第18話 心の扉
「ハンマーにも、盾にも……いや、調理器具にしか見えん。これで戦うのか?」
アーグが呆れたように言うと、ボリスは胸を張った。
「もちろんっす! 俺の得物はこれですから!」
どこまでも真っ直ぐな声だった。
「仲間を守るのは当然っすけど、腹を満たすのも同じくらい大事なんス。
俺の使命は――仲間の体も心も守ることですから!」
その言葉に、アーグの眉がわずかに動く。
「……ふん。言うことは大きい」
彼はフライパン型のハンマーを手に取り、重さを確かめるように軽く振った。
金属が鈍く鳴り、炉の火がぱちりと弾ける。
「相当、鉄も疲れているな。……だが、いい心が宿ってる」
指先で縁をなぞりながら、低く唸るように続けた。
「新しく打ち直すなら、こいつらの鉄は使わせてもらう。ただ――今は素材がねぇ」
アーグは炉の奥を見やり、赤く揺れる炎を見つめる。
「焔心石が必要だ」
「焔心石……?」
ボリスが聞き返す。
「ああ。赤鉄鉱山の最奥でしか採れぬ鉱石だ。火を喰い、心を宿す石。
それを炉にくべれば、鉄は再び命を得る。……だが、いまは閉山している」
アーグの声が、炎の音に混じって低く響く。
「もし“火”を宿すことができれば、まだ蘇るかもしれん。お前の想いを形にするための――“心臓”だ」
ボリスは唇を引き結び、拳を握った。
「……わかりました。必ず持ってきます!」
その瞳には、湯殿で見せた無邪気な笑みはもうない。
代わりに灯っていたのは、職人の前に立つ者の覚悟の炎だった。
アーグは無言で頷き、再び炉に視線を戻す。
赤い火が、鉄の面を照らし出す。
「わしの魔鋼合金の技術を使えば――唯一無二の“フライパン型ハンマー”と“鍋型の大盾”が出来るだろう」
言葉の端に、ほんの僅かな笑みが滲んだ。
「焔心石を取ってこい。それが条件だ」
炉の炎が唸りを上げる。
「……ならば見せてみろ。お前の“炎の心”を」
ハンマーが最後の一打を響かせ、炉の火が小さく唸りを上げる。
工房の中に、一瞬だけ静寂が降りた。
アーグが赤く燃える溶鉱炉を見つめ、重々しく息を吐いた――そのとき。
鉄扉が勢いよく開かれた。
「アーグの親方っ! 大変だ、赤鉄鉱山で事故だ!」
煤にまみれた青年が転がり込む。額を汗と油で濡らし、声はかすれていた。
「突然、坑道が爆発して……崩れたんです! それに、“腐鉄団”の連中が寝所にしてたって!」
アーグの顔が一瞬で険しくなる。
炉の炎がその瞳に映え、冷たく光った。
「腐鉄団……? あいつら、まだあそこを荒らしてやがるのか」
低く絞り出すような声だった。
青年が怯えたように頷くと、アーグは拳を強く握りしめた。
煤が指の間からぱらぱらと落ちる。
「“あいつ”は……もう知らん。だが、まだ山にいるのか」
アランが一歩前へ出る。
「“あいつ”って……知っている人なんですか?」
アーグはしばし黙したあと、ゆっくりと頷いた。
「ビタシィ。かつての馬鹿弟子だ」
その名を吐き出すように言う。
「鉄の誇りを忘れ、腐った金と力に溺れた大馬鹿者よ。
奴が“腐鉄団”を名乗ったと聞いたとき、もう弟子とは思わんと決めた。……だが、まだあの山に巣くってるとはな」
工房の空気が重く張り詰める。
アランは唇を結び、炉の赤を見つめた。
「親方……俺たち、鉱山の様子を見に行きます」
アーグが顔を上げる。
「何を言ってやがる。あそこは今、崩落の危険があるんだぞ」
「それでも。放っておけません。怪我人がいるなら助けたいし、腐鉄団ってやつが暴れてるなら、止めないと」
アランの声は静かだが、芯が通っていた。
ボリスが腕を組み、頷く。
「焔心石も、そこにあるんですよね。だったら、行くしかねえ」
リィナが溜め息をつきながら笑う。
「ほんっと、こうなると思ってたわ。まったく、なんで普通にことが進まないのかしら」
アーグはしばらく無言で彼らを見つめ――やがて、諦めたように肩を落とした。
「好きにしろ。ただし、軽い気持ちで行くな。あの崩壊した鉱山は、危ないぞ」
炉の火がぱちりと弾け、彼の言葉を強調するように光を散らした。
アランは頷き、剣の柄を握る。
「それでも、行きます。俺たちにできることを、やるだけです」
アーグの言葉が炉の熱に溶けるように響いた。
「勝手にしろ。…だが、もしビタシィがいたら連れてこい。殴ってやらねぇと気が済まねぇ」
アランは剣の柄を強く握りしめ、目を伏せずに頷いた。
「連れてきます。必ず。」
ボリスが不敵に笑い、鍋を肩に担ぐ。リィナとレオンも身支度を整える。
アーグは黙って外套を羽織り、短く付け加えた。
「無茶するんじゃねぇぞ。鉄も人も、無理に鍛えるな」




