが咆哮のように解き放たれた。
空気が一瞬で重くなる。盗賊たちの動きが止まった。全身に、圧倒的な恐怖が刻まれていく。
「な、なんだ……この気配……ッ!」
ロカが震え、ダボンが目を見開いた。ガルバードさえ眉を寄せ、一歩だけ後退する。
アランは踏み込む。足元の土が抉れ、赤い残像が疾る。
「――閃撃ッ!!」
剣閃が走った。刹那、ガルバードの斧が弾かれ、分厚い胸鎧が裂ける。血飛沫が赤い月に舞った。
「が……ッ!」
だが、完全に倒しきれない。巨躯が膝をつきながらも、なお立ち上がろうとする。
「止まれッ、アラン!!」
レオンの声が響く
「アランお願い、もう大丈夫だから!」
リィナの叫びが届いた。だが、視界が霞む。理性が遠ざかる。心が、燃え尽きそうになる。
(このまま……殺す。全部……)
「「アラン、止まれ!!」」
そのとき、震える声が耳に届いた。
「アランだめだよ、止まってよ。」
リィナが立っていた。手には何も持たず、震える足でこちらに走ってきていた。
「もう、いい……!これ以上、無茶はやめて、もう倒したのよ」
赤く濁った視界に、涙を浮かべた彼女の顔が映った。
「……リィナ。俺は……」
声が震える。
胸の奥に、温かい何かが落ちた。
「……バカ犬。」
その一言で、視界の赤が消えた。
――ああ。そうだ。
自分は、独りじゃない。
「……リィナ……」
剣を下ろす。足元の巨漢が息を荒くして倒れてるのを見届けた。
戦斧が土に沈んだ、ようやく夜が静かになった。
村の広場に、再び月光が戻ってきた。
「……終わった、のか?」
レオンが肩で息をつく。氷の魔法で数人を拘束し、残りは逃げ去っていた。アランは剣を杖に、膝をついた。全身が鉛のように重い。だが、心は不思議に穏やかだった。
「みんな、ごめん。俺はまた。」
アランは呟いた。視線を上げると、リィナが泣き笑いの顔でこちらを見ていた。
「……一人で突っ走って。私たちもいるんだからね。帰ってきてよかった。」
レオン 「全く……自分勝手は治らないな。」
リィナが涙を拭い、剣を拾う。
「次は……ちゃんと並んで戦うから。」
アラン 「俺も、もっと信頼しないとな。」
赤い月が、夜空に沈んでいく。
血に濡れた地面の上で、三人は立ち尽くしていた。
それでも、その肩は確かに支え合っていた。




