第32話 星詠みの塔と、拒まれた光
そこは、高原に建つ古びた塔だった。
学術都市フェンメルの北端。街の喧騒から離れた、星と風だけが支配する静寂の地に、石造りの天文塔
──“星詠の塔”はそびえていた。
レオン・ヴァルトハイトがその扉の前に立ったのは、家を出て一月ほど経ったある夜のことだった。
靴はすり減り、外套はほつれ、頬はやつれていた。空腹と疲労、そしてどこへ向かえばいいのか分からない焦りが、細い肩に重くのしかかっていた。
だが──
「ほう。その歳でここを訪ねてくるとは。目がいい。迷子にしては、妙にしっかりした足取りだったがな」
不意に、扉の上方から声がした。見上げれば、満天の星を背に、杖を手にした老人が立っていた。
白い髭。鋭い眼差し。まとう空気が、ただ者ではないことを告げていた。
「名は?」
「……レオン。レオン・ヴァルトハイト」
その名を聞いた瞬間、老人の目がわずかに細まった。
「ほう……ヴァルトハイトの……」
何かを知っているのだろう。だが、それ以上は言わなかった。
「ならば、試してやろう。名家の坊やが、どれほどの“才”を隠し持っているか──」
その出会いが、すべての始まりだった。
レオンの訓練は、想像を遥かに超えて過酷だった。
魔力の振動数を制御する理論。星の軌道と魔法陣の重ね合わせ。思念を固定し、時間差で発動する詠唱術。
それらは、王都の騎士団ですら教えない、極めて高度で繊細な知識と技術だった。
「魔術とは、ただの火花ではない。“意志”と“理”の交差だ。振動一つ狂えば、全てが崩れる」
師──グレイ・ローデンハルトは、教える手を緩めることなく、ただ静かに、厳しく語った。
毎日、塔の最上階で星を読み、魔力の制御を反復し続ける日々。食事も休憩も時間厳守。失敗すれば最初からやり直し。
深夜に叩き起こされて術式の再現を命じられることも珍しくなかった。
だが──レオンは、決して弱音を吐かなかった。
「……あいつらに、“落ちこぼれ”なんて言わせない」
その一心だけで、歯を食いしばり、塔の中にとどまり続けた。
ある夕刻。訓練の合間、塔の屋上に腰を下ろしたレオンのもとへ、グレイがやってきた。
「レオン」
「……何だ」
「お前は、魔術を使って何がしたい?」
その問いに、レオンはしばし沈黙し、やがて言った。
「……強くなりたい。誰にも、見下されないくらいに」
「それだけか?」
「…………」
問い返され、答えに詰まる。
グレイは空を見上げ、しばし黙った。そして、星々の瞬きを見つめながら、言葉を紡ぐ。
「魔術はな、誰かを打ち倒すための力ではない。世界を“理解し”、そして“受け入れる”ための術だ。
見えぬ星を読むように、目に見えぬ痛みを知るための力でもある」
「……それでも、俺は……認められたい」
ぽつりと、レオンが言った。
その言葉に、グレイは初めて、柔らかく笑った。
「ならばまず、自分で自分を認めてみせろ。お前の“才”は、まだ測られたことがないだけだ。誰にもな」
その言葉が、レオンの胸に小さく火を灯した。
拒絶され続けた日々の中で、初めて感じる微かな温もり。誰かが、自分の存在そのものを否定しないという感覚。
──星詠みの塔に灯る火は、その夜も静かに揺れていた




