10話 金馬騎士団の娘
朝の冒険者ギルドは、いつになく慌ただしかった。
受付前の掲示板には新しい依頼書が貼られ、紙の擦れる音と冒険者たちのざわめきが絶えない。
冬の冷たい光が窓から差し込み、金属の装備や魔導石をきらりと反射させていた。
その喧騒の中、レオンとボリスは受付カウンターに並んでいた。
リゼットが書類の山を整理しながら、ちらりとふたりに目をやる。
「おはよう。……アラン君は?」
「宿で準備中だ。荷物が多いからな」
レオンが淡々と答えると、リゼットは小さく頷いて書類をめくった。
「で、今回は東方部方面に向かうんだっけ?途中でできる依頼を探してるんでしょ?」
「ああ。王都から離れる道中で、自然に動けるやつを」
「なるほどね……ちょうどいいのがあるわよ。」
リゼットは分厚い束の中から一枚を抜き取り、カウンターに置いた。
「東部山間部、ゴルツェまでの護衛依頼。依頼主はガルデオン家のお嬢様。金馬騎士団の団長の娘さんよ。」
ボリスが眉を上げる。
「ガルデオンって確か騎士団でも名の通った家だよな?」
「ええ。今回は“温泉行き”の旅らしいわ。美容にいいとかで、急に行きたいって言い出したんだって。護衛が足りなくて困ってるの」
「貴族のお嬢様の温泉護衛か……」
ボリスは腕を組み、ふむと唸る。
「山間部なら盗賊か魔獣が少し出るくらいだろう。悪くない。報酬も堅いし、信頼も稼げる。」
「へぇ、ボリスくん、今日はやけに真面目じゃない」
リゼットが微笑むと、彼は胸を張って言い返した。
「俺だって考えるときは考えるさ!」
そのやり取りにレオンが冷静に口を挟む。
「……珍しくまともなことを言ってるな。明日は雪でも降るか?」
「おい、信用ないな!」
笑いが弾け、リゼットの表情も少し柔らかくなる。
「護衛任務なら丁度いいわね。エレジア方面にも繋がるし」
リゼットがそう言って書類に印を押そうとしたところで、ふと顔を上げた。
「ねぇ、レオンくん。ランク試験はいいの?そろそろ受ける予定だったんじゃない?」
「ええ、まぁ……一番ランクの低いアランが“いい”って言うんです。仕方ないですよ。」
わずかに口元を緩めて答えるレオンに、リゼットは目を細める。
「ふふ、そう。あなたらしいわね。」
それから少しだけ声を落とした。
「……アラン君、昨日は実家に行ったんでしょ?」
その言葉に、ボリスが気まずそうに頬をかく。
「おう、行ったな。で、暗い顔して帰ってきた。あれはなかなか見ない顔だったぜ」
「ボリス」
レオンが低く制した。
「余計なことは言わなくていい」
「お、おう……悪い」
リゼットはふっと息を吐く。
「ふーん。だから“東方部”ってことなのね。……もしかして、エレジアに向かうのかしら?」
その問いに、レオンは少し間を置いてから答えた。
「……まぁ、内密に。静かに向かいたいんです。」
リゼットはそれ以上追及せず、静かに頷いた。
「わかったわ。気をつけてね。」
その後、事務手続きを終えた三人は、カウンター脇の休憩席に移動した。
木のベンチに腰を下ろすと、ちょうど陽が差し込んでくる。
ギルドのざわめきの中で、ボリスが大きく伸びをした。
「ふぁ~……それにしても、エレジアか。エルフいるよな?可愛い子、いるかな?」
「お前、それ目的で来るなよ」
レオンが冷ややかに言うと、リゼットが思わず吹き出す。
「ほんと、あなたたちのチームは退屈しないわね」
「退屈なんてしたら、アランが暴走しそうだからな」
「そうそう。あいつ、危ない橋を渡るときほど顔が楽しそうなんだもん」
「まったく同感だ」
三人の笑いが交わる。
少し前まで、ただの跳ねっ返りの寄せ集めだった。
けれど今は、互いの癖も短所も分かった上で、離れ難い“仲間”としての空気があった。
ふと、リゼットが机の端に肘をつき、窓の外の光を見つめながら呟いた。
「……アラン君って、不思議ね。無鉄砲なくせに、見てるとこはすごく遠い。まるで、何かを追ってるみたい」
レオンは一瞬だけ目を伏せ、静かに答える。
「彼は――“誰かのために”って言葉が、行動の中心なんです。だから危ない橋も渡る。僕らは、その後ろで支えるだけですよ。」
ボリスが鼻を鳴らした。
「支えるっていうより、引っ張られてる感じだけどな!」
「否定はしません」
レオンが淡々と返し、また笑いがこぼれる。
やがて、リゼットが手元の書類を片づけながら告げた。
「依頼主のガルデオン嬢は今日の午後に来るわ。顔合わせはそのときに。……あんまり派手な印象は与えないようにね。特にボリスくん」
「俺が一番紳士だっての!」
胸を叩いて主張するボリスを見て、レオンが小さく肩をすくめる。
「その“紳士”が昨日、食堂でスープぶちまけてただろ」
「うぐっ……あれは事故だ!」
リゼットが笑いながら印を押す。
「はい、これで正式に登録完了。明日は早いでしょ?今日はちゃんと休むことね」
レオンは受け取った書類を整え、深く一礼した。
「ありがとうございます。……本当に助かりました」
「気をつけて行ってね。――アラン君にもよろしく」
「ええ。伝えます」
ギルドを出ると、冷たい風が街路を吹き抜けた。
人々の声、馬車の音、遠くで鐘の音が響く。
その中を歩きながら、レオンは空を見上げた。
淡い冬空の向こうに、これから向かう東の山々を思い描く。
「……やれやれ、また厄介な旅になりそうだ」
「厄介上等だろ?アランの“いい顔”が見られるならな!」
ボリスの明るい声が、街並みに弾んで消えた。




