第18話 女傑の雷鳴
ギルドには、先にアランとリィナが戻っていた。
「……レオンはまだ戻ってないか」
夕刻が近づき、陽光が傾いていく。
ギルド裏手の訓練場は、冷えた空気に澄んだ気配だけが漂っていた。
訓練場に立つアランは、心臓の鼓動がうるさいほど早まるのを感じていた。
バズ・ダングレイ――ギルド支部長にして、かつてSランクと呼ばれた伝説の冒険者。
その人から直接、稽古をつけてもらえるなど、今朝まで想像すらしなかった。
「ま、肩肘張らずに来い」
大柄な男が、分厚い木剣を片手で掲げる。
ひと振りで、空気が裂けるような音が響いた。
ただの木剣が、斬鉄にも勝る迫力を帯びている。
「まずはお前の剣を見せてみろ。どんな構えで、どんな振りをするのか……それがこれからの指導になる“基礎”だ」
「はい!いきます!」
アランは深く息を吸い、腰に下げていた剣を抜き取る――ではなく、代わりに模擬の木剣を手にした。
冷えた空気が肌を刺す。視線を上げると、バズの無表情な横顔が月光に照らされている。
(やるしかない――)
踏み込み、脇を締め、一気に斬りかかる。
「虎砕!」
低く地を這うような斬撃。
しかし、その一歩が地面を踏み切るよりも早く、バズの木剣がぬるりと軌道に滑り込む。
「――遅い」
短く吐き捨てる声と同時に、バズが体をわずかに傾けた。
次の瞬間、彼の木剣が刃のように弾かれる。
「連牙斬」
ひゅ、と風を裂く音が二度、三度。
アランの木剣が軽々と受け止められ、衝撃が腕から肩まで突き上がる。
「……っ!」
体勢が崩れ、足が後ろへ滑った。
重心が浮く――。その隙を見逃さず、バズは無駄のない動きで距離を詰める。
「剣を振るとき、全ての力を正面にぶつけている。そりゃあ斬れはするが……遅いし、読まれる。」
バズは木剣を下ろし、淡々と視線を落とす。
「その一手の先に、何を繋げるか。……考えたことはあるか?」
返す言葉が出ない。
荒い呼吸の中、アランは木剣を持つ手を見つめた。
歯を食いしばり、何度も打ちかかる。
だが、一撃も通らない。
バズは表情ひとつ変えず、最小限の動きだけで捌き切った。
十合を越えたころ、アランは肩で荒く息を吐いた。
木剣が手の中でずしりと重くなる。
「力任せだけじゃ通らねえぞ。何度言わせる。」
バズは剣を肩に担ぎ、その黒曜のような瞳で真っすぐアランを見た。
「お前には素質がある。だが荒すぎる。そして自分では気づいてないな。」
「……」
「速さを活かせ。お前は瞬発力がある。それを殺すな。剣を“力で振る”んじゃない、“リズム”を使え」
「……リズム、を……」
「そうだ。重さに頼るな。刃先にすべての速度を集めろ。攻撃にリズムを乗せろ。そうすりゃ、相手がどれだけ硬くても崩せる」
バズの声は低いが、不思議と胸に響いた。
ただ強くなるためだけではない――どこか、先を見据えた教えだった。
「……それから、もう一つ」
バズがふと目を細めた。
「昨日、お前の属性が増えたんだろう?火が使える可能性があると聞いた。使いこなせる様になりたいか?」
アランは瞳を見開いた。
「可能性があるなら使えるようになりたい」
(カストールを倒せたのも、魔法が使えたからだ。)
「魔力を剣に纏わせるのは、まだ早いかもしれねえ。だが、いずれ必ず習得しろ。剣と魔法を一つにする。それができれば――」
言葉を切り、ひと呼吸置く。
「Sランクも夢じゃねえ。それだけのものを、お前は持ってる」
胸が熱くなる。
「……はい!やります。絶対に……強くなります!」
声に決意を込めた。
「よし」
その瞬間、訓練場の端から乾いた声が届いた。
「へえ……相変わらず、いい顔をする子がいるじゃないか」
低く、響く女の声。
振り向くと、紅い外套が夜気を裂くようにひるがえり、一人の女性が立っていた。
艶やかな黒髪を後ろでひとつにまとめ、切れ長の瞳に鋭い光を宿す。
腰に下げられた双剣には、淡い雷が脈打つように走っている。
「ライサ・グリムゲイル――」
その名を口に出すだけで、胸が震えた。
ギルドでも知らぬ者のない、紅雷の女傑。
アランは息を呑む。
「そっちも元気そうだね、バズ」
「おう。……暇人がわざわざ寄り道か」
「今夜のうちに王都へ戻る前にさ。少し顔を出そうと思って」
ライサは視線を流し、ふっと笑う。
「……せっかくだし。手合わせでもしない?」
その一言に、バズの口元がわずかに綻ぶ。
「面白え。久しぶりにやるか。いいか坊主、眼に焼き付けとけ」
雷光を帯びた双剣が、静かな音を立てて抜かれる。
その動きだけで、空気が張り詰めた。
バズがアランを振り返り、視線を送る。
「剣に魔力を乗せるってのは、こういうことだ」
アランは無言で頷いた。
胸の奥で脈が高鳴る。二人の立ち位置が、ゆっくりと定まる。
荒れた砂の上に、紅と黒の気配が向かい合った。
一瞬でも目を逸らせば、きっと何も見えない。
アランは剣を握りしめ、二人の呼吸を見逃すまいと凝視した。
刹那――。
ライサが疾風のごとく駆け出す。
一歩目から足元に雷が爆ぜ、鋭い光を散らしながら、跳ねるように距離を詰めた。
「雷閃・踏影――ッ!」
電光が尾を引き、目にも止まらぬ速さで双剣が振り抜かれる。
バズはわずかに眉を上げると、豪斧のように分厚い木剣を片手で持ち直し、腰を落とした。
「――峻鋭・斬霞」
空気が一瞬、凍ったように沈黙する。
次の刹那、雷と剣圧がぶつかり合う。
閃光が炸裂した。
轟音とともに、訓練場の地面が抉れる。
「ッ!」
アランは目を細めながらも、瞳を逸らさなかった。
怖気が肌を這った。それでも、見届けなければと思った。
ライサは跳躍し、双剣を交差させる。
刃先に纏った雷が青白い軌跡を描きながら、真横に払われるバズの木剣へ叩きつけられる。
――雷を纏わせている。
(これが……属性を乗せる戦い……!)
斬撃が交錯するたび、稲光の残響が胸を震わせた。
火花が夜気に瞬き、すぐに消える。
「力だけじゃない、速さだけでもない」
ライサの声が、金属音に混じって届いた。
「魔力を刃に寄せる意志。それが、武器に“宿る”んだよ」
剣を押し返すバズの顔にも、わずかに愉悦の色が浮かぶ。
「いいか、そこの子虎ちゃん!」
ライサが刹那、視線だけをアランへ送る。
「剣はただの鉄じゃない!魔力を込めれば、お前の意志そのものになる!」
バズが声を継いだ。
「だからこそ――お前には、まだいくらでも伸びしろがある」
二人の刃が最後に強くぶつかり合い、音を立てて弾ける。
跳ね返る衝撃の余波が、訓練場の空気を震わせた。
やがて、互いに間合いを解く。
雷光が収まり、静けさが戻る。
残照に照らされた二人の顔は、どこか楽しげに笑っていた。
夕陽だけが、赤く長い影を落としていた。




