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英雄を夢見た少年は、王国の敵になる ―リベルタス―  作者: REI
第4章 救国の片鱗 森の都エレジア編

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第8話 王子ルシアス

蹄の音が近づいていた。

夜更けの石畳を叩くその響きは、眠れる屋敷にはあまりに規則正しく、どこか不吉な律動を刻んでいた。

アランは手を止め、書棚の影から中庭を見やる。

門前の松明が風に揺れ、金の紋章を掲げた馬車の姿を照らした。


「……王家の紋章?」


小さく呟いた瞬間、背後の扉が荒々しく開いた。


「旦那様っ!」

駆け込んできた執事の額には汗が滲み、手にした白手袋が震えている。

「ル、ルシアス殿下が……このような時刻に……!」


レオニスが目を細め、立ち上がった。

「殿下を応接間へ。――アラン、お前も来なさい。」

「は、はい。」


重く沈んだ胸の奥で、何かがざわめく。

王家の第一王子が、夜半に――それも予告なしに。

何かが、確実に動こうとしている。


廊下を進む足音が、蝋燭の影の中に沈んでいく。

執事が扉を開いた瞬間、冷たい夜気が流れ込み、焔が一瞬だけかすかに揺れた。


重厚な靴音。

金糸の外套をまとった青年がゆっくりと入室する。

その背後には、王家の紋章を刻んだ近衛騎士が二人。


アランは反射的に膝をついた。レオニスも深く頭を垂れる。


「……お初にお目にかかります。リヴァレス王国第一王子、ルシアス=リヴァレス殿下。」

父の低い声が、部屋の空気を一瞬で引き締めた。


ルシアスは片手を軽く上げた。

「顔を上げよ。――突然の訪問、許せ。」


凛とした声。若さの奥に、冷ややかな理性と覚悟が滲む。

アランはそっと顔を上げ、青年を見つめた。

灰銀の髪、透き通るような青の瞳。その整った容貌には人の温かさを拒む気配すらあった。

夜気の中にほのかに漂う王家の香が、現実感を奪っていく。


――王国の中心が、今この屋敷にいる。

それだけで、息が詰まるようだった。


レオニスが一歩進み出る。

「殿下。このような時刻に……何か、急を要する御用でしょうか?」


「下がれ。」

ルシアスは振り返り、近衛に命じた。

扉が閉ざされ、外の気配が消える。

蝋燭の炎がわずかに揺れ、沈黙の中で、王子の声が落ちた。


「――王は病床にある。」


静かな言葉。だがその一言で、場の空気が一変した。


「余は政務を代行しているが……王都はもはや限界だ。

貴族たちは勢力を誇示し、互いに睨み合っている。火種はすでに王城の奥まで及んでいる。」


レオニスが頷き、重々しく言葉を継ぐ。

「陛下より密命を賜りました。“火種の鎮圧”、そして“隣国エレジアとの秘密同盟”。」


「そうだ。」

ルシアスは視線をアランへと移した。


「アラン・オーガストレイ。名は聞いている。」


「……恐れながら、私はまだただの冒険者です。」

アランは眉を寄せ、慎重に答える。

「王国の密命など、私には――」


「重いだろう。」

ルシアスはすぐに言葉を重ねた。

だがその声音に、責める響きはなかった。


「だが、誰もが動けるわけではない。貴族でも騎士でもない者でなければ、いまの王都では動けぬ。

お前の立場だからこそ、誰にも疑われずに真実へ近づける。」


アランは沈黙した。

その瞳の奥に見えたのは、計算ではなく――切実な願い。

王子は命令ではなく、“人”として頼みに来たのだ。


「……殿下がそこまで仰るのなら、理由を伺ってもよろしいでしょうか。」


ルシアスは息を吐き、目を伏せた。

「お前は知らぬかもしれぬが――十年前の“夜”以来、王家は闇を抱えている。

オーガストレイ家は王国の礎、その血は“契約”そのもの。

だが、いまその礎が崩れかけている。王都には、“裏の手”が潜んでいる。」


「裏の手……?」


「銀蛇騎士団。……それが、火種のひとつだ。」


アランの心が凍りつく。

レオンが語っていた“銀蛇”の噂が脳裏を過った。

王都の闇は、すでに日常の中に紛れ込んでいる。


「お前に頼みたい。」

ルシアスはまっすぐに告げた。

「冒険者として自然に行動し、エレジアに渡ってくれ。同盟交渉の糸口を掴むのだ。

失敗すれば王国は分裂する。成功すれば――まだ、救える。」


アランは拳を握りしめ、俯いた。

「俺が動けば、仲間も巻き込むことになる。命令としてではなく、なぜ俺に?」


ルシアスは短く息をつき、穏やかな声で答えた。

「お前だからだ。

立場でも血でもない、自らの意思で動く者を、私は信じたい。」


その言葉に、アランは息を呑む。

目の前の王子が、ほんの一瞬だけ“同じ人間”に見えた。


やがてアランはゆっくりと膝を折り、深く頭を垂れる。

「……分かりました。アラン・オーガストレイ、密命をお受けいたします。」


ルシアスは目を伏せ、静かに頷いた。

「感謝する。いつかこの国が崩れかけたとき、余は再びお前を呼ぶだろう。」


「俺に出来ることがあれば力添え致します。」


蝋燭の灯が二人の影を長く伸ばす。

その光の中で、王族と庶民の垣根は静かに消えた。



それは後に、王国の命運を左右する“ひとつの約束”となる。



謁見が終わり、王子が去った後。

静けさを取り戻した応接間に、暖炉の火だけが小さく揺れていた。

アランはまだ膝の感触が抜けず、立ち尽くしていた。


レオニスがゆっくりと歩み寄る。

その手には、黒い封蝋の施された書簡があった。


「……これを、持っていけ。」


「これは……?」


「陛下より託された、オーガストレイ家への密書だ。

時が来るまでは開けるな――そう命じられている。」


アランは両手でそれを受け取った。

厚い封蝋の冷たさが、胸の奥まで染み渡る。


「アラン。」

レオニスの声が、穏やかに響いた。

「お前の選んだ道がどれほど険しくとも、私は誇りに思う。

血はお前を縛るためにあるのではない。守るためにある。」


アランは深く息を吸い、静かに頷いた。

「……分かりました、父さん。」


「行け。お前の仲間が待っているだろう。」


アランは書簡を懐にしまい、背筋を伸ばした。

「必ず戻ります。」


レオニスは微笑み、わずかに目を細めた。

「それでこそ、我が息子だ。」


屋敷を出たとき、東の空はすでに淡く染まり始めていた。

夜明け前の風が、まだ冷たく頬を撫でる。


アランは外套を翻し、歩き出す。

懐の書簡の重みが、まるで国そのものの運命のように感じられた。


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