第2話 緑の丘に潜む影
風が草原を渡り、旅路に広がる緑が揺れる。ラトールへ向かう街道を、アランとレオンは並んで歩いていた。森の縁を抜け、少し開けた丘の上に差しかかる。
そんな折、アランがふとつぶやいた。
「……なぁ、あれからさ。風魔法、一度も使えてないんだよな」
何気ない言葉に聞こえたが、その声にはどこか焦りがにじんでいた。先日の戦いで確かに剣に風が宿った。だが、それ以来、何の手応えもない。
レオンは横目でちらりと彼を見ると、少しあきれたように言った。
「当たり前だろ。基礎魔法もろくに習ってない奴が、あの時にたまたま使えたってだけで使いこなせると思う方が無理だ」
「うっ……。ま、まぁ、そうなんだけど」
「魔法ってのはな、“力”じゃない。まず“流れ”を知らないと話にならない。魔力がどう巡って、どう動いて、どう意志に応えるか――そこがスタートラインだ」
レオンは足を止めると、手のひらを空に向けて掲げた。
「試しにやってみろ。“軽やかに、風よ”――《そよ風》、ってな」
「《そよ風》……? そんな魔法、あるのか?」
「初歩中の初歩だ。風属性の導入に使う感覚訓練用。魔力の“誘導”に集中して、外に押し出すんだ」
「ふむふむ……わかった」
アランも立ち止まり、空を仰ぐように手を掲げた。目を閉じ、ひと呼吸。
「軽やかに、風よ――《そよ風》!」
――その瞬間、ふわりと風が吹いた。
「おっ!? で、できた……!?」
ぱっと目を開けたアランは、目を輝かせる。
だが、隣のレオンは冷静だった。
「……いや、それ自然に吹いた風だな。魔力、全然集まってなかったぞ」
「……えっ」
「だいたい魔法の発動には、魔力の揺らぎが空気に出る。今のは“気配”すらなかった。……ま、風魔法らしいオチだな」
「うぐっ……ぐぬぬ……!」
アランは小さく唸りながらも、どこか嬉しそうに鼻を鳴らした。
「けどまあ……集中すれば、いけそうな気はするんだよな。風、動かす感覚っていうか……あのときの“流れ”を思い出せばさ」
レオンは肩をすくめた。
「なら、ひたすら試行あるのみだな。風は気まぐれだ。だが、正しく導ければ、どんな属性よりも応えてくれる」
「よーし、今度こそ“ちゃんと”起こしてみせるからな!」
アランが再び手を掲げ、風に向かって立つ。その姿に、レオンはふっと笑みを漏らす。
「……そうやって足掻いてるうちは、まだまだだな」
軽い風が、また二人の間を吹き抜けた。
朝の涼しさがまだ残る空気を切り裂くように、陽光を浴びた草原が一面に広がっていた。
その中を進む二人の足取りが、ふと止まる。
「……この辺り、荒れているな」
(まさかと思うが、遭遇してしまったか?)
レオンが低く呟き、乾いた風に混ざる匂いに目を細める。
血と湿った土の匂い――わずかにだが、確かに残っていた。
彼は膝をつき、指先で草を払いのける。 地面には深く抉れた土の痕、そして複数の蹄跡が重なっていた。
周囲の茂みも、何かが暴れたように裂けている。
「……単体じゃないな。蹄の跡が複数ある。群れだ。それも、そう古い痕跡じゃない」
アランも背後からのぞき込み、緊張を滲ませる。
「間違いないのか?」
「ああ。“魔獣の群れ”で間違いない。方向は南西――ラトールへ続く街道と平行に動いてる」
レオンは手早く地図を取り出し、折り目を伸ばして広げる。
指先が淡く色褪せた紙の上をなぞり、現在地と南西の地点を示した。
「……近くに村が一つある。“メルティ村”。ここだ。距離は歩いて半日ってところだな」
アランは視線を地図から草原へ移す。
空は青く澄んでいたが、何か不穏な影が背筋を撫でていくようだった。
「このまま放っておいたら、どこかで被害が出るかもな……」




