第27話 蛇の巣、眠る記憶
王都リュミエール北端。迷路のような石畳の路地を抜けた先に、それは佇んでいた。
重厚な黒鉄の門。その上に、銀で浮かぶように彫られた“蛇”の紋章。
──銀蛇騎士団本部。
王国直属の秩序維持機関であり、同時にその“裏”を司る影の中枢。
だが、その敷地に人の気配は乏しい。広い中庭も、石造りの館も、静寂の中に沈んでいた。
窓は少なく、装飾も一切ない。そこにあるのは、見せるためではなく拒むための建物だった。
アランとレオンは門をくぐる。後ろでは、縛られたカストールが無言のまま従っていた。
中庭に立つ数名の騎士。誰も言葉を発さず、兜の下の顔も見えない。
それでも、ただの“沈黙”ではなかった。
空気そのものが、言葉以上に威圧を放っていた。
そして──
「……まさか、冒険者になっていたとはな。しかも、こんなくだらない真似まで」
(本家の落ちこぼれが、なんでこんな所に。)
音もなく現れた男がいた。銀の刺繍が走る黒の外套。灰色の瞳に、抜け目なく整った容貌。
フォーン・ヴァルトハイト。銀蛇騎士団副団長にして、レオンの伯父。
その名を告げずとも、レオンの表情がすべてを語っていた。
「“くだらない真似”? 犯罪者を捕まえただけだ。それがくだらないというなら──あなたの“騎士道”は、とうに腐っている」
フォーンの目が、一瞬だけ細まる。
「……カストールは我々が預かる。内部規則に従って処分される」
「処分って、まさか、もみ消す気じゃないよな!?」
アランが一歩前に出る。
その声には怒りが宿っていた。
「こいつ、麻薬を流してたんだぞ! 暴動では子どもが倒れてた! ギルドの鑑定士や街の薬師も成分を確認してる。それを、あんたらは!騎士団の名があれば、こんなもんを流通させてもいいってのか!」
フォーンの視線が、わずかにアランへ向けられる。
「証拠は?」
(この顔、まさかな…)
「ある。本人が口を割ってる!現場の装置もギルドが回収済みだ!」
数秒の沈黙ののち、フォーンは静かに言った。
「我々の任務は、王都の秩序維持。だが、すべての個別行動を掌握しているわけではない」
「…つまり、知らなかったって言うんだな?」
レオンが低く言い放つ。
その口調には、皮肉も怒りもない。ただ、事実を問い詰めるような冷たさがあった。
「それは──解釈の問題だ」
「そうやって逃げるのかよ……!」
アランの声が荒くなる。
「お前らは騎士団だろ!? 正義も、誇りも、無いってことか!?」
フォーンはわずかに目を伏せる。
そして、その灰色の瞳に、怒りとも悲しみとも違う“諦観”が宿った。
「君たちはまだ、世界の“表”と“裏”を分けて考えている。……だが、現実にはそんな明確な境界線は存在しない」
「それがどうした!少なくとも、人が苦しむ姿が正しいなんて事があってたまるか!」
アランが叫ぶ。
拳が震えていた。
フォーンは何も言わなかった。ただ、手を軽く上げる。
騎士たちが動き出し、拘束されたカストールを引き取る。
静かな重圧と共に、門の奥へと歩き出していく。
その時──
コツ、コツ……。
硬質なヒールの音が、上階から降りてきた。
ゆっくりと、だが威厳を纏った足取りで現れたのは──
白銀の髪。黒の騎士装束。鋭くも艶のある瞳と、どこか妖しさすら帯びた微笑。
クロエ・シルヴェリス。銀蛇騎士団・団長。
「……団長、報告は後ほど。今は処分を──」
フォーンが口を開きかけた瞬間。クロエは視線ひとつでそれを封じた。
静かなる威圧。それは怒声よりも雄弁だった。
「カストール。あなたの軽率な行動は騎士団の誇りを傷つけた。……だが、咎めるのは“中”で行うわ。外に咎が漏れることは許されない」
その言葉に、凍りつくような冷たさが走る。
そして、クロエはアランたちに視線を向けた。
「……若い風が吹いてきたようね。門をくぐったこの銀蛇の巣で、ずいぶん大胆なことを言ってくれたじゃない?」
(この子達がカストールに勝ったと言うのか?信じられん。)
その口調は柔らかい。だが、内側には鉄の刃を隠していた。
ふと、彼女の目がアランに止まる。
「……オーガストレイ家の子息?」
その一言に、空気が一瞬止まった。
「アレン……? いや、違うわね。名前は?」
アランは目を見開いた。
「……俺は“アレン”じゃない。アランだ」
クロエは目を細め、かすかに微笑む。
「ふふ……まさか、生きていたとはね」
呟きのような言葉。
それは、アランの胸の奥にある何かを、かすかに震わせた。
「なあ、“アレン”って誰なんだ!」
アランが問い詰める。
だが、クロエは答えなかった。
「…いずれ知る時が来るわ。けれど──今ではない」
(これはあの方に報告しなくては、きっとお喜びになる。)
そう言い残し、クロエは再びフォーンに向き直る。
すべてを計算済みだと言わんばかりに、指示を下し始めた。
アランとレオンは──ただ、その場に立ち尽くすしかなかった。




