第21話 夜の底に、うごめくもの
それから数日――
アランとレオンは地道な依頼をこなしながらも、王都の空気に漂う“異変”を敏感に感じ取っていた。
街の喧騒はいつも通りに見える。
けれど耳を澄ませば、怒鳴り声や泣き声が以前よりも多く、衛兵の数も目に見えて増えていた。
通りを歩く人々の目は伏せられ、笑顔は影を潜めている。
まるで誰もが、「何か」に気づきながらも、口に出せずにいるようだった。
アランはふと、王都の中心にそびえる王城を見上げた。
かつては白金に輝く尖塔が朝日に映え、王都の繁栄を象徴していたその姿も、
今は灰色の曇天に覆われ、重たい暗雲がその背後を渦巻いていた。
「……平和は、どこに行ったんだろうな」
ぽつりと呟いたその声に、レオンは黙って頷くだけだった。
風が、冷たい。
王都リュミエールは、確かにまだ“平穏”の形を保っている。
だがその皮膚の下では、何かがじわじわと侵食している――
そんな不気味な感覚が、二人の背を押していた。
「最近、人が消えたって話が多い……」
「騒ぎも増えてる。でも、行政も騎士団も、本気で動いていない」
街の片隅で囁かれる噂。人々の表情に潜む不安。ひび割れた石畳の下、何かが確実に“動いて”いた。
アランは王都第六区の裏通り――場末の酒場《迷い子の灯》に足を踏み入れた。傾いた看板、軋む扉、酒精と煙草の匂い。中は常連の酔客ばかりで、誰もが外を気にしている。
酒場の奥、目立たぬ席にひとりの小柄な男が腰を下ろしていた。
ねずみのような顔立ち。鋭い目と、薄く笑う口元。
「おやぁ、こんなところに子犬が迷い込むとは。何の用だ?」
「街の騒ぎについて話を聞きたい。中毒者が増えてる。理由を知ってるなら教えてくれ」
アランの金の瞳が、まっすぐに男を射抜いた。男は一瞬だけ目を細め――やがてニヤリと笑い、指を鳴らした。
瞬間、周囲にいた酔客たちが一斉に立ち、席を離れる。空気がわずかに張り詰める。
「名はモークス。情報屋。王都の街中、裏通りのことなら大抵は耳に入る。……まあ、元盗賊ってのは、口外無用ってことでな」
(このガキ、なんか面白そうだな。)
アランは警戒を強めた
「最近の騒ぎ、麻薬が関係してるんだろ?」
モークスは鼻で笑い、酒瓶の口を拭った。
「当たり。急に“見えない敵”と戦い始める連中が増えた。泡吹いて暴れる奴らも、妙な言葉を吐く。『神が笑った』とか『天の檻が開いた』とか……まるで夢でも見てるようなな」
「それって……“幻花粉”か?」
「そう呼ぶ奴もいるな。もっとも、最近じゃ“白粉”って俗称で流通してる。……で、面白いのは運び屋らしき人影が古い下水道に出入りしてるって話だ」
アランの眉がわずかに動いた。
「下水……?」
「ああ。荷物を抱えて、決まった路地から、決まった時間に潜ってく。潜入する奴も頻繁に変えるから、よほど組織的な動きがある。……普通の商売じゃねぇよな」
「誰が動かしてるんだ? マフィアか、それとも他の組織……?」
「さあな。俺は“繋がり”じゃなく、“流れ”を見るのが仕事だ。だが……そうだな。街の“秩序”を名乗る者ほど、得体の知れない影を引きずってるってのは、昔からの常識だ」
モークスは酒瓶を置くと、わざとらしく身を乗り出し、手元にあったナイフを手に取り舐めまわした。
「――いいか。情報の価値ってのは、“知ったら最後、鮮度”で決まる」
「つまり?」
「次からは、金を用意して来いってこった。命が惜しいならな、坊や」
静かに立ち上がるアラン。彼の瞳には、もう迷いはなかった。
そのまま酒場を出た、その時――背後に気配があった。
「……まさか、行くのか? 一人で?」
振り返らずとも分かる。レオンだ。
アランは一歩だけ立ち止まり、目を細めた。
「“確かめたい”だけだ。街で何が起きてるのか…“何がうごめいてるのか”を」
その背に、冷たい風が吹いた。沈黙のままレオンもまた、歩みを重ねる。
「……アレン、ほんとに無茶苦茶だな。」
けれど、もう止める言葉はなかった。
――向かう先は、王都の地下。暗く、深く、冷たい街の底。