第26話 出発!東の森へ
街を覆う熱気が冷め、職人たちの工房の灯が一つ、また一つと消えていく。
そんな中、宿の一室だけはまだ明かりがついていた。
テーブルの上には、今日買った土産の包みと、ボリスの巨大なフライパンハンマー――《灼鉄フレイムパン》が置かれている。
その金属の縁から、ぼんやりと赤い残光が揺らめいた。
「――ふぅ。これで、ようやく完璧ってとこだな」
ボリスが汗を拭いながら、磨き上げた武器を見つめる。
どこか誇らしげに笑い、拳を軽く打ち合わせた。
「焔の心を宿す、か……アーグのじいさん、いいこと言うじゃねぇか」
椅子の背に掛けた盾――《焔煮の盾グラトン・ポット》が、かすかに「ぐつり」と音を立てた気がした。
魔力を宿した金属が、まるで生き物のように熱を帯びている。
「武器はもう万全だ! もう少し使い方をマスターすれば、Sランクに届きそうだぜ!」
胸を張るボリスに、アランが目を丸くする。
「本当か! それはすごいな!」
「おいおい……冗談だろ、アラン」
レオンが呆れたように片眉を上げた。
「武器でランクが変わるなら、この国はSランクだらけになってるさ」
「む。……夢を見てもいいだろ?」
アランは少し拗ねたように笑う。
リィナが湯上がり姿のままドアを開け、笑いながら入ってきた。
「夢見るのは勝手だけど、現実も見なさいよ。東部方面、なんだかきな臭い話が増えてるみたい」
彼女の声に、全員の視線が集まる。
「リィナ、何かあったのか?」
「ノノから聞いたの。ウィスフォレ村で木々や草が枯れ、井戸の水まで濁ってるって。物資も不足してて、もうすぐ村が孤立するかもしれない」
沈黙が落ちた。
温泉街の外から吹く風が、窓を鳴らす。
「……原因は?」
レオンが小声で問うと、リィナは首を振った。
「詳しくはわからない。でも、ただの自然現象じゃないと思う。ノノが言うには“森で光る影”を見た人もいるって」
レオンの表情がわずかに引き締まる。
彼は懐から折り畳まれた羊皮紙を取り出した。
「それに関して、俺も気になる記録を見つけた」
机の上に広げると、魔力の観測図が記されていた。
青と赤の線が波のようにうねり、その中心に“異常点”の印がある。
「これは学術都市セフィリオスの観測所から転送されたデータだ。ウィスフォレ周辺で、通常の百倍以上の魔力変動が記録されている。この数値……自然の域を超えている」
「魔物の巣か、あるいは――」
リィナが呟きかけた時、アランが口を開いた。
静かに、しかし迷いなく。
「……急ごう」
その声に、全員の視線が吸い寄せられる。
彼の瞳には、湯の光でも焔の反射でもない、まっすぐな意志が灯っていた。
「俺らにも出来ることがある。行こう」
レオンは苦笑を漏らした。
「相変わらず、即決だな……。だが、反対はしない」
リィナは腕を組んで頷く。
「決まりね。商人ギルド経由で物資の手配はあたしがやる」
「よーし! 俺は荷車を押す係だな!」
ボリスが笑いながら拳を握る。
「焔のハンマーで薪くらいなら一瞬で割ってやる!」
笑い声が部屋を満たした。
それでも、窓の外にはどこか冷たい風が流れていた。
明日の旅路が、これまでとは違うものになる――
そんな予感を、誰もがうっすらと感じていた。
アランは窓を開け、遠い東の空を見上げた。
月が雲の切れ間から覗き、淡く照らしている。
「ウィスフォレか……」
小さく呟いた声は、夜風に溶けて消えた。
翌朝。ゴルツェの空は澄み渡り、鍛冶の煙が白く立ち上っていた。
アランたちは荷車を整え、次なる目的地――ウィスフォレ村へ向かう準備を終えていた。
まず向かったのは、アーグの工房だった。
朝日が差し込む中、金属を叩く音が響く。
そこには、見慣れた背中が一つ。
「おう、アランか。」
アーグが火花の中から顔を上げた。
その隣では、煤けた頬で黙々と金属を磨く影があった。
「ビタシィ……」
アランがつぶやくと、彼は少し気まずそうに笑った。
「お前らか。……もう俺は、あんなことはしない。師匠に殴られて、ようやく分かったよ。手間かけたな、本当に。」
アランは静かに頷いた。
「もういいさ。あとは、真っ直ぐ生きていけば。」
その言葉に、ビタシィの肩がかすかに震えた。
アーグは無言で槌を置き、にやりと笑う。
「ふん、こいつにもようやく“火”が戻ってきた。火を絶やさず打ち続ける。それが職人の贖罪ってやつだ。」
ボリスが笑って拳を掲げる。
「俺の鍋も完璧だ! あんたの顔に恥をかかせねぇように使いこなすぜ!」
「使い潰すなよ、デカブツ。火は長く燃やすもんだ。」
アーグの笑い声が工房に響き、アランたちは頭を下げて外へ出た。
そして、昨日、再会の席を設けてくれたガルデオン家の使者が、すでに門の前で待っていた。
木格子を抜けると、柔らかな香が漂う。
縁側に立っていたのは、淡い青のドレスに身を包んだレティシア・ガルデオン。
「もう発つのですね。」
アランが頷くと、レティシアは静かに微笑んだ。
その横顔は、昨日よりもどこか柔らかい。
「ゴルツェまでの護衛、感謝します。……そして、あなたたちと出会えたことも。」
「こちらこそ。お嬢様のおかげで、たくさんの学びがありました。」
リィナが礼をし、ボリスは頭をかきながら笑う。
「またどっかで温泉入りましょうぜ!」
レティシアは少し目を細め、アランを見つめた。
「アラン・オーガストレイ――あなたを見ていると、期待したくなるのです。まだ眠る“炎”が、いつかこの国を照らす日を。」
その言葉に、アランは一瞬言葉を失った。
しかし次の瞬間、柔らかく笑って応える。
「その時は、また一緒に温泉でも入りましょう。」
レティシアは思わず吹き出し、袖で口元を隠す。
「……ふふ。約束ですよ。」
風が吹き、街の鐘が鳴った。
別れの合図のように、青空へ音が響く。
アランたちは背を向け、坂を下りる。
湯の香りと鉄の音を背に、東の空――ウィスフォレの方角へと進んでいった。




