第13話 守れぬ者の誓い
傷はまだ癒えきっていない。それでも、居ても立ってもいられなかった。
(レオンはどうなった?誰かが見つけてくれたか、それともそのまま…)
アランは仲間の無事を確かめずにはいられず、工房を飛び出した。夕暮れの街を駆け抜け、アランはようやくギルドの扉にたどり着いた。重い扉がきしむ音を立てて開く。
アランは荒い息を吐きながら、ギルドのロビーに飛び込んだ。
(レオン……無事でいてくれよ)
戦闘の疲労はまだ色濃く残っていたが、それ以上に心配だったのは仲間の安否だった。
受付には職員が何人か詰めていたが、アランの姿を見るや、ざわりと小さなざわめきが広がる。
そのとき、ロビーの奥――掲示板の近くで、軽く腰を下ろしていた一人の女がアランに目を留めた。
「――あら、あんたが“もうひとり”の新人くん?」
アランが振り向くと、そこには腰に短剣を下げた冒険者風の少女が立っていた。
淡いオレンジブロンドの髪が高い位置で無造作に束ねられ、ゆるく編んだ前髪が額にかかっている。
白磁のように明るい肌と、琥珀色の瞳が夕暮れの光を受けて柔らかく揺れた。
片眉をわずかに上げる癖のある切れ長の瞳は、からかうような鋭さとどこか優しげな温度を同時に宿している。
服装は黒と焦げ茶を基調にした軽装レザーで、胸元に淡い橙の小さなスカーフがひらりと揺れる。
旅慣れた風情と、どこか人懐こい雰囲気をまとった少女だった。
「え……誰?」
「――あんたの“バーディ”なら無事よ。医務室でぐっすり寝てるわ。……ま、ちょっとくらいは感謝してもいいと思うけど?」
(ふーん、案外細いのね。噂だと無鉄砲だからもっとゴツいのかと思ってたのに。)
「バーディ……?」
アランが聞き返すと、女は呆れたようにため息をついた。
「レオン君のこと。あの細っこいの、気を失ってたからさ、私が背負ってここまで運んだの。」
「え、じゃあ……助けてくれたのは、君?」
「正確には違うけどね。路地裏で倒れてるのを見つけただけ。……でも放っとけなかったの」
(……ったく……下っ端の使い方が荒いんだから)
一瞬だけ、リィナの視線が横に逸れる。
照れ隠しのように髪をかき上げる仕草をして、そっぽを向いたまま続ける。
「運が良かったわよ、ほんとに。もう少し遅けりゃ、誰かに攫われてたかも」
アランの表情が安堵に変わった。胸の奥に詰まっていたものが、ふっとほどけていく。
「……ありがとう。本当に……ありがとう」
リィナはその顔を一度だけじっと見て、小さく息を吐いた。
そして、わざと軽い調子で肩をすくめ、片目を細めて笑ってみせる。
「医務室は奥の廊下、左。……ま、早く顔を見てやんな。泣きそうな顔してるよ、あんた」
(仲間の為に、こんな顔みせるなんて純粋なのかしら?)
「……!」
アランは一礼し、廊下へと駆け出す。 背後でリィナは、小さくつぶやいた。
「まったくもう、面倒だわ」
窓の外では夕暮れの光が街を照らし、静かな時間が流れていた。レオンは白い布団の上で眠っている。顔色はまだ優れないが、呼吸は落ち着いている。
その傍ら、アランは椅子に腰を下ろし、無言で彼の様子を見つめていた。右腕の包帯がひりつくように痛むが、それよりも胸の内の苛立ちのほうが重かった。
(守りきれなかった……俺が、もっと強ければ)
ふと、外から遠い鐘の音が響いた。
夕闇が忍び寄るたびに、病室の空気はじわりと冷えていくようだった。控えめにノックの音がして、扉が開いた。
「よ、入るよー。お疲れさん、新人君」
ひょこっと顔を覗かせたのは、受付嬢のシェリルだった。その後ろから、厚手の黒い外套をまとった大柄な男が入ってくる。赤銅のような髭と、年季の入った傷だらけの斧を背負った姿。
ラトール支部長、バズ・ダングレイだ。
「お前さんがアランだな。……まずは、ご苦労だった」
(精悍な顔付き、大きな修羅場を潜り抜けた顔だ。)
バズは部屋の中央まで来ると、椅子を逆向きにしてどっかりと腰を下ろした。重い視線が、アランに注がれる。
「……王都での一件、そして今回の襲撃。どちらも君にとっては巻き込まれただけだったかもしれないがよく生きて帰ってきた。」
アランは姿勢を正し、言葉を飲み込むようにして黙って頷いた。
「レオンも……ひとまず、命があってよかった」
「はい……」
それだけしか言えなかった。
言葉よりも、悔しさと、安堵と、怒りと、いろんな感情が胸の中で混ざり合っていた。
その重い空気を察してか、シェリルが脇から茶化すように口を挟む。
「王都の麻薬事件に、今度は手紙届けて死にかけ……ほんっと、君たち何かに憑かれてるの?」
彼女の言葉は責めているわけではなく、あくまで“心配”という温度だった。
「……平気です。俺は少しだけ、切られただけですから」
「少しって言って、また隠すんでしょう? あとでギルドの治癒師に見せて。ついでに魔法適性も再検査してみたいし。ね?」
その声は、緊張で強張った空気を少しだけ和らげた。
「あ、はい……?」
アランが困惑する中、バズが鼻を鳴らすように笑った。
「シェリルの悪い癖だ。君らが魔法を使えるって聞いたら、ほっとけないらしい」
「だって珍しいんですもん、風属性の素養があって、それで剣士寄りって。私、そういうの大好物なんですよ。未来のSランク候補になるんじゃないかって♪」
「趣味と職務の区別くらいつけろ」
バズはそう言いながらも、どこか穏やかな目でレオンを見下ろしていた。
バズがじっとアランを見据える。
「……坊主。これから先、もっと理不尽で強大な“異常”が、次々に現れるとしたら、」
アランは口を引き結んだまま、目をそらさずに聞いていた。
「そんな相手を前にしたとき、お前はどう動く? ――“戦う理由”は、もう見つかってるか?」
アランは少し考え、わずかに首を傾けた。
「……正直、まだ分かりません。ただ……目の前で困ってる人がいたら、助けたい。それだけは、決めてます」
沈黙のあと、バズがふっと鼻で笑った。
「それでいい。最初から大義名分なんて、無理に持つ必要はないさ」
(こういう奴はほっといても巻き込まれる。一肌脱ぐとするか。)
そして重たい声で続けた。
「ただし――お前には、これから訓練をつける。毎回毎回瀕死になってたら、身体が先に壊れちまう」
「……訓練?」
「そうだ。お前たちには可能性がある。だがそれを活かすには、基礎を徹底的に叩き込まないといかん。心も、技も、身体もな」
アランは一瞬たじろいだが、すぐに真剣な顔で頷いた。
「お願いします。……もっと強くなりたい」
「よし」
バズはゆっくり立ち上がり、アランの肩を軽く叩いた。
「休めるうちに休んどけ。次は、“生きて帰る力”を鍛える番だ」
そう言って、部屋を出ていった。扉が閉まると、静かに空気が戻ってくる。
レオンの額に新しい布を当てながら、シェリルがぽつりと呟いた。
「バズさんまで……ほんと、あんたたちって、どこまでも“巻き込まれ体質”だよね。……でも、嫌いじゃないよ、そういうの」
(でも、なんか気になるってのはわかるかも。この子たちイケメンだし♪)




