第19話 名前を残す英雄
「坊や、勉強になった?」
ライサが微笑んでアランを見た。
「はい!魔力を纏わせる攻撃、威力も速さもすごかったです!」
アランの胸は、熱い何かで満たされていた。
(あんなふうに……なりたい)
それが、彼の目に新たな目標の光を灯した瞬間だった。
打ち合いが終わり、夕闇がゆっくりと訓練場を覆いはじめる。
「ふぅ……楽しかった」
ライサが双剣を収めて大きく息を吐いた。
バズは木剣を肩に担ぎ、にやりと笑う。
「お互い年だな。昔みたいに二百合も打ち合う気になれん」
「年の話はやめてくれない? まだ三十代よ」
そう言いながらも、ライサの表情はどこか清々しかった。
「……さて、どうする。せっかくだし、一杯くらい付き合え」
「ふふ、いいわね。ラトールに来るときは、あんたと飲むのが楽しみなんだ」
二人は自然に肩を並べ、訓練場を後にする。
「じゃあな、坊主。今日のこと忘れるな。また、明日、朝に訓練所にこい」
「次に会う時には、もっと強くなって見せな、あんた素質あるよ」
――扉が閉じる。
静けさが戻った訓練場で、アランは呆然と立ち尽くしていた。
「……すごい人たちだな」
胸の奥から、感嘆に似た息が漏れる。
その肩を、後ろから不意につつく指先があった。
「なに、ぼーっとしてんの」
振り返ると、リィナが呆れたように腕を組んで立っていた。
「……あ、リィナ。今の見た?すごかったよな……あんな風に雷を剣に纏わせて……!」
言葉の端々に、興奮がにじむ。
「……はぁ。アンタ、本当に単純っていうか……」
リィナはため息をひとつ落として、じろりと睨む。
「あんた紅雷の女傑と知りあいなの?」
アランは小さく首を傾げた。
「えっと…ライサ、グリムゲイルだよね?名前くらいしか……」
「信じられない……」
(初対面の相手に見せるような技じゃなかった。こんな子犬くんに何が…)
リィナはこめかみを押さえた。
「アンタ、ほんと勉強不足ね。全冒険者が憧れるくらい有名なのに」
「そんなに…!」
アランは目を丸くする。
少年のようにきらきらした顔で言うものだから、リィナは少しだけ呆れるのをやめた。
「当たり前でしょ」
リィナは視線をライサの去っていった方向にやる。
「だって、あの人――《紅雷の女傑》。Sランクでも屈指の剣士よ。伝説級の討伐に何度も参加してるし、どれも生きて帰ってきてる」
「そっか……やっぱり、すごいんだな……」
アランはしみじみとつぶやく。
その目はまるで、憧れを真っ直ぐに追いかける子どものようだった。
「……まったく。あんた見てると危なっかしくて仕方ないわ」
リィナは小さく笑って、肩を軽く叩いた。
リィナは指を立て、一本ずつ折りながら話し出した。
「いわゆる《四天王》の一人。SSランク冒険者。ここ数年、誰一人その座を脅かせてない」
「四天王……」
アランは小さく息を呑む。
その響きだけで、胸の奥がざわめいた。
「でも、四人だけじゃないわ。頂点は別にいる」
リィナは少しだけ声を落とし、淡く視線を遠くへ向けた。
「“深紅の王狼”――ゼルグ・ファルディア」
その名前を耳にした瞬間、アランは背筋がひやりと冷えるのを感じた。
「……知ってる?」
「噂は……ほんの少しだけ」
声が自然と小さくなる。
知っていると言うにはおこがましい。けれど、その名だけは、幼い頃から何度も耳にしてきた。
「そう。じゃあ教えてあげる」
リィナは少し得意げに顎を上げた。
その仕草が、どこか眩しく見えた。
「ゼルグは文句なしの絶対的No.1。単独討伐数、功績、討伐危険度、何をとっても他を寄せつけない。人間の枠を超えた“化け物”よ」
「……化け物って……」
アランは小さく呟く。
それは恐ろしい響きのはずなのに、心のどこかで、憧れが熱を帯びるのを感じていた。
「まあ、他にもいるけどね」
リィナはさらりと続け、今度は指を数えるように折る。
「さっきのライサが《四天王》の一角」
「それから――」
「“銀霜の少女”ミラ・ノルディア」
「“星詠の老魔導師”グレイ・ローデンハルト」
「“白翼の牙王”ザハール・ドランバルド」
「そして、頂に立つのがゼルグ」
リィナは肩をすくめ、苦笑を浮かべた。
「SSランクっていうのは、要するに“人間をやめてる”クラス。ここ十年、その顔ぶれはほとんど変わってないの」
「……すごい……」
アランは胸に手を当てる。言葉が自然とこぼれた。
(……そんな人たちが、本当にこの世界にいるんだ……)
「……強いだけじゃなくて、きっと……すごく遠いんだろうな」
呟いたその声に、少しだけ寂しさと、それ以上の憧れが混じった。
リィナはアランを横目で見て、肩をそっと叩いた。
「でも、あんた……いつかは届くんじゃない? 意外と」
「……届く、かな」
「知らない。でも……届くって信じてる奴だけが、前に進めるんだと思うよ」
アランは目を伏せて、小さく笑った。
胸の奥で、何かが確かに灯る気がした。
リィナはわずかに口元を緩める。
「ま、その意気は悪くないけど…まずは基礎からでしょ。勉強も、ね?」
「はい」
小さく頭を下げるアランに、リィナは苦笑を浮かべた。
「いい子いい子。じゃ、今夜は宿に戻ってちゃんと休みなさい。明日も訓練なんでしょ?」
(なんか、心配になる。一緒にいると私までおかしくなりそう。)
「そうだな!」
「依頼もこなさないとだし、明日はレオンも一緒がいいわね」
彼女は軽く手を振って背を向ける。
アランはまだ胸の高鳴りを押さえられず、夕闇の空を見上げた。
(俺は――)
(……いつか、あんなふうに……)
小さな決意が、その瞳に灯っていた。
蝋燭の揺らぐ明かりの下、アランとレオンは並んで腰かけていた。
窓の外では夜風が静かに木々を揺らし、遠くで犬がひとつ吠える声がする。
「……いい人だったよ、リリアさん」
レオンがぽつりと呟いた。
膝に置いた杖をゆっくりと撫でる指先が、どこか大事なものに触れるように優しい。
その横顔には、憧れに近い色が浮かんでいた。
「杖の強化だけじゃなくて、魔法の教えも受けられることになったんだ。あの人、氷の魔法にすごく詳しいらしい。それに……回復魔法も知ってるみたいだった」
「……そうか。それは……よかったな」
アランは素直に言葉を返しながら、胸の奥が少しだけざわめいた。
うらやましい、というほど強い感情じゃない。ただ、レオンが誰かを尊敬している顔を、初めて見た気がして――少しだけ置いていかれるような気がした。
「明日は、その人のところに行くのか?」
「いや……明日は一日予定があるとかで、錬金術師ギルドにはいないらしい」
「そっか。……じゃあ、明日は一緒にギルドだな」
言いながらアランは、思わず笑みを浮かべた。
レオンも杖を抱え直し、小さく笑った。
「……ああ、そうだな」
蝋燭の炎が揺れて、二人の影が壁に重なる。
夜はまだ深く、その静けさがどこか心地よかった。




