第11話 いざ、出発!温泉へ!
昼下がりのギルド応接室には、柔らかな陽が差し込んでいた。
香る紅茶の湯気の向こうで、白いドレスの少女が穏やかに微笑んでいる。
「……はじめまして。わたくし、レティシア・ガルデオンと申します」
ゆるやかな金髪が肩に流れ、淡いラベンダーの瞳が二人を見つめる。
その仕草一つひとつが、まるで絵画のように整っていた。
だが、対面する冒険者ふたり――レオンとボリスは、どこか居心地悪そうに背筋を伸ばす。
何しろ相手は〈七大貴族〉の令嬢だ。庶民の身では、軽々しく言葉も選べない。
「護衛の件、拝命いたしました。私たちは、リヴァレス冒険者ギルド所属の――」
レオンが形式的に頭を下げると、少女はぱっと笑顔を咲かせた。
「まぁ、冒険者さまだなんて! なんて頼もしいんでしょう……!」
感嘆の声が、春の風のように軽やかに響く。
その素直な反応に、レオンはわずかに頬をひきつらせた。
一方でボリスは、照れ隠しに後頭部をかいた。
「ま、まぁ、俺らでしっかり護りますんで。山道は少し荒れてますが」
「荒れている……それはつまり、野花がたくさん咲いているということでしょうか?」
「いや、えっと……崖とか、落石とか、そういう……」
レティシアはきょとんと首をかしげる。
あまりに純粋な反応に、ボリスは返す言葉を失った。
レオンは小さく咳払いをし、手元の書類に視線を落とす。
「療養地までは三日ほど。途中、盗賊や魔獣の出没情報もあります。十分に警戒を」
「はい。……あの、盗賊の方々にも、お話すれば分かっていただけるとよいのですが」
まるで「困っている人がいたら助けてあげたい」と言うような声音だった。
沈黙が一瞬、場を支配する。
そして次の瞬間、ボリスが苦笑をもらす。
「はは……姫さん、あんた、いい人すぎますぜ」
「え……? 褒めていただけたんでしょうか?」
「褒めてる。うん、褒めてるよ」
レオンは額を押さえながらも、ふと視線を上げた。
その瞳には、どこか懐かしい光があった。
世間の汚れを知らぬその笑顔が
かつて自分が失った何かを、静かに思い出させたのだ。
「では、明朝出発といたしましょう。荷の確認はこちらで進めます」
「はい……あの、レオンさま、ボリスさま。頼りにしていますね、えへへ……」
その小さな笑い声が、午後の光に溶けていった。
おっとりとした彼女の言葉に、二人の冒険者は同時に息を吐く。
この護衛依頼、平穏に終わる気がしない。
レオンは内心でそう呟き、冷めかけた紅茶を一口すするのだった。
翌朝の冒険者ギルドは、朝靄に包まれて静まり返っていた。
まだ陽が地平を越えきらぬ時間。通りには露の残る石畳が淡く光り、鳥のさえずりが遠く響いている。
そんな中、ギルドの前に一台の馬車がゆるやかに停まった。
白地に金の装飾をあしらった車体。細やかな彫刻と、金馬を象った家紋旗が風に翻る。
見る者が思わず姿勢を正してしまうほどの気品――七大貴族のひとつ、〈ガルデオン家〉の紋であった。
扉が開くと、ほのかな香が風に流れた。
姿を現したのは、長い淡金の髪を緩やかに結い上げた少女。
光の中でその髪はまるで春の陽を溶かした糸のように輝き、淡いラベンダー色の瞳がやわらかに微笑んでいた。
白を基調としたワンピースに薄紫のマント――旅装のはずなのに、どこか儚く幻想的ですらある。
「……お待たせいたしました。わたくし、レティシア・ガルデオンと申します」
その声は澄んでいて、けれど耳に心地よい穏やかさを含んでいた。
「このたびは、ゴルツェ温泉町までの道中をご同行くださると伺っております」
おっとりとした挨拶に、アランたちは思わず背筋を伸ばす。
