第13話 腐った鉄の心
午後の日差しが、薄く霞んだ山道を照らしていた。
春とはいえ、ゴルツェへ続く峠道の空気は冷たい。鳥の声も風の音も、どこか遠く、山肌に吸い込まれていく。
アランたちは馬車を降り、徒歩で道を進んでいた。街まではあと一刻。白い岩肌と低木が続く寂しい景色の中、足音だけが響く。
そのとき――。
「……誰か、いる」
最初に気づいたのはレオンだった。
彼は足を止め、指先を軽く上げて仲間に合図を送る。
曲がりくねった坂道の先に、ひとりの少女がいた。
栗色の髪を布でまとめ、背丈ほどもある木箱を載せた荷車を必死に押している。
裾は泥に汚れ、肩は震えていた。
少女――ノノ・ウエストンは、何度も肩越しに後ろを振り返っている。
リィナが眉をひそめ、鼻を鳴らした。
「おかしいね。あの荷車……薬草と鉱石の匂いがする。商人にしては、護衛がいない」
「獲物ってわけか」
ボリスが低く呟き、背中の大鍋を構える。
その瞬間、空気が張りつめた。岩陰から鉄の鈍い光――。
矢が一本、風を裂いて飛んだ。
「伏せろッ!」
アランの声が響く。ノノが身を屈めた刹那、矢は荷車に突き刺さり、薬草の束が宙に舞った。
岩の上から三つの影が躍り出る。
黒ずんだ革鎧、鉱山用のツルハシと手斧。
鼻を刺す錆びた鉄の臭い。
「《腐鉄団》か……」
レオンが呟く。
「よそ者がしゃしゃり出るな! こいつは俺たちの“補給物資”だ!」
声は荒んでいるのに、不思議とどこか職人めいた響きをしていた。
だが次の瞬間には、鋼の軋む音が峠に満ちる。
ツルハシの刃が日を反射し、静かな山道が一気に戦場へと変わった。
リィナが短剣を抜き、風のように駆ける。
ボリスが前へ出て、鍋盾で矢を受け止めた。
「アラン、前は俺が持つ!」
「頼んだ!」
アランが踏み込み、抜き放たれた剣が陽光を裂く。
鋼がぶつかり合い、火花が散る。
その間にレオンが詠唱を重ねた。
「凍てよ、《グラシエ・バイン》」
蒼い光が走り、盗賊たちの足元に霜が広がる。
氷が割れる音とともに、彼らの動きが鈍った。
「動きを止めた、今だ!」
「了解っ!」
リィナが一閃。短剣の柄で後頭部を叩きつけ、ひとりが崩れ落ちる。
残る二人が怒号を上げて突進。
ボリスが盾を押し返し、アランがその隙を突いた。
――金属音。
――砂煙。
最後のひとりが膝をつき、ツルハシを落とす。
すべてが終わるまで、わずか数十秒。
見事な連携だった。
春の風が吹き抜け、血と鉄の匂いをかすかに運んでいく。
ノノは震える手で口を押さえ、アランたちを見上げた。
「……助けて、くれたの?」
「ああ。もう大丈夫だ」
アランが剣を下ろし、微笑む。
彼女の頬には泥がついていたが、瞳には消えない光が宿っていた。
「ノノ・ウエストンです。薬草と鉱石を……ゴルツェに届ける途中で……」
息を整えながら名乗る彼女に、リィナが軽く笑って手を差し出した。
「運が悪かったね。でも、ここからは私たちが一緒だ」
ノノは戸惑いながらも、その手を握り返した。
その背後でレオンが、倒れた賊のツルハシを拾い上げる。
錆びた柄には、かつて鉱山職人が刻む印が残っていた。
「……彼ら、元は鉱夫だ。腕は悪くない。けど――折れちまったんだな、何かが」
アランは小さく頷き、視線を峠の先へ向けた。
風が、淡い湯気を運んでくる。
――ゴルツェ温泉街は、もうすぐそこだった。




