第9話 旅路は始まる
夜更けの〈金の鹿亭〉。
二階の一室に戻ると、窓から入り込む街灯りが、木の床をやわらかく照らしていた。
机の上には地図とメモ、ボリスの置きっぱなしのハンマー、リィナの投げナイフ――雑然とした空気が、妙に落ち着く。
「おかえり、アラン」
ベッドに腰かけていたレオンが、読んでいた本を閉じた。
「顔が固いな。親父にでも説教でもされたか?」
「まぁ、似たようなもんだ」
アランは軽く笑って、深呼吸をひとつ。
「リヴァレスの東側に行く。」
一瞬、空気が止まる。
リィナがカップを持ったまま瞬きをし、ボリスは口にしていたパンを落としかけた。
「はぁ!? 東側!? まさか隣国のエレジアじゃないでしょうね?」
「まさかじゃなくて、まさにそれ」
「また面倒ごとでしょ、それ」リィナがため息をつく。
「今回は巻き込まれたってより、選んできたって顔だな」レオンがにやっと笑う。
アランは苦笑して肩をすくめた。
「……まぁ、そうかもな。王都の情勢が怪しくなってる。俺にしかできないことがあるらしい。危険かもしれない。だから無理に――」
「はい出た、いつものやつ」ボリスが遮った。
「危険かもしれないからついてこなくていい、って顔が言ってる」
「いや、そんなつもりじゃ!」
「お前が行くなら、俺たちも行く。そういう話だろ」
レオンは淡々としながらも、口元にわずかに笑みを浮かべた。
リィナは肩を竦め、カップを置く。
「しょうがないわね。」
「エレジアまで行くなら――エルフいるよね?可愛い子、多いかな?」ボリスが空気を柔らげる。
「私は大賛成よ!ランク試験なんていつでも受けられるし!」
「お前ら……」アランは呆れたように頭をかいた。
だが、胸の奥の重さが少しだけ軽くなるのを感じた。
「ありがとう。ほんとに……ありがとう」
レオンが小さくため息をつく。
「まったく。お前が無鉄砲なのは病気だな」
「それ、褒めてるのか?」
「もちろんだ」
その即答に、思わずアランは笑い声を漏らした。
「じゃあ、出発は明後日の明け方だ。明日は準備とギルドの手続きに回る」
「了解!」ボリスが拳を握る。
「護衛任務があれば俺が話つけとく!」
「助かる」
リィナは肘を机につきながら、からかうように言った。
「ほんと、あんたらしいわね。危ない橋を渡るときほど楽しそうなんだから」
「だってさ、ひとりじゃないって思えば――なんでも行ける気がするんだ」
アランの言葉に、レオンが小さく息を吐いた。
「……まったく。そういう無根拠な自信だけは、本当に強い」