控える黒髪のメイドが、鋭い視線で一行を値踏みしていた。
おそらく、主の護衛として当然の警戒心だろう。
アランが一歩前に出た。
「アラン・オーガストレイです。護衛をお引き受けいたしました。どうぞ、よろしくお願いいたします」
名乗る声は驚くほどまっすぐで、迷いがなかった。
それは彼が初めて、自分の出自――〈オーガストレイ公爵家〉の名を堂々と口にした瞬間でもあった。
レティシアの瞳がぱちりと瞬く。
「まあ……オーガストレイ家の方でいらっしゃるのですね。七大公爵家の名を並べるのは、なんだか緊張してしまいますわ」
彼女はほんの少し頬を染め、慌てたように言葉を付け加えた。
「わたくし、こう見えてあまり格式ばった場は得意でなくて……でも、心強く感じますの」
「俺は俺の責務を果たすだけです」
アランは穏やかに答えた。その瞳には少年らしからぬ覚悟の光があった。
「レオン。魔術士だ。主に後方を担当する」
「リィナ・カルセリオ。お嬢様の荷物と周辺警戒、任せてちょうだい」
「ボリス・ミールハルトだ! 盾と鍋で守るのが俺の流儀だ!」
ボリスの声が響くと、レティシアはくすりと笑った。
「まあ……皆さま、とても賑やかでいらっしゃるのね。護衛というより、旅の仲間のようですわ」
おっとりとした口調に、どこか楽しげな色が混じる。
その言葉に、リィナが肩をすくめ、レオンが「否定はしない」とぼそりと呟いた。
「でも、ご安心くださいお嬢様。任務は抜かりなくこなしますから」
ボリスが胸を叩くと、リィナが呆れたように笑う。
「スープこぼした男の台詞とは思えないわね」
「お、おい、それは言うなって!」
軽口が交わされる中、レティシアは微笑ましげに目を細めた。
「ふふ……賑やかな方々が護衛してくださるなんて、退屈しなさそうですわね。では、ボリスさま――あなたを護衛隊長とお呼びしても?」
「えっ、俺でいいのか? ……お、お任せください!」
顔を真っ赤にしながらも、ボリスは胸を張って答えた。
その様子にアランは小さく笑みを浮かべる。仲間たちの軽口が、緊張した空気をやわらげていた。
リゼットが受付の扉から顔を出す。
「みんな、準備はいい? レティシア様、何か必要なものがあれば遠慮なく言ってくださいね」
「ありがとうございます。……けれど、皆さまがいてくださるだけで十分ですわ」
その一言に、ボリスもレオンもわずかに頬を染めた。
やがて御者が手綱を鳴らす。
蹄が石畳を踏み、朝靄の街道へ向けてゆっくりと進み始めた。
レティシアは馬車の窓辺に腰を下ろし、優雅に手を振る。金糸の髪が光を受けてきらめいた。
「皆さま、ご準備はよろしくて? では――出発いたしましょうか」
柔らかな声が、朝の静寂に溶けていく。
その瞬間、アランは胸の奥で何かが静かに動くのを感じた。
王都に残してきたもの――父の言葉、仲間たちとの日々。
そして、今ここにある“自分の選択”。
霧の向こうで塔群がぼやけ、遠ざかっていく。
あの街で交わした約束が、風の音とともに蘇った。
「迷うな、アラン。お前の目で、確かめろ。」
アランは息を吸い、馬車の先を見据えた。
「行こう。……俺たちの旅が、また始まる」
その声に、レオンが静かに笑い、リィナが「頼んだわよ、リーダー」と肩を叩き、ボリスが「おうよ!」と拳を掲げる。
馬車は王都の門をくぐり、東方へと進んだ。
その背を、誰かが見ていた。
濃い霧の奥、屋根の上に灰色の外套をまとう影。
顔の下半分を覆う仮面。その胸元には、銀の蛇を模した紋章が光っている。
風が流れ、霧がその姿を一瞬だけさらった。
「……金馬の娘と、封じられし子。報告せねば」
囁きが霧に溶け、次の瞬間にはその影も消えていた。




