20話 麻薬混入
翌日の冒険者ギルド。
朝の喧騒の中でも、どこか張りつめた空気が漂っていた。
「下層の市場でまた叫んでる連中が出たって……。衛兵隊が抑えてるけど、もう限界みたいです」
「……また?」
リゼットの声がかすかに低くなる。
ここ数日、王都のあちこちで怒鳴り声や口論が増えていた。
食糧の値上がり、失踪した家族、突然消えた荷馬車その一つ一つは小さな火種かもしれない。
だが、いまは風が吹けば火が燃え上がるほど、街全体が乾ききっていた。
通りでは、朝から怒鳴り声が飛び交い、喧嘩を仲裁する衛兵の姿が珍しくなくなってきている。
ほんの数日前までは「今日も平和だ」と言えたこの王都で、
今は、いつ暴動が起きてもおかしくない緊張が、地下水のように街を満たし始めていた。
受付カウンター越しに書類を整理していたリゼットのもとへ、一人の職員が駆け込んでくる。
「リゼットさん、ちょっと……!」
「なに?」
「登録新人のティナ・エルフォル……路地裏で発作を起こして暴れたらしい。近くにいた子どもが巻き込まれて軽傷。ティナ本人も壁に頭を打って、意識が――」
「……ギルド長には?」
「報告済みです。でも、もう止められないかも……」
(まずい!アランくんが聞いてる。)
その声を、傍で聞いていたアランの耳がとらえた。
「……ティナが?」
立ち上がったアランの表情が、見る間に硬くなる。
「何があった?まさか、あのときの……変な薬?」
ギルド職員が頷く。
「検査の結果、麻薬系の幻覚剤……“幻花粉”。ごく微量だけど検出されたわ、確実に盛られてたみたい。いま医務室で手当て中だけど、意識はまだ戻らない」
「誰が……」
アランの拳が震える。
「……誰がそんなことを」
その目の奥で、怒りと悔しさが煮え立っていた。
「騎士団や兵士は何やってんだよ……!」
アランの拳が机を叩いた音が、ギルド内の空気を揺らす。
「毎日、毎日――被害者が出てるのに、見て見ぬふりかよ!
ティナだって……あいつだって、」
息が荒い。言葉が、怒りと悔しさでつかえながら続いていく。
「そんなもん……誰かが止めなきゃ、もっと広がるに決まってんだろ!
誰かが、止めなきゃ――!」
アランの目には、激情の奥に一途な光が宿っていた。
「……だったら、俺がやる。俺が止めてやるよ。たとえ一人でも!」
リゼットがすぐに遮る。
「アラン。あなた、まさか――」
(お願い、行かないで)
「行くよ。」
アランは短く言い切った。
「誰もやらないなら、俺がやる。俺一人でも止めてみせる。出来るかどうかじゃない!やってみなきゃ、わかんねだろ!」
ギルド職員たちが騒然となる。
「待て!そんな危ない連中に素人が関わったら――!」
「情報もなしに動いたら、自殺行為よ!」
「アラン、お前…!」
レオンの声も鋭く響いたが、アランは首を振った。
「見て見ぬふりはもう出来ない。
あいつ、俺と同じ日に登録したんだぞ。その辺の人じゃない。仲間みたいなもんだろ!」
誰かがやらなきゃ、何も変わらない。
その目には、もう迷いはなかった。
リゼットがしばし無言のまま、アランを見つめ――小さく目を閉じた。
(こうなったら言っても無駄ね。せめて死なないように)
「……なら、せめて情報だけは渡すわ。動くのは、それからよ」
リゼットは書類の束の中から一枚を取り出し、机の上に広げた。
「ギルドでも内々に調べてみたの。
ただ――動いてるのはかなり慎重な連中。今のところ、明確な情報は掴めてない」
アランは無言でうなずく。
その瞳は、決して揺れていなかった。そこへ、一人の男が口を挟んだ。
分厚い腕組みをした、鋭い眼光の壮年冒険者――ダグラスだ。
「まったく、ガキが一人で突っ込もうってのに……しょうがねぇな」
(こりゃまずいぜ、死ににいくようなもんだ。)
彼はぼやきながら、アランに一枚の紙切れを手渡す。
「貧民街の〈迷い子の灯〉って酒場。古いが、情報屋の出入りがある。
……あそこなら、裏の話も転がってるかもしれん。話を聞きたきゃ、ここの“モークス”って奴を探せ」
アランが礼を言うと、ダグラスは目を細めた。
「無茶はするな。だが――やるって決めたなら、最後までやり通せ。
信じるもんを投げ出すなよ坊主。」
その言葉を胸に刻み、アランはギルドの扉を開けて外に出た。
扉が閉まる、わずかな音――
その後ろでは、沈黙が落ちていた。
ギルドの奥、レオンは壁際にもたれかかっていた。
その目は、すでに閉ざされた扉をじっと見つめている。
「……勝手にしろ、バカが」
つぶやく声は、誰にも届かない。
一方、カウンター奥ではリゼットが、周囲の職員たちに目配せをする。
「ダグラスさん、可能な限りで待機して。何かあればすぐに動けるように。
新人の暴走ってだけじゃ済まされない。もしかしたら死人も出るかも、裏に何かあるのは確実よ。」
他の冒険者たちも、ただならぬ空気に口を閉ざし、準備を始めていた。