第3話 ふたりの約束、ふたりの影
「このまま放っておいたら、どこかで被害が出るかもな……
アランはそう言って、無意識のうちに剣の柄に手をかけていた。
「……なら、俺たちも戦おう」
きっぱりとした声。視線はまっすぐ前を見据えている。迷いはない。
だが、レオンはすぐに息を吐き、眉をひそめた。
「……出たな。お前の悪癖が」
視線だけを向け、淡々と、だが少しだけ語調を強める。
「思い出せ。俺たちは“討伐任務”のためにここにいるんじゃない。手紙を届けること、昇級試験を控えて準備を整えること――それが本来の目的だ」
「放っておいたら、誰かが襲われるかもしれないだろ」
アランの声は低く、感情を押し殺そうとしていたが、焦りは隠しきれなかった。
「焦るな、落ち着け」
レオンは手を上げて制し、冷ややかな声で続けた。
「万が一、道中で魔獣に遭遇したら戦う。それは当然だ。だが、わざわざ追跡するのは愚かだ。相手の数も規模も、何も分かっていないんだぞ」
アランは口を閉ざし、しばらく沈黙した。指先に力がこもり、柄を握る手がわずかに震える。
けれど、やがてその力を抜くと、小さく息を吐き、視線を落とした。
「……わかった。最低限、“遭遇したときだけ”だ。無闇に追いかけたりはしない。……約束する」
「それでいい」
レオンは小さく頷いた。その声は先ほどよりも柔らかかった。
「ただし、一度でも群れに囲まれたら、ためらわずに撤退する。俺たちはまだGランクだ。――覚えておけ。本当に厄介な連中なら、生きて帰れなくなる」
「……へいへい、分かってますよ。指揮官殿」
アランはわざと肩をすくめ、軽口を返した。
だが、その瞳はどこか痛むような決意の色を湛えていた。
そして、二人の足取りは先ほどよりもわずかに慎重になった。
草を踏む音が、やけに耳に残る。
街道から少し離れた丘の上。揺れる草むらの影に、ふたりの冒険者の姿が潜んでいた。
薄汚れたマントを羽織った軽装の男が、しゃがんだまま街道を歩くアランたちの背をじっと見つめている。
その隣で、ぼさぼさの髪を三つ編みにまとめた小柄な女が、あくび混じりに長い息を吐いた。
「ったく……麻薬事件の件も、片付けたのはあいつらだろ? よくやるよね、あんな面倒事」
男――バロウは鼻を鳴らし、呆れたように肩を揺らした。
「依頼でもないのに命張って、報酬にもならねぇ。……正義感でもこじらせてんのかって話だ」
「ま、こっちとしてはありがたいけどね」
クレミーが気だるげに肩をすくめる。
「どうせモンスター相手に正面からやり合うなんて、あたしらじゃ無理だし。あいつらが勝手に討伐してくれるなら、それで十分。あとから残り物拾ってりゃ、地味に稼げるしさ」
「だな」
バロウは口の端をつり上げ、にやりと笑った。
「“レイジークリケッツ”の看板に、これ以上ないくらい忠実だろ? 戦わずに儲ける。それが一番だっての」
バロウは肩を揺すって笑い、草を噛むようにぼそりと続けた。
「こないだの……ほら、商隊の護衛任務。あの時も、他の冒険者が盗賊ぶっ潰してくれたおかげで、俺たちは荷馬車引いてるだけで報酬もらえたしな」
「しかも、その帰りに寄った宿で飲んだ酒。あれ、めちゃくちゃうまかったよね」
クレミーは頬をゆるめて、指先で草をひらひら弄ぶ。
「どうせ今回も同じよ。勝手に戦闘して暴れてくれれば、私たちは後から“おこぼれ”拾って帰るだけ。楽で安全、効率的。……賢い選択だと思わない?」
「……だな」
バロウは満足げに伸びをし、ばさりとマントを払ってその場に寝転がった。
「ま、でも一応さ……」
寝転んだまま、ちらりと横目をクレミーに向ける。
「にしてもアランってガキ、最近ちょっと調子こいてないか? 風の魔法だか何だか知らねえけど、やたらと得意げだった気がするんだが、Gランクのくせに鼻につくよな」
「どうせ素人の魔力暴発でしょ。そんなもん、三日坊主もいいとこ。……気にするだけ無駄だって」
クレミーはあくび混じりに鼻で笑い、指先でちぎった草を風に放った。
「どうせ最後には、足も手も出なくなって泣きつくんだって。毎度のパターンじゃない」
「そっか。……まあ、だよな」
バロウはあっさりと笑い、背中で草を押しつぶしながら空を見上げる。
「どうせまた今日も、あいつらが命張っていいとこ持ってくれんだ。俺らはそれをつまんで、帰りに美味い酒飲んで……明日もまた寝坊してから依頼探せばいい」
「……ほんと、“楽”って素晴らしい」
クレミーも小さく肩を震わせて笑った。
ふたりは揺れる草の影から、アランたちの背中が遠ざかるのを、退屈そうに見送っていた。




