第17話 天才鍛治職人の眼
湯屋の前で、アランたちは立ち止まり、レティシアへ向き直った。
「此度は護衛の依頼を引き受けてくださり、ありがとうございました」
レティシアが深く一礼する。淡い外套の裾が風に揺れ、月明かりに銀糸のようにきらめいた。
「これで、終わりですね」
アランが微笑む。「無事に街へ着けて何よりです」
リィナが肩をすくめる。「貴族のお嬢様の護衛なんて、もっと気を張るかと思ったけど……案外、楽しかったわ」
「ふふ。皆さまが頼もしかったおかげですわ」
レティシアは穏やかに笑う。その声は湯けむりの残る夜気に溶け、やわらかく響いた。
「そりゃ当然っす!」とボリスが胸を張る。「俺ら、どんな道でも無事にお連れします!」
レオンが呆れたようにため息をつく。「次の依頼では、もう少し控えめに頼む」
「へへっ、つい嬉しくてさ」
そんなやり取りに、レティシアは微笑を深めた。
「皆さまのような冒険者と出会えたこと、私も誇りに思います」
そして少し目を伏せ、静かに言葉を続けた。
「この街で療養が終わったら、王都へ戻ります。またどこかで、きっとお会いできますね」
アランは短く息を吸い、穏やかに頷く。
「おう。そのときはもう、友達として会おうぜ」
レティシアの表情がふっと和らいだ。
「まだしばらくはゴルツェに滞在しています。またお食事でもお誘いしますわ」
付き人のクリナが一歩下がって頭を下げ、馬車の扉が静かに閉まる。
蹄の音が石畳を打ち、車輪がゆっくりと動き出した。
アランたちはその背を、しばらく見送っていた。
湯煙の残る街の灯が、やがて霧の向こうに溶けていく。
「……いい貴族もいるんだな」
ボリスの言葉に、誰も異を唱えなかった。
翌朝、ゴルツェの空は白い煙に覆われていた。
山肌に並ぶ煙突からは鉄と火の匂いが立ちこめ息づいている。
アーグの工房は、その奥まった一角にあった。
分厚い鉄扉を押し開けると、熱気が顔を撫で、赤々と燃える炉の光がアランとボリスの頬を照らした。
壁には大小の槌が整然と掛けられ、奥では溶けた鉄がゆっくりと流れている。
「来たか、若造」
アーグは炉の前で腕を組み、鋭い目を向けた。
昨夜の湯屋で見せた穏やかさは消え、職人の厳格な表情だけが残っている。
「見せてみろ。お前らの“武器”を」
ボリスが大鍋とフライパンをどんと置き、アランは静かに剣を差し出した。
アーグは柄を握り、片目を細める。
「……ほう、見覚えのある造りだ。それに魔道具として改良してあるのか」
刀身を光にかざすと、かすかに走る亀裂が赤熱の光を反射した。
「刀身が割れた形跡があるな。上手く直してあるが……魔力伝導率が落ちてる」
鋭い視線がアランに向く。
「ったく、どんな使い方したんだ」
アランは苦笑いを浮かべるしかなかった。
アーグは溜め息をつき、手早く刀身を拭いながら続ける。
「坊主、魔法を上手く使えないんだろ。だからこのタイプの剣を選んだのか」
その一言に、アランの指先がわずかに震える。見抜かれた、という感覚が走った。
「ええ、まだ修行が足りないので」
アランの答えに、アーグは鼻を鳴らした。
「悪くねぇ。だがこの先、この剣じゃもたねぇな」
炉の炎がぱちりと弾ける。
「だが、お前の剣は今はこれがベストだ。手は入れてやろう。」
「助かります!」
アランが安堵の息を吐いたとき、アーグの視線が横に逸れる。
「さて……問題はお前の武器だな、ぽっちゃり坊や」
ボリスは苦笑しながら荷を下ろし、そっと二つの鉄器を床に置いた。
ひとつは柄のついた大きなフライパン。もうひとつは、鍋の蓋のような丸い盾。
どちらも長年使い込まれ、無数の傷が刻まれていた。
アーグはしばし黙ってそれを見つめ、腕を組む。
「……こんな武器は見たことがねぇな」
低く呟いた声には、呆れと、ほんの僅かな興味が混じっていた。




