第11話 無様を胸に刻む
ラトールの街並みの奥――錬金工房が立ち並ぶ一角。指定された「ナリア錬金術工房」の扉の前で、アランは足を止めた。
「……ここで合ってるよな」
地図と看板を見比べ、眉をひそめる。静かな裏通りに、ほのかに薬品の匂いが漂っていた。
(人の気配が……薄い)
呼び鈴を鳴らすが、応答はない。
そのとき――
ガシャンッ!
中から鋭い破裂音。何かが倒れた?いや、暴れている――!
「っ――!」
迷う間もなく、扉に体当たりし、勢いよく蹴り開けた。
「ヴィルマさんッ!!」
突入した工房の中は薄暗く、鼻を刺す薬品と焦げ臭さが混じる。棚は倒れ、床にはガラス片が散乱していた。
「……くそっ、遅かったか!?」
だが、その時。奥――実験室の陰から、黒い影が音もなく現れた。
長身、細身の人物。全身を黒装束で覆い、顔には金属光沢の仮面。複雑な模様が、無機質に光を返す。
(……さっきの案内役とは違う)
剣の柄に手をかけ、一歩踏み出す。
「ヴィルマはどこだ!!」
鋭く問いかける。仮面の男は動かず、肩をすくめただけだった。
「……教えるわけがないだろ。お前に、知る資格があるとでも?」
低く、感情を欠いた声。命すら数に置き換えるような冷たい響きだった。
刹那――静寂が弾けた。
ザッ!
仮面の男が地を蹴る。速い瞬間移動のような踏み込みから繰り出される斬撃を、反射的に剣で受け止める。
「くっ――重……ッ!」
衝撃が骨を軋ませる。一撃でわかる――格が違う。
立て続けに襲いくる連撃。防いでも、防いでも、追いつかない。
鋭い打撃が鎧の隙間を衝き、呼吸が浅くなる。
(なにこれ……ただの刺客じゃない……!)
剣の軌道も、身のさばきも、すべてが洗練されすぎている。
自分の動きを――刃筋を、完全に読まれている。
――その時。
胸元から、ひとつのペンダントが鎧の隙間に覗いた。
銀風の矢を象った、古びた飾り。かつて憧れの男から授かった、お守り。
仮面の男の剣が、ぴたりと止まる。
(……そのペンダント……)
一瞬、沈黙が落ちる。仮面の奥の視線が、釘付けになった。
微かに――ごく微かに――迷いの気配が揺れた。
「……なに黙ってんだよ!」
剣を構え直し、突撃する。仮面の男は感情を凍らせるように、再び“敵”へと戻った。
剣が交わるたびに、鋼が火花を散らす。そのすべてを、仮面の男は淀みなく受け流す。
返す刃がアランの肩をかすめ、熱い痛みが弾けた。
(くそっ、どうして……届かない)
咄嗟に踏み込み、力任せの突きを放つ。
ギンッ!
弾かれ、脇腹に肘を叩き込まれる。肺が押し潰され、息が抜ける。
「ッ……が……」
よろける体に、容赦のない蹴りが襲う。肋骨が悲鳴を上げ、視界が一瞬、白く弾けた。
(だめだ……全然……)
剣を杖代わりに地面に突き立てる。息が荒い。右腕はもう、動かない。
(なんで……また、何も届かない……!)
必死に魔力を練る。
「風よ……来い……頼む……今だけでも……!」
だが、風は応えなかった。何も変わらない。何も、動かない。
「なんでだよ……ッ」
声が震える。剣の切っ先が、自分を嘲るように揺れた。
仮面の男が、ゆっくりと剣を構え直す。その動きに、一切の情も迷いもなかった。ただ、仕事として――命を刈り取る者の動き。
(……終わる……)
脈が遠ざかるように遅くなる。耳鳴りが世界を塗り潰す。それでも、アランは立っていた。膝を折りかけながら、剣を握っていた。
「……まだ……まだだ……」
自分でも信じられない声が、かすれた喉からこぼれた。血の味が口いっぱいに広がる。
――その瞬間。
ヒュッ!鋭い風切り音が空を裂いた。
「……ッ!」
仮面の男が一歩退き、足元に一本の矢が突き立つ。
「――そこの者、これ以上の無法は許可されていない。撤退しろ」
凛とした声が、暗い工房に冷たく響いた。
赤髪を束ねた女性騎士――フィオナ・ディヴァレッタ。
軽弓を片手に、冷ややかな光を宿した眼差しが仮面の男を射抜く。
その背には金馬騎士団の紋章。仮面の男はゆっくりと視線を動かすと、短く息を吐いた。
「……金馬騎士団か。厄介な……」
一歩退きながら、仮面の奥から声が落ちてくる。
「――その無様を胸に刻んでおけ、少年」
冷たい声音。嘲りも、憐れみもない。ただ事実を告げるだけの声。
「次は赦しも猶予もない」
それだけを残し、仮面の男は音もなく霧のように姿を消した。その場に残るのは、焦げた薬品の匂いと、敗北の余韻。
「おい君! 大丈夫か!」
(この子は…あの子なのか?)
フィオナが駆け寄る。その声を遠くに感じながら、アランは力が抜けるように膝をついた。自分の力のなさが、骨の奥まで染みていく。
「……どうして……」
震える声が、静かな工房に落ちた。
(どうして、俺は………守れない……)
脈打つ痛みの奥で、胸がきしむ。
(ヴィルマも、レオンも……何も守れなかった……)
喉の奥に、震える叫びがこみ上げる。
弱音だった。惨めで、情けなくて、唇が震える。
(風さえ……応えてくれない……俺は……)
剣を握り立ち上がろうとするが、右腕は痺れて動かない。
視界の端で、フィオナが膝をつき、真剣な目でこちらを見据える。視界が暗転する直前、遠くでヴィルマの声が聞こえた気がした。
(……待ってろ……必ず……)
意識が、深い闇に沈んでいく。
ただその中に、わずかな光が残っていた。




