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英雄を夢見た少年は、王国の敵になる ―リベルタス―  作者: REI
第2章 魔道具職人の街と仮面の組織 ラトール編

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第8話 ひと声の親切、狼の罠

夜明け亭の一階には、まだ早朝の薄明かりが静かに差し込んでいた。

木造の床に落ちるやわらかな影が、まるで時間の流れを穏やかに刻んでいるかのようだ。


奥のカウンターでは、宿の女将が湯気を立てるスープ鍋をかき混ぜており、

ほんのりとローズマリーの香りが漂い、やさしく室内を包み込んでいた。


壁に掛けられた旅人たちの古びた写真が、少し色褪せて見えたが、どれもその瞬間を大切に刻んだかのように感じられる。


アランは肩を回しながら、奥の長椅子に目をやった。


何人かの冒険者がまだ朝食をとっており、穏やかな笑い声とゆっくりとした会話が、薄明かりの中で響いている。


ここには、街の喧噪が始まる前の静けさと、何処か落ち着く空気が流れていた。


まるで、家に帰ったような安心感。


暖炉の炎がパチパチと小さな音を立て、心地よく空間を満たしている。


けれど、外に目を向ければ――

宿の窓から漏れる淡い光の先に、ラトールの街はまだ暗闇に包まれている。


そのどこか冷たい風に、ほんの少しだけ、不安な何かが絡みついている気がした。


あの薄暗い通りの先、街角で誰かが何かを話しているような気配が漂っていた。


目の前の温もりが、いっそう深い闇の中に浮かび上がる。


「よーし、手紙届けに行くか! さっさと終わらせて、修行もしたいしな! 体も動かさねぇと、剣の感覚が鈍りそうだ!」


 すでに鞘を腰に装着し、準備万端の様子で外に飛び出していく。

 その後ろから、まだ寝ぼけたような顔のレオンが、マントを直しながらゆっくりついてきた。



「……朝から元気だな、君は。修行の前に稼ぎの心配しろっての。無収入が続いたら、野宿生活だぞ?」


アランはくるりと振り返り、ニッと笑った。


「そのときゃそのときだ! 野宿なんて慣れたら宿と同じだろ?」


「慣れていい生活じゃないんだよ、それは」


レオンがため息をつきつつも、口元にはうっすら笑みが浮かんでいた。


こうして二人は、歩き出す。


手紙一通を届けるだけの依頼――けれど、それが新たな一日と、物語の始まりでもあった。



ラトールの街は活気に満ちていた。

魔道具の露店が並び、香草の匂いが漂う路地。

人々の足取りは早く、通りを行き交う声もにぎやかだった。


アランは手にした紙をじっと見つめながら首を傾げた。


「……えーっと、こっちで合ってるのか? 地図だとこの先に“錬金通り”って書いてあるけど……全部似たような建物に見えるんだよな……」


石造りの店や家が整然と並び、確かに景観は美しい。だが、どの道も同じに見えてしまい、方向感覚が狂う。


後ろから歩いてきたレオンがアランの肩越しに地図を覗き込む。


「……ふむ。地図がざっくりしすぎてるな。大通りの名称しか書いてない」


「……やっぱり迷った?」


そのとき、不意に脇の路地からふと声がかかった。


「君たち、迷ってるみたいだね。どこに行くの?」


二人が振り返ると、そこに立っていたのは、ごく普通の男だった。年の頃は二十代半ば。

服装も地味で、すれ違っても特に印象に残らないような人物だ。ただ、笑みを浮かべた口元だけが、どこか形だけに見えた。


「えっと……この“ナリア錬金術工房”って場所、探してるんだけど……」


アランが答えると、男はアランの持っている地図をちらりと覗き込んだ。


「その地図、大通りしか載ってないね。目的地は裏通りのほうだよ。表をぐるっと回るより、そこの角を右に曲がって、工房街の石橋を渡ったほうが早い。ヴィルマ先生も忙しいみたいだけどいるといいね」


「ほんとに? 助かる!」

「ありがとう、助言感謝します」

男はひらりと手を振り、「気をつけてね」とだけ言い残し、すぐに人混みに紛れていった。



その場に残った空気が、ほんの一瞬だけひどく静かになった気がした。


「……なあ、今の人、なんか妙に慣れてたな」

「この街の地理に詳しい地元民ってところだろ。さ、行こうか。道が合ってるか確かめつつな」


二人は男の教えに従って裏通りへと進みはじめる。


「それにしても、あの人……よく俺らが迷ってるってわかったよなぁ。声までかけてくれるなんて、親切な人もいるもんだな」

隣でレオンが小さく眉をひそめる。


「……地図広げて、二人でぐるぐる同じ場所歩いてたら誰でも気づくよ。どう見ても“道に迷ってます”って顔だったしな」


「うぐ……言われてみれば、そうかも」

小さく苦笑しながらアランは頬をかく。しかしその直後、隣のレオンの足がふと止まった。


「……待て」

「どうした?」

レオンはしばし視線を落とし、何かを考え込むように黙り込んだ。


「さっきの人……“ヴィルマ先生”って言ったよな?」

「え?」

「俺たちは、“ナリア錬金術工房”って言っただけだ。“ヴィルマ”なんて名前は出していない」


アランも目を瞬かせる。


「……あれ、そうだっけ?」


「間違いない。俺は言ってないし、君も言ってない」


二人の間に、わずかに緊張が走った。

「……ってことは、あの人、俺たちの行き先を“知ってた”ってことか?」



「もしくは――“俺たちを知っていた”」



レオンはそう言うと、ゆっくりと街路を振り返った。



さっきまで人波に紛れていたはずの男は、もうどこにもいない。


遠くから露店の呼び声が戻ってくる。さっきの静けさが、まるで幻のようだった。


「……なんか、ぞわっとしたぞ」

「今は深く考えるな。ここで立ち止まっても意味がない。とりあえず、工房に行こう」

そう言いながら、レオンはほんのわずかに目を細め、気配を探るように通りを見渡した。


そして、何も言わずに歩き出す。

アランもためらいがちにその後を追った。

読んでいただきありがとうございます。


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