第25話 情報は命よりも
昼下がりのゴルツェは、相変わらず湯煙と笑い声に包まれていた。
通りには温泉まんじゅうの香りが漂い、旅人たちが行き交う。
だが――その喧噪の中で、ひときわ耳ざとい少女がいた。
「へぇ~、ウィスフォレ村って、そんなに物資が足りてないの?」
リィナ・カルセリオは露店の主に話しかけながら、買ったばかりの焼き芋を軽く振って冷ます。
相手は旅商人の中年男。荷馬車の荷台には、干し肉や保存用の小麦粉が積まれている。
「東の方はひどいもんだよ。木々が枯れて、井戸の水も変な匂いがするって話だ。
だからって王都は“自然の揺り返し”とか言って放っとく。俺たち商人はたまったもんじゃねえ」
「ふうん。……それで、みんなゴルツェまで買いに来るってわけね」
「いや、行商も減ってる。東部街道は魔物が増えててな。特に夜は危険だ。
腕の立つ護衛でもいねえと、ウィスフォレまでは命懸けさ」
男は肩をすくめ、ため息まじりに干し肉を包む。
リィナは何気なく周囲を見渡した。湯の町の空気は相変わらず穏やかだが――その向こうに、少しずつ迫る“冷たい風”を感じた気がした。
「ねえノノ、聞いた?」
隣で荷物袋を抱えていた小柄な少女が、こくりと頷く。
見習い商人ノノ・フェリシア。柔らかい栗色の髪に、まだ年端もいかない顔立ち。
だが商人らしく、聞いた話はすぐ帳面に書き留めていた。
「……木々が枯れてるって、変ですね。春なのに。
水が悪いのか、それとも……魔力の影響、かな」
「さあね。でも、妙にピリピリしてるわ。
あのアーグって鍛冶屋も言ってたじゃない。『金属が冷えすぎてる』って」
「それ、気になります。もしかしたら――」
「はいそこ、商人頭が顔しかめてないで、団子でも食べなさい。思考糖分よ」
リィナは笑ってノノの口に温泉団子を押し込んだ。
ノノがむぐむぐと咀嚼する様子を見て、露店の主人も思わず吹き出す。
「ははっ、いいコンビだな。お嬢ちゃんたち、もしウィスフォレ行くなら気をつけな。
最近、“森の中で光る影”を見たって話も出てる」
「光る影……? 何それ、怖いわね」
「誰も正体を見た奴はいねえが、夜中に青白く光って、近づくと消えるんだとよ。
畑が全滅したのも、その頃からだ」
リィナは焼き芋をかじりながら、目を細めた。
脳裏に、何か古い伝承の一節が浮かぶ――“森の魂が眠る時、大地は息を止める”。
それがただの迷信であればいい、と一瞬だけ思った。
「リィナさん……私、やっぱり行きたいです。ウィスフォレへ。
もし本当に異常が起きてるなら、早く伝えなきゃ」
「ま、アンタが言うと思ってた。あたしも暇してるしね。
アランたちにも話しておこう。どうせあの子、こういう話には首突っ込むんだから」
ノノは照れくさそうに笑い、頷いた。
小さな手帳の端に、“ウィスフォレ物資運搬・同行者要請”と書き加える。
その文字はまだ幼いが、意志はしっかりとした筆跡だった。
夕暮れが迫るころ、街の端ではボリスの鍛冶仕事の音が響いていた。
それはどこか、遠く東の空を呼ぶようなリズム――
まるで次なる旅の合図のように。
「さてと。お風呂上がりにアランのとこ寄るか。
“光る影”ってやつ、ただの噂で済めばいいけどね」
「でも……もし本当に何か起きてるなら、きっとアランさんは行くと思います」
ノノの声は小さいが、確信に満ちていた。
その横顔を見て、リィナはふっと笑う。
「まったく、似た者同士が増えてきたわね」
夜風が湯煙を揺らし、遠くで鈴の音が鳴った。
東方の森では、確かに何かが、静かに枯れはじめていた。




