第23話 灼熱の武器
幾晩も火を絶やさず打ち続け、ついにその時が訪れた。
アーグが顔を上げ、低く呟いた。
「……これで、終いだ。」
炉の赤を映すように、二つの武器が静かに並ぶ。
一つは、焔の鼓動を宿す巨大なハンマー――《灼鉄フレイムパン》。
もう一つは、鋭くも穏やかな光を放つ一振りの剣。
その刃の奥には、焔心石の微かな光が灯っていた。
「アラン。お前の剣だ。」
アランが歩み寄り、両手で柄を包み込む。
冷たさはなく、指先にじんわりと熱が染み込むようだった。
まるで、刃そのものが呼吸している――そんな錯覚さえ覚える。
「……すごい。前と違う。剣が……応えてくれる。」
アランが静かに魔力を流し込むと、焔心石が真紅に燃え上がった。
かつては魔力を無理やり押し込めば暴れ出していたそれが、
今は穏やかに、彼の意志と調和して波打っている。
炎は彼の心拍と共鳴し、熱が剣と一体になる感覚。
アーグは満足げに頷いた。
「そうだ。道具は力じゃねぇ、意思を繋ぐ“橋”だ。
お前の剣には、お前の火が宿ってる。無理に引き出す必要はねぇ。」
炉の中から引き上げられた一振りの武器――それは、赤熱した鋼に焔の揺らぎを宿した巨大なハンマーだった。
アーグが唸るように呟く。
「名は……《灼鉄フレイムパン》とでも呼ぶか。」
ボリスが笑い、両手でその重量を確かめる。
「いい名だ。これで、仲間も、飯も、守れる。」
アーグの口元に僅かな笑みが浮かぶ。
「なら、鍛えた甲斐があったな。お前の火は武器の中にも籠った。」
炎が静かに揺れ、鍛冶場に一筋の光が差し込む。
ボリスはその光の中で、新たな武器を掲げた。
灼熱の鉄は、まるで心臓の鼓動のように脈打っていた。
まだ工房には、まだ鉄と火の匂いが濃く漂っていた。
鍛冶台の上には、完成した《灼鉄フレイムパン》が静かに鎮座している。表面には微かな焔の揺らぎ――それは、まるで生きているように脈打っていた。
ボリスがその柄を握り、振ると、赤熱した空気が唸りを上げる。
「すげぇ。まるで心臓の鼓動みたいだ。」
アーグが腕を組み、顎をさすりながら頷く。
「ふん、やっと火が宿ったか。だが――まだ片腕だ。」
「片腕?」
ボリスが首を傾げると、アーグは隣の作業台を顎で示した。そこには、どっしりとした鉄鍋のような円盾が置かれている。
外縁には火竜の鱗粉を焼き込んだ模様が浮かび、内部には魔鋼鉄の継ぎ板が幾層にも重ねられていた。
「こっちは昨日のうちに仕上げておいた。盾の方も武器に合わせて、火を“煮込む”仕掛けを付けてある。」
「まさか、鍋にも火を?」
「そうだ。鍋だ。だが、魔力を煮立てて爆ぜさせる《焔煮の盾グラトン・ポット》。受けた魔力を熱へ変換して、蒸気爆発や炎波を放つ。お前みたいな奴には、ちょうどいい塩梅だろう。」
ボリスが目を丸くし、次いで満面の笑みを浮かべる。
「こりゃあ最高だな!焦げるくらいが、ちょうどいい仕上がりさ!」
アーグが鼻を鳴らし、笑いを堪えるように視線を逸らす。
「ったく……そんな台詞、普通の職人が聞いたら頭抱えるぞ。」
「まさか鍋を武具に仕立てる日がくるとはな……だが悪くねぇ。火の理を料理と戦い、両方で扱える奴なんざ、滅多にいねぇ。」
ボリスは二人に礼を述べ、盾とハンマーを慎重に背負った。
灼けた鉄と焔の意志が、まるで心の中にまで伝わってくる。
「……アーグ親方、ありがとうございました。これで、またみんなを守れます。」
「守るだけじゃねぇ。打ち、煮込み、立ち上がれ。火を絶やすな――それが職人と戦士、両方の心意気だ。」
ボリスは力強く頷いた。
その背中に、アーグは再び炉に火をくべながら呟く。
「――いい火だ。あの炎なら、まだ先を見られる。」
外では、朝靄の中、アランたちの笑い声が微かに響いていた。
ボリスは《フレイムパン》と《グラトン・ポット》を背負い、仲間のもとへと歩き出す。
夜。ゴルツェの空には、星よりも多くの湯けむりが立ちのぼっていた。
昼の喧噪が消え、鍛冶場の火が静まる頃――アーグは炉の前で煙草をくゆらせながら、ふと振り返った。
「……おい、ボリス。」
工具を片づけていたボリスが顔を上げる。
「なんだ、親方?」
「火の後は湯で冷ますもんだ。――付き合え。」
そう言ってアーグは鉄槌を壁に掛け、肩を鳴らした。
***
夜の温泉は、昼間の喧騒とはまるで別世界だった。
山肌の岩間から湧き出す湯は赤みを帯び、鉄の香りがわずかに鼻をくすぐる。湯けむりの向こう、月光が柔らかく差し込み、湯面を銀に染めていた。
アーグが湯に肩まで沈み、ふぅと深い息をつく。
「……これがあるから鍛冶はやめられねぇ。火に焼かれ、汗を流し、最後に湯で心を戻す。」
ボリスも隣に浸かりながら、肩の力を抜いた。
「たしかに……火を扱う仕事ってのは、命を削るようなもんだな。」
「命を削らなきゃ、打てねぇもんもある。」
アーグの声は低く、だがどこか温かかった。
しばし沈黙が続き、湯の音だけが静かに響く。
やがて、アーグが口を開いた。
「剣も、人も同じさ。」
「……?」
「熱を失えば、ただの鉄だ。どれだけ立派に磨かれても、心の火が消えりゃ、脆く折れる。」
その言葉に、ボリスは黙って湯の中で拳を握った。
鉱山で見た崩れた坑道、焦げた岩肌、そして命を救おうと必死に動いた仲間たち――。
自分が守ると決めた“炎”が、胸の奥で再び燃え上がる。
「……なら、俺はこの火を絶やさねぇ。」
「当たり前だ。鍋でもハンマーでも、火を宿せる奴は強ぇ。覚えとけ。」
アーグが笑う。その顔には、昼の厳しさとは違う、穏やかな職人の誇りがあった。
湯けむりの夜、二人の間に流れる沈黙は不思議と心地よい。
ボリスはそっと目を閉じ、湯のぬくもりの中で、自分の中の炎を確かめるように深く息を吐いた。
――鉄は火で鍛えられ、人は心で熱くなる。
その教えが、静かな夜の湯に溶けていった。




