エレジア樹海に踏み込む
樹海の空気は、境界へ近づくほどに濃く、深く、息づいていた。
ウィスフォレ村で受けた“精霊の儀”の痕跡は、まだ身体の奥を静かに満たしている。
アランは左手に巻かれたミスリル製の腕輪をそっと撫でた。冷たい金属なのに、なぜか脈を打つような温もりがある。
「ここが……エレジア樹海国の結界、ね」
リィナが木々の間に漂う薄光を見上げる。
光の膜は、森そのものが呼吸しているかのように揺らめいていた。
拒むための壁であり、選ぶための門でもある。
「精霊の加護があれば通れる、って話だが……」
ボリスが巨大な鍋盾を担ぎながら眉をひそめた。
「ほんっとに大丈夫なんだよな?長老、冗談で“灰になる”とか言ったりしないよな?」
「冗談かどうかは、この一歩でわかるわよ」
リィナは肩をすくめるが、瞳は真剣だ。
レオンが前に出て、静かに結界の脈動を観察する。
「波長は安定している。精霊術式の干渉も良好。ミラ、きみはどう感じる?」
ミラは白い外套のフードを整え、目を細めた。
「問題ない」
その言葉にアランも頷く。精霊の儀の最中、彼らは確かに何かに触れた。
それが今も腕輪を通して響いてくる。
「じゃあ、行こう」
一歩踏み出した瞬間、アランの腕輪がふっと光を帯びた。
結界が応えるように淡い波紋を広げる。
風のない空間に小さな音が生まれ、森全体がひとつ息を吐いたようだった。
歓迎する。
言葉ではない声が、胸の奥でそっと触れた。
目の前の薄膜に足を踏み入れると、一瞬だけ水面をくぐるような抵抗がある。
ひやりとした光の粒が肌を滑り、視界が一度だけ白く瞬いた。
気づけば、その向こう側
結界の内側にいた。
「……通った、のか」
ボリスが目を見開く。
森の色が、外よりも深い。
青みを帯びた翠の光が枝葉を染め、風もないのに葉が震えて鈴のような音を立てる。
ここが精霊の国だと、否応なく理解できた。
「精霊の加護…本当に」
レオンが安堵の息を漏らす。
「アラン、聞こえた?」
ミラが小声で尋ねてくる。
「ああ。森に迎えられたような、そんな感じ」
「ふふ、やっぱりアランは変なとこで精霊と相性いいのよ」
リィナが笑う。
だがその陽気さをかき消すように、森の奥から低い風の音がうなった。
温もりある精霊の気配とは違う、重たくぬめるような存在感。
瞬間、レオンの表情が鋭くなる。
「全員、準備を。結界内だからって油断するな。エレジアは“通す者を歓迎する”森じゃない」
「敵意を持たれてないだけマシ、ってやつか……」
ボリスが盾を構える。
アランは腕輪を見下ろす。
微かに光るそれは、森の脈動と同じリズムで呼吸していた。
「よし……進もう。早く王様に会って帰還しよう。なんか気味が悪い」
仲間たちは無言で頷き、隊列を整える。
精霊の森の奥へ。エルフに認められた者だけが踏み込める領域へ。




